第4話 『初日の終わり』
服屋に向かっている途中でヒガナは素朴な疑問をモニカに聞いてみた。
「なぁ、エマちゃんって何者?」
先ほどの少女はあまりにも強烈で鮮烈だった。
中学生くらいの年齢だろうに恐ろしく落ち着いていて、他者に簡単に大金を渡してしまう懐の広さ、何よりモニカの反応が気になったのだ。
「私も詳しくは知りませんよ。月並みなことでいいならお教えしますけど」
「そうなのか? 知り合いみたいな感じだったのに」
「ちょっと交流があったくらいですよ。互いのことを話すほどの仲ではありません」
と、前置きをしてからモニカは自分の知っている範囲でのエマを語る。
「シャルベール帝国が保有する最凶戦力。『死神』の異名を持つ性格に難ありな人です」
「うん、すげぇざっくり。つか、性格は良さそうだったけどな」
苦笑いするモニカ。
「普段はあんな感じでふわふわしていますが、いざ戦闘に入ったら豹変しますからね」
「想像つかねぇ」
「多くの命を刈り、死をまき散らす姿はまさに『死神』でした。絶対、敵にはなってほしくない人です」
モニカは顔を青くして身震いした。その怯えようにヒガナはイマイチ納得ができない。
実際に見ていないから分からないが少しばかり誇張しているのではと思ってしまった。
機会があれば戦っている瞬間を見てみたい。
×××
店内に入った途端にモニカはアリスを引っ張って、服を物色し始めた。
「アリスさんはどういうのが好みですか? かわいい系、カッコいい系、それとも機能重視ですか?」
「……なんでもいい」
色んな服を手に取ってアリスに重ねては戻すを繰り返す。そのモニカの様子は着せ替え人形で遊ぶ子どものように無邪気で楽しそうだ。言うて子どもだが。
対するアリスは興味なさそうにずらりと並んだ服を兎耳を揺らしながら眺めていた。
アリスの選んだ……というよりモニカと途中参加した店員に流されるままに選んだ服はアリスの可愛さをより引き立たせるコーディネートなのだが、
「アリスさんのすらっとして綺麗な脚を最大限に活かしてみました」
満足そうに胸を張るモニカの言う通り、脚の露出が高く目のやり場に困ってしまう。
姿見を見ていたアリスはヒガナの方にくるりと身体を向けて首を傾げる。
「……似合う?」
「似合い過ぎてるくらいだ」
「……過ぎる? ……なら脱いだ方がいい?」
「ちょ、アリス!?」
「アリスさん!?」
「お客様!?」
いきなり服を脱ごうとするアリスにヒガナやモニカ、店員は驚きを隠せない。
「脱がなくて良いから! 今のはすげぇ似合っているって意味だから!」
「……そうなの?」
素直に服から手を離すアリス。すぐにぼんやりとどこかを見始めた。
ヒガナは疲労の混じった息を吐いた。
それからアリスのために外套も購入した。さっきから寒い寒いとずっと言っていたからだ。
ついでにサンダルも購入。召喚されてからずっとヒガナを地味に苦しめている足裏の痛みとはこれでおさらばだ。
その他にも服を買った。流石に今の服装だけだと衛生的に良くないと思ったからだ。服が増えたことによりローテーションが生まれた。
服屋を出ると赤々とした夕陽が街全体を茜色に染め上げ、街灯りがぽつぽつと燈り始めていた。
ヒガナは再び腕に抱きつかれることを密かに期待したが、アリスはヒガナより少し後ろに立ち手を伸ばす。
「……荷物持つ……奴隷の仕事」
「いや、俺が持つから大丈夫。それにさっきも言ったけど俺たちは対等な仲間だ。主従関係とか堅苦しいのは無しで行こうぜ」
「……主従関係は絶対」
主張を曲げないアリスの態度にヒガナは項垂れた。
表面上は仲間の体裁を取るが根幹的な部分では主従関係は揺るがない、というわけか。
「やるせないな」
「……ヒガナ?」
「なんでもない。とにかくこれは俺が持つから。いいや、持たせてくれ」
きっぱりと言うヒガナにアリスは兎耳を揺らして微かに笑った。
「……変なの」
荷物持ちの件が落ち着いたところを見計らって、モニカが沈黙を破った。
彼女が今のやり取り中、ずっと何とも言えない表情をしていたのはヒガナたちは知らない。
「日も暮れて来ましたし、ヒガナさんたちは今晩泊まる宿でも探してください」
「でも、まだ見つかってないじゃないか。最後まで手伝わせてくれよ」
中途半端に終わるのも悔しいが、それよりもモニカを独りにさせるのが嫌だった。
陽が沈んで夜が訪れる。
闇夜の中を少女だけにするのは心が痛む。
「お気持ちだけで十分ですよ。それに当てがないわけではありませんから」
「そうなのか?」
「はい。ですが、そこは非常に危険な場所なのでここでお別れです」
食い下がるが、モニカの意思は決して変わらなかった。
ついに折れたヒガナはモニカを見送ることにした。
「見つかることを願っているよ」
「そんな深刻な顔しないでください。街のどこかには居るんですから、そのうち見つかりますよ」
「そうだな」
「それでは、またどこかで」
モニカは頭をぺこりと下げて、街中へと消えていった。
出来ることなら最後まで付き合いたかったが、本人に遠慮されてしまったのだから仕方ない。
もう一度、心の中でモニカが探し人と再会出来ることを願ってから、ヒガナは自分たちの次なる目的を口にした。
「泊まるところ」
正直なところヒガナはなによりも安全な場所で休息する時間が欲しかった。
異世界召喚されて約半日。次から次へと状況が動き、頭の中はごちゃ混ぜ状態。身体は重く足裏はとても痛い。精神的ストレスは計り知れない。
とにかく休みたい、だが、一つ懸念があった。
ヒガナはアリスを一瞥する。
男女が同じ部屋で泊まるというのは間違いが起こる可能性が十分にある。出来れば別々の部屋にしたいところ。
で、相談してみると案の定アリスは拒絶した。
しばらく問答が続いたが、アリスは決して折れない。
遂にはヒガナが折れてしまった。
「俺の理性が持つかどうか」
「……人間と亜人の間では子どもが出来にくいらしい」
「理性崩壊する前提で話をするのやめようぜ!?」
「……子どもが、同族ができるのは嬉しい」
「そんな顔で言われると本当に揺らぐからやめてくれ! あー、あれだ! 俺が欲望に負けて触ろうとしたら骨折ってでも止めてくれ!」
ヒガナは絶対に触れないという思いを込めて変な提案を出す。
アリスはというと特に気にせずあっさりと変な提案を承諾する。
「……二、三本は折る」
「だから理性が崩壊するの前提で話すのやめようぜ、アリスちゃん!? つか、この子、折る気満々だ!」
×××
それから適当に夕食を済ませ、宿屋を探した。
が、いざ部屋に入ってみるとベッドは一つしかなかった。ソファーなどが設置されていれば良かったのだが、そんな設備は無く、あったのは木の小さな丸テーブルと椅子だけだった。
「これはどうするか」
「……ヒガナはベッドを使って……私は床で寝る」
「そんなことできるわけないだろう。女の子を床で寝させて自分はベッドとか無理だ」
「……?」
提案をキッパリと却下するヒガナに、アリスは不思議そうに首を傾げた。
「俺が床で寝るから、アリスはベッドを使ってくれ」
「……ご主人様より高い位置で寝るなんてできない」
「ご主人様は止めろって……分かった、一緒にベッドで寝よう。さようなら、俺の骨」
ヒガナはパーカーのままで、アリスは昼間に買ったネグリジェ──いつの間にかモニカが買い物かごに入れたようだ──に着替えて寝ることにした。
一つのベッドに二人が横になる。アリスに背を向けて理性が崩れ落ちるのを抑えるヒガナ。視覚は封じることができたが仄かに漂うアリスの良い香りが鼻腔をくすぐり睡魔をいとも簡単に滅してしまう。
心臓の高鳴りは増すばかりだ。
突然アリスがヒガナに抱きついてきた。
あまりに突然の出来事で、ヒガナは口から心臓を吐き出しそうになる。
「ア……アリスさん?」
「……ベッドってふかふか、誰かと一緒に寝るのはとても温かい……寝るのってこんなに気持ち良いものだって忘れてた」
昂ぶっていた感情も一気に落ち着いた。
アリスがこれまでどんな生活を送っていたのか、その一端を垣間見えた重い台詞にヒガナは奥歯を噛み締める。
歴代主人に怒りがふつふつと沸いたが、ぶつける相手の顔も分からないので腹の奥に押し込めた。
そして、ゆっくり目を閉じてなるべく穏やかな声色でアリスに囁いた。
「──おやすみ、アリス」
×××
激しい衝撃を受けて、ヒガナの意識は覚醒する。
ぼやける視界でもはっきり夜だと分かるくらいに暗い。寝てからどれくらい経ったのか確認しようと、テーブルに置いておいたスマホを取ろうとするが、時計がちゃんと機能しているのか不明だったので諦めた。
「何だ……?」
ふと違和感を感じた。
妙に身体の半分だけが温かいような気がする。
特に顔だ。顔の半分が温かいだけではなく、変な感じがするのだ。
徐々に意識が鮮明になるにつれて様々な違和感が姿を見せてきた。
その中で最も強いのは臭いだ。とても嫌な臭いで嗅いでいると具合が悪くなってくる。鼻のすぐ近くに臭いの発生源があるようだ。
不快感から解放されたいがためにヒガナは鼻を擦った。その瞬間、ぬるりとした感触が手に伝わった。
「……は?」
手に付いたそれは粘着性がある液体だった。指先で擦り合わせたり、伸ばしたりしてみるが正体不明だ。
しかし、異常なまでの不快感だけはある。
──この顔の違和感もこれが原因かもしれない。
ヒガナは思い切って、顔面に手を置いた。
果たして先ほどと全く同じ感触が手のひら全体を襲った。気持ち悪さに表情が歪む。その拍子にそれが口の中に入ってしまった。
一気に広がる鉄の味。
「え……」
ヒガナの思考が停止した。
これまで使った触覚、嗅覚、味覚で得た情報を統合すると、これの正体が判明してしまったのだ。
ぬめりとした粘着性のある鉄臭い液体。
「──血」
ヒガナは鼻血を出してしまったんじゃないかと焦る。それも顔面半分を覆うほどの量。早く対処しないと……。
だが、これが鼻血だとしたら身体の方は何だ。
肌に感じる温かさは間違いなく血液のそれ。
何が起こっているのか分からずに、ヒガナは一緒に寝ていたアリスに顔を向けた。
その時、タイミング良く月明かりが部屋を照らした。
「────え?」
ヒガナの黒瞳に写ったのは、未だに頸動脈から鮮血を吹き出し続けるアリスの姿だった。
薄く開かれた瑠璃色の瞳は虚で何も捉えていない。
溢れ出る大量の鮮血は白かったベッドシーツを赤黒く汚していく。
鮮血が顔にかかった瞬間、ヒガナは状況を理解した。
「ひ」
芯から冷える恐怖に声が出ない。
ヒガナは転がるようにベッドから落ちて、部屋の隅で身体を縮めた。
全身が震えてしょうがない。震える歯と歯がぶつかりカチカチと音を立てる。
──何だ、これ?
──何がどうなって、こうなっているんだ?
床が軋む音が聞こえる。
神経が過敏になったヒガナにはそれすら爆音になり耳を塞ぎたくなった。
だが、問題はそこではない。
軋む音が連続している。
ヒガナは恐る恐る顔を上げた。
両目に焼けるような熱さが襲った。
「あ゛っ、あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ────!!」
熱した鉄棒を眼球に無理矢理捻じ込まれたような熱さにヒガナは絶叫しながらのたうちまわる。
痛みの度合いが脳では処理出来ずに灼熱として変換されている。
今、ヒガナは本来この部屋に存在しない三人目によって両目を鋭利な刃物で斬り裂かれたのだ。
鮮血が流れ出る両目を手で押さえながら、ヒガナは現状の危機から逃げ出そうとする。
すると、余っていた腕を強引に引き上げられる。
直後、手のひらに鋭い衝撃が走った。あまりの激痛に崩れ落ちそうになるができない。
先ほどの衝撃の正体はナイフだ。それがヒガナの手のひらを貫通して壁まで突き刺さっている。それ故にヒガナは倒れることも立ち上がることもできなくなっている。
だが、当事者には何が起こっているのか全く分からない。
身体半身の不快感、両目と手のひらに感じる灼熱。
気持ち悪い、熱い、熱い、熱い、熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い────。
再び、軋む音。
視力を奪われたことによって他の感覚が鋭くなったのか、目の前に誰かがいるのがはっきりと分かる。
「なん……で……だれ……?」
力のない、掠れた言葉が口から溢れた。
最大級の疑問だった。
それに対しての返答は嘲笑だった。
くすくすとした笑い声。それは部屋の入口近くから聞こえてきた。
──二人いる?
直後、腹部に激痛。
朦朧としていた意識が一瞬で弾けた。
「があ゛っ……はっ……」
脳味噌を強引に掻き混ぜられたような嫌悪感と不快感が津波のように襲ってくる。
限界に達した時、ヒガナはおびただしい量の鮮血を口から吐き出した。
目の前にいる誰かがヒガナの首筋に何かを当てた。
熱さと痛みで蹂躙されている身体故か、それはやけにひんやりとしていて心地良かった。
意識が急速に遠退いていく。
これ以上ない倦怠感……いや、それすら越えてもはや指一本も動かせない。
焼かれているような熱も既に感じない。
ヒガナは自分が死ぬと理解した。
「──死ね」
何者かの呟きを最後に意識は完全に途切れた。
スオウ・ヒガナは死んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。