閑話b 『    』と呼ばれた少女

 今から何百年前の話でしょうか、雪原のように煌めく銀髪の少女とアールグレイのように濁った赤紙を持った女性、リテラが森の中で暮らしていました。

 二人は互いの正体に気づかないまま、不自由を楽しみ、人間らしい生活を志していました。

 リテラは本を愛していました。中でも絵本は何より大事そうに、時間をかけて読み耽ります。

 絵本という文学が与えてくれる暖かさと時に見せる純粋な残酷さ。淡い絵の具で彩られた絵と短く簡素な文章に込めらたいくつもの意味。

 彼女は絵本の物語、というよりは絵本が持つ特有の物語性を好んでいたようです。

 そしてそこにあるキラキラした世界が人間の本質なのだと、盲信的に信じ、やがては願うようになりました。

 ある日のこと、リテラは少女に提案します。

「人間の友達を作ろう」

 その提案に少女は怯えた目で拒みます。

 人間は恐ろしい。

 人間は私たちを恐れている。

 だから人間は残酷になれる。

 リテラには少女が言っている意味がうまく理解できませんでした。

 きっと何か勘違いをしているのかもしれない。

 リテラは強引に少女を人間のいる場所へ連れて行こうとしました。

 少女は思い出します。

 自分がかつてどれほどの仕打ちを受けてきたのかを。殴られ、切られ、石を投げられ、火を放たれ、孤独の果てにこの場所へたどり着いたのです。

 心の奥深くに刻まれた恐怖はそう簡単にはぬぐいきれるものではありません。けど、本心を言えば、人間と仲良くしたいというのも本心なのです。

 もしかしたらここでなら。誰も自分を知らない場所でならうまくやっていけるかもしれない。そんな浅はかな期待を胸に、少女はリテラの提案を飲み込んでしまったのです。

 二人は毎月食べ物と本を求めて街へ出ます。本当は願ってしまえば何でも手に入るのですが、それはなるべく使わないと二人で決めたルールなのです。

 いつもは深いフードを被って誰にも顔を見せないようにしていましたが、今日だけフードを外して外に出ました。

 少女の胸は期待と緊張で胸が張り裂けそうでした。

 一歩一歩が鉛のように重くて仕方ありません。

「どうしたの?気持ち悪いの?」

 優しいリテラは声をかけます。

「ううん。何でもない」

 強張った笑みで必死に誤魔化します。一歩また一歩足を出すごとにその重さは増していく一方です。

 もしこれで何も問題なければまた以前のように人の目を機にする必要はないのかもしれない。けど……またあの時のように『厄災』を呼び起こしてしまったら。

そんな不安を拭おうと少女はリテラの後ろへ隠れるように進みます。

 二人はお店の多い通りへ出ました。街は活気に溢れており、体の大きな男性がどこもかしこもものを売ろうと声を上げています。

「大丈夫だよ」

 リテラは不安そうな少女を見かねて手をつなぎました。少女の心は軽くなりました。

 まず最初に買うのは食べ物です。基本的の飲まず食わずでも生活できるので、二人で好きなものを決められた数買います。

 少女はリンゴを買おうと店主に声をかけます。すると、店主は気前のいい返事で言われた通りの数を袋に詰めて少女に渡しました。その際何かに気なったのか、注意深く少女の顔を見つめるも。ニカっと笑って送り出しました。

 食べ物を買った後は本を探します。本は高いので捨てられているものを拾うか売り物にならないものを譲ってもらいます。 

 もらえるかどうかはその日次第ですがもらえない日の方が多いです。

 この日は夕暮れまで探しましたがもらえる本はありませんでした。帰り道、二人の住処へ戻る途中子供達がボールを蹴って遊んでいました。

「混ざってみたら?」

「え?」

「やってみたいんじゃないの?」

「いや、でも私は」

「大丈夫だよ。私も一緒だから」

「……うん」

少しだけ風が強まり灰色の雲が漂っています。

 リテラは子供達に声をかけると、快く受け入れてもらえました。

 少女はルールも曖昧なままボールを蹴って遊びました。ひたすらボールを追いかけては蹴ってを繰り返し、初めて息を切らして楽しいと思えました。

 ある時、少女にぶつかった男の子が転んで怪我をしてしまいました。

「このくらい大丈夫だよ」

 男の子は笑ってそう言いますが、血はなぜか止まりません。

 少女の息が乱れ始め、それに呼応しどす黒い雲が夕暮れの空を覆い隠しました。

 やがて風は強まりゴロゴロと不穏な音が街全体に広がります。

 少女はその原因を察知したのかリテラの手を掴んで急いで森へ向かいました。

 彼女が横を通り過ぎる度に建物が崩れ、誰かが血を流し、そして雷が落ちてきます。

 台風と雷を恐れた人々は風が吹く先へと必死に逃げていいきますが、その際に人が人を押しつぶし誰かが悲鳴をあげます。

「私のせいだ」

「違う。そんなことない」

「ううん。私のせいなの。私は厄災の子なの」

「厄災の子って何?」

「私がいるだけでみんな不幸になるの」

「そんなことない」

家に帰った少女は目を閉じ耳を塞ぎ部屋に閉じこもりました。リテラが慰めようにも彼女の声は届きません。

台風は三日三晩続きました。木々は倒れ、街の建物も倒壊し、行く当てもなく徘徊する子供に盗みを働く者。

この間まで活気に満ちていた街はもう無法地帯と成り果ててしまいました。

 その日の夜、あれほど頑なに部屋から出なかった少女が自らの手で扉を開きました。そしてリテラにこう告げます。

「ごめんね。私は出ていくよ」

「どうして」

「実はね、私ある人に追われているの」

「追われてるって誰に」

「色んなものに。色んな不幸が私を探しているの。あんなこと起こしたら多分もう居場所なんてすぐにバレちゃう。だからもう行かなくちゃ」

「嫌だよ。一緒に住もうよ」

「ごめんね」

「嫌だ!もう一人は嫌だ」

「一人じゃないよ。リテラ。これを見て」

 少女が持っていたのは、初めてリテラにあった日、リテラにとって初めて触れた絵本でした。

「この本を貴方に預けるわ。これは私の分身みたいなもの。だから私が帰ってくるまでこの本を守って」

 ただ少女に幸せになって欲しかったリテラ、微かに生まれた期待に胸を膨らませてしまっただけの少女。

 互いの正体を知らないが故に生まれた悲劇。

 孤独にだった少女と孤独から生まれた魔女。二人はまた一人になります。

 けれど、決してもう孤独ではないのでしょう。リテラは手渡された本を胸いっぱいに抱きしめました。

 顔を上げると少女の姿はもうそこにはありませんでした。

 吹き抜けていくそよ風。そのいく先にある水平線を眺めてリテラは少女の名前を初めて口にしました。

「必ずまた会いましょう。エルピス」

 ネリネの花が咲く季節に


■ ■ ■


その日からリテラは一人で生活するようになりました。

 朝目が覚めても、森の中を歩いても、夜食事をしていても、どこにいたって少女の面影が残っているのです。

 泣きそうな夜は少女にもらった本に読み更けます。相変わらずなんて書いてあるのかは読めませんが、不思議と理解できたような気がしてきました。

 読み終わっても眠れない日は本棚に並ぶ本を一冊ずつ読み直します。全て読み終わる頃には朝がきます。

 朝は森の中を歩き、少し前まで街だった場所を眺めています。あれから一度壊れてしまったあの場所は少しずつ再生し、そして発展し始めたのです。

日中は遠くからその景色を眺めていました。

 そんなことを繰り返して何百年が経ったでしょうか。

 ある日の夕方、家に帰ると玄関に子供の靴が五足ほど疎らに並んでいました。リテラは追い返そうと部屋に上がると、子供達は床に寝そべって動かなくなっていました。そこには少女がくれた本が開かれていました。

 リテラは助けようと奮闘しますが子供達の息は吹き帰りません。しばらくすると子供達の体からふわふわとした白い球体状のものが出てきました。得体の知れないものにリテラは警戒しますが、目の間にしている物体がこれまで口にしてきたどんなものよりも美味しそうで、リテラは思わず口にしてしまいました。

 するとどうでしょう。リテラの体は青白い光に包まれ、今までなかった新しい感覚に目覚めたのです。

 それが子供達の魂であったことに気がついたのはほんの少し後のことです。

 子供達の魂を食べてから少女のくれた本が少し読めるようになりました。そこに書いてあったのは少女自身のこと、彼女が持っていた力の正体についてでした。

 リテラは少女の真似をして試しに植物を育てようと願いを込めると、そのタネはたちまち目を出し大きな木に育ちました。

 しかしその反動なのか、食べてしまった魂の味に植えるようになったのです。リテラは数日のなんとか耐えましたが、一週間が経つ頃にはもう限界でした。

 森に迷い込んだ人間を家に招き入れて魂を食べました。その日の夜は罪悪感で眠れそうにありませんでした。

 もう力は使わないようにしても一週間後にはまた体が人間の魂を求めてしまうのです。呼吸の乱れ、手足の疼き、意識の朦朧、完全に禁断症状です。人の魂の味を知ってしまったものはもう引き返せません。

 リテラは食べては眠れない日々を繰り返していました。

 もう十分苦しんだ。

 これ以上は彼女との約束を果たせない。

彼女とまた逢うときまでは死ぬことはできない。

 じゃあどうする?

 リテラは感上げに考え抜いた結果、リテラは天啓のように思いました。

 

———もう、力を使おう

 

 リテラは久しぶりに街へ出ると、道端で寒そうに寝ている人々であふれかえっていました。

 あちこち傷だらけだったり、やせ細っていたり、火傷の痕やススで汚れていたり、どこもかしこも苦しんでいる人だらけです。

 彼ら彼女から魂を奪うことに躊躇はありませんでした。

 むしろ救済のようにさえ思えていたほどです。

 十分なほど魂を吸い取った後、リテラは家に帰り、少女からもらった本を開きます。

 そこに書いてあった力の使い方。なんでも思うようにできてしまうが故に危険すぎる。だからリテラは自身に制約を課しました。

 一つ、願い誰かに強制するのではなく、自分自身の意志でこの力(魂)を使おう。

二つ、自分から生きる希望を持つ人間の魂を奪わないこと。

三つ、この力を使って絵本を集めよう。

 いつでも彼女が帰ってきてもいいように。

そうしてリテラは三つの大きな魔法を使いました。

まずはじめに家を改造しました。

本当に自分の魂がいらないと思う人間しか来れないように。

どんな外敵からも、魔法を狙う者の目も欺けるように。

そしてもう誰も。あの子供達のように意味もなく命が消えることのないように。

これから増えるであろう物語をあぶれることなくしまえるような大図書館を。


 次にリテラは世界にこんな噂話をばら撒きました。

———この国のどこかに本物の魔女がいる

———魔女はどんな願いでも魔法で叶えてくれる

———魔女は願いを叶える代わりにその者の魂を奪う

———ある時は古い町並みのさらに奥を。

———ある時は暗く閉ざされた海の底を。

———ある時は晴空に架かる虹の果てを

———曰く、魔女は年老いたシワだらけの老婆だと。

———曰く、魔女は不老不死の悪魔だと。

———曰く、魔女は何者でもないと。

噂が治ったら世界のどこかでまた誰かが噂話を口にするようにと、そんな小さな呪いの魔法を世界にかけました。

命に代えても願いを叶えたいものはいつでも訪れられるように。


最後に、

リテラは自分自身に呪いの魔法をかけました。

 決して『絵本の魔法』以外の魔法を使わないこと。

 少女が帰ってくるまではこの図書館の中で彼女の本を守り抜くこと。

 必ず魂を奪う時は契約に基づくこと。

 必ずハッピーエンドで物語は締めくくること。

 誰よりも魔女らしくあること。


 魔女であれば、もう彼女だけが『厄災の子』なんて言われることはない。

 自分が彼女以上に気まぐれで不可思議な存在になろう。

 大きすぎる三角帽子と時代に合わせたオシャレな服装。

 いつか帰ってきてくれることを願ってネリネの花を飾って。

 最後まで演じ切ろう。絵本の魔女リテラを。

 大丈夫。絵本さえあれば私は何も寂しくないから。


 そう言い聞かせ、今日もリテラは紅茶を片手に一人の少女、エルピスを待ち続けます。





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絵本の魔女リテラ 御伽ハルノ @Harunootogi

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