断章 第7話 『鎖なら断ち切れる』


 野営場所に定めた場所のちょうど中心で辺りをやや照らす焚き火。火柱は高くもなければ低くもない──適当な高さで安定して燃えていた。


 揺らめく火によって顔が目視できるようになっているフレット。その腹に抱えているのは激しい怒りだ。眉間に青筋を浮かべ、話しかけづらい雰囲気を出している。


 そのフレットの側にいるのは呼び出されたハンナだ。フレットにとってハンナは自分の怒りをぶつけるサンドバッグ。露出が多い服装をさせているのも殴った手応えを感じたいからだ。


「あのクソ亜人が! 俺をコケにしやがって! 絶対に殺してやる!」


 焚き火の方に蹴りを入れるフレット。

 火は大きく揺れ、パチパチと音を立てる。

 いきなりの行動にハンナは次は自分が焚き火と同じように蹴られるかもしれないと肩を震わせた。

 しかし、暴力は振るわずにフレットは卑しく笑う。


「あのガキ殺して、お前たちの仲間でも増やすか?」

「………………」

「なんとか言えよ!」


 無反応のハンナにフレットが拳を突き上げる。

 すると、タイミングを見計らったようにヒガナとアリス、ルーチェが簡易テントから出てきた。

 フレットは小さく舌打ちをして、拳を引っ込める。

 ヒガナは静かな表情で問う。


「今、ハンナさんを殴ろうとしましたよね?」


 フレットの表情が強張った。


「気のせいじゃないか? 俺は女性に手を上げたりはしない」

「そりゃ、紳士的で。俺は女性どころか女の子殴ろうとした底辺野郎ですよ」

「それはいただけないな。男たるもの女性に対しては紳士的でなければ。手を上げるなどもってのほかだ」


 あまりに真剣に言うフレットにヒガナは遂に吹き出してしまった。その笑い方は紳士とは真逆の野蛮人のようだ。

 ただでさえアリスのことで腹に据えかねていたところにヒガナからの嘲笑は火に油だ。


「何がおかしい?」

「お前の似非紳士振りが痛くてな」

「似非、紳士だと……?」

「仲間から頼られるリーダー、誰も嫌がって受けようとしなかった依頼を率先して受けるお手本のような冒険者、女性に優しい紳士──けど、その実態は自分の見栄しか考えてない、人を物扱いする最低のクソ野郎、それがお前の正体だ」


 全身の血液が頭に一気に集まったかと思うほど熱くなったフレットはヒガナに詰め寄る。


「今のはどういう意味だ?」

「そのまんまの意味だ」


 フレットにワザと背を向けて、ハンナの方に近付くヒガナ。

 優しく落ち着かせるような口調で彼女に話しかける。


「ハンナさん、いいですか」

「えぇ」

「お前! 何をっ!」


 首肯したハンナは首に巻かれていたスカーフをゆっくりと外す。その首には奴隷の証であるチョーカーが忌々しく巻き付いていた。

 ヒガナは徐々に感情を露わにしながら、フレットを糾弾する。


「お前がハンナさんを物しか扱ってないのは知っている。機嫌が悪い時は暴力を振るっていたことも、辱しめていたことも全部知っている。何が女性には手を上げない、だ! 女性を……人を物扱いしかできないクソ野郎が!」


 フレットの僅かに張り付いていた紳士の仮面が完全に剥がれ落ちた。その下にあったのは自己中心的で利己的な紳士とは程遠い醜悪な面だった。

 ヒガナよりハンナの方に怒りの矛先が向かった。


「ハンナッ!! お前、俺を裏切ったのか!!」

「裏切ってなんかないわ。元々、アンタは敵でしかないもの」

「奴隷の分際で調子に乗るなよ!! お前なんざ、俺が命令すれば……」


 フレットの言葉を遮ってルーチェが割り込んで来た。


「霊装を使わんと仲間の一人も作れんとは余程性格に難があるようじゃの」

「あ?」


 苛立つフレットを尻目にルーチェは哀れと言わんばかりの口調で言葉を続ける。


「偽りの絆なぞ、指先一つで簡単に壊れてしまうことを理解しろ痴れ者が。そう、例えば此奴の指先でもじゃ」


 ルーチェはヒガナに目配せをする。

 ヒガナはハンナの隣に立って、フレットを睨みつける。


「雑魚が何をする気だ?」

「お前に奇跡を見せてやるよ」


 ヒガナが不敵な笑みを浮かべ、ハンナを縛り付けているチョーカーに指先を添え全神経を集中させる。


 顔の血管が浮かび上がる──まるで、肌の下で生き物が蠢いているようだ。

 激痛がヒガナを蹂躙する。目の奥で小人が暴れ回っているような、脳神経を一本一本ノコギリで切られているような耐え難い苦痛。

 それでも奥歯を噛み締め、全身の筋肉を強張らせ、必死に激痛に耐える。



 ──すると、ハンナを苦しめていた首輪が外れた。



 その光景にフレットは大きく目を見開いた。


「そ、そんなバカな!? それは奴隷契約の霊装だぞ! 契約破棄してないのにも関わらずに外れるなんてあり得ない!」

「現に外れてるじゃねぇか……これでハンナさんはお前の奴隷でもなんでもない」


 流れる鼻血を拭いながらヒガナはしてやったり顔をする。

 焦ったフレットはリノ、ダリルが寝ている簡易テントそれぞれに声を張り上げる。


「木偶の坊ども、今すぐ出てこい! 『命令だ』!」


 リノとダリルが出てきたことにホッとしたフレットは続けて命令を下した。


「『命令』だ! 裏切り者を、クソ亜人を、クソガキ共を今すぐ殺せ!」

「………………」

「………………」

「オイ! 何黙ってんだよ! ご主人様の命令は……あ、あぁ……そんな……」


 何かに気付いたフレットは驚愕の声を漏らした。

 リノとダリルの首にも奴隷契約の霊装が無くなっているではないか。

 ハッとしてフレットはヒガナの方を振り向く。

 ヒガナは二つのチョーカーを手に持っていた。


「お探しの物はこれか?」

「な、なんで……こんな……何をしたんだ!?」


 リノとダリルはヒガナの方に付き、武器を構える。

 ハンナも腰に差してあった短剣を引き抜き、臨戦態勢と移行する。


「今まで散々コケにしてくれたわね」

「何度夢見たことか、こうなる日を」

「絶対に許しませんから」


 三人分の殺意を浴びせられたフレットは怯む──かにみえたが、寧ろ怒りをさらに燃やし、長剣を鞘から抜き出す。


「やってみろよ! すぐに奴隷に戻してやるから覚悟しろ、クズども!!」


 一触即発の最中、ルーチェが呆れたように溜め息を吐いた。


「下らんな」


 次の瞬間、凄まじい威圧感が空間を席巻する。

 ルーチェの発した魔力によって、ヒガナ、アリス、ハンナ、リノ、ダリルの五人が一斉に地に伏せた。

 なぜか意識を保つことができたフレット。長剣を握る手に汗が滲む。


「要は貴様が元凶じゃ。貴様を殺せば万事解決というわけじゃ。故に流れる血は貴様だけで十分。喜べ、余が直々に誅を下してやる。生涯最高の誉れじゃろ?」

「グッ……っそぉ!!」


 恐怖に怖気付く身体を動かそうとする。 

 だが、どんなに気力を振り絞ってもフレットが握る長剣の剣先は終始震えていて、木の枝すら満足に斬れないだろう。


「ほれどうした? 来るなら来てみろ。来なくても殺すが」


 圧倒的な力の差。

 フレットの冒険者として、人間の本能がルーチェには勝てないと警鐘を鳴らしている。

 こんな経験、フレットは初めてだった。これまで何度も危険を味わって、それを潜り抜けてきた。最近では危険すらも人生の刺激として楽しめていたがルーチェに関しては違う。

 危険、人生の刺激、楽しむ──そんな次元ではない。


「う、うわぁぁぁぁぁぁ! 来るな、来るなぁぁぁぁ!!」


 フレットは瞳に涙を薄っすらと浮かべ、とうとうルーチェから逃げ出した。

 情けないフレットの背中を見送ったルーチェは呆れたように肩をすくめる。それから、倒れている四人・・に身体を向けて森の方へ視線を向ける。


「余の演技力に感謝するんじゃな、お前様」



×××



 ──話は前日、ヒガナのリスタート地点に遡る。


 時間遡行して、アリスと簡易テントで絆を深めた後、ハンナに話し掛けたところだ。


「ハンナさん。話があるんです」

「話? アンタが私に話……ね」


 アリスとルーチェを一瞥してから、ヒガナに疑念の視線で睨み付けるハンナ。

 刺々しい視線に少しだけ気圧されるが、ヒガナは全て受け容れる。


「はい。後、リノとダリルさんを呼んでもらえませんか?」


 ハンナは若干の疑問を抱きながらも、リノとダリルを呼びに行く。それぞれの簡易テントで寝ている二人に声を掛けて呼び出した。


 リノは眠気眼を擦りながらのんびりと、ダリルは寝起きとは思えないほどしっかりした足取りで、堅牢な鎧を身に付けて出てきた。

 短時間で着込んだのか、鎧を着たまま寝ていたのかは分からない。


「どうしたんですか?」

「とりあえず座ってくれ。それと、なるべく静かな声で頼む。フレットには聞かれたくないことだから」


 フレットの名前が出されて、ハンナたちの表情が少しだけ曇った。

 異様な緊張感の中、全員が焚き火を囲んで座る。

 フレットを追い詰める──叛逆の初手が今打たれようとしていた。

 しかし、初手はヒガナの精神を著しく削るくらいに重い。ヒガナだけならまだしも、ハンナたちにも辛い思いをさせてしまう可能性がある。

 嫌な汗がヒガナの背中にじんわりと広がっていく。

 それに対して乾いていく唇を舌で舐めて僅かに潤してから、ヒガナは火口を切る。


「単刀直入に聞きます。ハンナさんたちはフレットの奴隷ですね」


 空気が一気に重くなるのを肌で感じた。

 誰一人として否定する者はなく、ヒガナはそれを無言の肯定と捉えて言葉を続ける。


「これまでの俺やアリスへの対応は……全てフレットの指示ですか?」


 引っかかりは二日目の戦闘後からだ。

 アリスが力を示した途端にリノとダリルは初日の疑念が嘘のように消え去り、尊敬混じりに話しかけてきた。その後も積極的に話題を振り、距離を縮めて心を開かせようと言わんばかりの行動。

 これが冒険者ってモノなのかと、ヒガナは不思議に感じていたが、それは明確な誤りであった。


「はい……。すいませんでした」

「…………すまん」


 あっさりと認め謝罪をする二人の頭頂部を見て、ヒガナは下唇を噛んで溢れる感情を押し殺す。

 分かっていたことだが、いざ現実として突き付けられるとキツいものがあった。


「で、でも! キッカケはそうでしたけど、ヒガナさんは話しやすいお兄ちゃんって感じで、アリスさんは噂に聞いていたのと全然違くて……それは言ってることとか時々意味分かりませんでしたけど、悪い方には見えませんでした。今は、お二人のこと好きです。これは、嘘偽りない本心です」


 リノが早口になりながら想いを語った。

 ダリルはリノの想いに共感し、寂しそうな顔で言う。


「こんなにも道中が愉快だったのは久しぶりだった。もっと違う形で出会いたかった……そう本気で思っている」


 これも演技なんじゃないかと疑心暗鬼に駆られるヒガナだったが、


「……嘘は言ってない」

「分かるのか?」

「……今まで散々、嘘つき見てきたから分かる」


 アリスの言葉を信じることにした。

 そちらの方がヒガナとしても嬉しいからだ。

 すると、それまで黙っていたハンナが苛立ちながら口を開いた。


「で? 私たちがアイツの奴隷ってことを晒して、アンタは何がしたいの?」

「アリスを助けたいんです。フレットは王都に着く前にアリスをどうにかしようとしている、違いますか?」


 ハンナが苦しそうに頬を強張らせた。それは自分が何も出来ない無力さを感じているからなのかもしれない。


「そんなこと言っても……私たちはアイツに逆らえない。どうすることもできないのよ」

「そんなことありません」


 今の発言にハンナは怒りを燃え上がらせて、いつもよりずっとドスの効いた低い声で言葉を放つ。


「何を根拠にそんな事を言えるの? ……奴隷持ちのアンタに、奴隷の人間の気持ちが分かるの?」

「アリスは奴隷なんかじゃない、俺の大切な仲間です。確かに俺は奴隷の人の気持ちは分かりません」

「そうよ、分かるわけがない。知ったような口を聞かないで」


 剣呑なハンナをなだめるかのようにルーチェが口を開いた。


「此奴とて悪戯に貴様らを煽っている訳ではないぞ」

「……アンタ起きられたの? それにその眼の色と牙……吸血鬼?」


 ハンナの辿り着いた答えに、リノとダリルの表情が引き攣る。

 その様子を見てルーチェは肩をすくめる。


「とって喰ったりせんから安心せい。それより、余なら貴様らを縛り付けている鎖を断ち切ることができるかも知れんぞ?」


 ルーチェは不敵な笑みを浮かべて、それぞれの首に着けられている忌々しい霊装を見つめた──。

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