第7話 『唯一の手向け』


 遠退いていた意識が自分本来の器に戻るような、奇妙だが不思議と馴染む感覚が全身を駆け抜ける。意識の一つ一つが細胞に染み渡り、自分という存在が此処にあるという自覚を生み出す。

 しかし、その衝撃は耐え難い痛みを与える。六十兆近くの極小の痛みが集約され、思考の根幹である脳に鋭い幻痛が襲う。


「──大丈夫ですか?」


 顔面蒼白のヒガナを上目遣いで見つめる天使のような美少女。

 少し舌足らずでおっとりした声は耳には入っていたが、それに対応する余裕がヒガナには一切無かった。


 呆然とした面持ちで辺りを見渡す。

 上を向けば青空があり、横を向けばモニカに治療してもらっているアリスがいる。

 正面、少し視線を落とすとエマが首を傾げている。


 状況を何一つ把握できなくて、事態を処理できなくて眩暈がした。

 そのままヒガナは意識が遠退くのを感じながら、身体を大きく揺らした後に石畳みの上に倒れ込んだ。


「え、え!? ヒガナさん!?」


 暗くなっていく視界に映ったのは、焦りの表情を浮かべて顔を覗き込んでくるエマだった。



×××



 幸せそうに咲き誇る草花を吹き抜ける風が心地良く揺らす。目が覚めるような青空にわたあめみたいな白い雲がのんびりとたゆたっていた。

 丘の上には教会のような建物がポツンとある。建物の隣には巨大な木が生えていて、根元で昼寝をすれば気持ち良さそうだ。


 建物から幼い女の子が元気よく飛び出してきた。

 その子の顔ははっきりとは見えないが光輝く髪は鮮烈な印象を受ける。

 女の子に対して『ある物』を渡そうとする。

 その時だった。


 白い衝撃が走って全ての光景が急速に遥か彼方へ遠退いていった──。



×××



 ヒガナは上体を勢いよく起こして頭を押さえる。

 脂汗を拭いながら息を吐く。


「なんだ……夢……?」


 何かを見ていた気がする。

 だが、内容は何一つとして覚えてはいない。

 どんなに思い出そうとしても、霧に包まれたように不鮮明なイメージしか脳内に出てこない。


 何度目かの深呼吸で落ち着きを取り戻したところで、ベッドの上にいることに気付いた。

 どこかの部屋のようだ。

 視界に入る調度品や家具、乗っているベッドの質感は高級感に溢れている。


「テレビで見るような高級ホテルの一室みたいだ」


 中身がスッカスカの感想を述べて、ヒガナは思い出したように恐る恐る頭部に手を当てた。

 痛みはなく、あるのは髪の感触だけだ。手のひらを見ても何も付いていない。


 それから窓の向こうに広がる青空を一瞥してから、腕を組んでこれまで体験したことを脳内で羅列する。

 幸いというべきか、この部屋にはヒガナしか居ないので集中することができた。


「ナイフの感覚、人を馬鹿にした笑い声、死ぬって分かった時の恐怖……」


 思い出しただけで身体が小刻みに震えた。どうしようもなく震える手を眺めていると笑いが零れた。


「デジャヴにしてはシチュエーションが違いすぎるだろ」


 汗が頬を伝う。

 ヒガナは無意識のうちに切り捨てていた可能性を意識の上澄みへと浮上させる。

 ありえない、と思っていた。──思いたかった。

 だが、現実は克明に状況を物語っている。


「俺……確実に二回は死んでる。でも、こうして生きている。ってことは──」


 自分が死んだという事実を受け入れる。

 では、こうして生きているのはどういうことか。

 数々のアニメ、漫画、小説で得たフィクション知識を掻き集めて、ある一つの結論を紡ぎ出す。


「──同じ時間を繰り返している」


 時間遡行、ループ、やり直し。

 それこそが自分に与えられた力だと理解して、ヒガナは大きく項垂れた。


「よりにもよって『時間遡行』か。そりゃあ、見るのは好きだけど、自分がやるってなったら話が変わるって……」


 ループものの醍醐味といったら、繰り返すことによって散りばめられた最善の結果へと繋がる欠片を集めて難題を突破する爽快感、カタルシスだろう。

 だが、そこに至るまでは多くの困難が立ち塞がる。

 ある意味では負けるのが前提にある能力だ。


「すげぇチート能力とかで楽しい異世界生活させてくれよ……」


 愚痴を漏らしてから、頭を左右に振って気持ちを切り替える。


「この力のおかげでこうして生きてられるんだ。それだけで感謝だよな」


 確定ではないが自分の力を把握したヒガナは、早速これからの対処に意識を向ける。

 二回の死の経験で得た情報で必要な部分を抜き出す。


「敵は二人──アインとノイン。襲ってくるのは決まって夜。奴らの目的はアリス、なのか?」


 ヒガナは今日、異世界に来た存在で狙われる理由があるとは思えない。

 モニカは一回目の時に襲撃の場に居なかったので除外しても問題ないだろう。

 となると、残るのはアリスだ。


「待て待て、狙いが分かったからなんだ。どっちみち俺も、酒場にいた連中も殺されている。問題なのはあの二人だろ」


 死の運命を覆すには原因となる要素を叩き潰すしかない。

 今回の原因は言わずもがな仮面の男と嘲笑女だ。

 彼らが何者でなぜアリスを狙っているかは気になるところだが、考察している余裕は無い。

 アリスを死の運命から救うために成すべきことは──、


「あの二人を撃退することだ」


 しかし、酒場での戦闘を思い返すに奴等は戦い慣れているようだった。

 こちらでまともに戦えるのはアリスのみ。

 モニカは回復系のサポーター、ヒガナに至ってはアリスの枷になってしまっている。


「俺という存在がデバフ過ぎる……」


 思わず溜め息が漏れてしまう。

 いくら繰り返すことができると言っても、情報を得た状態でリスタートできるだけで、肉体的な経験値は得られないのだ。レベリングできない死ゲーというのが最適な例えだろう。

 つまり、ヒガナは現在持ち合わせている力だけで障害を乗り越えなければならない。


「戦闘能力は無い分、頭を使え。これまでに得た情報を活用しろ」


 自分に言い聞かせるように何度も呟く。

 すると、部屋に誰かが入ってきた。

 その正体は緩い曲線を描く濡羽色の髪と金色の瞳が特徴的な少女──エマだ。

 エマはヒガナが起きていることに気付き、柔らかい表情を見せた。


「目が覚めたんですね。気分はいかがですか?」

「まぁまぁかな。ここは?」

「私たちが泊まっている部屋です。モニカさんの案内で無事に辿り着けました」


 そう言いながらエマはベッドの方へとことこやってきて、傍らに置いてあった椅子に座る。


「というか、人の顔を見て倒れるってどういうことですか? 怖がったり、顔を引き攣らせたりする人はいましたけど倒れるのは初めてですよ」

「い、いや……君の顔を見たからじゃなくて」

「そうなんですか? なら、許しましょう」


 あっさりと誤解が解ける。

 怒っている素振りは見せていなかったので、最初から気にしていなかったのだろう。


「そういえば、アリスとモニカは?」

「アリスさんの服を買いに出かけています」

「もしかして、金貨渡したりした?」


 ヒガナの問いにエマは目を丸くした。


「よく分かりましたね」

「たまたまだよ。何でエマちゃんは行かなかったんだ?」

「また外に出てノノちゃんと行き違いになるのを避けたかったのと、一応ヒガナさんの様子見を」

「そうだったのか。ありがとう」

「いえいえ」


 ふと、ヒガナはある事を思いついた。

 それはあまりにも都合の良い、自分勝手な事だ。

 しかし、こちらとしては命が懸かっている。


 ヒガナは呼吸を整えて、少し低いトーンでエマに話しかける。


「なぁ、エマちゃんって『死神』とか呼ばれてるんだよな?」

「まぁ、そうですね」

「やっぱり強いから異名を付けられているのか? ネームドみたいな感じで」


 エマは腕を組んで首を傾げる。

 質問に対しての答えに少し困っているようだった。

 その様子を見て、ヒガナの中に不安が芽生える。


「うぅん、自分のことを強い弱いの尺度で考えたことが無かったのでいざ問われると難しいですね」

「でも、モニカは帝国の最強戦力って」

「流石に持ち上げ過ぎですよ。それに帝国の筆頭戦力は別に居ますし」


 手を振りながら謙遜するエマを見てヒガナはある種の確信をする。

 強い弱いという尺度すら存在しないのは、彼女が他とは比べ物にならない別次元の力を持っている証拠だろう。

 自らの力を誇示しないところも強者故の余裕か。


 ヒガナはベッドの上で正座になる。

 突然の行動にキョトンとしているエマに向かって頭を下げた。


「初対面の君にこんなことを頼むのはおかしいと思う。でも、どうか俺たちを助けて欲しい」

「どうしたんですか急に?」

「実は……」


 自分が陥っている状況を掻い摘んで説明する。これから来る脅威に対して恐怖しているせいか、酷くしどろもどろになってしまった。

 それでも、エマは最後までちゃんと聞いてくれた。


「なるほど。恐らく狙いはアリスさんでしょう」

「どうして言い切れるんだ?」


 消去法でアリスが狙われているとヒガナも推測したが理由は無い。

 対して、エマは確信した口調だったので理由を聞いてみた。


「彼女は色々とあるようですから。それはともかく、王国内で派手に動くなと釘を刺されているのですが……」


 含みのある言い方だが漠然とし過ぎているので内容はさっぱりだ。

 加えて微妙な反応に精神がチリチリと焼かれていく。

 数十秒の沈黙の後にエマが結論を出した。


「まぁ、困っている人を見過ごす訳にはいきませんし」

「いいのか!?」


 エマの実力は不明だが、言動の端々から感じる強者感をヒガナは信じている。

 彼女が力になってくれるのは純粋に心強い。


「構いませんよ。一つ確認なんですけど……」


 エマは言葉を区切って、ヒガナをジッと見つめる。

 すると、徐々に頬が赤らんでいき少しばかり息が荒くなる。金色に輝く瞳は悦楽を宿す。普通の少女では到底できない艶かしい表情を浮かべながら言葉を紡いだ。


「ヒガナさんたちを狙ってる二人、殺してもいいんですよね?」


 その言葉を聞いた瞬間に総毛立つ。

 まるで、甘えるかのように殺人の許可を取ろうとするエマが先とは別人のように見えた。

 なぜ、彼女はこんなにも楽しそうなのだ。


 なるほど、一回目でモニカから聞いた通り『性格に難あり』のようだ。

 いや、難ありで片付けられるかすら怪しい。

 ヒガナはエマの異常性を理解しつつも納得はできそうにない。


 突飛な問いに口を開閉しながら答えあぐねる。ゆっくりと呼吸を意識しながら、自分の意見を口にした。


「できれば殺さないで欲しい」

「ヒガナさんは随分と優しい人のようですね。普通、自分を狙っている相手は容赦無く殺しますけどね」

「いや……その、何で狙っているか、雇われていたら雇い主は誰かとか聞きたいから」

「あぁ、なるほど。そういうことでしたら。ですが、弾みで殺してしまったら許してくださいね」


 咄嗟に思いついた理由だったがエマはさして疑いもせずに納得してくれた。

 ヒガナは気になってしまい、つい質問してしまった。


「エマちゃんは、人を殺すことに対して何の躊躇もないのか?」


 濡羽色の髪を弄っていた指が止まる。金色の瞳が大きく見開かれ、桃色の唇がポカンと開き、エマは数秒停止した。


「エマちゃん?」


 再度の問いかけにエマは我に返り、くつくつと笑い出した。

 その反応がどういう意図なのか全く分からずにヒガナはただ呆然とするのみだ。


「あぁ、いえ、すいません。ヒガナさんは面白い質問ばかりするなぁ、と思いまして」

「………………」

「そうですねぇ、他人に死を与えることを躊躇したことはありません。だって私は──」


 歪んだ笑みを浮かべてエマは言った。


「──『死神』ですから」



×××



「ヒガナさん、もう起きて大丈夫ですか?」


 買い物から帰ってきたモニカとアリス。

 上体を起こしてエマと話をしているヒガナに駆け寄り、モニカは心配そうな表情を浮かべる。


「ちょっとした貧血だよ。心配してくれてありがとう、モニカ」

「急に倒れるからびっくりしたんですよ。でも、何ともないなら良かったです」


 胸を撫で下ろすモニカ。

 衣装替えを終えたアリスもフラフラとベッドに近付いてヒガナの頭を適当に撫でる。


「……安心」


 少し恥ずかしくて顔が熱くなった。

 この熱を少しでも落ち着かせたくて、アリスの服装に話題を向けた。

 とはいえ、その服装を見るのは三度目。最初に見た時に比べれば感動は大分薄れていってしまっている。

 それでも感想は一度目とは変わらない。


「凄く似合ってるよ」

「……そう?」


 一応、全身を見せるためにアリスはその場で一回転。全くブレのない綺麗な回転に合わせて整えられ結ばれた亜麻色の髪が舞う。


「アリスさんは脚がとても長くて綺麗ですね」

「そうなんですよ! なので、その魅力を最大限に活かしてみました!」

「これにはヒガナさんも満足ですね」

「肯定も否定もしづらい」


 その後、しばらく談笑をしているとモニカがハッとして、少し焦ったような様子を見せた。

 恐らく話に夢中になっていて肝心の人探しを忘れていたようだ。


「すいません、私はこれで失礼します」

「人探し再開ですか?」

「はい。早く見つけてあげないとかわいそうですから」


 モニカは椅子から立ち上がる。それからヒガナたちに頭を下げた。


「ヒガナさん、アリスさん手伝ってくれてありがとうございます」

「いや、俺は倒れて寝ていただけだから」

「少しでも手伝ってくれたんですからお礼を言うのは当然です」


 モニカはエマにも感謝を述べてから扉の方へと向かう。

 今回、ヒガナは食い下がるような行動は取らなかった。これはモニカを巻き込まないための選択だ。

 彼女の相方を見つけたかったが、それはヒガナ個人の意志だ。押し通した結果巻き込んでしまった世界が確かにある。

 彼女のためにはここで別れるのが一番なのだ。


「モニカさん」

「何ですか?」

「もし廃棄区画に向かうなら無駄足になるのでおすすめしませんよ」

「……理由を聞いても?」

「さっきそこの通りで貴方の相棒らしき人を見ましたよ」

「え!? 何で早く言ってくれないんですか!?」


 モニカは小走りになり窓に近付く。窓から見える通りを目を皿にして眺める。どんなに意識して見ても目的の人物は見る影もない。


「モニカさんが買い物から帰ってくる前ですし、私の見間違いって可能性も捨て切れなかったので」

「情報共有は基本中の基本です! あなた、それでも軍人ですか!?」

「なんちゃって軍人、私兵ですから。情報共有は……まぁ、耳が痛いですね」


 反省の色が全く見えない適当な返しにモニカは溜め息を零してから再び扉の方へと向かう。


「とりあえず情報ありがとうございます。それでは」


 モニカの姿が扉の向こうに消えたのを確認してから、ヒガナはエマに礼を述べた。


「ありがとう、エマちゃん」

「いえいえ。でも、なぜモニカさんを廃棄区画に向かわせたくなかったんですか?」


 ヒガナはベッドから起き上がり、窓の向こう側に広がる通り──駆けていくモニカを見つめながら、


「廃棄区画に行ったらモニカはきっと嫌な思いをするから」


 あの酒場での一件を回避する。

 ヒガナがモニカにできる唯一の手向けだった。

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