第14話 『月が綺麗だね』


 ヒガナたちと別行動をとっているエマとノノは一階を調査していた。

 二人はあらかじめ用意していたランタンと点滅するクリスタルを頼りに進んでいく。


「エマ様、なぜ調査を夜にしたんですか? 昼間の方が明るくて調査しやすいと思うのですが」

「万全を期したかった、というのが理由です。そのためにはノノちゃんとアリスさんの力が最も高まる夜が良いと判断したんです。ですが……」


 部屋の扉を突き破って現れた死霊を蹴り一発で粉砕して、エマは小さく溜め息を漏らす。


「これなら昼間でも良かったですね。しかし、まぁ、ここには死霊しか居ないんですか? 私は肉を裂きたいんですよ、吹き出る血が見たいんですよ。心が踊るような悲鳴が聞きたいんですよ」


 興奮して早口になるエマ。ノノは苦笑いをしてメイド服からハンカチを取り出してエマの口を拭く。


「よだれが……エマ様ったらはしたないですよ。そろそろ調査を始めますか?」

「そうですね」


 一つ一つの部屋を隈無く調査するエマたち。夜という状況のせいで廃墟荒らしに見えてしまう。

 しばらく二人で動いていたが、効率を考えて手分けして別々の場所を調査し始める。


「埃が酷い……くしゅんっ」


 ノノは鼻をすすりながら談話室の中を調べる。長年放置され積もった埃を除けば、争った形跡は無く比較的綺麗な状態で保存されていた。

 以前、ソロフォロニウス城に来たことがあったノノは、その時の事を思い出し、寂しそうに呟く。


「良い方たちだったのに……」


 ソロフォロニウス城陥落の経緯はノノも知っている。

 言ってしまえば集団ヒステリーが引き起こした悲しい事件だ。

 それが絶対的な悪と断ずることはできないが、数多くの同族が屠られたのは変えることのできなないのもまた事実だ。


「あっ」


 ノノが何かを見つけて立ち止まる。

 暖炉の側に無造作に捨てられて、埃を被ったノートだ。焼き捨てるつもりだったかは分からないが、端の方が少し炭に変化していた。

 それを拾い上げて、埃を払ってからペラペラとページをめくる。


「日記っぽいですね」


 見つけた日記以外、談話室にめぼしい物は無かったので退室する。

 ノノはエマが居る書斎へと向かった。書斎ではエマが背伸びをしながら、必死に棚の本を取ろうとしていた。

 その愛らしい姿を見て、ノノはほっこり。視線に気付いたエマは驚いた後に恥ずかしそうにする。


「いつからそこに居たんですか?」

「エマ様が本を手を伸ばしているところからです」

「もう……。それで何か見つかりましたか」


 ノノは手に持っていた日記をエマに見せた。


「これだけです。少し確認したら、最後の方に襲撃時の状況が殴り書きしてありました」

「こっちは特に収穫はありませんでした。強いて言うなら本棚に並べられてある本ですかね」


 エマは適当に一冊を手に取り、ノノの方へと差し出す。ノノは持っていた日記を脇に挟み、エマから本を受け取る。


「『魔神論──魔術師なら誰でも志す究極の存在。その魔神へと至るための理論を高名な魔術師が書き記した至高の一冊』。とんでもない売り文句ですね」


 苦笑いをするノノ。

 その反応を見てエマは肩を竦める。


「中身の殆どは著者の自伝。他の本は貴重な代物でしたけど、それだけはある意味突出していましたね」

「子どもに読み聞かせる分にはいいかもしれません。これ持って帰ってもいいですか?」

「いいと思いますよ。そんな物持ってかれても誰も困りませんよ。寧ろ持って行ってくれって言ってますよ」


 そっと本を閉じて、ノノは脇に挟んでいた日記をエマにも見えるように机の上に置いて中身に目を通すことにした。



『えっと、初めまして……は、日記なのにおかしいかな?

 でも、初めての日記だからいいか。

 僕は少し前からソロフォロニウス城でお世話になっている。

 ここは行く場を失った魔族たちの最後の砦だ。かく言う僕も逃げに逃げて、やっとここに辿り着いた。

 僕を含めた魔族を快く受け入れてくれている城の主、ルーチェ・ファーデウス・ヘレルシャレル様。ルーチェ様は僕が最も尊敬し、憧れていた方なんだ。

 ルーチェ様は『始祖の吸血鬼』──その最後の一人で『純血の吸血鬼姫』と称される最も吸血鬼としての血が純粋なお方だ。

 吸血鬼は血統に過敏な種族だ。僕にも吸血鬼の血が半分流れているせいか、純血の吸血鬼には憧れがある。ルーチェ様に至ってはもはや天上の存在、一目でもいいからその姿を見たいと思っているけど、まだお会いできてはいない。きっと忙しいお方なんだろう。

 それはそうとして、ここの生活はとても心地が良い。

 全員が同じ種族だけあって、数が少ないから仲は物凄く良く、ハーフの僕にも『半分でも余らの仲間には変わらんからの』と言って優しくしてくれる。

 これから先も上手くやっていけそうだ。』



 エマはページをめくりながら、ほんの少しだけ苦笑した。


「ルーチェ・ファーデウス・ヘレルシャレルへの想いが節々に溢れていますね」

「あのお方は魔族の象徴ですから、気持ちが溢れてしまうのは痛いほど分かります」

「あっ、ノノちゃんが来た時のことが書いてありますよ」



『城に来客があった。

 ノノ・オリアン・クヴェストさんだ。

 物凄い美人で、城の男性陣は一気に虜になったのは間違いないのだけど、まさか女性陣までもが虜になっていたのは驚きだった。

 だけど、ノノさんの訪問でちょっとした事件が起きた。

 事の発端はノノさんが帰り際に優しい笑顔を見せたのだけど、それは誰に向けた笑顔だったのかという、今にして思えば取り立てて議論することではないけど、その時の僕たちは本気で論争を繰り広げた。

 議論は平行線のままで、最終的には殴り合いにまで発展してしまった。ルーチェ様が介入に入らなかったら死人が出ていたかもしれない。

 あとで聞いたのだけど、ノノさんは淫魔らしい。

 笑顔一つで死者を出しかねない争いを引き起こすなんて……正直、戦慄した。』



 変な沈黙が続いたあと、エマはじっとりした目つきでノノを見つめる。


「一体何しているんですか?」

「ええ!? これ私が悪いんですか!? ただ挨拶しただけですよ!?」


 驚くノノに言い聞かせるように、エマは優しく言う。


「ノノちゃんは争いを鎮めることもできるし、争いを引き起こすこともできるんです」

「は、はあ……」

「笑顔一つで世界を変えられる力を持った素敵で、私の大親友なんですから気を付けてくださいよ」

「エマ様ぁ〜」


 茶番を挟みつつ、日記の中身を着々と紐解いていく。



『新しい家族が増えた。

 女の子で僕より少し下だと思う。頭に兎耳を生やしていたから亜人かと思ったけど、彼女は亜人と魔族のハーフという珍しい子だった。

 歳も近いし、同じハーフということで親近感が湧いた僕はアリスちゃんに話しかけたけど、上手く話が噛み合わなかった。

 アリスちゃんはずっとフラフラ揺れていて、どこかをボンヤリ見ていたかと思うと周りをキョロキョロと見始めるような子だった。

 正直、ちょっとだけ不気味だと思った。』



『アリスちゃんが来てから数日が経った。

 相変わらず挙動不審で言っていることもよく分からないけど、僕含めみんなアリスちゃんを可愛がった。末っ子の妹ができたような感じだった。

 聞いた話だとアリスちゃんの情緒不安定は先天性のモノだったらしい。それに加え、これまでの生活に何か問題があったんじゃないかということだ。

 僕は余計なお世話かもしれないけど、アリスちゃんを少しでも良くしたいと思った。それとなく過去のことを聞いてみたけど、「……寒いのは嫌い」といった抽象的なことしか教えてくれなかった。

 嫌われているのかと思ったけど、誰にでもあんな態度だと別の人から聞いた。』



「アリスさんの感じ、生まれつきなんですね。てっきり月の里の事件がきっかけかと思ってました」

「まぁ、その事件で悪化したのは間違いないと思いますけど」


 エマは濡羽色の髪を遊ばせながら思慮を深める。

 考えているのはアリスのことだ。彼女の過去には相当な闇が巣食っている。だが、闇の中には世界の真実が隠されている気がしてしょうがない。

 だが、


「色々と知ってそうですけど、迂闊に踏み込んだら飲まれそうで怖いんですよね」

「エマ様が怖いと思うなんて珍しいですね」

「久々の感覚ですよ。……それより日記を先に進めましょう。そろそろ大詰めのようですし」


 ここで言葉を切って、話題を強引に切り替えるエマ。

 ノノは切り捨てられた話題に触れることなく、日記のページをめくる。そのページになると途端に文字が乱暴になった。

 そこには襲撃の際の状況が断片的に書かれていた。



『何者かが城に攻め込んで来た。

 こんなことがあるなんて思ってもみなかった。いや、嘘だ。心のどこかではこんな日が来るんじゃないかと思っていた。

 みんな、必死に戦ったけど、相手は相当の手練れで次々に殺しにかかった。

 もう、残っているのは数少ない。

 奴らはなぜ、攻め込んで来たんだ?

 分からない。

 何も分からない。

 僕はこれからアリスちゃんを連れて、ルーチェ様の元に行く。ルーチェ様なら……。』



『もうダメだ。

 僕にはどうすることもできない。

 僕もきっと殺される。

 でも、アリスちゃんだけは何としても守らないと。

 アリスちゃんは死んでいったみんなが守り抜こうとした、どん詰まりの魔族の未来を切り開く可能性。

 そうだ。

 アリス・フォルフォードは僕の、僕たちの最後の希望なんだ。』



『もし、僕が生きてこの地獄を抜け出すことができたなら、やることは一つだ。

 どんな手を使ってでも奴らを見付け出し、一人残らず殺す。

 絶対に殺してやる────』



 日記を閉じてノノは少し疲れたように息を吐く。

 彼女からすれば、同じ魔族が何者かによって殺されていく様を読んだわけで、疲労と悲しみが湧くのは当然のことだろう。

 エマは少しでも安心させるように、ノノの手を優しく握った。



×××



 ヒガナたちは先を進む。

 だが、ヒガナは彼女の精神状態が不安だった。


「アリス、少し休まないか?」

「……大丈夫」

「でも……」

「……託されたから」


 省みずに進むアリスに、ヒガナはこれ以上何も言えなかった。

 きっと自分も同じ立場だったら、自分のことなど無視して進んでいただろうから。


 今はアリスの願いを叶えるために全力でサポートしよう。──そう思った瞬間だった。

 

「あ゛っ……」


 瞬間、頭に鋭い痛みが走る。

 それは脳髄に全く覚えのない記憶が入り込んだ拒絶反応だったか。

 あまりの痛みに眼を閉じるが、瞼の裏に謎の記憶が流れ込む。



 ──破壊の爪痕が深々と刻まれた城。


 ──広い空間にポツンと添えられている玉座。


 ──その玉座に腰掛ける幼い、とても幼い少女。


 ──少女の瞳には光が灯っていなかった。



 冷や汗が頬を伝うのを感じながら、ヒガナは眼をゆっくりと開く。


「何だ……今の……ここ、だよな?」


 割り込んで来た記憶の背景は間違いなく、ソロフォロニウス城だった。

 では、あの幼女は一体……。

 謎の記憶の考察を進めたいところだが、それよりも周りの変化に気付き困惑する。


「アリス……?」


 先ほどまで一緒に居た少女の姿が見当たらない。

 この場に存在するのはヒガナただ一人だけだ。

 左右上下を見ても影も形もない。月明かりに照らされて宙を漂う埃はヒガナ一人分の乱れ方しかしていない。


「どうなってんだ?」


 もう一度アリスの名を呼んでみる。加えてエマとノノのことも呼ぶ。

 先ほどよりも大きな声を出してみるが反応は無い。


「………………」


 嫌な予感がヒガナの心を蝕む。

 心臓の鼓動が激しく高鳴り、呼吸が荒くなる。


 何が起こったかは分からない。

 だが、現実を素直に受け止めるなら、ヒガナは孤立したということになる。


「嘘だろ……?」


 とにかく五月蝿く鳴り響く心臓を落ち着かせるために、ヒガナは深呼吸をするが埃を多く吸ってしまい咳き込んでしまう。


「こんなところで深呼吸とか何考えているんだ、俺」


 自分が相当混乱していることを自覚したヒガナ。

 それもそうだろう。

 いきなり側に居たアリスが消えたのだ。アリスがどこかに行ってしまうのはいつものことだが、足音も無くというのは流石に異常だ。

 消えた、としか言いようがない。


 エマとノノも反応が無い。

 調査に集中している可能性もあるが、楽観的に考えるのは危うい。

 

 しばらくその場に居たが、状況は何一つ変化しない。

 意を決したヒガナは行動を開始する。


「あの記憶……玉座、だったよな。そこを目指してみるか」



×××



 押し寄せる不安に飲み込まれながらも必死に進んだ。

 口の中に鉄の味が広がる。脇腹と太ももに鈍い痛み。顔や腕、腹部全体にはこれまでの戦闘で負った傷の痛み。あらゆる疲労や痛みがヒガナを苦しめる。

 それでもヒガナは進む。

 進む以外にこの状況を解決する方法が無いのだ。

 

「……はぁ、多分、ここだよな? ここであってくれよ」


 息も絶え絶えのヒガナが辿り着いたのは城の最上階。

 目の前には今までとは明らかに雰囲気が異なる巨大な扉がある。


 ヒガナは呼吸を整えてから、巨大な扉に手をかける。


「行くぞ」


 扉を開ける。

 その先には────。


「………………」


 記憶で見た光景そのものだった。

 壁、天井が無くなり吹きさらしとなった広大な空間。

 血のような色をした絨毯は劣化し、瓦礫の下敷きになっている。

 等間隔に設置された杯の中で炎が揺めき出し、空間全体を仄かに照らす。


 記憶の一致に対する感動。──しかし、それを塗り潰すほどの衝撃がヒガナを襲っていた。



 そこに居たのは月すら劣等感を抱く美しさを持つ蠱惑的な少女だ。


 想像を絶する滑らかさと処女雪のように一切の色彩が存在しない腰まで伸びる純白の髪。

 その瞳はこの世界に蔓延する厄災を閉じ込めたような真紅色。

 咲き誇った白百合の花のような清廉な艶やかさで、周りの空気すら浄化していそうだ。

 右耳のみ着けられた逆十字架のイヤリングは異様な存在感を放っており、羽織る純白の外套には天秤と百合の紋章が刺繍されていた。


「………………」


 言葉が出なかった。

 初めての感覚にヒガナは抵抗することができない。

 心が、彼女を求めている。

 一秒、一秒ごとに彼女に惹かれていく。



 惚けていると、少女がヒガナの存在に気付き、



「──今日は月が綺麗だね」



 そう言って、柔らかに微笑んだ。

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