第13話 『安らぎの鎮魂歌』
翌日。
太陽が地平線に沈み、月が世界を照らす時間帯。
「まさに廃城ですね」
エマが目の前にそびえ立つ建物を眺めて、述べた感想はそれだった。
ヒガナ、アリス、エマ、ノノの四人はソロフォロニウス城へと来ていた。
今居るのは城門である。といっても原型をかろうじて留めているだけなので門としては全く機能していない。
門の先に見える城本体は酷い有様だった。壁は至るところが破壊され城内が剥き出し、窓のガラスは殆どが割られてある。それまでは丁寧に手入れされていたであろう庭園も雑草や瓦礫でめちゃくちゃな状態になっていた。
「………………」
緊張感がヒガナを支配していた。
この先に何が待ち受けているのか。
緊張は不安を触発し、身体を強張らせて前進するのをやめようと煽ってくる。
「……ヒガナ」
アリスの手がヒガナの手を包み込んだ。柔らかくて温かい。不思議と不安は萎んでいった。
折れかけていた気持ちを立て直して、アリスに感謝する。
「ありがとう、アリス。やっぱりアリスは最高の相棒だ」
「……ヒガナは最高の旦那さん」
「相棒ってそういう意味じゃないからね!?」
「……小粋な冗談」
「おぉ……可愛い子にいきなり旦那さんとか言われたら逆に緊張するんだけど」
ふわふわした気持ちに包まれたヒガナの身体は、いつの間にか緊張感から来る重圧を跳ね除けていた。
これが狙い通りだったか、はたまた天然なのかはアリスしか知り得ない。
濡羽色の髪を指に巻きつけて遊んでいたエマはニヤニヤと笑い、煽るように口笛を吹く。
「お熱いですねぇ、私たちもイチャつきますか?」
「もう、エマ様ったら。でも、結界を解析しないといけませんから後で楽しみましょうね」
「冗談だったんですが……まぁ、気を取り直して始めますか」
エマの一声でノノが城の周りを見渡しながらゆっくりと歩き始めた。
側から見ていると廃城を興味津々で眺めている可愛いメイドさんにしか見えない。歩いている姿すら魅力的なノノをヒガナはついつい目で追ってしまう。
「あれは何をしているんだ?」
「結界の種類、罠の有無とかを調べているんですよ。ノノちゃんは鑑定、解析、治癒──といった補助面で超優秀なんですよ」
「そうなんだ。万能ってノノちゃんのような人を言うんだろうな」
「ノノちゃんを褒められると私まで嬉しくなっちゃいます」
言葉通り嬉しそうな表情をしながら準備運動を始めるエマ。しばらくしてエマが身体を温め終えると、それを見越したかのようにノノがヒガナたちの元へ戻って来た。
「どうでした?」
「とても強力な結界です。突破するのは至難の技かと。罠の類いはありません。ですが……」
一旦、言葉を切ってから、僅かに声を暗くしてノノは続ける。
「城内のどこかに結界があります。実際に見てみないとなんとも言えませんが、恐らく禁忌魔術と同等の結界です」
「あぁ、なるほど。そんな強力な結界が張られているなら王国はともかく帝国が調査に手をこまねく訳です」
ヒガナが手を挙げて話に割り込む。
「城内の結界はともかく、目の前にある結界ってのは破れるのか?」
エマは不安そうなヒガナを尻目に笑みを浮かべる。
「この程度なら余裕ですよ」
「でも、突破するのは云々かんぬんって」
「心配無用です。時にノノちゃん、どうやって壊すのが見たいですか?」
「それでは豪快に」
「ふふっ、ノノちゃんも好きですねぇ」
エマが結界の前に立ち、ノノはヒガナとアリスを後ろに下がらせる。
構えたエマ。すると、エマの背後を埋め尽くすように『何か』が展開し、集束──様々な種類の武器が創造されていった。
ヒガナは前にも『何か』を見せたことがあった。大鎌を創造し、地中から刃の華を咲かせた、その原点。
「ずっと気になっていたけど、あれは一体何なんだ?」
「魔力ですよ」
「魔力?」
ヒガナは首を傾げる。
よく分かっていないヒガナにノノは補足を付け加える。
「魔力は基本的に事象に干渉させ、超常現象を引き起こす『魔術』、身体に纏わせて戦闘の補助とする『魔装』の二種類の使い方が主です。しかし、エマ様は魔力自体をそのまま力として使うことができます」
「魔力をそのまま力に」
「魔術や魔装に使用する際において行程を踏む必要が無いので、攻撃、防御速度は速く、汎用性も高い。何よりも魔力を巧みに操り戦うエマ様の美しさ……ああ、素敵です」
無数の武器を従え、纏う魔力の影響で輝きを放つエマを、ノノは崇めるように見つめていた。
とても人間には出来ない所業を難なく行ってしまうエマの規格外さを改めて実感したヒガナは思わず息を飲む。
「では、行きますよ」
エマが軽く手を振るう。
それが合図となり、創造された武器が結界に向けて一斉投擲された。
武器が結界を穿つ。
一撃、一撃が耳を痺れさせるような金属音が奏でられる。その音の大きさにアリスは顔を顰めて兎耳を手で折りたたむ。
「本当に大丈夫なのか!? ただめちゃくちゃに攻撃しているようにしか見えないんだけど!」
「本来なら無意味ですけど、エマ様なら問題ありません! 見てください! もう、ヒビが入って来ましたよ!」
結界に亀裂が走り、それは端から端まで広がって、やがて完全に砕け散った。砕かれた結界は地に落ちる前に粒子となって虚空に溶けて消えていった。
エマは創造した武器を魔力に戻し、自身の中に還元する。それから後ろに下がっていたヒガナたちに顔を向ける。
「さぁ、廃城巡りと行きましょうか」
×××
城内は凄惨としか言いようがなかった。
壁や床に飛び散っている血痕は赤黒く固まっており、折れた剣、槍、杖、弓などの残骸が至るところに転がっていた。それだけではなく、白骨化した死体が何人も転がっていた。
この惨劇の処理は何年かかっても完遂することは出来ないだろう。
酷い現状を目の当たりにしたヒガナは後ろ暗い気持ちになりかけるが頭を振って、気持ちを切り替えてからエマたちに声をかけた。
「どんな感じで調べていく?」
「適当ですかね。ヒガナさんたちは自由にしてもらって結構ですよ」
「いいのか?」
「えぇ、もし何かあった時は大声で叫んでください。すぐに駆けつけますから」
「分かった。ありがとう」
ヒガナは感謝の意を伝えてから、アリスを連れてエマたちとは別の道を進む。
その後ろ姿を眺めていたノノにエマが小さく溜め息を漏らす。
「そんなにヒガナさんが気になりますか?」
少し不満そうな視線を浴びたノノは、顔を赤らめながら腕をブンブンと振って言い訳を口にした。
「ち、違いますよ! ヒガナさんからは、その……不思議というより懐かしい感じがして……それで……」
「はいはい、要はヒガナさんで卑しい想像を膨らませていたと……ノノちゃんはどこまでも変態ですね」
「うぅん、意地悪言わないでくださいよ」
「何ちょっと喜んでいるんですか。被虐趣味なメイドで困ったものです。ほら、行きますよ」
ノノの実った胸を軽く下から叩いてから、城内の調査を開始するエマ。少し身体を震わせ甘い吐息を漏らしてからノノはエマの小さな背中を追いかけた。
×××
エマたちと別行動を開始したヒガナとアリスは、城内を迷うことなく突き進む。
幸いなことに通路には灯りを放つクリスタル──切れかけの蛍光灯のように点滅している──が配置されているので、暗闇の中で探索という事態は避けることが出来た。
「なぁ、アリスはどうしてここに来たかったんだ?」
「……昔、住んでた」
「そうなのか」
「……うん、でも、みんな死んだ」
この場所にアリスを連れてきたことをヒガナは少しばかり後悔した。
凄惨な光景を見れば、この城でよくないことが起こったことは素人でも分かる。
落ち込むヒガナとは裏腹に、アリスは悲しみや苦しさとは異なる感情を瑠璃色の瞳に宿わせながら、兎耳を揺らしながらヒガナを見つめる。
「……ヒガナが連れてきてくれたから、みんなにさよならを言える……あの時は何も言えなかったから」
「そっか」
ヒガナは小さく呟く。
そのすぐ後に物音が聞こえてヒガナたちは立ち止まる。
アリスはヒガナの腕から離れて周囲への警戒心を高めた。
「……近くに来ている」
エマたちかと思ったが、聞こえてくる鋼と鋼が擦り合わさって生まれる音が可能性を呆気なく掻き消してしまう。
ヒガナは聞こえてくる音に聞き覚えがあった。
「この音……鎧か?」
脳裏に街で見かけた重戦士の姿が浮かんでいた。一歩動く度に奏でられていた鋼の音色。今、聞こえてきている音に非常によく似ていた。
姿を現したのは、劣化してしまった鎧で身を固める骸骨の集団だった。骨格は多種多様でいろいろな魔族がこの城に居たことを証明していた。
「……死霊化」
「けど、この数は……」
二人横で並んで歩いていても余裕過ぎる広さを誇っていた廊下を埋め尽くすほどの死霊。
ここは撤退を選ぶのが得策だが、アリスは逃げるどころか臨戦態勢に入る。
「無理しなくてもいいんじゃないか? だって、仲間だったんだろ」
「……死を望んでいる……なら、私が叶える」
「アリス」
アリスはヒガナに微笑んでから、月明かりが射し込む場所で立ち止まり瓦解した城から見える月を眺める。
「……今日は月がよく見える……だから本気」
呟いたアリスの身体が淡く輝き始める。儚く消え入りそうな光なのに不思議と力強さもあった。
奇妙な現象はまだ続く。
アリスの横側の空間が歪み、そこから押し出されたように柄らしき物が現れた。
アリスは柄を握り締め、ゆがんだ空間から一気に引き抜く。それはアリスの背丈と同等、それ以上の長さがある巨大な剣だった。
凄まじい威圧感を醸し出す大剣を軽々と構えたアリスは死霊に真正面から攻め込んだ。
それは、叩き切るというより、叩き潰すという表現が正しい。
真上から振り下ろされた大剣は死霊の剣をヘシ折り、鎧を砕き、骨を潰す。
横に振るうと死霊が薙ぎ払われ吹き飛ぶ。
数で圧倒しようとするが死霊の緩慢な動きではアリスを捉えることはできない。
拳で粉砕し、脚で薙ぎ払い、大剣で完膚無きまで破壊する。
アリスがこれほどの力を振るえているのは月の恩恵だ。
天兎は月の光を浴びることにより、身体能力を活性化させ尚且つ月光を自身の魔力に変換する特殊体質を持つ一族だ。
そこに加えてアリスは魔族の特性も兼ね備えている。
それ故に月夜に置いてアリスは十分、否、十二分の力を発揮できるのだ。
大剣のみに頼ることなく、自身の持ち合わせる力を集結させて戦うアリスの姿はとても華やかで、満月の中で演舞を披露する兎のようでもあった。
初めて見るアリスの姿にヒガナは魅入っていた。
『あ゛あ゛ぁぁぁぁ……』
断末魔のような呻き声を上げてアリスに襲いかかる死霊の一人。他と比べて圧倒的な巨躯で、超大型のメイスをアリスの頭頂部へと振り下ろした。
「……っ」
大剣で受け止めるが、衝撃がアリスの腕を痺れさせる。鍔迫り合うのは危険と判断したアリスは大剣の角度を変えてメイスをいなす。
回転し遠心力で破壊力を増大させた一撃を放ち、巨躯の死霊の腕を粉砕したアリス。
だが、反応に遅れて横から迫ってきたメイスの直撃を喰らってしまう。
メイスはアリスを張り付けたまま壁に叩きつけられ、城内の損傷率を上げる。
「アリスッ!」
埃を巻き上げる瓦礫の元へ駆け寄るヒガナを邪魔するかのように死霊が迫ってきた。
動きが鈍いのが幸いだった。
死霊の剣筋を完全に見切ったヒガナの拳が頭蓋骨を叩き割る。白骨化して相当の年月が経っているからだろう、頭蓋骨は卵の殻を割るくらい簡単に壊すことができた。
しかし、敵はどんどん増えていく。
数の暴力に圧され、ヒガナの傷は数多く刻まれていくがそんなのを無視してアリスの名を叫ぶ。
「……眠るのは、まだ」
瓦礫を押しのけてアリスがむくりと起き上がった。
メイスの攻撃で頭部を始めとした各箇所の流血に加え、腕があらぬ方向に捻じ曲がっていた。
アリスの身体は輝きを増して蒸気を放出し始める。
すると、腕は正常な方向に戻り、傷もみるみるうちに治癒していった。
凄まじい回復力。これも月の恩恵だ。
完治したアリスは大剣を構え、跳び上がる。
瑠璃色の瞳で一人一人の死霊を確認し、ポツリと呟く。
「……これで終わり」
全力の一撃が放たれる。
巨躯の死霊がメイスを受け止めるが抑えることは出来ず、メイスごと巨躯の死霊を叩き潰した。
すると、連動したかのように他の死霊が一斉に砕け散った。
突然のことにヒガナは唖然とするしかなかった。
かつての仲間たちを完膚無きまでに叩き潰したアリスは、大剣を歪んだ空間に再び収納した。
その場で膝から崩れ落ちて苦しそうに胸を押さえた。
「……胸の奥が痛い……なにこれ?」
不思議がるアリス。
彼女はその痛みの出処、本質を全く理解していなかった。
分かって当たり前の感情。
しかし、アリスには分からない。
喜びも、悲しみも、怒りも、アリスにとっては未知の領域で漠然としたモノでしかない。なら、アリスはどれだけの感情を理解しているのだろう。
感情の無理解。
ヒガナはアリスが抱えている闇の一端に初めて触れた気がした。
大概の人はアリスの闇に恐怖し、距離を置いたり、暴力を振るって拒絶した。
しかし、ヒガナは違った。
闇の中に自ら踏み込む──一歩、また一歩、アリスへと近付いた。
「それは、悲しいってことだよ」
「……悲しい?」
「あぁ、仲間を叩き潰したんだ。心が痛くなるのは当然だ」
「……そう、これが悲しい……寒いのと似てる……ヒガナ、私、悲しい」
ヒガナはアリスを優しく抱きしめた。
震えるアリスを少しでも安心させるように。
優しく、囁く。
「アリスは自分の痛みと引き換えにみんなを救ったんだ……俺は君の行いを心の底から尊敬するよ」
その瞬間、声が聞こえた。
この場にはヒガナとアリスしかいなかったが、確かに第三者の声が。
それは幻聴だったのかもしれない。
だが、アリスはその声を確かに聞き、頬に一筋の涙を流しながら月が煌々と輝く天を見上げる。
「……みんな、さよなら……安らかに眠ってね」
アリスの声は死霊と化した魂を鎮める鎮魂歌となって城内に哀しげに響いていた。
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