第2話 『不思議な兎』


 戻ってきた最初の場所──表通りを改めて眺めたヒガナは先程とは違い、街並みの雰囲気を存分に味わうことが出来ていた。

 精神状態が違うだけでこうも景色が違って見えるのか。

 こうして落ち着いて景色を堪能出来るようになったのは桃髪の少女のおかげである。


「こうして見ると綺麗な街だな」


 日本では中々お目にかかれない煉瓦造りの建物、石畳みの道。それに加えて行き交う馬車や亜人、冒険者の存在によって醸し出されるファンタジー感にヒガナは目を輝かせる。

 それを尻目にモニカは不愉快そうに呟く。


「はりぼてもいいところです」

「張りぼて?」

「ここには上流階級の人もよく来ますからね。見栄えだけはよくしているんです。実態はひどい有様ですよ」

「…………?」


 棘のある言い方にヒガナは首を傾げた。

 その不思議そうな表情を見て、モニカは形の良い眉を顰めた。


「なんでキョトンとしているんですか。……まさか知らないとか言いませんよね?」

「そのまさかだ。ここがどこかも、どういうところかも全く知らない」


 正直に告白するヒガナ。

 これが仮に勇者として異世界召喚されたなら、近くには王様やお姫様なりがいて異世界についての基本的な情報を懇切丁寧に教えてくれていたかもしれない。


 なんの説明も無しにどこか分からない場所に召喚されて放置される──召喚した者は放任主義みたいだ。勘弁してほしい。

 告白を受けたモニカは驚き混じりにヒガナを見つめてから「いやいや」と苦笑する。


「冗談やめてくださいよ。ヒガナさんだってそのために来たんでしょう?」

「そのため?」

「またまたとぼけちゃって。見れば分かりますよ、ヒガナさんがそれなりの家柄出身だって。そういう人達がこの街に来るとなれば目的は一つだけです」

「えっと……観光?」


 真剣に答えたつもりだが不興を買ったようでモニカはヒガナを紫紺の瞳で睨みつける。


「私がそうだからって気をつかっているんですか? お気持ちは嬉しいですが、行きすぎるともはや悪意ですよ」

「違うって。本当にここがどこか分からないんだ」


 少女に詰め寄る姿は少しばかり危なげな香りを漂わせているが、当の本人は周りの目を気にしている余裕はない。

 その真剣な面持ちに何か引っかかったのか、モニカは思案顔を浮かべた。ぶつぶつと何かを呟いていたかと思うと、顔を上げてヒガナに問いかける。


「ヒガナさんは私の髪色を見て何か思うことはありますか?」


 モニカはフードを少しずらして自身の桃色の髪を指差す。

 ヒガナはジッと髪を見つめてから素直な感想を述べた。


「綺麗な色だと思う。桃、桜みたいだ。つか、どうして急に?」


 ヒガナの答えを聞いて、モニカは大きく溜め息を吐いてフードを被り桃色の髪を隠す。

 次に細やかな装飾が施されているチョーカーを指差した。


「これ、何か分かりますか?」

「首輪っていうか、チョーカーだろ。他の人も着けているけど流行っているのか」


 行き交う人々の中にモニカとそっくりなチョーカーを身につけた者がちらほらと見える。その殆どがボロ切れを羽織っているだけの格好が気になるが。

 モニカは出会ってから最大級の溜め息をついて渋い表情で口を開いた。


「どうやらヒガナさんは本当に何も知らないようですね。どっかに頭ぶつけました?」

「あ、あぁ……もしかしたらそうかもしれない。それはともかく、そのチョーカーって」

「いいですか、この首輪は奴隷の証です」

「奴隷……」


 チョーカーの本来の意味を知り、ヒガナは後頭部を鈍器で殴られたような衝撃を喰らった。

 建物の造りで時代背景はぼんやりと描いていたので予想はしていたが、やはり奴隷制度も存在していたようだ。

 何よりも目の前の少女が奴隷という事実に言葉が出ない。


「ここは奴隷の売買が基盤となり、奴隷を買いに来る人達のために数々の商業が発展している王国最大の奴隷市場街──セルウスです」



×××



 石畳みが途中から無くなり舗装の行き届いてない地面が顔を出した時に、それはヒガナの目に飛び込んできた。


 檻に閉じ込められ鎖に繋がれて行き交う人々の見世物にされている人々──それは紛れもなく奴隷だった。

 品物を選ぶように奴隷を吟味しているのは大概が裕福そうな格好をした人、恐らく貴族だろう。中にはヒガナがイメージする冒険者らしき風貌の人間もいる。

 その客達に自分の商品を購入してもらおうとゴマをする奴隷商人。


 ここは資本主義社会の縮図のような場所だ、とヒガナは感じた。


 奴隷を買うことは誰でも出来る。

 だが、実際のところ個人で奴隷を買うのは大半が上流階級の人間だ。中流、それ以下の階級の人間は奴隷を買い、維持する費用を捻出するほど生活に余裕があるわけではない。

 結局のところ奴隷は上流階級の人間が自分の所有している財の莫大さを見せびらかす者でしかない。


 もちろん例外もある。

 例えば冒険者や飲食店経営者などだ。


 ともあれ商人達は貴族をメインターゲットに商売をしている、それ故に奴隷の価値は高騰し、珍しい種族の奴隷は破格の値段が付けられることは日常茶飯事だ。

 奴隷制度は年々規制が進んでいるが、生み出す利益が莫大なために王国が黙認しているため規制の意味は殆ど無意味なのが現状だ。


 と、ここまでがモニカに教えてもらった奴隷を取り巻く現状だ。


「………………」


 醜悪な貴族達が歩く中を渋い顔でヒガナは進んでいく。

 舗装されていないので足裏に小石がめり込んで痛い。

 痛いといえばヒガナに向けられる無遠慮な視線もそうだ。当然ながらパーカーにジャージの人間は一人もいない。側から見たら奇妙奇天烈、珍妙な格好をしているのだろう。


「はぁ……」


 大きな溜め息を吐いてヒガナはぐるりと辺りを見回す。

 奴隷は小さな子どもからお年寄りまで年齢層が幅広い。中には頭頂部に動物の耳が生えたり、肌の色が紫で背中から蝙蝠のようなはねを生やした魔族のような存在もいる。

 その誰もが死んだような目で檻の外を眺めていた。

 あまり嬉しくないファンタジー演出にヒガナは眉間にシワを寄せながら歩いていると、


「ちょっとヒガナさん早いですよ!」


 パーカーの袖を引っ張ってモニカが速度を落とせと催促してきた。

 いつの間にか早歩きになっていたようだ。


「……ごめん」

「どうしたんですか? 奴隷市場って聞いてから様子が変ですよ」

「いや」


 この世界の人間からすれば奴隷制度は当たり前なのかもしれない。だが、平成から令和の世を生きていたヒガナにとってはどうしても抵抗が出てしまう。

 浮かない表情のヒガナを見て、モニカは呆れたように肩を竦める。


「自覚があるかどうかは知りませんが、私が奴隷と知ってからよそよそしくなっていますよ」


 そんなつもりはない、とは言えなかった。

 確かにヒガナはモニカが奴隷と知ってからどうすればいいか分からなくなっていた。


「そうやって考えること自体、俺が区別……差別している証拠だ。……クソッ!」

「まあまあ、そんなに自分を責めないでください。物扱いしないだけヒガナさんは奴隷に対して優しいですよ」


 奴隷の扱いの悪さを知りヒガナの気持ちは滅入る一方だ。が、これ以上の憐れみはモニカへの侮辱になるので辞めることにした。

 気持ちを切り替えてモニカの探し人についてだが。


「探している人ってモニカの主人ってことになるのか?」

「すこぶる不愉快ですけど客観的に見たらそうなりますね」


 嫌そうに肯定するモニカ。

 完全な拒絶ではないが主人に幾らかの不満があるのは容易に想像出来た。


「主人の特徴を教えてくれないか?」

「そうですね……灰色のもじゃもじゃな髪くらいです」

「それだけ? もう少しなんかあるだろ」

「私より背が高いです」

「特徴になってねぇ!」

「あっ! すごい特徴を忘れてました」


 手をぽんと叩くモニカに期待大。

 どんな特徴があるのか期待して告げられるのを待つ。


「泣きたくなるほど貧乏なんです……。お財布が寒すぎて風邪引いちゃいます」

「身体的特徴を言えよ! それと金のことは言わないでくれ! 素寒貧なの考えないようにしていたのに思い出しちまっただろ!」

「いい家柄じゃなかったんですか!? 恩を売っておいてお礼をもらおうとしていた私の計画はどうなるんですか!?」

「可愛い顔して腹ん中は黒いな!」


 そんな感じでヒガナとモニカは灰髪のもじゃもじゃ男を探し始めた。

 モニカ曰く、主人であるウォルトという男性は『とある奴隷』を見つけるためにセルウスを訪れたらしい。

 つまり、この奴隷市場にいる可能性が極めて高いということだ。


 しかし、街の半分以上を占める奴隷市場。

 その中から一人を見つけるのは非常に困難でかれこれ一時間近く探したが影すら掴めない。聞き込みもしたが情報は得られず仕舞いだ。

 二人仲良くとぼとぼ歩いていると、本日何十回目か声をかけられた。

 また奴隷商人かと思い、うんざり顔で声のする方へ顔を向ける。


「旦那、随分と珍しい格好していますね」

「え、あぁ……ちょっと奇抜な奇抜な格好をするのが趣味なんです」


 適当に返すが奴隷商人はさして疑いもしない。

 それはそれで悔しいが。


「今日はどんな奴隷をお探しですか? ウチは幅広く揃っていますよ。例えばこの男は頭は全く使い物にはなりませんが力だけはありますから肉体労働などにはうってつけですよ」


 品物を淡々と説明するように奴隷の男性を紹介する奴隷商人。悪気はないのは分かるがどうしても受け入れることが出来ない。

 表情が嫌悪に染まりきる前に助け舟を出したのはモニカだ。


「申し訳ないですけど、今の彼にお金はありませんよ。ついさっき私を購入したんですから」

「んん? これはこれは……最上級レベルの代物じゃないですか。さぞかし高かったでしょう。それなら仕方ないですね」


 モニカの顔を覗き込んで驚きを露わにしてから、急速にヒガナへの興味を失う奴隷商人。

 その態度は商人としてどうなんだろう、とヒガナは口に出してしまいそうになるがなんとか飲み込む。


 モニカと共にその場から離れようとした時、一人の少女が偶然目に止まった。


 伸ばし放題になった亜麻色の髪、頭部には細長い兎耳が生えていた。

 瑠璃色の宝石を埋め込んだような瞳にほんのりと赤く染まった頬。

 可愛らしい面貌は弱々しく、一人では生きていけなさそうで見ていると庇護欲がふつふつと沸いてくる。


 とても可愛らしい顔は殴られた形跡があり、髪も痛み、纏ったボロ切れから見える白い肌にも痣や内出血が至るところにあり痛々しい。


 しかし、当の少女は傷のことを一切気にしていないようで、座ったままずっと身体を揺らしながら行き交う人々をキョロキョロと眺めている。


 なぜかヒガナは彼女のことが気になって仕方がなかった。

 憐憫の感情もあるが、それは他の奴隷にも感じていた。

 だが、兎耳の少女に対しては他の奴隷とは決定的に異なる感情が燻っているのだ。


「あの子は?」


「ああ、アレは頭がイかれてしまっているんで何の役にも立ちませんよ。顔は良いんで買っていくお客様もいるんですけど、言動がおかしい、なんか気持ち悪い、危なっかしくて近くに置いていけないってすぐに返品されるんです。霊装を使った命令じゃないとロクに従わない始末。とんだ不良品です」


「………………」


「まぁ、明日には業者が来て引き取ってくれるからいいんですけど」


「業者?」


「病気になったり、使えなくなった奴隷の処分を引き受けてくれるんですよ。殺す時も殺した後も金がかかりますけど業者に頼めば手数料だけで済むので助かってま…………」


「────っ! アンタ、あの子を何だと思ってんだよ!」


「ちょっとヒガナさん! 落ち着いてください!」


 少女を物のように扱う態度に思わず声を張り上げて奴隷商人に迫るヒガナ。

 それを慌てて仲裁に入るモニカ。

 奴隷商人はなぜ目の前の珍妙な格好をした少年が激怒しているのかさっぱり分からない様子だ。


「う、売れない物を持っていても維持費の無駄です」


 あまりの剣幕に動揺しつつもバッサリと切り捨てる奴隷商人。

 ヒガナは自分と奴隷商人の価値観の違いに舌打ちをする。それから話の中心になっていることを理解せずにあたりをぼんやりと見ている少女を一瞥し決心する。


「分かった。あの子は俺が引き取る」


「ヒガナさん!?」


「は、はぁ!? 正気ですか旦那! 私の話聞いていました!? まともに言うこと聞かない不良品ですよ!?」


「聞いていたよ。その上で決めたんだ。金は何とかして集めてくるから」


 ヒガナが本気で言っていると分かった奴隷商人は大きく溜め息を吐いて少ない髪の毛を掻きむしった。


「分かりました、分かりましたから。お代は結構です。業者への手数料まで浮いて処分出来るならこちらとしても有難いですから。ちょっと待っててください」


 奴隷商人が兎耳の少女を縛りつけていた鎖を外して、やや強引にヒガナの元へと連れてくる。

 その間モニカは「やったよこの人」といった表情で天を仰いでいた。

 やって来た兎耳の少女は首を傾げながらヒガナを覗き込む。


「……また、酷いことするの?」

「また?」

「旦那、それの言うことにいちいち反応していたらこっちの頭がイかれてしまいますよ。ほら、お前の新しい主人だ。挨拶しろ」


 兎耳の少女は奴隷商人の言葉を完全に無視してヒガナの腕に抱きついて僅かに頬を緩ませる。


「……寒いのは嫌、温かい、ぬくぬく」


 公衆の面前で抱きつかれることに戸惑いと恥ずかしさが一緒に襲ってきてヒガナは顔を赤らめる。

 家族以外の女性と交流をあまりしてこなかったヒガナには中々にハードルが高い。


「あ、あの、この子の名前は?」


 無視されたことに苛立ちを感じながら奴隷商人は質問に答える。


「アリスって言うらしいですよ」

「アリス、か」


 名前を聞いた後に主従関係を結んだ。

 ヒガナは断ったのだが契約を結ばないと奴隷は街から出れない規則になっているとのこと。

 契約には『首輪』と呼ばれる奴隷に装着するチョーカー型の霊装が使われた。

 これは主人、奴隷──互いの血を霊装に注ぐことにより主従関係を構築する仕組みになっている。

 ヒガナとアリスは霊装に互いの血を注ぐ。二人の血を刻んだ霊装はアリスの首に着けられた。


「俺はスオウ・ヒガナ。これからよろしく、アリス」

「……よろしくご主人様」


 ぺこりと頭を下げるアリス。

 ヒガナは何となくバツが悪い。あと兎耳が勢いよく鼻に当たって少し痛かった。

 鼻を押さえながらヒガナは言う。


「ご主人様とかやめてくれよ。なんかむず痒い。俺とアリスは対等、仲間ってことで。俺のことはヒガナでいいから。オーケー?」

「……ヒガナ? ……ヒガナ、おーけー」


 首を傾げてから流れるように頷くアリス。オーケーの意味は分かっていないだろう。

 少しばかり情緒不安定っぽく挙動不審なところがあるが、ヒガナはそこまでの拒絶感は抱かなかった。


「旦那、それは本当にイかれていますよ。数日経ってやっぱり無理とか言うのはやめてくださいね」


 契約を結び、自己紹介を終えたところで奴隷商人が言う。過去に何十回と戻って来たからこそ念を押すのだろう。

 全くもってふざけた話だ。


「そんなこと絶対にしません。物じゃないんですから」


 そう言い残してヒガナはモニカ、アリスを連れて足早に去っていく。

 二人の奴隷と歩くヒガナの後ろ姿を見ながら奴隷商人は首を傾げ、


「物じゃなければ何なんだ? 本当に変わった人だ……理解出来ない」


 と不思議そうに呟いた。

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