断章 第8話 『呪いの代償』
ルーチェの発言に業を煮やしたハンナは勢いよく立ち上がろうとするが、リノとダリルに抑えられる。口を押さえられているので何を言っているのかは分からないが、激怒していることだけは伝わってきた。
「ちょっと落ち着いてください。これだけ真面目な雰囲気で私たちをおちょくって言っているように見えますか?」
「そうだ、向こう見ずに腹を立てるのはお前の悪い癖だ」
冷静な二人に諭されてハンナは落ち着きを取り戻して、座った眼でヒガナたちをジロリと睨みつける。それから霊装に触れながら剣呑な口調で言う。
「これはフレット以外は絶対に外せない。だから、私たちは一生アイツの所有物……それはどうやっても変えられない事実よ」
「全く嘆かわしいの。淫乱娘よ、貴様の不変の事実とやら余が変えてやる」
「誰が淫乱よ! 好きでこんな格好しているわけないじゃない! それにアンタみたいな吸血鬼に何ができるっていうの!?」
煽りまくるルーチェに流石のヒガナも不安になってきた。
彼女の実力は前回、虚ろな意識で確認した。圧巻の一言だった。しかし、あの力を不用意に振り回されては困るので、こうしてルーチェをこの場に呼んだのだ。
「おい、霊装を外すなんて本当にできるのか?」
「何じゃ? お前様も疑うのか? 全く……人間の尺度に余を合わせるでない。確かに力は殆どが封じられておるが、霊装の一つや二つ如何様にもできるわ」
「そうなのか?」
「疑うのなら、その両の目でしかと見とれ」
そう言って、ルーチェはリノの前に立つ。
「どれ、霊装を見せてみろ」
「え……あ、はい」
あまり見せたくない様子だったが、ルーチェの有無を言わせない態度に折れたリノ。修道服を少し脱いで霊装を露出させる。
霊装を数十秒観察してからルーチェは鼻を鳴らす。
「この程度の術式とは。拍子抜けもいいところじゃな」
「え、あの……」
「ジッとしておれ」
ルーチェの指先に触れた瞬間、ヒガナの脳内にノイズが走ったかと思うと、線のようなモノが視界に映り込む。線を目で追っていくと、フレットが寝ている簡易テントまで伸びていた。
これはリノとフレットを繋ぐ契約の概念なんだと、ヒガナは直感で分かった。
契約という現実を捻じ曲げ、虚構へと塗り替えようとする行為は多大な負荷がかかるようで、絶え間なく起こる激痛に歯を食いしばって耐える。
すると、リノとフレットを繋いでいた線がプツリと切れて、粒子と姿を変えて虚空へと溶けて消えていった。
「もう外せるぞ……って、どうしたお前様!?」
「──づっ、はぁ……はぁ……」
突然治った痛みに力が抜けたヒガナは地面に手をつく。鼻下の地面にはポタポタと血が落ちて染み込んでいった。
ルーチェが驚愕し、心配したアリスが近付いて背中をさすり、リノはオロオロしながらヒガナに話しかける。
「だ、大丈夫ですか? ヒガナさん」
「大丈夫……それより、霊装は?」
半信半疑でリノは霊装に手を伸ばす。ものの数秒、いとも簡単に霊装は外れた。
その光景にリノ、ダリル、ハンナの三人は絶句。
「は、外れた……本当に……? 嘘……」
中でもリノは嬉しさのあまり大粒の涙を流し膝から崩れ落ちた。
リノの肩を抱きながらハンナは未だに信じられないといった表情でルーチェ、それからヒガナを見る。
「一体何をしたの?」
それに答えたのはルーチェ。だが、その表情には困惑が色濃く浮き出ていた。
「いや……霊装に刻まれている術式を余の魔力で完全に破壊したのじゃが」
「そんな霊装の術式に介入するなんて聞いたことないわ……吸血鬼ってそんなこともできるの?」
「余のことなぞ些事じゃ。問題はなぜお前様がそんなことになっておる?」
驚きを隠せないハンナの問いを適当に返したルーチェ。その関心はヒガナに向いていた。
ヒガナはアリスに鼻血を拭かれながら、ルーチェに向けて薄っすら笑みを見せた。
「何でか分かんない……でも、鎖が断ち切れるなら何だっていい。ルーチェ、ダリルさんとハンナさんのも頼む」
「う、うむ」
ルーチェは渋い表情をしつつもヒガナの圧に押されてダリルの霊装を解除する。
先程よりもダメージは深刻で確実に身体を蝕む。
「だ、大丈夫か、ヒガナ」
アリスの支えなしではまともに座ることすらできなくなっているヒガナだが、親指を立てて大丈夫だとアピールする。
「……ヒガナ」
「余は今日はもうやらんぞ。何が起こっているかは察しがついた。これ以上はお前様の身が危険じゃ」
ルーチェの苦言にヒガナは渋々頷いて、アリスに寄りかかりながらハンナに視線を向ける。
「そういうわけでハンナさんは明日でもいいですか?」
二度の奇跡を目撃したハンナは素直に頷いた。
「分かったわ……でも、私のも外してくれるなんて意外だったわ。私は、アンタたちを……」
「そういえばそうですよね。ハンナさんは俺たちを散々、目の敵にしてましたね。それが俺たちをハンナさんたちの事情に深入りさせないための演技なのか、素なのかは分かりませんけど結構傷つきましたよ」
「それは……ごめんなさい」
バツが悪そうに頭を下げるハンナ。
「本当に悪いと思ってるなら、俺の言うこと一つ聞いてくれませんか?」
ハッと顔を上げて睨み付けるハンナ。
こういう時、大体辱めるようなことを提案してくる──現にフレットはこの手で何度ハンナを辱めたことか。
しかし、辱めを受ける代わりに自由が手に入る。迷う必要はどこにも無かった。
「分かったわ。なんでも聞くわよ」
ヒガナは身体を蝕む負荷を感じさせないような表情で、こう言った。
「アリスを、ハンナさん自身の目で見てくれませんか?」
「────え?」
全く予想していなかった展開にハンナは硬直した。
その間にもヒガナは続ける。
「俺も出会ってからまだ日が浅いからアリスのこと、全部どころか殆んど知りません。でも、噂にあるような女の子じゃないのはなんとなく分かります。俺はアリスを自分の目で見て、心でそう感じました。だから、ハンナさんも噂とかを度外視して、アリスを見て欲しいんです」
それがヒガナの願いだった。
巷で悪い噂が流れていて、それを鵜呑みにする人がいてもそれは仕方ないことだ。
でも、知って欲しい。
せめて、関わった人には。
アリスはそんな女の子じゃないってことを。
「アンタさ、何でその子を選んだの?」
その質問は以前されたモノだった。
ここではない世界で。
誰も覚えていない、ヒガナだけが覚えている世界で。
あの時は怒りを灯しながら答えたことを覚えている。
でも、今は違った。
ヒガナはアリスを一瞥してから、笑いながらこう答えた。
「処分されそうになってたからってものありますけど、なんか惹かれたんですよ。直感です。それに可愛いし、兎耳とか萌えるじゃないですか。一緒にいるだけですげぇ癒されるんですよ。──最高の仲間です」
赤裸々な発言にアリスは頬を朱に染めて、嬉しそうに呟いた。
「……それは殺し文句、惚れたら火傷する」
「後半は俺が言うべき台詞なんだけどな」
「……ヒガナは火傷させたいの? ……鬼畜、加虐嗜好、嫌い」
「比喩だから! それにサラッと嫌いって言うの結構傷つくからな!」
リノやダリル、ハンナはその掛け合いにクスリと小さく笑った。
ルーチェも苦笑する。
「何ですかそれ? ヒガナさんって変な人ですね」
「ある意味、傑物だな!」
ハンナはアリスの方を見て、涙を浮かべて微笑んだ。
「──アンタが羨ましい限りよ」
この台詞にどれほどの想いが込められていたか、それはハンナにしか分からないだろう。
けど、アリスはその想いの欠片を確かに受け取って、柔らかな笑みをハンナに向けた。
×××
森の中。
ヒガナはルーチェと居た。
これからヒガナが頼もうとしていることは自己欲求を満たすだけの行為、あるいは意地を貫くだけの独断的なモノだ。誰にも──特にアリスには聞かれたくないから森の中に来ている。
「ルーチェ、頼みが……」
「待て。まずは先刻のことについてじゃ」
ルーチェは小さな手をヒガナの前に突き出して主導権を握る。
「あぁ、アレは一体何だったんだ?」
「結論から言えば、余が本来負うべき苦痛をお前様が受けたんじゃ」
「それどういう意味だ?」
未だに倦怠感を訴える身体、疲弊した思考ではルーチェの言っていることが上手く理解できない。
ルーチェは「あくまでも仮説じゃ」と前置きをしてから話し始める。活動限界が迫っているからか、やや早口だった。
「あの死を纏う娘は余に着けられている禁忌霊装とやらをお前様が破壊したと言っておったな」
「ああ」
十字架の装飾品が着けられたチョーカーに視線が落ちる。
「その見立ては恐らく間違いじゃ。正確に言えば、お前様は余にかけられた呪いを幾分程肩代わりしている」
「肩代わり? でも、身体に違和感とか異常は感じられないけど」
「なぜ、お前様が呪いの影響を受けてないのかは分からん」
「そっか。もしかしてさっきのも呪いの影響ってことか?」
ルーチェは渋い表情で頷き、禁忌霊装に指を這わせる。
「制限以上の力を使おうとすると霊装に刻まれている呪いが肉体を、精神を蝕む仕組みになっているようじゃ。幸いなことに制限は日に日に解除されておるが……今回は制限以上のことをしてしまったようじゃ」
「で、呪いのダメージが俺に来たと」
「済まぬ。それは本来は余が受けるべき呪いじゃ……なのに」
申し訳なさそうなルーチェの頭を優しく撫でて、ヒガナはどこか嬉しそうな口調で言った。
「いや、俺が肩代わりできて良かった。ルーチェの苦しむところなんて見たくないから。それに間接的でも役に立てるなら本望だ。そのためならどんな苦痛にだって耐えてみせるさ」
「お前様って奴は……」
ヒガナの自己犠牲精神にルーチェは明確な危うさを感じてしまう。
もし、仮に行くところまで行ってしまったら…………。
「そろそろ俺の話をしてもいいか?」
「……あ、ああ、良いぞ」
「俺、フレット以外を気絶させてることはできないか?」
「別にできんことはないが、何のためにそんなことをするんじゃ?」
「フレットと一対一でやるためだ」
ルーチェは不思議そうに小首を傾げた。
「お前様一人で戦うより、全員で叩いた方が確実じゃと思うが?」
「そりゃそうだけど、フレットは俺一人で倒したいんだ。それに……ハンナさんたちがフレットを倒すのを見るのは目覚めが悪い」
ヒガナの脳裏にはこれまでの道中の記憶が過っていた。
偽りの姿だったのは分かっている。でも、魔物を倒した後のフレット、リノ、ダリル、ハンナの喜びと絆を再確認する表情が嫌に鮮明に残っている。
フレットも仮でも仲間に倒されるのは辛いだろう。
それなら、部外者のヒガナが決着を付けた方が良い。
「なんか回りくどいことするの」
「フレットくらいの障害は自分の力で越えたいんだよ」
ルーチェはニヤリと笑い、ヒガナの腹を肘で小突いた。
「お前様も存外男じゃの。良い良い、そういうのは好みじゃ」
「合図はハンナさんの霊装を外したら。お願いできるか?」
「それは構わんが、その時に余が起きていなかったらどうするのじゃ?」
「いや、それは大丈夫。きっとルーチェは起きているから」
「確信を持っていうんじゃな。未来でも見てきたか?」
冗談混じりに言うルーチェに、ヒガナは笑うことしか出来なかった。
それから夜を照らす月よりさらに向こう──この世界を無感情に、無慈悲に、超然的に見下しているであろう、創造主を睨み付ける。
「──いい加減、抜けさせて貰うぜ。悪平等な神様よ」
×××
フレットは月のみを光源とした森の中を汗だくになりながら走っていた。
髪は乱れに乱れ、整った顔立ちは涙や汗、鼻水でぐしゃぐしゃになってしまって、紳士なフレットは最早どこにも存在しなかった。
拓けたところに辿り着き、フレットは肩で息をしながら後ろを向く。
例の幼女の気配はない。
ホッと溜め息を吐くフレットだが、突如聞こえた声に肩を跳ねらせ、声の主を目視して身体を震わせた。
「イケメンが台無しだな」
「お、おおお、お前ッ! 何で、何で何で、ピンピンしているんだ!?」
ヒガナは傷一つなく、フレットの前に立っていた。
しかし、平然というわけではなく、脂汗を滲ませ、両方の鼻の穴から血を流し、疲労と痛みが混ざったような表情をしている。
「まさか……あのガキと繋がっていたのか!!」
「繋がるも何もルーチェは俺の大切な仲間だ」
驚愕するフレット。
その顔が見たかったんだ、と言わんばかりのヒガナは大きく深呼吸をしてからフレットに指を突き立てた。
遂にここまで追い詰めた。
盤上に残っているのは金メッキが剥がれたキングと黒色のポーンのみだ。
「──チェックメイトだ、裸の王様」
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