断章 第4話 『好きって?』


「うわあああああああああ──っ!!」


 微睡みの中から強制的に引き摺り出されたヒガナは自分が簡易テントの中にいるという現実を理解するのに数分の時間を要した。


「………………」


 ゆっくりと上体を起こして背中を確認する。傷一つ無い、もちろん流血もしていない至って普通の背中だ。


「ふざけんな……またかよ……」


 酷い悪夢だったと思いたい。

 だが、漂う死臭に鮮やかな血の色、どうしようもない灼熱の痛み、そして、大事な人を失った絶望──魂に深く刻まれた傷みが否定する。


 ヒガナは手の震えを抑えながら簡易テントの外へ出る。

 その黒瞳に飛び込んで来たのは、焚き火をぼんやりと眺めながら膝を抱えているハンナの姿だった。

 ハンナはいつもと変わらず、ヒガナを冷ややかな視線で射抜く。


「急に叫ぶのやめなさいよ。魔獣が襲ってきたらどうするの?」


 相変わらず拒絶感を込めた言い方。

 だが、それすらも今は嬉しくてしょうがない。

 怒り、もっと悪く言ってしまえば憎悪を抱いていた相手でも目の前であんな無残な死に様を目撃した後に元気に生きている姿を見られたら憎悪も霧散してしまうだろう。

 ヒガナは涙を浮かべながら近寄り、ハンナの手を握った。


 ──温かい、ちゃんと生きている。


「ちょっ、何なのよアンタ! 離しなさいよ!」


 いきなりのことにハンナは驚き、引き剥がそうとするが……。


「良かった。本当に良かった……。ハンナさん……ハンナさん」

「………………」


 剣幕に押されたハンナは振り払うのを諦めた。

 しばらくヒガナが泣いていると、何事かと気になって出てきたかどうかは分からないが簡易テントからアリスがひょっこりと出てきた。

 アリスの登場にハンナは頬を強張らせたが、ヒガナの泣きじゃくる姿に毒気を抜かれ、呆れたように溜め息をこぼした。


「アンタの主人なんとかしてよ。さっきからずっとこの調子なんだけど」

「……ヒガナ?」


 アリスの声に反応したヒガナは振り向き、その姿を見た途端に崩れ落ちて大粒の涙を流し始めた。


「ア、アリス……アリス、アリス、アリスぅぅぅ」


 何がなんだかサッパリ分からない様子だが、アリスは特に気にせずに微笑んでヒガナを優しく包み込んだ。


「……大丈夫、私はここにいるから」


 やっとヒガナが泣き止んだころ、火を囲むのは三人。

 こうして、ハンナとアリスが直接的に対面するのは初めてのことだった。


 ハンナは同席を拒み、森の方へ行って魔獣が近くにきていないかを確認すると申し出たが、全力で阻止した。

 ヒガナは警戒しているのだ。ヒガナたちを惨殺した犯人は誰かは分からない。今、こうしている間にも、犯人はどこかに身を潜めて、動向を伺っている可能性があるのだ。

 そんな危険な状況でハンナを一人にすることは到底できない。


 しかし、こうして冷静に考えてみると疑問が浮かんできた。

 死んだアリスに刺さっていた矢だ。アレはどう見てもハンナの所有物だ。それに、アリスは滅多斬りにされて、腕も切断されていた。

 アリスと似たような惨劇にあった生物をヒガナは鮮明に覚えている。


 そう、あの蛇の魔獣だ。

 だとすると、アリスを殺したのはフレットたちとなる。

 アリスは殺されそうになって、フレットたちと交戦、殺害。その後、力尽きて死亡──そうだとすれば一応の辻褄は合うがフレットたちがアリスを殺す理由が見つからない。

 忌み嫌われているとしても依頼者の同行人だ。手を出すとは考えにくい。それにハンナを覗くフレット、ダリル、リノはそれなりにアリスと交流を深めていた。

 色々と考えてみたが殺す理由が見当たらない。


「まさか……アインとノインがまた……?」


 最も考えたくないが、否定できる材料がない。

 撃退したといっても二人組は生存している。態勢を立て直して、再び襲ってくる可能性も十分にある。


「その線も考慮しないと」

「さっきから何ブツブツ言ってるの?」

「あ、いや、何でもないです。それより、さっきはすいませんでした」


 取り乱して泣きわめき、ハンナの手を勢いで握ってしまったことに頭を下げる。

 ハンナは髪を触りながら満更でもないような表情を見せた。


「べ、別にいいけど。なんか悪い夢でも見たの?」

「最悪の悪夢を。目が覚めた時にハンナさんが生きていてくれていたことが嬉しくて」

「そうなの……なんか意外だわ」


 居心地が悪そうにハンナはヒガナたちから目を逸らした。


「私は、その……アンタたちを避けてきたのに心配してくれるのね」


 ヒガナだって、ハンナに完全に心を許したわけではない。前の世界で吐いたアリスへの暴言は紛れもない本心だろう。それを無かったことにして受け入れることができるほどヒガナの性格は聖人君子していない。

 かと言って、感情的になってもハンナを責めても何も変わらない。それでは元の木阿弥だ。

 なら、触接アリスと接してもらえば、少しはハンナの悪感情も薄れるはず──そう思ったヒガナはアリスとハンナを同席させたのだ。


「……避けられるのは慣れている」


 ポツリとアリスが呟いた。

 その声色はいつもより低く、どこか悲しげだ。


「……私のことは避けても、無視してもいい……でも、ヒガナとは普通に接して欲しい……ヒガナはとっても良い人」


 アリスはそう言って、頭を下げた。いつまでも、いつまでも。

 その光景を見て思うところがあったのか、ハンナは小さく溜め息を吐いてからアリスの肩をポンと叩いた。


「分かった、分かったから頭を上げなさいよ」

「……じゃあ、いいの?」


 声に反応して顔を上げたアリス。その兎耳がハンナの鼻を下から突き上げた。鼻の中に水が入った時のようなツーンとする痛みが広がっているようで、ハンナは鼻を押さえながら涙目になる。


「いっ……たいわね! 何すんのよアンタ!」

「……ワザとじゃない」

「すいません、ハンナさん。うちの子、耳の長さが分かっていないんです。俺も何度鼻にダメージを受けたか、心なしか鼻が高くなってきた気がしますよ」

「はぁ!? 何で分かんないのよ!」


 まさにその通りだと言わんばかりの指摘に、自分の兎耳を撫でるアリスは口を尖らせて、


「……知らないうちに立ったり、垂れている兎耳これがいけない」

「自分の身体の一部くらい把握しなさいよ……」


 亜人の耳がどのような感覚かは人間のハンナには想像ができないが、あくまでも身体の一部──生まれた時から付随している器官なのだから、どれほどの大きさか、長さかは分かっていて当然のはず。


 しかし、アリスは分かっていない。そこが普通と違うところで見方によっては変わっている、不気味だと思われてしまう原因の一端かもしれない。

 だが、アリスの主人は異なる視点を披露した。


「でも、自分の身体のことすらよく分かっていない感じ、ちょっと可愛いと思いません?」

「何言ってんのアンタ?」

「いや、だってなんか可愛いじゃないですか。それに見てください! アリス、めちゃくちゃ美少女じゃないですか!」

「え? ……へ?」


 急に熱を帯びた発言にハンナはキョトンとする。そんな反応を一切合切無視して、ヒガナは饒舌になっていた。


「大きな瑠璃色の瞳に小さな鼻、桃色の唇! 肌だって眩しいくらいに真っ白! スタイルだって抜群!」

「………………」

「言動だって、言っていることは周りが思っているより普通ですし、行動は……まぁ、目を離すとすぐにどっか行くのは困りますけどね」


 ヒガナは苦笑いしながら、アリスの頭を撫でる。撫でられたアリスは微笑んで、


「……ヒガナは胸ばっかり見てる……何されるか分かったものじゃない」

「表情と言ってることがこれ以上ないくらい見事にズレてるんだけど! 俺が頑張ってポジティブキャンペーンしてるのに、なんでアリスはネガティヴキャンペーンしてるんだよ!」

「……でも、私はヒガナの物……好きなように使えばいい……しろと言われれば、この間みたいに踊りながら服を一枚一枚脱ぐ」

「そんなことさせた覚えないんだけど!? なんか怒ってる!? ねぇ、アリスちゃん怒ってるの!?」

「……怒ってない、苛ついているだけ」

「それは怒っているのと殆ど同じだ!」


 二人の掛け合いを見ていたハンナはクスリと小さく笑った。


「アンタたちお似合いだわ。二人揃って変よ」


 それはヒガナたちの前で初めて見せた笑顔だった。

 ほんの少しだけハンナの心を開けた、とヒガナは笑みを浮かべる。

 つられてアリスも……特に笑うことはせずにボンヤリと夜空を見上げていた。

 それから、ヒガナとアリスとハンナは火を囲んで言葉を交わす。

 その中でハンナが時々表情を曇らせたのをヒガナは見逃さなかった。



×××



 翌日の移動中、フレットはボンヤリと空を見上げフラフラ歩いているアリスの後ろ姿を眺め、頬を緩めた。

 それから険しい表情で考えごとをしているヒガナに近寄る。


「そんな顔してどうしたんだ? 心配事でもあるのか?」

「いやちょっと……大したことじゃないんですけど」

「それならいいが。そういえば昨日、ハンナと何を話していたんだ?」


 唐突な質問にヒガナは少しだけ戸惑った。が、すぐに立て直して、


「アリスは可愛い女の子ということを少しばかり説いていました」

「なるほど。ハンナの二人に対する距離が縮まったのはそういう訳か」

「後半は完全に引かれましたけどね」


 ヒガナは軽く溜め息を吐いて肩を竦めた。

 その仕草を見てフレットは苦笑い。それから顎に手を添えて考えるポーズを取る。

 数秒の思考の末、ヒガナに許可を得ようと話しかけた。


「少し、彼女と話してもいいか?」

「え? いいですけど」



 ヒガナの承諾を頂いたフレットは早速アリスの元に向かう。

 いざ、話しかけようとするが中々に難しい。

 その理由はアリスが醸し出している──触れたら瞬く間に飲み込まれそうな、狂気にも似た異質な雰囲気だ。


「ヒガナはよく普通に接することができるな」


 フレットは覚悟を決めて、アリスに声をかける。

 振り向いたところにフレットの顔があり、少しだけガッカリしてから首を傾げる。


「……なに?」

「ヒガナじゃなくて悪いな。ちょっと君に興味があって、話がしたいんだ」

「……ふぅん」


 フレットは顔にはかなりの自信があった。現に女性に声をかけば、大概の場合は頬を赤らめて乙女のように恥じらう。加えて、男らしくかつ紳士的な態度を兼ね備えている。落とした女性の数は両手、両足の指では到底足りない。

 それ故にアリスのリアクションは流石に心に響く。

 いまいち乗り気ではないアリスを尻目にフレットは沈黙の間を作らないように質問する。


「その服、とても似合っているね。彼に買ってもらったのかい?」

「……それ聞いてどうするの?」


「どうもしないさ。ただ、知りたいだけだから」

「……そう」


「じゃあ、好きな物は? 花とか動物とかよく見ているよな」

「……視界に入っているだけ……見たくて見ている訳じゃない」


「この間、戦闘に加わってくれたけど、噂通りの強さで感心したよ。誰かに戦い方を教えてもらったりしたのか?」

「……いたかもしれないけど、忘れた」


 フレットがどんなに質問をしても明確な回答が返ってこずに、話のとっかりが中々掴めない。

 が、次の質問でアリスはそれまでと違う反応を見せた。


「彼、ヒガナのことはどう思っている?」

「……ヒガナのこと?」

「そう。あくまでも俺の想像だが、ヒガナはこれまで君が従っていた主人とは一線を画していると思うな」


 ヒガナの方を一瞥したアリスは首を傾げて、下唇に人差し指を添えてしばらく考える。


「……よく分からない……でも、側に居てくれると落ち着く……髪を撫でてくれると気持ち良い……ヒガナはとっても温かい」

「それは好きってことかい?」

「……さっきからずっと気になっていた、『好き』ってなに?」


 予想外の方向から飛んできた問いにフレットは瞬きを繰り返す。問いの意味が理解できなくて、しどろもどろになってしまう。


「あ、そ、す、好き?」

「……それってなに? ……そんなの知らない」


 根本的な感情を理解していない目の前の少女の異様な気持ち悪さに背筋がゾッとするが、それすらもフレットは刺激の一環として堪能し口角を上げた。


「好きっていうのは、君がヒガナに感じている想いそのものさ」


 出された結論にアリスは「……ふぅん」と微妙な納得をしてから、フレットを指差す。


「……じゃあ、好きじゃない……ヒガナに感じる物を一つも感じない」


 キョトンとしてからフレットは吹き出す。


「ははは、そうかそうか。告白もしてないのにフラれたのは初めてだ。……君は噂より面白い子だな」

「……なに?」

「いや、なんでもない。有意義な時間だったよ」


 そう言ってフレットはアリスから離れる。

 特に関心もないアリスは一切気にせずに、またボンヤリと空を見上げながら歩く。

 そんなアリスを睨みつけて、フレットは誰にも聞こえないような声でポツリと呟いた。


「──本当にやりがいのある女だ」


 その表情は卑しく歪んでいた。

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