第3話 『癒しの光』


 奴隷市場を出て、街の広場にヒガナたちはやってきた。

 先ほどの陰鬱で暗い雰囲気から一転。穏やかな雰囲気に包まれ涼しい風が心に吹き込む。

 しかし、そんな雰囲気を台無しにする甲高い声が耳を穿つ。

 声の主は顔を真っ赤にして怒鳴っている桃色の髪をした女の子だ。


「いくらなんでも軽率すぎます! いっときの感情に身を任せて奴隷を引き取るなんて!」

「そんなこと言われても、殺されそうになっている子を放っておけるわけないだろ」


 ヒガナの意見にモニカは言葉を詰まらせる。


「それはそうかもしれませんけど……。ヒガナさんは分かっていませんよ。奴隷を持つということの重みに……」


 後半は掠れるような小さな声でヒガナの耳に届くことはなかった。


 徐々に怒りの熱が冷めたのか、モニカは落ち着きを取り戻す。ヒガナの軽率な行動についてはこれ以上咎める気はないらしい。

 代わりに噴水の縁に座って二人の言い合いをぼんやりと眺めていた兎耳の少女に視線を向け、悲痛と憤りに整った顔を歪める。


「ここまですることないのに」


 アリスの痛々しく腫れている顔面にモニカは両の手のひらをかざす。

 同時に柔らかく淡い光が患部を包み込む。

 すると、驚くことに腫れが少しずつ引いていくだけではないか。

 その光景を目の当たりにしてヒガナは驚愕しつつ呟いた。


「魔法ってやつ?」

「いえいえ、魔法なんてとんでもありません。これは魔術ですよ」

「そうなのか? あまり違いは分からないけど、そうやって傷を治している姿は女神様みたいだ」


 初めての超常現象、ファンタジーお馴染みの演出にヒガナは目を輝かせた。

 その熱い眼差しにモニカは機嫌を良くして、癒しの輝きをさらに強くする。


「もっと褒めてくれてもいいんですよ? 特別に身体の傷も治してあげましょう」

「……気持ち良い」

「お、おい、そんなに使って大丈夫なのか?」


 何を捻出して魔術を発動するのかは分からないが、今のモニカを見る限りでは外部装置を使っている様子はない。お約束に沿ったら身体の中を巡る活力──魔力を使っているとかだろう。


「問題ありませんよ。保有魔力量には自信がありますから」


 モニカが治療に専念している間、やることがないヒガナは魔術の光を羨望の瞳で見つめていた。

 ずっと見ているとある感情が芽を出す。


「いいなぁ、魔術。俺にも使えるかな」


 魔術なる概念が存在する異世界に召喚されたのだから魔術を使ってみたくなるのは当然の反応だろう。

 頭の中で魔術を行使する自分を想像して少し口元が緩んだ。


「自分が魔術を使えるか使えないかも覚えていないんですか?」

「ま、まぁ」


 心配そうな声を漏らすモニカに、ヒガナは曖昧に答えた。その対応が彼女を余計に心配させたようで、


「病院行きます? 場所は分かるので付き添いますよ」

「大丈夫だって。きっとすぐに思い出すから」

「ちっとも信用出来ないです」


 そんなやり取りをしていると声をかけられた。

 もちろんヒガナではなく、モニカが、だ。

 モニカの探し人かと期待をしたが、そこに居たのはもじゃもじゃ頭の男性ではなく、一人の少女だった。


 緩い曲線を描き肩まで伸びた艶のある濡羽色の髪に煌々と輝く月を閉じ込めたような金色の瞳。

 幼さの中に危うい艶やかさが混じった顔立ち。

 小柄で華奢な女性としての起伏は残念ながら殆ど無い体躯は白を基調とした服装に包まれ、その上に漆黒の外套を羽織っていた。


 この世の者とは思えない少女の美しさは天使を彷彿とさせた。


「あぁ、やっぱりモニカさんだ」


 少女は少し安堵の表情を浮かべた。

 モニカはというと少し驚いていた。その証拠に安定していた治癒の輝きが一瞬だけブレたのだ。


「あなたがどうしてここに?」


 治療を中断して挨拶をしようとしたモニカを少女は手をひらひらと振って「そのままでいいですよ」と配慮する。


「ちょっとした依頼です。まぁ、ノノちゃんへの依頼って感じなので私は付き添いですね」

「なるほど。というか、帝国以外の場所で会うとは思っていなかったので驚きました。出国入国できたんですね」

「失礼な、ちゃんとできますよ。私を大量殺戮兵器か何かだと思っているんですか?」


 少し頬を膨らませて少女はムッとする。

 ヒガナは会話の内容をあまり理解できなかったので、話に介入することなく二人の反応を見ていた。

 

 少女はヒガナの方に顔を向けた。

 大きくて丸い金色の瞳はとても綺麗だが、見つめられるとなぜか全身に寒気が走った。


「こちらの方たちは?」

「ヒガナさんとアリスさんです。ヒガナさんは先ほど知り合って、今はウォルトさん探しを手伝ってくれているんです。アリスさんは……」


 モニカは奴隷市場での出来事を掻い摘んで話す。未だにヒガナの行動には納得がいっていないようで語り口はどこかツンツンしていた。

 簡単な経緯を聞いた少女は目を細めて自己紹介をする。


「初めまして、エマ・ムエルテです」

「スオウ・ヒガナ。よろしく、エマちゃん」


 ヒガナも自己紹介で対応する。

 何か変なところがあったのか、エマはキョトンとしていた。こういう表情が鳩が豆鉄砲を食ったよう、というヤツなのだろう。

 ヒガナは不思議そうに首を傾げた。


「何かおかしかった?」

「いえ、そういう反応は久しぶりだったので面食らうというか……。アリスさんの件と言い随分と面白い方ですね」

「ありが……とう?」


 とりあえず礼を言っておく。

 エマはアリスにも挨拶をする。治療中のアリスは身動きが取れないので、小さく頭を下げて「……よろしく」と素っ気なく返す。

 それだけでもエマは満足そうに微笑を浮かべた。


 挨拶が済んだところでモニカがエマに質問した。


「ところでノノさんはどうしたんですか? いつも一緒なのに」

「境遇としてはモニカさんと同じです。予約してある宿に辿り着ければ問題無いんですが、全部ノノちゃん任せだったのでその宿がどこにあるかも分からなくて困っていたんです。そんな時に知った顔を見つけて声をかけたというわけです」

「そういうことでしたか。宿の名前は?」


 エマが宿の名前を教えると、モニカは一瞬羨ましそうな表情になった。

 すぐに顔を元に戻してモニカは宿への道を丁寧に教える。

 説明を受けたエマは安堵の様子でモニカに頭を下げた。


「ありがとうございます。助かりました」

「いえいえ、恩は売れる時に売っておかないと。相手がエマさんとなれば全力です。何なら宿まで案内しますよ」

「流石にそこまでしてもらうのは気が引けます。それに丁寧に道を教えてもらったので大丈夫かと。この恩はちゃんと覚えておきますね」


 モニカの腹黒発言に対して、こめかみを突き楽しそうに言葉を返すエマ。

 それから彼女はアリスをチラリと見てから、


「ヒガナさん」

「ん?」


 懐から何かを取り出して、ヒガナに差し出した。

 受け取って確認する。

 それは黄金色に光る円形の代物──金貨だった。それが数十枚、ヒガナの手の中にある。

 この世界での貨幣価値は分からないが、ファンタジー知識に沿ったら金貨はかなりの金額なのではないか。


「少ないですが、それでアリスさんに服でも買ってあげてください。後、ヒガナさんの靴も」

「え? あ、でも、いいのか?」

「もちろん。よき出会いに対する感謝とでも思ってください」

「ありがとう、エマちゃん」

「どういたしまして。それでは」


 そう言って、エマは濡羽色の髪をなびかせながら人混みの中へ消えていった。

 不思議な雰囲気の少女だった。ほんわかしているのに時折見せる表情に寒気を感じてしまった。


「つか、この世界は可愛い子ばかりだな」


 美少女ばかりと出会えてヒガナは少しにやけてしまう。

 異世界召喚モノと言えば美少女ヒロインに加えてチート能力だ。


 自分の身体に意識を向けてみるもこれといった変化は何もない。力が溢れてくるとか、気配に敏感になったとか、超人的要素は一つも感じられない。

 至って普通。召喚前と何も変わっていない気がする。


「都合良く能力なんて貰えないか」


 そもそも召喚者が不在なのだ。

 この様子だとチート能力も無しの可能性が高い。

 なんて欠陥だらけの異世界召喚なのだろう、と思いヒガナは肩を落とした。


 それから少ししてアリスの治療は無事に完了。

 さっきまでは何発も殴られ、痛々しく腫れていた顔面は嘘のように治り本来の可愛さが現れていた。それは顔だけはなく身体も一緒だった。どこにも傷がなく白玉のような肌が眩しい。


「モニカ、本当にありがとう」

「……モニカは優しい」

「いえいえ、ところでエマさんから何を貰っていたんですか?」

「ああ、これでアリスの服をって」


 エマに渡された金貨を見せると、モニカは紫紺の瞳を驚愕に染める。血の気を失いわなわなと震えだした。


「こ、こここれで服って……あの人、何考えているんですか?」

「もしかして、結構大金だったりする?」

「初めて会った人に渡していい金額ではないということだけは確かです」


 それを聞いてヒガナも血の気が引いた。

 あえて正確な金額を言わない辺り恐ろしい。

 それだけの大金を平然と懐から出して、初対面の人間にサッと渡してしまうエマもまた恐ろしい。


「どうしよう……今から返して来ようかな」

「別にいいんじゃないですか。貰ったものはありがたくちょうだいしましょう。ささ、アリスさんの服を買いに行きましょう」


 モニカは少しテンションを上げてヒガナ達を服屋に案内しようとする。

 彼女は本来の目的を覚えているのだろうか、とヒガナは苦笑しつつ、アリスと共にモニカの後をついていくのだった。

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