断章 第5話 『蝿を潰す』


 同じ展開をなぞり、惨劇が起こった野営場所に辿り着いた。ヒガナはさりげなくこの場所はあまりよくないから別の場所にしようと提案したが、フレットたちを説得することは上手くいかなかった。

 質素な夕食を済ませ、あとは寝るだけとなった。

 ヒガナは辺りをぐるりと睨みつけて、大きく深呼吸を繰り返す。


「こっからが本番だ。覚悟を決めろ」


 何度も何度も自分に言い聞かせる。

 前回の惨劇はヒガナが寝ていた間に起こった。後に起こる惨劇のことなど一切知らずに悠々と寝ていたのだ。

 予測できなかったものはどうしようもないが、それでもヒガナは自分を責めてしまう。


「でも、今回は違うからな」


 一睡もせずに敵の正体を突き止めて虐殺を阻止する。──それが、アリスを、フレットたちを救うための条件だ。


 しかし、かなり厳しい条件なのはヒガナも重々承知している。

 敵の正体を突き止めるのは然程難しくはない。時間が自ずと答えを示してくれる。

 問題は次だ。

 ヒガナには相手を打倒するだけの力がない。敵の存在をいち早く特定して撃退をフレットたちに頼むという手ができる限界かもしれない。だが、脳裏にこびりついている地獄の光景がその選択肢を選ぶ決断を鈍らせる。


「クソッ……どうして次から次へと」


 ヒガナは自分の手を眺めながら、この世界の厳しさに落胆する。

 すると、


「……寝ないの?」


 簡易テントからひょっこり顔を出したアリスが尋ねてきた。その目を見るに、一緒に寝たそうなのが分かる。

 宿屋で同じベッドで寝てから、人肌の温かさに感激したアリスは何かとヒガナと一緒に寝たがる。と言っても抱き枕程度の意味合いだが。


「あぁ、俺はまだ起きているよ。つか、一緒に寝るのはなしな。ルーチェと寝てくれよ」

「……三人で寝たい」

「また今度な」


 まだ、宿屋のようなプライベートな空間ならまだしもフレットたちが近くにいる場所で、一緒に寝るというのは気恥ずかしいものがあり、野営中は極力避けている。

 ヒガナの対応にアリスはムスッと頬を膨らませた。


「……いじわる」

「拗ねてる顔も可愛いな。じゃなくてアレだ、一緒に寝るのは色々と危険なんだ……俺の理性諸々が」

「……私の全てはヒガナの物……心の準備は万端……いつ来られても大丈夫」

「なんか止めてくれない!? 物凄く恥ずかしいんだけど!?」

「……一姫二太郎が理想」

「分かった! アリスの未来予想図は今度ゆっくり聞くから! はい、おやすみおやすみ!」


 半ば強引にアリスを簡易テントに押し込み、大きく溜め息を吐いた。少しは常識も教えないといけないようだ。


「まるで恋人、夫婦のようだな」


 一連の流れを見ていたフレットがカラカラ笑いながら火に木を焚べる。今の火の番はフレットだ。

 ヒガナは苦笑しながら、焚き火の近くに座った。もちろん警戒は怠らない。いつ、どこから襲撃があるか分からないからだ。


「そうですか?」

「俺は初めて見た、奴隷とあんなにも仲睦まじく接する人間を」


 今までのフレットからは考えられないような辛辣な言い方。それに、口調にノイズのような違和感を感じた。


「アリスは奴隷じゃないです。仲間です」

「君はそう言うが、契約は結んでいるんだろう?」

「それは、そうですけど……」

「主従の契約があるのに、それを仲間と呼ぶのは無理があるんじゃないか?」


 徐々にノイズが酷くなってくる。

 何か、何かが明確に変わって来ているような、でも分からない、霧の中にいるような不安がヒガナを包む。


「契約はアリスを連れ出すのに必要だったから。例え契約があっても、心の持ちようで関係は変えられるはずです」

「本当に不思議だ。君はなぜそこまで奴隷に感情移入できるんだ? 奴隷なんて物、所有物じゃないか」


 ノイズが消えていくのを感じた。それまでは波長合わせのモノだったのかもしれない。ヒガナのズレた捉え方をしていた波長を本質に合わせるための。


 ヒガナは視界に映り込んだ影に目を剥いた。


 フレットの影に隠れていたせいで見えてなかったが、地面に転がっていたのは紛れもないハンナだった。

 顔は何度も殴られたのか大きく腫れて、大きく露出している肌は血と砂埃で悲惨なことになってた。


「ハンナさん! どういうだよこれ?」


 鬼の形相で睨み付けるが、フレットは涼しい顔をしている。


「どういうことかだと? 見ての通り躾だ。主人に逆らった奴隷に罰を与えた」

「ど、奴隷……ハンナさんが?」


 驚愕で思考が停止しているヒガナに見せつけるように、フレットはハンナの髪を掴み、強引に顔を上げさせ首に巻いてあったスカーフを剥ぎ取る。

 首に着けられていたのはアリスと同じ代物──奴隷の証である首輪だった。


「コイツだけじゃない、オイ!」


 フレットの掛け声で、ヒガナの背後からリノとダリルが現れた。二人の首もよくよく見てみると首輪が着けられている。

 つまりは、ハンナ、リノ、ダリルはフレットの奴隷ということだ。


「そ、そんな……だって、あんなに楽しそうにしてた……」

「あんなの演技だよ。パーティーを率いる優しくて頼もしいリーダーを演じるためのな。そうするとな、女が羽虫のように寄ってくるんだよ」


 フレットは自分の欲求を満たすために、ハンナたちを道具として使っていたのだ。

 あまりにも自分勝手な行動にヒガナは怒りを覚えた。

 フレットは誰も聞いてないのにペラペラと話し出す。


「お前の依頼を受けたのだって、忌み嫌われたあの女に怯まずに堂々とした姿を周りに見せたかったからだ。それにあの女、顔と身体だけは良いからよ、側に鑑賞用として置いておくために落としてやろうと思ったんだが……あの女、拒絶した……俺を拒絶しやがった! この俺を! 奴隷如きが!!」

「………………」


 アリスが寝ている簡易テントを殺意に染まった瞳で睨み付け、フレットは歪んだ感情を顔に張り付ける。


「だから殺す。俺を拒絶する奴隷なんて存在する価値がない」


 ──そんな下らない理由でアリスは死んだのか?


 砕けそうなくらい奥歯を噛み締め、ヒガナは憎悪を露わにした。

 今、目の前に全ての元凶が吐き気のするような顔をして立っている。コイツが、コイツさえいなければアリスは死ぬことなんてなかった。

 身を焦がしそうな怒りが全身を熱く震わせ、殺意の波動が膨れ上がる。

 すると、未だに髪を掴まれていたハンナが声を発する。


「逃げて! コイツは気に入らない奴はすぐに殺す、そういう奴なの!」


 血の混ざった掠れた声だった。

 フレットは青筋を浮かべ、ハンナを地面に叩きつける。呻き声を上げて、身震いするハンナの頭部からは血が流れ出ていた。


「聞けよ、コイツはあろうことか俺に盾突きやがった。演技の範囲外でだ。なんて言ったか分かるか? お前ら二人を見逃してやれってさ。俺の所有物が……人間でもなんでもないタダの物が調子に乗ってんじゃねーよ!」


 フレットは執拗にハンナを蹴った。その光景をリノとダリルは一切止めようとせず、否、止められずに苦しい表情でただ見つめていた。

 蹴られ続けるハンナは血と涙で顔を汚し、地獄にいるような声音で呻きながら呟いた。


「もう……イヤァ……」


 身体の中で爆発した感情に動かされ、ヒガナはフレットに飛びかかった。


「──ハンナさんから手を離せ、クソ野郎!」


 怒りの拳はフレットの整った顔面に深く突き刺さった。骨に伝わる衝撃がその威力を物語る。

 ハンナに集中していたフレットは受け身を取ることもできずに鼻血を撒きながら倒れ込む。


「──、────」

「お前は、お前だけは絶対に許さねぇ!」


 このままマウントを取って、殴り倒そうと動こうとした瞬間。

 ヒガナの身体を衝撃が貫く。混乱していると平衡感覚が狂い倒れ込む。衝撃の発信源である右肩におそるおそる視線を向けると。



 ──あるはずの右腕が喪失していた。



 肩口からは大量の鮮血が吹き溢れ、血溜まりを着々と作り上げていく。

 思考の空白から状況の理解を得て、自身の身体に起こったことを把握。遅れて耐え難い激痛が全身を駆け巡った。


「あ……あぁ、あ……あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁ──!!」


 絶叫し、腕を失われた肩口を押さえ、疼くまるヒガナを口に真一文字に結んだダリルが苦痛の色を帯びた瞳で見下ろしていた。手に握られた巨大な斧はヒガナの鮮血と肉の欠片で汚れていた。


「何やってんだよデクノボウが! 『命令』しないと動けないのかよ!」


 鼻を押さえながらフレットがダリルに唾を飛ばし激昂する。憤怒の形相でヒガナに近付き、倍返しと言わんばかりに長剣を鞘から引き抜き、首に突き立てる。


「雑魚のくせに調子に乗りやがって」

「ぐぅぅ……あ゛ぁぁ……」


 激痛に思考を妨げられながらもヒガナは必死に現状打開の方法を模索しようとしていると──。


「……ヒガナ?」


 アリスが外の騒ぎに気付き、不思議な顔をしながら簡易テントから出てきた。

 その時、ヒガナはフレットの表情が悪意に塗りたくられたのが分かった。


 声が届くよりも先に、フレットの長剣がアリスの頸動脈を斬り裂いた。

 勢いよく噴き出す鮮血。

 力無く崩れ落ちるアリス。地面を鮮血で濡らし、身体を痙攣させる。無理解に濁る瑠璃色の瞳からは光が徐々に奪われていく。


「バカな奴隷だ! 俺を拒むからこうなるんだよ! おい、どうだ? 目の前で奴隷を殺された気分は!? ははははははははははっ!!」


 この光景に見覚えがあった。

 そうだ。ノインがアリスを殺した時もこんな感じだった。

 絶望が心を噛み砕き、嘲笑が魂を切り刻む。

 どうして絶望があるところに嘲笑があるのだろう?

 何がそんなにおかしい?

 笑っている暇があるなら死ね。

 さっさと死ね。今すぐ死ね。


 大きく息を吸って、腕の喪失の痛みを無視しながらヒガナは周りに轟かせる勢いで叫んだ。


「死ねよ! どうしてお前が生きてんだよ! 早く死ね! 地獄に堕ちろ! 死ね、死ね、死ね、死ね、死ねぇぇぇぇぇぇ────!!!」


 フレットは長剣に着いたアリスの血を払いながら、ヒガナに怪訝な視線を向ける。


「死ねだと? 死ぬわけないだろ! 今から死ぬのはお前なんだよ! 奴隷を仲間扱いしている狂人が!」


 リノは罪悪感に駆られ、顔を手で隠し嗚咽を漏らす。

 ダリルは表情を曇らせ、どうすることもできない無力さに斧を握る手に力が込められる。

 滑稽な姿を見て、鼻で笑ったフレットは長剣をヒガナの首に振り下ろそうとした。


 その時だった。


 場の空気が明確に変化する。

 禍々しく、尋常じゃない程に重苦しい気配。

 フレットたちは本能的な恐怖を覚える。恐怖は波動のように広がり、木々が戦々恐々と騒めき出して、就寝中だったであろう鳥たちが一斉に逃げ出す。


「何だ?」

「これは一体……?」


 全身の神経が恐怖で逆立つ感覚に襲われながら、あちこちに視線を向けるフレット。

 一方、リノは激しく身震いしながら涙を浮かべながら、縋るように杖を握りしめる。彼女は気配の他に致命的な代物を感知していた。


「ま、まずいです。この魔力、異常です! こんなの……人間がどうこうできる範囲を超えています!」

「それが分かってんなら、早く魔力源を検知しろ!」

「あ、あぁ! 死んじゃう! 死んじゃう! いや、いやいやいや! 死にたくない! 死にたくない死にたくない死にたくない────」

「黙って、検知しろ! この無能…………が……ぁ……?」


 フレットが言い切る前に、リノの上半身が血煙となってその存在を霧散させた。下半身はフラつきながら二、三歩動いてから地面に倒れる。その衝撃で残っていた内臓が勢いよく散らばった。


 飛び散った鮮血や肉片がフレット、ダリルに降り注ぐ。何が起こったのか全く理解できずに呆然と立ち尽くしている二人に向けて声が放たれた。


「──蠅が」


 たった一言。

 その一言に耐えるためにフレットとダリルは体力と精神力の大半を消耗する。一気に限界に達した二人は膝をついて、声の主に視線を向けた。


 背丈より長い漆黒の髪をツインテールに束ねた幼女。

 黒を基調としたドレスを夜風に揺らしながら、銀朱色の瞳で二人を捉える。

 

 余りにも異質な圧力にダリルは胃の中身を全て吐き出してしまう。

 その様子を見ていたフレットは顔を真っ青にしながら疑問という名の呻き声を漏らす。


「イカれ野郎の妹……ただのガキじゃないのか?」

「あ、あぁ……フレット、逃げないと駄目だ」

「あ?」

「あの、陽を拒絶した末の白い肌、血のように赤い眼……鋭い牙……吸血鬼だ……アレは吸血鬼だ」


 ダリルは鎧を着込んだ身体を異常なまでに震わせる。目の前の幼女に根源的なる恐怖を抱いているのだ。

 魔族は元来、人間にとっては恐怖の対象であった。圧倒的な力、異形の姿。共生できていたのは人間と容姿が似て、極端な危害を加えない淫魔くらいだ。

 そんな魔族の中でも吸血鬼は別格──まさに魔の王だ。


「は、はっ! 吸血鬼だから何だ? 寧ろ都合が良い。このガキを殺せば、吸血鬼殺しの栄誉だ! 俺の人生薔薇色だ!」

「やめろ、やめてくれ、フレット!」


 フレットは剣を振り上げて、ルーチェへと襲いかかった。

 その瞬間、両脚が勢いよく弾け飛んで地面に叩きつけられる。


「ウガァァァァッ!? 脚がぁぁ──! 俺のあ、脚がぁぁぁぁ──!!」


 フレットの両脚が膝から下が強引に千切れてたようになっていた。砕かれた骨を包むように肉の繊維が血を吐き出している。空気に触れた無数の神経が痛みという警鐘を鳴らす。


「黙れ」


 ルーチェの一声で静寂に包まれる。

 失血死確定の血を流しつつ、耐え難い痛みに苛まれながらもフレットは押し黙る。


「これはどういうことじゃ?」

「さ、山賊が来たんだ。俺たちは必死にヒガナたちを守ろうとしたんだ! でも、力及ばずに……アリスを死なせてしまい、ヒガナに重傷を……」

「ウゴォォォォォォォア゛ァァァァァァ────!!?」


 次の瞬間、ダリルがひしゃげた。

 まるで、見えない何かに押し潰されたかのようで原型を殆ど留めていない。

 飛び散った鮮血、臓器の一部がフレットに降りかかる。

 フレットの、そして、ハンナの悲鳴がこだまする。


「次は無いぞ、蠅。これはどういうことじゃ?」

「は、はは、ははは、えへぇ、へへへ」


 フレットは力なく笑い始めた。

 瞳から大粒の涙を流しながら、虫のように蠢く。

 その様子を酷く冷めた銀朱色の瞳で見つめていたルーチェは忌々しそうに呟く。


「────────」


 何と言ったのか、ヒガナには聞こえなかった。

 なぜなら、その時にはヒガナの魂はここから居なくなっていたからだ。

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