第12話 『本能が沸騰する』


 意識が戻って来た時に感じたのは、以前にも味わったことのある柔らかさだ。

 全身を包み込む、高級感溢れる肌触り。

 ゆっくりと目を開くと、見知った内装が飛び込んで来た。

 以前にもお世話になったエマが借りている部屋だ。ヒガナたちが借りていた部屋とは内装のクオリティが全然違う。明らかに貴族向けとしていて若干鼻に付くが、このベッドの心地良さは最高の一言だ。


「あっ、お目覚めになられましたか?」


 唐突に聞こえてきた柔らかくて心が癒される声。

 起き上がったヒガナは声の方に視線を向けた。具体的にはベッドの傍らだ。


 ──本能を沸騰させるほど美しい少女だった。


 身長は百五十センチ後半。

 白縹しろはなだ色の髪はボブカット。幼さと妖艶さが同居した愛らしい顔立ちは恐ろしいほどに整っている。

 黒を基調としたエプロンドレス、スカートの丈が短く、背中が大きく開いた特殊な造詣のメイド服が扇情的な肢体を包んでいた。

 まるで、神が究極の美しさを追求した結果を目の当たりにしているようだ。


「────っ!?」


 ヒガナは込み上げてくる熱に鼻頭を押さえ、顔を少女から逸らす。

 直視していたらマズいと、何かが告げている。

 そんなヒガナを見て、メイドさんは慌てて近寄る。


「どこか痛みますか?」

「いや、それは大丈夫なんだけど」


 気を抜くと込み上げてくる熱が溢れ出てしまいそうになる──メイドさんを見ていると、本能の部分が異常に熱くなってしまうのだ。

 その謎を解明したのは部屋に入ってきたアリスだった。


「……いやらしい身体で誘惑して……やっぱり淫魔」


 メイドさんは恥ずかしそうに手で胸を覆った。

 極端に起伏に富んでいる訳でもないが、バランスの良いというか、見ている者の目を釘付けにしてしまう魅力がある。


「そ、そんな誘惑なんてしていません!」

「淫魔? 淫魔ってサキュバスのことか?」


 やっと落ち着いたヒガナ。だが、メイドさんを見てると妙に身体がソワソワしてしまう。


「はい、地方によってはサキュバスとも言われたりしてます」


「うーん、なんか想像と違うな。もっとこう、露出全開のドスケベなお姉さんって感じだと思ったんだけど」


「あはは……淫魔って聞くと皆さん大概そういう方をイメージしますね。でも、全員が全員そういう訳ではありませんよ。ちゃんと一人一人個性がありますから……まぁ、他の種族に比べて性的なことへの関心が強いのは否定できませんけど」


 頬を赤らめもじもじしながら謎の吐露するメイドさんに、ヒガナの視線は釘付けだ──外そうとしても本能が目の前の少女を求めてしまっている。


 すると、急にヒガナの視界が暗闇に包まれた。それと同時に眼窩に何かがめり込んだ嫌な感触が痛みを呼び起こす。


「……あんまり見てると持っていかれるから、ダメ」

「痛い痛い! 痛いから! つ、潰れる! 眼球が潰れる!」


 ヒガナの視界を暗闇にしているアリス──その白魚のような白い指で、眼窩を圧迫し続ける。

 それから数十秒後、アリスから解放されたヒガナは涙が流れる目を手で覆う。


「……あのままだったら確実に襲っていた……だから天誅」

「まだ何もしてねぇよ!」

「……まだってことは襲うつもりだった……そんなヒガナは失明すればいい」

「言葉の綾だよ! つかさ、たまに凄い怖いこと言うのなんなの!? マイブーム!?」

「……感謝の裏返し」

「じゃあ、素直に感謝の言葉をくれ!」


 怒るヒガナを気にも留めないアリスはボンヤリと謝罪するメイドさんを見ていた。


「申し訳ありません、私の体質のせいで」

「体質?」

「えぇ、淫魔の体質というか特性というか……」


 淫魔の特性、それは魅了だ。

 異性はもちろんのこと、同性、別種族をも虜にしてしまう──世界が淫魔に与えた寵愛。それを長所として捉える者もいれば、厄介と困る者もいる──表情を見るにメイドさんは後者のようだ。


 なんて会話をしていると部屋に続々と人が入ってきた。

 エマ、モニカ、ウォルトだ。

 その内、モニカは起きたヒガナに駆け寄り心配そうな声色で問いかける。


「ヒガナさん、怪我はどうですか? 痛みますか?」


 問いかけに対して、ヒガナは服を捲り上げて確認する。

 相当深くまで刺されたはずなのに傷跡はどこにもない。当然、痛みも一切ない。あるのは多少の疲労感とメイドさんに対するふわふわした感情だけだ。


「大丈夫、どこも痛くない。モニカには助けられてばっかりだな……本当にありがとう」

「いえ、ヒガナさんが怪我してしまったのはこちらに責任がありますから」


 渋い表情で俯くモニカ。

 その後ろにいたウォルトもバツの悪そうに後頭部をさすり、ヒガナに謝罪の意を伝えた。


「あれだけ大口叩いておいて情けない結果になって済まない」

「そんなことないです。モニカ、ウォルトさんの二人が居てくれたからこそ俺もアリスも生き残れたから。それに傷は綺麗に無くなっているから実質無傷ですよ」


 二人からすれば、失態を慮っての労いに聞こえるだろう。

 しかし、ヒガナからすれば心からの感謝なのだ。

 モニカとウォルトが関与してくれなかった結果を知っている。それはそれは惨たらしく残酷な結果だ。それを回避して今を迎えられているのは紛れもなく、二人が居てくれたからだ。


「そう言ってくれると少しは気が楽になる。とはいえ、こんな情けない結果でさよならは後味ってものが悪い。だからといってはなんだが、この街にいる間は護衛をさせてくれ。もちろん邪魔にならない範囲でな」


 ウォルトの提案は願っても無い話だった。

 アインとノインは撤退したが、また襲ってくる可能性が完全に消えたわけではない。

 

「それは凄くありがたいんですけど……いいんですか?」

「ああ。ついでに依頼料もチャラにさせてもらうぜ。こんな体たらくで金を取るのは詐欺だからな。モニカもそう思うよな?」


 意見を求められたモニカは「もちろんです」と力強く頷いた。


「ですから、ヒガナさんたちは安心して生活を送ってください」

「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」


 ヒガナの言葉を了承して、ウォルトとモニカは部屋から出て行った。

 なるべくヒガナの生活には干渉しないように、少し離れたところから護衛してくれるのだろう。

 それだけでも安心感が全然違う。


 部屋の中に残ったのはヒガナ、アリス、エマ、そしてメイドさん。

 ヒガナは先程から気になっていたことをエマに質問する。


「えっと、このメイドさんは?」

「可愛いでしょう? 大親友のノノちゃんです」

「あぁ、ずっと探していた」


 エマの探し人、ついに四回目にして姿を拝むことができた。

 まさかの超絶美少女メイドさんとは驚きが隠せない。

 一体この異世界はどこまで美少女を出現させてくれるのだろうか。

 ありがとう、の言葉しか出てこない。

 

 紹介されたメイドさん──ノノは立ち上がって完璧なカーテシーを披露した。


「お初にお目にかかります。淫魔五姉妹が三女、エマ・ムエルテ様に永遠の忠誠を誓ったムエルテ家使用人、ノノ・オリアン・クヴェストと申します。以後お見知り置きを」


 あまりにも洗練された立ち振る舞いに見惚れてしまっていたヒガナは我に返って、自己紹介をする。


「俺はスオウ・ヒガナ。よろしくノノちゃん」

「よろしくお願いしますね、ヒガナさん」


 弾ける笑顔にヒガナの心が癒される。あまりにも清廉で美しいので一生笑っている姿を眺めたくなってしまう。

 そんなヒガナの無謀な願望は叶わずに、ノノはアリスの方へ顔を向けた。その表情はどこか嬉しそうに見えた。


 アリスはというとノノのほっぺを指先で突いて遊ぶ。その表情はとても楽しそうだ。


「……ぷにぷにしてて気持ち良い」

「あ、あの、アリス・フォルフォードさんですよね?」

「……うん」


 あっさり認めると、ノノは嬉しそうにアリスの手を握って、小さく飛び跳ねた。

 ヒガナはその光景を見て、疑問符を浮かべる。


「会えてとても嬉しいです! まさか、こんなところで同族の方に会えるなんて!」

「……半分だけ」

「半分でも同族は同族ですよ!」


 満面の笑みでアリスに抱き着くメイドさん。

 気付けばヒガナの鼻からは血が流れ出ていた。決して殴られた訳ではない。本能が臨界点に達したせいだ。

 鼻を押さえながらヒガナはさらに湧いた疑問を口にする。


「半分だけ同族って?」

「……私、半分天兎てんと、半分魔族……魔天兎」

「魔族は数少ないですから、同族と会うのは本当に嬉しいんです」


 メイドさんが喜ぶ気持ちはなんとなく分かる。ヒガナもこの世界で日本人に出会えば相当嬉しい気持ちになる。それと一緒だろう。


「種族初めて聞いたけど、めちゃくちゃカッコ良いな。何でもっと早く教えてくれなかったんだよ」

「……今の今まで忘れてた」

「ったく流石過ぎるぜ、アリスちゃん」


 自分のことを把握していないアリスにヒガナは哀しみの親指立てをする。

 互いに自己紹介が終わったところでエマが軽く咳払いをして視線を集めた。


「ヒガナさんがお目覚めとなったところで夕食でもどうですか?」


 ヒガナは窓の外を見る。気を失った時と変わらない夜空。それは丸一日寝ていたということだろう。

 それはさておき、夕食という単語を聞いた瞬間にヒガナの腹の虫が騒ぎ出した。

 そういえば昨日から何も食べていなかった。食べている余裕など数時間前のヒガナには欠片ほどもなかった。


 故にエマの提案を拒む理由はどこにも無かった。



×××



 ヒガナたちは適当に歩いて、適当に見つけた飲食店へと入店した。

 入った途端にガラの悪い輩が一斉に睨みつけてきた。どうやら外れの店を引いてしまったらしい。元々ヤンキーや怖い系の人種が苦手なヒガナはビクッと肩を震わせる。ヒガナの情けない姿を横目で見ていたエマはニヤリとした。


「大丈夫ですよ」

「だ、大丈夫って何が? べ、別にビビってないし」

「……どう見ても怖がっている」


 あっさり心中を見抜かれたヒガナは肩を落とす。

 仕方ない、怖いものは怖いのだ。


「セルウスを訪れるのは貴族だけではありませんからね。流石に私も一人では怖いです」

「嘘っぽさ全開なんだけど」


 人間を嬉々として殺しにかかる死神のような存在が、たかだがガラの悪い輩を怖がる想像が全くできない。それにエマの実力ならこの場にいる輩が束になっても瞬殺してしまうに違いない。

 そんな想像をしていたヒガナにエマは頬を膨らませる。


「失礼な。私は幼気な乙女なんですよ?」

「幼気な乙女……つまり幼女だと」

「そうやってまとめられると少し複雑な気持ちがします」


 ちょうど四人席が空いていたので腰掛ける。丸テーブルで時計回りにヒガナ、アリス、ノノ、エマの順番だ。


「でも、怖いって言っている割には妙に落ち着いていないか?」

「ノノちゃんが居ますから」

「何でそこでノノちゃんが出てくるんだ?」

「魅了ですよ。よほど精神力が強いか、耐性がない限り、荒くれ者といえどノノちゃんの前では尻尾振ってご主人様を喜ばせようとする犬みたいになりますから。ほら、見てください。全員ノノちゃんに見惚れてますよ」


 エマの言うとおり、店内で踏ん反り返っていた荒くれ者も、店主も、誰も彼もがノノに熱い視線を注いでいる。存在するだけでその場を制圧してしまうノノに、ヒガナは感嘆の声を上げた。


「戦わずして勝つとか格好良いな」

「そんな大層なものではないですよ。それにあまり見られると恥ずかしいです」

「見られてこその淫魔ですよ。まぁ、私のノノちゃんを下賎な輩に視姦されるのは不愉快といえば不愉快ですけどね」


 言葉通りに不愉快そうに鼻を鳴らすエマ。その様子をノノはどこか嬉しそうに眺めていた。


 注文の後、しばらくの談笑を挟んでから料理が運ばれてきた。

 料理を食べていると、ヒガナはふと疑問に思ったことを質問した。


「そういえば、依頼でこの街に来たみたいなこと言ってたけど、そっちの方は大丈夫?」

「あぁ、問題ありませんよ。ちょっとした調査なので、多少時間かかっても言い訳は出来ますから。元よりノノちゃんと観光を楽しんでからささっと済ませるつもりでしたし」

「エマ様、それは……」


 本音を包み隠さないエマに苦笑してしまう。

 すると、珍しくアリスが質問をした。


「……調査?」


「この街の真後ろに大きな山があるじゃないですか。その中腹にあるソロフォロニウス城の調査です。何でも数日前に城内で異常な魔力反応があったとかで。帝国と王国、両国双方から直々のご指名なんで断ることも出来ずにきた次第です。ノノちゃんが城の構造を把握しているから白羽の矢が立ってしまったんですよ」


「うぅ……そんなこと言われましても。でもでも、結界を突破するにはエマ様の力が必要だとも言ってましたよ」


「ということは私たち二人でなければソロフォロニウス城を攻略出来ないということですね。なんか運命を感じちゃいますね、ノノちゃん」


「エマ様……」


 見つめ合い、熱い視線を交わし合うエマとノノ。姉妹のような、親友のような、恋人のような──どれもピントは来ないが、二人の間に確固たる絆があるのは確かだろう。


「……結界?」


 アリスは首を傾げた。連動するように兎耳が揺れるのを見て、ヒガナは少しほっこりする。


「えぇ、張られているらしいんですよ。気になるなら一緒に行きます? 多少の危険はあるかもしれませんが」


 エマの提案。

 興味は多少あったが、これ以上の危険はご遠慮願いたい。丁重に断ろうとした時、アリスが袖を引っ張って来た。


「どうした?」

「……行きたい」

「え?」

「……ソロフォロニウス城に行きたい」


 ヒガナは僅かばかり驚いた。

 これまで、アリスは自分の意思を主張しなかった。生来の性格か奴隷としての立場故かは分からない。

 しかし、いま初めてアリスは自分のしたいことを伝えてくれたのだ。

 その事実にヒガナは感動していた。

 せっかくアリスが自己主張してくれたのなら、彼女の願いを叶えてあげたい。


 ヒガナはアリスを一瞥してから、エマ達に顔を向けた。


「これも何かの縁だし、よろしくエマちゃん、ノノちゃん。足手まといにならないように気をつけるよ」

「はい! よろしくお願いしますね!」


 屈託のない笑みでヒガナの手を握って協力関係が築けたことへの喜びを身体で表現するノノ。

 ヒガナは僅かに見える胸元に視線が吸い込まれそうになるのを、残っている理性を振り絞り必死に逸らす。


「ヒガナさんは魔族との相性が良いみたいですね」


 エマはくつくつと笑いながら、頬杖をついてその光景を観賞していた。



×××



 夕食を終えた後、ヒガナたちはセルウスの中では上位に入る宿屋で夜を過ごすことになった。

 なぜ宿屋に泊まれることになったかというとエマのご好意だ。


 ヒガナは自身に振り分けられた部屋でアリスと談笑しながらくつろいでいるところに、エマが訪問してきて、外に連れ出された。

 外は薄暗く、壊れかけの街灯のみが断続的に灯りを照らしている。静まり返っており、外に出ているのは少年と幼い少女の不思議な組み合わせのみだ。


 ヒガナはひと息吐いてから、エマに改めて礼を言う。


「助けて貰った上に飯代も宿代も出してくれて本当にありがとう。エマちゃんには頭が上がらないよ」

「気にしなくていいですよ。お金なら腐るほど持ってるので」


 サラッと金持ち発言するエマ。メイドを連れ歩いている時点で上流階級の出自だというのはなんとなく想像出来る。

 だからこそ、ヒガナは不思議に思う。


「エマちゃんって、もしかしなくても良いとこのお嬢様?」

「えぇ、帝国の辺境伯の出です」

「おぉ、ファンタジーでよく聞く辺境伯。どれくらい偉いのかは分からないけど。そんなに良い家の出なのに、何で冒険者みたいなことしているんだ?」


 エマは濡羽色の髪を指で弄りながら、悪意に満ちた笑みをヒガナに向けた。

 首筋に大鎌を添えられたような恐怖が襲う。


「欲求を満たすためですよ。私の中に巣食う衝動は常に欲求不満ですから」

「………………」

「まぁ、半分冗談なんですけど。本当のところは上の命令に逆らえないだけです。その分ノノちゃんと色んな場所に行けているのでいいんですけどね」


 笑みから悪意が消え、天使を彷彿とさせる表情が浮かび上がる。

 ヒガナは小さく息を吐き、寝間着として使っているパーカーのポケットに手を突っ込み、背中を煉瓦造りの壁に預けた。


「んで、呼び出した理由は?」

「夜這いはやめて下さいということを伝えようと思って」

「いやしないから!」

「ヒガナさんは淫魔に対して耐性があるようですけど、夜中は本当に危険ですから。魔族というのは夜間に力が強まります。ノノちゃんの魅了も例外ではありません」

「あのさ、夜這いする前提で話進めるのやめてくれないかな!?」

「ノノちゃんを襲おうとした人を何人再起不能にしたことか……」


 冗談っぽく言うエマだが、ヒガナにはとても冗談には聞こえなかった。

 この少女なら殺りかねない。


「はぁ……エマちゃんはよく平気だよな」

「ノノちゃんとは私が生まれた時からの付き合いですから。私の淫魔耐性は限界値まで来てます」

「さいで。冗談はそれくらいでそろそろ本題に入ってくれないか?」

「今のが本題ですよ」

「………………」


 ヒガナの引き攣った顔を見て、エマは心底楽しそうに頬を緩めた。

 不敵に笑うエマをヒガナは形容しがたい顔で見ていた。

 ひとしきり笑ったエマは軽く手を上げる。


「それじゃあ、明日はよろしくお願いしますね。良い淫夢を」

「淫夢って……ノノちゃんでも出てくるのか」

「それ面白そうですね。ノノちゃんに伝えておきます。ヒガナさんが夢の中でイチャつきたいと言っていたと」

「それはやめてくれ! あらぬ誤解を招く!」


 エマはくつくつと笑いながら宿の中へと戻った。

 ヒガナは溜め息を吐いてから、星々が煌めく夜空を見上げる。

 口元が緩んでいることに気づいて、苦笑してしまった。



×××



 部屋に戻ると、ネグリジェ姿のアリスが頬を膨らませて待っていた。


「……ヒガナ、遅い」

「先に寝てればよかったのに」

「……ぬくぬくして寝るためにはヒガナが必要……ここは宿、我慢することない……ねぇ、一緒に寝よ?」

「捉え方によっては過激な発言だぜ、アリスちゃん」


 と、口では平静を装うが、実際はピンク色の霧が脳内にかかり、アリスの声を聞いたり仕草を見ただけで理性が瓦解しかけて、正常な判断ができなくなりそうになる。

 自分がなぜこんな状態に陥ったかを冷静に分析をしようとする──が、冷静にならずとも原因を特定することが容易にできた。


「絶対にノノちゃんだ。ここまで尾を引くとは……」

「……ヒガナ?」

「あのさ、一緒に寝るのは」

「……嫌、一緒に寝る……ヒガナ約束してくれた」

「でもさ、ノノちゃんの影響で理性がバカになってて、非常に危険というか」

「……好きなようにしていい、私の全てはヒガナの物だから」


 ヒガナは表情を曇らせた。

 アリスの口からその言葉を聞くのは本当に嫌だった。だが、ヒガナが幾ら言ったところでアリス本人の考え方が変わらなければ意味がない。

 今は主人と奴隷だが、いずれは異なる関係になりたいとヒガナは切に思っている。


「本当に一緒に寝たい?」

「……うん、一緒に寝てくれないならずっと起きてる」


 それはそれとして、ヒガナは一緒に寝ることを断固として実行しようとするアリスの瑠璃色の瞳の輝きに負けて、黒髪を掻き乱す。


「あーもう、分かった! 分かったよ! どうなっても知らないからな!」

「……望むところ」

「なんか格好良いなっ!」


 覚悟を決めて、アリスと同じベッドで寝ることにしたヒガナ。

 しかし、アリスに抱きつかれた瞬間に来た柔らかさと良い匂い──しかも、ノノのせいで余計に敏感になっていたヒガナの脳は、甘い感触に耐えられず、あっという間に処理落ちしてしまった。

 そして、気絶したヒガナはアリスの抱き枕として一夜を過ごすのであった。

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