第9話 『絶望すら凍りつかせる死を』


 その通りは時間帯もあってか人通りが一切なく、仄かに灯る街灯以外の光源は夜空に浮かぶ月のみだった。

 室内から屋外に舞台を移した三人は一定の距離を保ちつつ、それぞれを牽制していた。

 誰かが動けば戦闘は再開される。

 緊張の糸は限界まで張られていた。


 小さく息を吐いて発言したのはエマだ。

 自然体で居るが決して油断しているわけではない。


「やっぱり嵌められてます?」


 その問いはアリスに向けられていた。

 エマはヒガナから襲撃者の撃退を頼まれて、この場にいる。その筈がなぜかアリスに攻撃され、挙げ句の果てに窓から突き落とされた。

 因みに怪我は擦り傷すらない。


「……ご主人様を守るのが奴隷の役目……殺意を向けたから……それに命令」


 兎耳を夜風に揺らしながら、瑠璃色の瞳はエマとアインを捉えて離さない。

 するとアリス付近の空間が歪み、そこから一本の長槍が出現する。

 奇妙なことにその長槍は夥しい数の呪印が書き込まれた布によって本来の姿を秘匿されていた。

 長槍を引き抜き、どちらかが動いても即座に対応出来るように臨戦態勢に移行。


「…………。先に仕掛けたのはアリスさんでは? これ、貴方の計画通りだったりします?」


 エマの金色の瞳はアインに向けられた。

 仮面をつけているので表情は殆ど読み取ることはできない。しかし、エマへと向けられているナイフを見る限り敵意はしっかりとあるようだ。


「根本的に『死神』が絡んでくる時点でこちらの計画は破綻している」

「それが事実だとしたら、この状況は貴方たちにとっては好都合ということですね」


 エマは先程ヒガナが言っていたことを思い出す。

 彼はノインと呼ばれていた赤髪の少女の力によって、アリスはエマに攻撃を仕掛けてきたと弁明していた。

 その言い分が正しかったとしたら、現状はエマが招いた結果になる。

 だが、エマに焦りの色は欠片ほども無い。


「ヒガナさんの言葉の真偽は不明ですが、まぁ、貴方たちを殺せば答えは出るでしょう」


 エマの小さな手のひらに『何か』が可視化されるほどに集まり、意思を持ったように蠢き、徐々にその姿を変えていく。

 動きは徐々に鈍くなり、やがて一つの物体として固定される。


 ──創造されたのは少女の背丈ほどの巨大な鎌。


 大鎌を手足のように操って、感触を確かめて、満足したように頷く。

 創り出した得物を構えて、アインとアリスに視線を向ける。──瞳は死を纏っていた。


「──気持ち良くしてくださいね?」


 その妖艶な笑みが開戦の狼煙となった。

 アインとアリスが同時に動き出す。

 長身の得物を持っているとは思えないほどの速度で迫るアリスの攻撃にエマは意識の大部分を割く。


 繰り出される刺突。

 瞬間的速度はとても人間の眼では追いつけるものではない。

 それはエマも同じことだ。だが、彼女は常軌を逸脱した反射神経で最速の突きを紙一重で回避する。


 強引に身体を捻って躱して態勢が崩れたところを狙ってアインが攻撃を仕掛ける。

 だが、エマは身体をさらに捻って、生まれた遠心力の力を大鎌に乗せた。

 円を描く大鎌の軌跡になぞるように石畳みが破壊され、砕けた破片がアインとアリスを襲う。

 攻撃に加え侵攻を強制的に止める一撃だ。


「…………」


 己と対象の力量差を確認したのか、アインは次なる攻撃を仕掛けずに様子を伺う。

 対照的にアリスは果敢に攻める。

 それには理由がある。彼女の目的は己が主人を守るために敵を排除する──その一点のみ。目的達成の中に自分の生存は含まれていない。アリスは例え相打ちになっても敵を排除できればそれでいいのだ。


 エマの攻撃にも劣らず、アリスが巧みに扱う長槍もおぞましい威力を誇っていた。

 横薙ぎの一撃で煉瓦の壁面が抉れ、刺突から放たれる空気の圧で街灯が破壊される。

 だが、それよりも厄介というより強力なのは長槍を起点として繰り出されるアリスの体術だ。

 得物の補助によってアリスの動きは二次元から三次元へとなっているため変則的だ。


「素晴らしい身体能力ですね! 楽しくなってきちゃいましたよ! どうします? 殺します? 殺しちゃってもいいですか!?」


 まるで怒涛の攻撃を愛情表現と勘違いしているが如く頬を紅潮させて破顔する死神。

 常に死が纏わりつく戦場において常人が恍惚の表情を浮かべることができるだろうか。


 目まぐるしく入れ替わる攻防。

 攻撃へと転じたエマがアリス、アインに向けて手を伸ばす。

 場の温度が微かに下がる。

 エマの背後に冷気が漂い始めて、それは急速に形を成していく。──出現したのは無数の鋭利な氷槍だ。


「動いて火照った身体には丁度いいと思いますよ?」


 勢いよく放たれた氷槍。まともに喰らえば肉体を穿ち、噴き出した鮮血を一瞬のうちに氷結させるだろう。


 アインは回避に全神経を注いで高速で迫る氷槍を何とかやり過ごす。

 建物に深々と突き刺さって、触れた箇所を氷結させていくのを眺めながら吐き捨てるように呟く。


「魔術の腕も超一級品、か。この圧倒的スペック差……戦うのが馬鹿らしくなる」

 

 一方、アリスは長槍を回転させながら氷槍を真っ向から迎え撃つ。

 高速で回転する長槍を操り、氷点下の一撃を一つ残らずに破壊していく。

 砕け散った氷の破片が街灯の光を反射させて無数の輝きが生まれる。


 その中をエマが疾走。

 大鎌の刃が美しく、禍々しく煌いた。

 死の一閃。

 しかし、アリスはそれを見事に受け止めた。


 大鎌と長槍がぶつかり火花が弾ける。

 そして、互いの身体が衝撃に押されて後方へと仰け反った。


 距離を置く両者。

 そして、同時に違和感を覚える。


 アリスは痛みを発する右脚へと視線を向ける。太ももの辺りから膝まで凍結していた。冷たさを通り越して痛みへとなっている。

 恐ろしいことに皮膚だけではなく、筋肉や関節までが凍りついているようで動かそうとするだけで悲鳴を奏でる。


 エマは左腕だ。

 糸が切れてしまった人形のようにダラリと力なく垂れている。少しでも動かそうとすると鋭い痛みが左腕を駆け巡る。

 加えて皮膚の下でゴリゴリと骨と骨が擦れ合う音が聞こえる。触診する必要もなく完全に折れていることをエマは理解する。


 二人はぶつかり離れるまでの一瞬のうちに互いを破壊していたのだ。


「私は腕、貴女は脚が潰れた。あぁ、良いですね。聞こえますか? 徐々に近付いてくる『死』の足音が」


 折れた腕の痛みすら愛おしそうにエマは狂気に染まる笑みを溢す。この命のやり取りを心底愉しんでいるとしか思えない。


 だが──、


「──『死神』、お前の詰みだ」


 愉しみの時間はアインによって一時中断となる。

 不思議そうな表情で首を傾げるエマに対して、アインはある方向を顎で差した。


 宿屋の入り口。

 そこに居たのはアインの相方である赤髪の少女──ノイン。

 そして、原型を留めていない今にも千切れそうな片腕をぶら下げた黒髪の少年──ヒガナ。

 乱れに乱れた黒髪の下にある顔は真っ青だ。

 さらにその下。

 首にはアリスと同じ奴隷霊装が付けられていた。



×××



 ヒガナの姿を見て最初に反応したのはアリスだった。

 瑠璃色の瞳が大きく開き、次の瞬間には石畳みを砕く勢いで脚を踏み出して、隣にいる赤髪の少女を長槍で貫こうとする。


「──動くな」


 ノインが呟くと同時にアリスの動きは完全に停止した。

 刃先は彼女の喉に触れる寸前。あと一瞬遅かったら確実に刺し穿たれていただろう。

 だが、現実はノインを生かした。


「……────っ」


 困惑するアリス。

 その身体は奴隷霊装の効果である『命令権』によって完全に主人の支配下に置かれている。

 問題なのはヒガナではなくノインの命令を受諾していることだ。


 明らかな異常事態の種明かしをしてくれたのはノインだ。

 ヒガナの首に着けられた奴隷霊装を撫でながら彼女はアインに向かって声をかけた。


「まさかこうなることを予想して奴隷霊装渡したの?」


 問いかけられて、アインはゆっくりとノインの方へと向かう。


「ああ、奴隷霊装の連鎖反応を利用させてもらった。古からある霊装というのは色々と抜け道が多いんだ」


 肯定をして視線をエマの方へと向けた。


「これで対象は俺たちの駒だ。お前を退けるために使い、その結果殺されたとしても俺たちの任務は完了する。もちろん俺たち諸共殺したとしても……」

「貴方たちの目的は達成される、ということですか」


 納得したように呟いて、ヒガナとアリスに着いている奴隷霊装、アインとノインを交互に見てからエマは大きな溜め息を溢して大鎌を肩に担いだ。

 得物を構えるのをやめた彼女の表情は通常時のそれだった。


「はぁ……強制服従の術式が組み込まれた霊装。人権を踏みにじる下劣な代物ですね。まぁ、奴隷制度自体が人権侵害なんですが。帝国ならともかく王国ならしょうがないと言っておきましょうか」


 エマは肩をすくめながら続ける。


「目的達成のために己が命すら駒としか見ていない。そういう考え方をするのはどの国の暗部も同じのようですね」

「………………」


 推測に対してアインは否定せずに無言を貫く。

 それは肯定と同義だろう。


 混沌とした状況をどう処理しようか思考を巡らせているエマを凝視する黒い瞳。

 その視線に気付いたエマはヒガナへと顔を向ける。

 そこで違和感に気付く。

 ヒガナの瞳に宿るのは憎悪だった。


「エ、エマ……ちゃ……」


 ヒガナは脂汗を滲ませながら、呪詛を唱えるかのようにエマの名前を呼ぶ。


 あの少女が憎い。

 腹の奥底からドス黒い感情が湧き出てくる。


 違う。


 全部アイツのせいだ。

 アイツさえ居なければ、この左腕がこんなことにならなかった。

 絶対に許さない。


 違う。


 今すぐに掴みかかって、ズタズタのボロボロにしてやる。

 整った顔面を何度も何度も殴ってぐちゃぐちゃにしてやる。

 華奢な身体にできる限りの痛みを与えてやる。

 いくら泣き叫ぼうとも絶対に許さない。

 

 違う。


「殺し……あ゛ぁ……っ!!」


 激しい痛みを訴える頭を押さえながら、ヒガナはエマだけを睨みつける。

 全ての細胞が偽りの憎悪に汚染されて、少女を殺せと騒ぎ立てていた。


 その様子を冷静に観察していたエマはノインに問いかけた。


「ヒガナさんに何をしたんですか?」


 形式上の問い。

 簡単に手の内を晒さないだろうと予想していたエマだったが、意外なことにノインはあっさりと答えを開示した。


「『死神』に対する憎悪の感情を植え付けてあげたの。でも、強引に弄ったからちょっと壊れちゃった」


 嘲笑を浮かべながらノインは小刻みに震えるヒガナの頬を撫でる。

 ヒガナの呼吸が恐怖で浅くなる。


「何をしたかは分かりました。ですが、それする必要あります?」


 ヒガナは奴隷霊装によってノインの命令には絶対服従となっている。

 命令すれば思い通りに動く。

 わざわざ余計な手間をかける必要がないのに、なぜ行ったのか。


 ヒガナの頬に爪を立てながら、ノインは無邪気に言う。


「楽しいからに決まってるじゃん」

「あぁ、貴女はどうやらこちら側の存在のようですね」


 納得したように首肯したエマは再び大鎌を構えた。

 もうこれ以上話すことは無い、という意思表示でもあった。

 アインとノインは目配せをする。


「『命令』よ。死神を殺して?」


 ノインの一声によって、ヒガナとアリスが動き出した。

 とはいえ、その行動に本人の意思が反映されていないのは確かなことだ。


「あ゛あぁーーーーぁ」


 一歩踏み出すごとに千切れかけの左腕が痛みを訴えている。弄くり回された脳内では現状を完全に把握することができない。

 風邪の時に見る、あの気持ち悪い夢の中にいるようだ。

 だが、その全てを塗り潰すほどの憎悪がヒガナの壊れかけている精神を強制的に補強している。


 ヒガナが真っ向から向かっている時、アリスは瞬時にエマの背後へと回り込む。そのガラ空きの背中に長槍を穿とうと構える。


「こうなっては仕方ありませんよね?」


 エマのつま先が地面を突いた途端、彼女を中心に無数の刃の形をした『何か』が亀裂を作りながら出現した。

 石畳みを覆い尽くす謎の刃。逃げ場はなくアリスは刃の餌食となる。


「……っ」


 足裏から甲までを貫き、腹部に深く突き刺さる。

 腕にも刃が幾つも突き刺さり、握力を失った手から長槍がすり抜けた。

 その光景は残酷で惨たらしい生花のようだ。

 アリスから溢れる鮮血が刃を赤く染めていく様子はあまりにも恐ろしい。


「悪いとは思っていますよ。でも、これくらいしないと貴女を止めるのは無理だと判断しました」


 一応の謝罪が終わったタイミングでヒガナはようやくエマの元へと辿り着いた。

 ヒガナは憎悪を拳に込めて勢いよく放つ。

 しかし、渾身の一撃は小さな手のひらにいとも簡単に止められてしまった。


「さて、ゆっくり話している時間は無さそうなので単刀直入に聞きます。ヒガナさん、私にできることはありますか?」


 その問いは単なる確認だった。

 ヒガナとアリスは敵の駒と成り果てた。自力で状況を打破することはできない。

 すでに詰んでいる。


 こうして対峙している間もエマへの憎悪は際限なく湧き上がって来ている。

 膨れ上がる憎悪に視界は歪み、どうしようもない怒りを撒き散らしたい衝動に襲われている。

 理性が、一秒ごとに失われていく。


 もう、肉体はスオウ・ヒガナのモノではない。

 もう、感情はスオウ・ヒガナのモノではない。

 もう、精神は────。


 僅かに残った自我を必死に保ちながらヒガナはエマを見つめる。

 大粒の涙を溢れさせ、怒りからくるのか恐怖からくるのか、ガチガチと震える口を懸命に動かして言葉を紡ぐ。


「殺し、て……く、れ……」

「はい」


 エマは笑った。

 それはそれは心底嬉しそうに。

 ずっと抑圧されていた欲求を思う存分解放できると喜んでいるようだった。


 エマはヒガナの腕を捻り上げる。可動域を超えた関節が悲鳴を上げ、理不尽な負担をかけられた骨が折れ、皮膚を突き破って姿を現わす。


「あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ──!!?」


 脳内物質ですら対処しきれない痛みにヒガナの意識は混濁するが、鮮烈な痛みが意識を遮断することを許可してくれない。

 ひしゃげた右腕に気を取られている隙に、エマの放った膝で鼻と前歯を砕かれて、大鎌の峰の部分が身体を直撃。軽々と吹き飛ばされ建物の壁に背中を強打。鮮血を吐きながらヒガナは崩れ落ちる。


 その姿を眺る少女は全身を震わせて悦に入る。艶のある吐息を漏らしながら大鎌を担ぎ、ヒガナの方へと近付く。


「んはぁ……今の悲鳴、最高でしたよ。死の淵を覗き込んだような……あぁ、視えます、貴方の『死』──深淵にして純粋な唯一の真理が」


 死神がヒガナの命を刈り取ろうと大鎌を構える。

 ゆっくり、ゆっくりと振り上げる。


「うがあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ──!!」


 沈黙していたヒガナが唐突に動き出し、右拳・・をエマの顔面に叩き込む。

 下から突き上げるような一撃。芯を捉えた感覚が全身を駆け抜けた。

 無防備の状態だったエマは大鎌を手離し、地面を何度も転がった後に地に伏せた。


「ウッソ……。ザコのくせに一撃入れたし」


 驚き混じりにノインが呟く。

 彼女的にはヒガナは数秒時間を稼げれば十分な駒だった。その程度の価値しか見出していなかった故に、大きな驚きとなっていた。


 ヒガナはふらふらと立ち上がる。

 ひしゃげた右腕はエマに一撃叩き込んだことにより完全に使い物にならなくなった。

 左腕も言わずもがな。

 口からは大量の鮮血が溢れ出している。


「はぁ、えへぇ……おかしいですね? 右腕は潰して、顔面も砕いて、肋骨も何本かは確実に折ったつもりだったんですが……。あぁ、奴隷霊装の強制力は恐ろしいですね」


 ゆっくりと起き上がる少女の口からは血が流れ出て、地面を赤く染めていく。

 顔を上げた少女はなぜか満面の笑みで、頬を紅潮させている。まるで殴られて喜んでいるようだ。

 ヒガナは掻き毟られるような嫌悪感に吐き気を覚えた。──憎悪が加速する。


 恍惚として笑みを零し、口から垂れていた血を舌で舐めとり口の中で転がしながらヒガナの元へ歩み寄る。


「あぁ、意外なこと続きで楽しかったです。ですが、そろそろ終わりにしましょうか」


 それは死刑宣告にも等しい言葉だった。

 憎悪に蝕まれてまともな思考も満足にできないヒガナでも、エマの殺意は確かに感じられた。

 その瞬間、襲ってきたのは生存の欲求だ。


 ──死にたくない。


「………………死に、たく……………」

「ここまで昂ってしまったらもう止まれませんよ!」


 大鎌が真一文字を描く。

 全身が総毛立ち、ヒガナは反射的に後ろに飛び退くが既に遅い。動いた瞬間に感じた違和感に背筋を撫でられて、顔面蒼白になった。


 ──熱い。


 寒いのに、冷たいのに、なぜか腹の辺りだけは異常にも熱かった。それは先ほど感じた熱すら溶かすほどの業火のよう。


 ──熱い、熱い、熱い。


 生きていく上で絶対にあってはならない感覚。恐る恐る視線を腹に向ける。腹部からは鮮血が溢れ出し、臓物が内側から押し出され、裂け目を抉じ開けようとする。


 ──熱い、熱い、熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い。


 使い物にならない手で必死に押さえても力が入らず臓物を堰き止められない。食道から込み上げてきた血液は喉を、口内を席巻し、口から吐き出される。

 溢れ出した臓物が地面を彩った。


「あ゛っ……あ゛あ゛ぁ…………」


 膝から崩れ落ちるヒガナを眺めていたエマは蕩けきった表情で、大鎌を支えに辛うじて立っていた。殺人によってもたらされた快楽の波が足腰に来ているのだろう。


「……んっ、んはぁ……もう、限界ですか? 死にます? 死んじゃいます? 内臓ぶちまけて逝っちゃいます?」


 目の前のこれは何だ?

 本当に少女なのか? 人間なのか?

 こんなにも人を殺すことを愉しんでいるコレを人間と呼べるのか?


 あぁ、『死神』とはよく言ったものだ。

 目の前のコレは紛れもなく死を司り、死を運び、死をこよなく愛する存在──『死神』そのものではないか。


「………………」


 肉体と意識の乖離が徐々に始まる。

 身を焼き焦がすような熱はいつの間にか消え去り、代わりに凍えるような寒さがヒガナを襲った。

 この感覚は以前にも味わったことがあるような気がする。

 でも、どこで?

 思い出そうとしても分からない。

 知ったところでなんだという。

 どうでもいい。


「もう、逝っちゃうんですね」


 もうすでに意識があるのか、無いのか。

 生きているのか、死んでいるのか分からないヒガナの耳元に唇を近付けて、少女は囁いた。


「──別の私とは仲良くできると良いですね」


 死の深淵に浸かったせいで耳は全く聞こえず、少女が何を言ったのかさっぱり分からない。

 ただ、耳に吹きかけられた脳を溶かすような、甘く艶やかな吐息は気持ち悪いほどに感じることができた。

 絶望、恐怖、不快、嫌悪、後悔、懺悔、憤怒、苦痛、憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪憎悪──魂までも喰らい尽くされ、死の奔流に飲み込まれ、




 ──アリス。




 最後に刃に串刺しになっている兎耳の少女を虚ろな瞳に映して。




 スオウ・ヒガナは死んだ。

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