愚者の此岸 世界の彼岸
栗槙ねも
第一章 『叛逆の愚者』
第1話 『エルフは美人だった』
とある森の中に静かに
破壊され吹き抜けとなった玉座の間に少女は居た。
夜風に晒されて純白の髪と洋服がなびく。空に煌々と輝く月ですら彼女を引き立てる舞台装置の一つに過ぎない。
彼女は空間の端に立ち、森の向こうにある街を真紅の瞳で眺めていた。
一歩でも足を踏み外せば即死する高さだというのに、表情に恐怖の色彩は一切存在しない。
いつもより早く鼓動を刻む胸の上に手を添えながら少女はゆっくりと呟いた。
「──今度は私の番。だから……」
×××
少年は棒立ちのまま、眼前に広がる光景に目を丸くしていた。
活気と穏やかさの調和がとれた雰囲気を演出する街並み。
丁寧に敷き詰められた石畳みに大きな噴水。その周りを見渡すと煉瓦造りの建物がずらりと並んでいた。
買い物帰りらしき女性、子連れの男性が幸せそうな表情を浮かべている。
鎧に身を包んだ頑強な男性が自信に満ち溢れながら闊歩し、腰に剣を差した初々しい青年が期待と緊張を混ぜ合わせつつ、大きな建物に入っていく。
広場に目を向けると露出の高い衣装の女性が軽やかに踊っていた。
街行く人々の髪色は十人十色、多彩な色に富んでいた。
その光景を眺めながら少年は自分の頬をつねった。
「痛い……」
夢かと思ったが、頬の痛みがその可能性を否定している。
冗談にしか聞こえないだろうが、気付くと少年は全く知らない場所に居たのだ。
あまりにも非現実的な展開に少年は顔を真っ青にした。
×××
周防ひがな。
年齢は十七歳。
長くも短くもない黒髪に、若干垂れた黒い瞳。
平々凡々これといって特徴の無い顔。強いて述べるなら彫りが浅く、色も白くて一見すると女性に見間違えてしまうほど中性的な顔立ちをしている。
身長も百六十センチ前半と男子としてはやや低く、体格も華奢で頼れる男性とは程遠い印象だ。
そんな凡人ヒガナの内心は混乱の極みに陥っていた。
先ほどの大通りから逃げるように離れて、人の居ないところを闇雲に探した結果、少し寂れた空き地に辿り着いた。
落ち着いた場所で状況を把握したかったのだ。
街中で混乱していたら好奇の視線を向けられるのは確実だっただろう。
ヒガナは空き地をくるくると回りながら歩き、自分の身に降りかかった現実を整理することに努めた。
酷く曖昧な光景が脳裏に浮かぶ。鮮明に思い出すことが困難な最後の記憶。
ありふれた日常が故なのだろう。
だが今現在ヒガナの目の前には非日常が横たわっている。
「なんだこれ? どうなってんだ? 夢……明晰夢ってやつか? いやいや流石にこんな現実味溢れないだろ。まさか……」
しゃがみ込んで黒髪を掻き乱して、ありもしない可能性を脳内から追い出そうと躍起になる。
こんなことある訳がない。
否定したいが現実がそれを許してくれない。
ヒガナの動きが止まり、ありえないがそれしか考えられない現象を呟いた。
「──異世界召喚」
口に出してみると違和感が凄まじい。
アニメやライトノベルでは人気のジャンルとして存在している異世界モノ。
中には異世界に行ってみたいという者もいると思うが、ヒガナは『出来れば行きたくない派』だった。
そんなヒガナが異世界召喚されるとは皮肉なものだ。
「本当に異世界召喚なら元の世界だと行方不明扱いになるのか」
頭によぎったのは自分の子どもが行方不明になり頭を抱える父親と泣き崩れる母親の姿だった。
胸の痛みがじんわりと身体に広がる。
「……なんて親不孝なんだろうな、俺ら」
何度かの溜め息の後に、座り心地の良さそうな瓦礫に腰を下ろして現実を見つめることにした。
使えそうなものはないかと身につけている物を確認。
「あるのはスマホだけ。酷ぇ……」
因みに当たり前のように圏外である。
パーカー、Tシャツ、ジャージズボン、スマホ。心許ない所持品に涙が出そうになる。
「これからどうすればいいんだよ……。こんなの素寒貧で外国に放り込むようなもんだぞ。何も出来ねぇって」
汚れた素足を見つめて項垂れるヒガナ。
「──どうしたんですか? どこか痛いんですか?」
彼の姿は他から見れば具合が悪そうに見えたらしい。
それを証明したのが心配混じりの可愛らしい声だった。
お人形のように可愛らしい十歳くらいの少女だ。
肩の辺りで綺麗に切りそろえられた桃色の髪は柔らかそうな質感をしている。大きな瞳は紫紺の輝きを放ち、景色を捉えていた。
他に比べて少しだけ尖った耳は彼女の存在感をより世界に知らしめている。
お洒落をすればどこかのお姫様と言われても違和感はないが、残念なことに彼女は薄汚れた外套を羽織っている。
ヒガナは不安そうに顔を覗き込んでくる少女をまじまじと見つめて、
「エルフって本当に美人なんだ」
「ふぇっ!?」
ファンタジーお約束のエルフ美人説は彼女によって確固たるものになった。──あくまでもヒガナの中だけだが。
説の立証を果たしてくれた少女はというと、子ども特有の赤い頬をさらに染めて先端が赤らんだ耳を手で隠していた。
「な、なん……いきなりなんですか!?」
「おっと、感動がつい口に出てしまった」
「分かりましたよ。具合悪い振りをして可愛い私の関心を引こうとしたんですね! あなたの下心のせいで無駄に使った私の優しさを返してください!」
「誤解が明後日の方向なんだけど!?」
さらっと自画自賛する少女はむすっと頬を膨らませてそっぽを向いてしまう。その時の首の動きに合わせてチョーカーに施されている装飾品が微かに揺れる。
苦笑しつつヒガナは声をかけてくれた少女に素直な感謝を抱いていた。
彼女が現れていなかったらヒガナは延々と現実逃避を続けていたかもしれない。
それに彼女のおかげで分かったこともある。
「言葉は通じるみたいだな」
これは大きな収穫だ。もしこれで言葉が通じなかったらヒガナの異世界での生活は破綻一直線だっただろう。
「何をぶつぶつ言ってるんですか?」
フードを深く被り直し、横目でヒガナをチラチラと見る少女にヒガナは答えた。
「ちょっと現状確認を。そういえば君はこんなところで何を?」
まだ昼間とはいえ人気の無い場所に女の子が一人で居るというのは些か疑問を感じてしまう。
少女は嘆息して質問への答えを述べた。
「人を探しているんです」
「なるほど。つまり迷子か」
「失礼ですね! 迷子は相手で私が探し人です!」
「でも他から見たら君が迷子だと……」
「探しているのは私です!」
その一点は頑として譲ろうとしない少女にヒガナは再度苦笑した。
「分かった、分かった。俺が間違っていたよ」
「分かればいいんです。はぁ……特にどこも悪くなさそうなので私はこれで失礼しますよ」
踵を返して来たであろう道を戻っていく少女。その小さくなっていく背中を見ていたヒガナは咄嗟に立ち上がり声をかけた。
「ちょっと待ってくれ!」
「まだ何か用ですか? これでも急いでいるんで手短にお願いしますよ」
ピタリと立ち止まって少女は怪訝な顔をヒガナに向けた。
その顔も可愛らしいとか反則だな、と頭の片隅で思う。
「その人探し、俺にも手伝われてくれ」
「……はい?」
予想外の提案に少女は眉を顰めた。
数回言葉を交わしただけの関係なのに人探しに協力しようとするヒガナに不信感を抱くのは無理のない話だ。
しかし、ヒガナからすれば急な異世界召喚で孤独に苛まれ、途方に暮れていたところに声をかけてくれた少女の行動は確かな救いだった。
──受けた恩は返したい。
そう願うのはヒガナの身勝手な想いだ。
なので救ったつもりの一切無い少女は警戒の色を深める一方で。
「本格的に怪しいですね。言っておきますけど私に関わるとロクな目にあいませんよ? この間も貴族の人が私にちょっかいかけて来たら、最終的にその人の屋敷が跡形もなく吹き飛んだんですから」
「何があったのか凄い気になるんだけど!? じゃなくて……ほら、小さな女の子が一人でいるのを放っておくのは人間としていかがなものかって話。それに一人より二人の方が精神的にも効率的にも良いと思わないか? 特に孤独ってのは辛いからさ。さっきまで身にしみて感じていたからよく分かる。そんな辛い思いを小さな女の子にさせるなんて俺には出来ない」
早口でまくしたてるヒガナに面喰らう少女。
だが、全てを聞き終えるとニヤリと笑い納得したように頷いた。
「なるほどなるほど。そういうことですか。私ピーンと来ちゃいました。つまり、あなたは独りきりになるのが嫌なので私と行動したいということですね」
当たらずも遠からずの見解にヒガナは微妙なところだ。
それは独りきりなのは堪えるが小さな女の子に縋るほど切羽詰まってはいない。
単純な恩返しのつもりだったが、少女の中での評価は急降下間違いないだろう。
「もうしょうがないですね。それじゃあ一緒に行きましょうか。私はモニカと言います。あなたのお名前は?」
同行を許可されたことで内心で安堵する。
評価の下降に伴いヒガナへの警戒心も低くなったのだろう。
結果オーライなのだが腑に落ちない。
気を取り直してモニカと名乗ったエルフの少女にヒガナも自己紹介をする。
「俺はスオウ・ヒガナ。よろしく、モニカ」
「ヒガナさんですね。よろしくお願いします」
互いに名乗ったところで空き地から離れて人通りの多い場所へと移動を始めた。
ヒガナの異世界生活初日が緩やかにスタートを切った。
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