第5話 『困惑の既視感』 


「──どうしました?」


 鼓膜に滑り込んできた少し舌足らずな声にハッとする。目の前には触れれば柔らかそうな濡羽色の髪の少女が不思議そうに顔を覗き込んでいた。

 

「エマちゃん……?」

「はい、そうですよ。何で疑問系なんですか」


 大きくて丸い金色の瞳を細めてエマは小さく笑う。濡羽色の髪が笑い声に合わせてふわふわと揺れる。


「なるほど。アリスさんの件と言い、随分と面白い方ですね」

「あ、あれ……?」


 次にエマはアリスに挨拶をした。

 もちろん治療中のアリスは動けずにいるので、その場で小さく頭を下げる。


「……よろしく」


 素っ気無い反応に対しても嫌な顔せず、それどころか満足そうにエマは微笑を浮かべた。

 その様子を呆然と見ていたスオウ・ヒガナは続く少女たちの会話を聞きながら首を傾げた。


「──どうなっているんだ?」




×××



 エマと別れたヒガナたちは服屋を目指して歩いていた。

 その中でヒガナは混乱する脳を必死に動かして状況を理解しようとする。

 奇妙な出来事がいくつもある。

 

 まず最初に気になったのは時間の変化だ。

 意識を失う寸前の時間帯は紛れもなく夜だった。

 それが今は昼間になっている。澄んだ青空が街を見下ろし、白い雲が風に乗ってゆっくりと進んでいる。


 次に気になるのはモニカやアリス、エマの行動だ。

 エマと別れる時、彼女からアリスの服代として金貨を貰い、それを見たモニカが驚愕。

 で、今現在アリスの服を買いに服屋に向かっている。

 この一連の流れはヒガナの体感で数時間前に行ったやりとりと寸分違わないものだった。


「デジャヴってやつか。いや、それにしては……」


 まるで、あの惨劇がどうしようもない悪夢だったのかと思うくらいに現実は穏やかな時を刻んでいる。

 だが、悪夢と割り切るにはあまりにもリアルだった。

 あの恐怖、熱さ、痛みは思い出すだけで身体を硬直させるほど魂に刻まれている。


 しかし、物的証拠はどこにも存在しない。

 あの時に負ったはずの傷が綺麗さっぱり消えているのだ。

 視界も良好、手もちゃんと動く。腹部も異常なし。


 訳が分からない。

 状況が何一つ理解できなくて頭がぐちゃぐちゃだ。


「……どうしたの?」


 腕に抱きついていたアリスが不思議そうな表情を浮かべて顔色を伺っていた。恐らく相当険しい表情を浮かべていたのだろう。

 ヒガナは心配させないように笑みを作る。


「大丈夫、ちょっと疲れただけだから」

「……そう」


 あまりにもぎこちない作り笑いにも関わらず、アリスは特に追求することはしなかった。彼女の淡白というか若干無関心なところは今だけはありがたかった。



×××



 モニカがアリスのために選んだ服装は、ヒガナが記憶している通りの組み合わせだった。


「アリスさんのすらっとして綺麗な脚を最大限に活かしてみました」


 胸を張るモニカ、その隣で何度も首肯する店員。

 姿見を眺めていたアリスが振り向き、首を傾げて問いかけてきた。


「……似合う?」

「よく似合っているよ」

「……そう」


 アリスは呟き、腕を伸ばしたり身体を捻ったりして動きやすさを確認しはじめる。

 多少の言葉が異なるだけで行動が変化したことをヒガナは見逃さなかった。


 このままだとヒガナとアリスは悲惨な結末に辿り着く。

 しかし、行動が変化すれば未来も変化する。ということはバッドエンドを回避することも出来るということになる。

 どうして数時間前と同じ現実を繰り返しているのかは不明だが、この状況を最大限に活用するまでだ。


 そう決めたヒガナは────。



×××



「日も暮れて来ましたし、ヒガナさんたちは今晩泊まる宿でも……」

「いや、絶対に最後まで付き合う」

「なぜ食い気味に断るんですか!?」


 言い切る前にモニカの声を遮って、ヒガナは自分の思いを伝えた。

 モニカの肩が跳ねる。紫紺の瞳に灯る感情は驚きというより困惑の方が強かった。


 仮に一回目と仮定する。

 一回目、モニカの気遣いを尊重して別れてしまったことにヒガナは後悔の念を抱いていた。

 ちゃんと相方を見つけて円満にお別れをしたい。

 身勝手な願いを叶えるために、今回は頑として譲らない心持ちだった。


「日が暮れてきたからこそ、数人で探したほうがいいじゃないか」

「まぁ……それはそうですけど。今から行こうと思っているところは非常に危険な場所なんです」

「危険な場所なら余計一人にはできないって」


 その後もヒガナは食い下がり続けた。挙げ句の果てにはエマから譲り受けた金貨を渡すとまで言い出した。

 それが決め手となりついにモニカは折れた。肩を落として首を横に振り、真剣な表情を見せたままのヒガナを怪訝な双眸で見つめる。


「分かりました、分かりましたよ。ヒガナさんのお言葉に甘えさせていただきます。……もしかしてヒガナさんって度を超えたお人好しですか?」

「いや、そういうわけじゃ」

「では物好きです」


 モニカはフードを被りなおして、件の目的地へと歩みを進めた。

 一緒に進むヒガナは問いかけた。


「それで危険な場所って?」

「言っておきますけど本当に危険ですからね。引き返すなら今のうちですよ」


 モニカの再三の警告に少しだけ背筋がヒヤリとした。

 しかし、こうも危険だと念を押されてしまうと、逆にどんな危険地帯なのか興味が湧いてきてしまう。人間の抗うのが難しい本能の一つ──好奇心である。


「一度吐いた唾は飲まぬ、だ。ちゃんと最後までお供するぜ、モニカ」

「……同意」


 モニカは呆れたように肩を竦める。表情を引き締めて、これから向かう場所をヒガナとアリスに伝えた。


「これから向かうのは廃棄区画です」

「廃棄区画?」


 言葉だけで不穏な空気が漂う。


「元は商業区画だったのですが、奴隷市場の拡大によって廃棄され、今日に至るまで放置されている場所です。そこには様々な事情を抱えた人たちが多く暮らしています。その中には不必要と判断され違法に捨てられた奴隷もいます」


 再び異世界の暗い側面を見せられた。

 その廃棄区画は恐らく貧民街、スラムと似たような場所だろう。放置されているということは無法地帯の可能性が極めて高い。なるほど、モニカが口酸っぱく危険だと言っていた訳だ。


「つか、モニカは何でそんなに詳しいんだ?」

「生きるためです。そのために色んなことを知る必要があって、廃棄区画もその一つだっただけです」


 あっさりと言うがヒガナにとっては重い言葉だった。年端もいかない少女が生きる術を身に付けなければならないほどにこの異世界は過酷であり、そこで生きる覚悟を迫られているようだった。

 正直、現状では覚悟はできていない。

 覚悟を決める、決めない以前の問題。

 まだ、異世界に来たという事実すら真っ正面から受け止めきれていないのだから。



×××



 そこは淀み濁った空気が空間全体を重たく支配していた。あまりにも静かで、表通り、奴隷市場と同じ街にある場所なのかと疑いたくなる。

 商業区画だった名残りでいくつもの商業施設の残骸が辛うじて建っていた。

 石畳みの地面は所々砕かれて下の土が剥き出しになり、隙間からは雑草が伸び放題だった。


「ここが廃棄区画か。雰囲気あるな」


 ヒガナは辺りを見渡す。

 ゾッとするくらい静かだが建物の中に人影が見えたりする。

 夕暮れ時ということもあり恐怖心を駆り立てる。


 ──モニカはここに一人で来ようとしていたのか。


 モニカの方を見るが怯えの様子は一切感じない。

 アリスもこれといって変化はない。

 現時点でこの空間に怯えているのはヒガナのみ。情けなさと恥ずかしさで顔が熱くなった。怖いものは怖いのだから仕方ない。


 その時だった。

 突如として男が数人現れて、ヒガナたちの行く手を塞いだ。


「奴隷連れて良いご身分だな、オイ」


 リーダーと思しき山賊みたいな格好をした大柄の男が威圧する。彼の両端にはボロ切れを羽織った男が二人。さらにその後ろに数人。


「退いてくれませんか? 私たちは急いでいるんです」


 モニカは淡々としていた。というより慣れている、といった感じだ。

 大柄の男はニヤニヤと笑いながらヒガナに視線を向けた。


「そうか、急いでいるのか。なら早速本題に入ろうじゃねぇか。有り金、金目の物を一つ残らず置いていけ。そしたらここを通してやる」

「あいにくですが、あなた方に渡せる物は何もありません」


 首を鳴らしながら大柄の男はモニカを見下ろして、低くドスの効いた声で威圧する。


「オイ、俺はお前の主人と話してんだ。奴隷如きが口出してくるんじゃねぇ」

 

 穏便に済ませるのが最善なのかもしれない。エマから貰った金貨を大人しく差し出せば良かったかもしれない。

 だが、ヒガナは反射的に噛みついてしまう。


「モニカのことを奴隷って言うのはやめてくれないか」

「何言ってんだ? ソイツらの首に着いてる霊装、どう見ても奴隷の証だろ」

「モニカは恩人でアリスは仲間だ」


 ぴしゃりと言い放つと、男たちはキョトンとしてから顔を見合わせる。そして、ヒガナの言葉の意味を理解すると盛大に吹き出す。


「ギャハハハハハハッ! 奴隷が仲間だって!? こいつは傑作だ!」

「アニキ、コイツ頭おかしいですぜ!」

「奴隷が仲間! は、腹痛ぇ!」

「………………」


 ヒガナが睨み付けると、癇に障ったのか大柄の男が眉間にシワを寄せてヒガナの胸ぐらを掴む。


「なんだその眼? ガキが調子に乗るな。お前みたいな貧弱な奴なんざ腕一本で軽く捻り潰せるんだよ」


 向けられた敵意に怯みかけた時にアリスが動いた。具体的にはヒガナの胸ぐらを掴んでいた腕をアリスが掴む。


「……この手、どうするの?」

「あぁ? なんだ奴隷……ぐっ」


 大柄の男は腕を万力に挟まれたような痛みに顔を顰める。骨に響く痛みを与え続ける兎耳の少女の瞳には感情というものが宿っていない。

 虚無そのもので男に危害を与えることに何の感情も持ち合わせていない。

 男の背筋に悪寒が走った。


「は、離せ……」

「……手を出してきたのはそっち……どうなろうと文句は言えない」


 大柄の男は掴んでいる握力を失い、ヒガナから手を離す。

 解放されたヒガナは咳き込みながら骨が軋む音を聞き、アリスが大柄の男の腕を本気で折ろうとしていることに気付いた。


「ア、アリス。もういい、やめてくれ」

「……うん」


 ヒガナに言われて、アリスはあっさりと手を引く。腕を押さえている男と取り巻きを冷めた瑠璃色の瞳で見つめる。


「……まだご主人様に刃向かうなら、どうなっても知らない」

「舐めやがって! 上等だ! ブッ殺してやるよ!」


 武器に手をかける大柄の男。

 しかし、それよりも早くアリスの脚が大柄の男の腹部を容赦無く薙ぎ払う。大柄の男はその場に倒れ込み、身体を震わせる。床に接触した口からは大量の血が溢れ出ていた。


 一瞬の出来事で取り巻きとヒガナ、モニカは呆気に取られた。


「……今のは最後通告、次は無い」


 目の前にいる兎耳の少女は殺すことを躊躇わない、そんな風に見えたのだろう。


「チ、チクショー! 覚えてやがれ、クソッタレが!」


 三流の悪役が言いそうな捨て台詞を吐いて、取り巻きは大柄の男を抱えて逃げるように去っていった。


 瞬く間に行われた粛清にヒガナは呼吸することすら忘れ、震えが治らなかった。

 その震えは安堵から来るものだったのか、恐怖から来るものだったのか、それはヒガナ自身もよく分からなかった。


「……なんか気持ち悪い」


 渋い顔をしつつ男の腕を掴んでいた手をパーカーで拭くアリス。

 先ほどの出来事に対する関心は既に無くなっているようだった。


「拭くなし。というか、アリスって相当強い?」

「……そこそこ、普通、強いのどこか」


 大人の腕を折ることが出来る膂力。

 普段ぼんやりとしているアリスから放たれたとは思えないほど鋭く重い一撃。

 どうやら、この異世界は容姿と実力が噛み合わないようだ。


「全然絞れねぇ。それはともかく助けてくれてありがとう、アリス」

「……ご主人様を守るのも奴隷の役目」


 そう言われてヒガナの心中には複雑な感情が渦巻いた。

 モニカもアリスにお礼を言ってから、小さく息を吐いて気持ちを整えた。


「と、今のような事が当たり前に起こります。なので、十分に気を引き締めて行きましょう。もう少し進めば目的地ですから」

「ああ」


 モニカのような知識は無く、アリスのような戦闘力も無い。

 現状、何一つ役に立っていない。それどころか足を引っ張っていることにヒガナは後ろめたさを感じてしまう。


 何もできないもどかしさに心を擦り減らし、この選択に若干の後悔を抱き──そんな感情を抱いてしまったことに自己嫌悪しながら廃棄区画を進んでいくのだった。

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