第15話 『魔女と天使』

第15話 『魔女と天使』


 長いまつ毛に縁取られた瞼がゆっくりと開く。

 そこから覗くのは金色に輝く瞳だ。

 何度か瞬きをして、眼球だけを動かしながら状況を確認する。


 床に散らばった瓦礫の破片が近くに見えるのに対して天井はやけに遠い。

 全身にかかる重力の感覚から自分が横たわっていることを理解する。


 濡羽色の髪の少女──エマはゆっくりと起き上がる。

 隣にはメイド服の少女と兎耳の少女が寝ていた。

 エマはノノの首筋に指を添えて脈があるかどうか確認する。命の脈動が刻む律動を指先に感じた。耳を澄ませると微かだがアリスの方からは寝息が聞こえた。

 二人が生きていることを確認したエマは立ち上がり、もう一度辺りを見回す。


「ふむ、記憶の齟齬は無さそうですね」


 エマの最後の記憶はノノと共に大浴場に来たところまでだ。

 で、今居る場所は大浴場。

 しかし、来た時とは異なるのは空間全体に霧が立ち込めているのだ。

 それともう二つ。

 空になっていたはずの浴槽には水が溜まっており巨大な何かが沈んでいる。

 そして、横倒しになった彫刻の上に座る人影。


 その人影はエマが起きたことに気付き、面倒臭そうな声をあげた。


「えぇー、もー起きちゃったの!? 幻夢蛤むげんはまぐりの霧をたっぷり吸い込んだはずなのに信じらんなーい」


 エマは冷静に人影を観察する。


 バレッタで束ねた桃色の髪に大きな紺碧色の瞳。

 整った顔立ちは、悪戯っぽい笑みが似合う小悪魔的な可愛さをしていた。少しだけ尖った耳は彼女の存在を特別にしている。

 豊満な胸、くびれた腰付き、長い脚──完成された肢体をビキニにホットパンツといった露出の高い服装で惜しげもなく披露しているが、上に天秤と百合の刺繍が施された外套を羽織っていて統一感が無い。


「天秤に百合の紋章、グリザイア一族……貴女、ルピナス・グリザイアですね」


「えー! ルピちゃんのこと知ってるんだ!」


「『絶花の魔女』の一人、『国喰いの魔女』の異名を持つ超危険人物。貴女ほど世界的に有名な犯罪者は居ないんじゃないんですか?」


「そんなに褒められると照れちゃうなー」


 緊張感の欠片もない少女、ルピナスに毒気を抜かれそうになるが、何とか堪えながら会話を続ける。


「先の台詞から推測すると私たちを眠らせたのは貴女ですね?」

「うん、そだよ」

「なぜ、そんなことを? 返答次第ではこちらとしてもそれ相応の対応をせざるを得ません」


 ルピナスは彫刻から軽やかに降りて、地に足がついていないような足取りでエマの方へと近付いてくる。


「うーん、お膳立てかなー」

「お膳立て?」

「そそ、相棒に頼まれちゃってさ。優しいルピちゃんは一肌脱いであげたの」


 微かな疑問がエマの思考をつつく。

 ルピナスの存在は世界的に有名だ。

 しかし、彼女に相棒がいるなど聞いたことがない。

 深掘りしたいところだが、悠長に話をする時間はないだろう。


「つまり、貴女は相棒のために、そこに沈んでいる召喚獣を使って私たちを眠らせたと」

「そゆこと! まー、エマ・ムエルテが居たことは驚いちゃったけどね」


 状況から考えるに彼女の相棒とやらの目的はヒガナなのは間違いない。

 エマたちは邪魔だったから一気に眠らせて無力化した訳だ。

 そうなるとヒガナの安否が気になる。

 彼は普通の人間だ。

 ちょっとしたことで簡単に死んでしまう。


 現状死んでいないことはアリスの生存が証明してくれている。仮にヒガナがすでに死んでいたら、今頃アリスに何かしらの変化があるはずだ。

 今は無事でも数分後どうなっているかは分からない。

 彼との合流は最優先事項だ。


「因みに、ここから出ると言ったらどうします?」


 ルピナスは唇に人差し指を添えて少し考える。

 やがて、紺碧の瞳に無邪気な殺意を持ってエマの質問に答えた。


「──肉片残らず喰い殺しちゃう。もちろん全員ね」


 答えを受けて、エマは小さく息を吐く。

 それから夢の中にいるノノとアリスを護るために魔術を行使する。幾重にも重なった魔法陣が展開する。

 絶対守護聖壁──『円環の盾アイギス』。エマが持ち合わせている唯一にして最強の防御魔術だ。

 魔力から大鎌を創造し、殺意を込めてルピナスに向ける。


「なら、死んでもらうしかありませんね。どっちみち貴女のような異常犯罪者、おいそれと見過ごす訳にはいきませんし」

「やっぱそうなるよねー。いいよ、退屈していたところだし……それに『死神』の肉はどんな味がするのか気になるからね。あとさー、ルピちゃんのこと異常犯罪者っていうけど、エママンも大差ないと思うよ? こーゆーの同じ穴のむじなって言うんでしょ」


 ルピナスが指を鳴らすと、浴槽に沈んでいた召喚獣が光を放ちながら消えていった。

 すでに役目は果たしたから引っ込めたのだろう。


「エママン? 色んな国を喰い散らかしているだけはあって博識なんですね」


 刹那の沈黙。

 この瞬間、『死神』と『魔女』は全てのしがらみを忘却し、目の前に居る存在を殺すことだけに意識を注ぐ。

 同じ感情に支配された二人は、同時に歪んだ笑みを浮かべた。


「あはぁっ!!」


 ルピナスは後方に退がると同時に両手を合わせる。

 その瞬間、エマの足元が淡い光を伴う魔法陣が展開した。


「──っ」


 危険を感じたエマはすぐさま魔法陣から離れる。

 その判断は正しかった。

 魔法陣からは凄まじい速度で鋭利な物体が出現した。もし、エマがその場に留まっていたら確実に串刺しになっていただろう。


 鋭利な物体と共に魔法陣が消えたかと思うと、エマの背後に再び魔法陣が展開される。

 出現したのは体毛に覆われ、鋭い爪と肉球を持つ巨大な手だ。

 強引に身体を捻って、エマは大鎌で爪を受け止める。

 瞬時に数十本の氷柱を創造。一本残らずに手に向けて投擲するが被弾するより前に魔法陣と共に消滅してしまう。

 標的を失った氷柱は無意味に柱を破壊して霧散する。


 エマは次の攻撃が来る前にルピナスとの距離を詰める。


「随分と面白い召喚獣の使い方しますね! ですが、近付いてしまえばどうですか!?」


 一切の手心を加えずに、エマは大鎌を振るう。

 狙いは桃髪エルフの細い首だ。頚動脈を切り裂いて噴水のように吹き出る鮮血を脳内に思い描くと、自然と口角が上がってしまう。


「やーん、ルピちゃんこわーい」


 完全に刈り取ったと思ったエマだが、ルピナスは軽口を叩きながらバック転をして死の斬撃を回避する。

 あまりにも軽やかな動き。重力を一切感じさせない様子はまるで羽根のようだ。

 事実、彼女の身体は宙に浮いていた。

 

「浮遊魔術とは」

「いいでしょ? すっごい便利なんだよー」


 エマとルピナスを取り囲むように幾つもの魔法陣が展開される。

 並列展開の多さ、展開速度に驚嘆してしまう。並の術師では即座に魔力切れを起こすか、処理が追いつかずに神経系が焼き切れてしまうだろう。


 自爆覚悟の攻撃かと脳内に過るが、すぐにそれを否定する。自分に被弾しないように召喚することなど造作もないはずだ。


 エマは勢いよく地面を踏み、大鎌を槍へと変形させる。

 魔法陣から粘液性の液体を滴らせた吸盤付きの触手が出現するのと、地中から無数の刃が咲き誇ったのは同時だった。

 刃の華は触手を貫き動きを止め、エマへの攻撃を遮断する。

 エマは触手など眼中になく、ルピナスの動きだけをずっと追っていた。

 ルピナスが浮上しようとしたのを察知し、僅か上に標準を定めて槍を投擲した。


「──あ゛っ」

 

 槍は目にも留まらぬ速度で空気を裂き、ルピナスの心臓を刺し穿つ。

 誰が見ても致命傷と言える一撃。

 ルピナスは紺碧の瞳を大きく開き、吐血をしながらタイルの上に墜落した。


「……………………」


 ルピナスを殺したというのに、エマは何の快感も得ていなかった。全身の血液が沸騰したような興奮が、脳髄がぐちゃぐちゃに融けるような恍惚感が、全身に電撃を受けたような痺れる悦楽が、二度と戻らないものを壊してしまったような甘美な背徳感が──それを何一つとして感じられない。

 それよりあるのは拭いきれない違和感だ。

 数多の国を滅ぼしてきた魔女がこうもあっさりと殺せるものだろうか。


 疑念に駆られたエマはルピナスの元へ。

 槍は確かに彼女の心臓を貫いている。指先や足先は神経が活動していた余韻か、小刻みに震えている。

 しゃがんでルピナスの顔をまじまじと眺める。

 その時だった。

 紺碧の瞳がぎょろりと動き、エマを見つめる。


「────っ!」


 気付いたが遅い。

 急に動き出したルピナスは勢いよくエマの頬に噛みついた。

 単なる抵抗ではない。

 頬を噛む力は時間と共に比例し、やがてルピナスの歯と歯が合わさった。


 エマは鋭い痛みに顔を歪めてルピナスから距離を取る。

 頬を押さえる手の指先にはぬるりとした液体と硬い感触があった。


「痛い、痛いなー……いきなり、心臓突き刺すってないよー」

「………………」


 もごもごと口を動かしながら、ルピナスは心臓に突き刺さっている槍を自力で引き抜いた。

 それからゆるりと立ち上がってエマを見つめる。

 左胸からはどう見ても致死量の血が流れ肢体を汚し、その美貌の口から下は鮮血で真っ赤に染まっていた。

 ルピナスは口の中に入っている肉を丁寧に咀嚼してから飲み込み、エマに向けて舌を出す。


「エママンって思った以上に美味しいね。柔らかくて、瑞々しくて、程良い脂が乗ってて、もっと食べたくなっちゃうよ」

「こんなに嬉しくない高評価は初めてですよ」


 エマの頬から蒸気が吹き上がる。

 すると、ごっそりと無くなっていた頬が凄まじい速度で再生していく。

 数秒で完治した傷を見てルピナスは眼を輝かせる。


「再生魔術! やっぱ、それくらいの隠し球は持ってるよね! それに再生するなら食べ放題じゃん!」

「それはこちらの台詞ですよ。死なないのなら、殺し放題じゃないですか」


 エマはちらりとノノたちの方に視線を向ける。

 ノノは先ほどと変わらずに寝ている。が、その隣に居たはずのアリスは消えていた。

 きっと、起きてヒガナの元へ向かったのだろう。


 幸いなことにルピナスの意識の全てはエマに向いている。

 アリスの存在など完全に意識の外だろう。

 ヒガナはアリスに任せるとしよう。


 エマは再度大鎌を創造する。


「──では、二回戦といきましょうか」



×××



 月明かりに照らされたあまりにも美しい少女との出会い──。

 まさに物語のような展開。

 しかし、ヒガナは感動する余裕なんて微塵も無かった。

 原因は言わずもがな、目の前に居る白髪の美少女だ。


「………………」

 

 言葉を紡ごうとしても、頭が真っ白になってしまい口が動かない。

 棒立ちしているヒガナに、少女は微笑みを崩さずに一歩、また一歩と近づいてくる。

 胸の奥に燻る熱がどんどん温度を上げていく。


「ち、近付かないでくれ!」


 ヒガナは思わず叫んでしまう。

 これ以上、近付かれたら帯びる熱で身体が燃えてしまいそうになる。


「何で?」


 少女の透き通った声はヒガナの心に安堵の風を吹き込む。

 もっと聞きたい。

 ずっと聞いていたい。

 どうしてそう思ってしまうのだろうか。


「それは……」


 距離が縮まる。

 口では拒絶しても、心が、魂が、彼女の接近を拒むことができない。それどころか受け入れてしまっている。

 少女はゆっくりと手を伸ばし、ヒガナの手を優しく包み込む。そして、ゆっくりと自分の顔へと引き寄せた。

 驚きを露わにするが、手に感じる柔らかい頬の感触と温かさを感じた瞬間にヒガナの頬に一筋の涙が伝った。


「あ、な、なんで……」

「ずっと待ってたんだよ」

「君は……誰なんだ? どうして、君を見ているとこんなにも……」


 我慢できずにヒガナは問いかける。

 何も分からない。

 この子とは初めて会ったのに、心はどうしようもなく騒つく。

 その理由が知りたい。


 少女は一瞬表情を変えたが、すぐに微笑みを取り戻す。


「──私はプリムラ。プリムラ・アルビオン」

「プリムラ」


 名前を聞いた瞬間だった。

 玉座の間を取り巻いていた空気が明らかに変化する。

 ヒガナ、プリムラ、二人の雰囲気は何一つ変わっていない。しかし、空気は締めつけるように緊張感を増している。肌を刺すような空気。ヒガナはその正体を知っていた。



「……ヒガナに手を出すな」



 突如、上空から淡い輝きを纏うアリスが出現し、玉座の間に降臨する。

 アリスは一直線にプリムラへと疾走。加速をつけながらの蹴りを放つ。


「…………ヒガナ、ね」


 プリムラはヒガナから手を離し、アリスの一撃を真っ向から受け止めた。

 衝撃が玉座の間を席巻する。

 ヒガナは衝撃の余波を受けながら驚愕を隠しきれない。

 アリスの蹴りは大の男を昏倒させる威力を誇っている。だというのに、プリムラはその細い腕であっさりと受け止めてしまったのだ。

 

 追撃を嫌ったプリムラは距離を置く。

 アリスはヒガナの前に立ち、警戒心を最大にしてプリムラの一挙手一投足を瑠璃色の瞳で観察する。


「ア、アリス。今までどこに居たんだよ?」

「……ヒガナ、あの女は危険、ここで殺す」

「殺す!?」


 外套に付着した埃を払って、プリムラは真紅の瞳にアリスを写し込む。尋常ではない殺意を向けられているにも関わらず微笑を保ったままだ。


「私とヒガナの邪魔をしないでくれる? そもそも貴方はヒガナの何?」

「……奴隷、だから、ヒガナを守る」


 再びアリスとプリムラの距離は縮まり、肉弾戦へと発展した。

 アリスの洗練された動きは一つ一つが人体を破壊することに特化していた。

 だが、プリムラは僅かな身体の動きだけで一つ残らず受け流してしまう。奇妙なのはプリムラが一回も攻勢に出ないことだ。アリスの猛攻に圧されていると思いたいが、余裕そうな表情を見るからに期待薄だ。


「奴隷だからヒガナを守る。じゃあ、奴隷じゃなかったらヒガナを守らないの?」

「…………っ?」


 アリスの思考に僅かな澱みが滲む。それは身体の動きにも影響を及ぼし、ほんの一瞬だが硬直する。

 その一瞬にプリムラはアリスの腹部に手のひらを置く。──衝撃がアリスの腹部から背中へと突き抜ける。内臓が未知の衝撃に圧迫され破壊。歪みから滲み出た鮮血が口から吐き出される。


 アリスは崩れ落ちて何度も吐血を繰り返す。悶絶する痛みに襲われながらも主人を守ろうとする使命感を頼りに立ち上がろうとする。

 だが、プリムラの初撃は意志の強さなど嘲笑うかのように、アリスの身体に深刻なダメージを与えていた。

 圧倒的な力を見せたプリムラの眼中にアリスの存在はすでになく、ヒガナだけを見つめていた。


 ヒガナは全身の震えを跳ね除けるほどの激情で動き、未だ苦しむアリスを抱きかかえプリムラを睨みつける。

 プリムラはその様子を真紅の瞳でジッと見つめ、


「彼女がそんなに大事?」

「アリスは俺の仲間だ」

「アリス、仲間。……そう」


 途端にアリスの呼吸が落ち着いた。

 死が訪れたかとヒガナは恐怖するが、アリスの様子から鑑みるにどうやら容態が安定したらしい。

 だが、なぜ急に。

 ヒガナは何もしていない。急速に死に向かっていたアリスの姿に焦ることしかできなかった。

 なら、誰が。

 この場では一人しか居ない。


「お前が治したのか?」

「………………」


 無言の肯定。


「一体何がしたいんだ? お前は誰なんだ!?」


 ヒガナの叫びが玉座の間にこだまする。

 直後に臓腑を震わせるような揺れがソロフォロニウス城を襲う。続いて耳を塞ぎたくなるような破壊音が轟いた。


「不本意だけど、ここが潮時かな」


 プリムラは呟き、玉座の間の端までゆったりと進む。壁が破壊されているので、その先に広がるのは闇だ。

 どんなに闇が深くても白髪の美少女は異常なほどハッキリと見えた。

 あと一歩で落ちてしまうというところで、プリムラはヒガナの方に顔を向け、


「──またね、ヒガナ」


 そのまま踏み出し闇へと落ちていく。

 ヒガナはどうなったかを確認したかったが、腕に抱えているアリスを優先する。

 しかし、心の中には白髪の美少女の微笑みが鮮烈に刻み込まれていた。


「訳分かんねぇよ……」


 ヒガナの力無い呟きは虚空に溶けていった。

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