MK22 Mod0

@rakkonoodeko789

MK22 Mod0



丘を登ると、遠くで街の灯りが瞬いているのが見えた。あれは人の光だ。食事をして、風呂に入って、眠りにつくまでの生活の光。血の混じった泥土を踏みしめながら、オレはそれをぼんやりと見つめていた。なぜだか目が離せなかった。きっとあの光のふもとでは温かなシチューのにおいがするのだろう。優しい命の、ぬくもりのにおい。そこには笑顔があり、平和があり、幸せがある。そんなことを考えながら、泥に頭を突っ込んでいる死体をひょいと跨ぐ。オレの周りに漂うのは血のにおいばかりだ。丘のあっちとこっちでは、死と人の距離がまるで違う。

涼やかな風が死臭を運ぶ。このひどい臭いはどこまで広がっていくのだろう。

どうか、あの街の光が、ずっと優しく続きますように。



  ◆



そこら中に大人の躯が転がっていた。つい今しがた撃ち殺したばかりのそれは、まだ微妙に生温かかった。

弾痕だらけの壁に背を預け、俺は少し微笑んだ。この瞬間にこそ生の実感がある。屍を踏みしめ、ただ作戦を遂行するためだけの道具に成り果てようとも、自分は笑顔を浮かべることができる。

実際、大人を殺すなんて訳ない。俺たちは、そのための少年兵なのだから。


「油断してるね。でも、まだ上の階の制圧が終わっていないよ」

リドがいつもの仏頂面で忠告してくる。襲撃開始から二時間。戦闘は佳境に入っていた。

「随分とのんびりじゃねえか。なんなら俺が一人で行ってやろうか」

「自信家だね」

俺たちは急造の二人編成となり、上階へ繋がる階段を目指している最中だった。俺が先導し、リドは後ろを警戒する。

「ところで君、コルソンはどうしたの。ペアのはずだろう」

「足を撃たれたから下に置いて来た。お前こそサンと一緒だっただろう」

「頭に一発受けて即死だよ。君が来なければ、それこそ一人で進むところだった」

AKを持ち直しながら、少年はさらりと答える。顔面を弾丸に抉られて死ぬなんてのは戦場ではよくある光景だ。サンはいつも歯並びを自慢していたから、歯だけは残っているといいなと思う。

慎重に建物の奥へ進み、突き当りに階段を見つけた。軽く様子を窺うと、人の気配が感じ取れる。この距離で息遣いを読まれるなんざ素人に違いない。そして、たとえ素人であろうと、視界に入った味方以外の人間は全て殺せと、俺たちには命令が下されている。

予想通り。段差に足を掛けた瞬間、上から一人の裸の少女が叫びながら飛び落ちてきた。未成熟なその身体に、俺は容赦なくAKを打ち込む。平たい乳房を穴だらけにした少女は甲高い悲鳴を上げながら、乱暴に段差を転がり落ちた。すかさずリドが階段を駆け上がり、上で拳銃を構えていた大人の男に銃弾を叩き込む。男の黒いひげが頭ごと吹っ飛んだ。おそらくこの少女と性交中だったのだろう。シャツはきっちり着こんでいるくせに、男の下半身は丸出しだった。これも戦場ではよくある光景。滑稽とすら思わない。

そのあとは簡単だった。一部屋ずつ中を覗き込み、丸まって震えている大人たちを順番に撃っていく。一緒になって震えている子供たちもしっかり殺す。テキパキと手際よく、効率的に弾丸を打ち込む作業。悲鳴も懇願も聞こえない。あるのは平等な死だけだ。

最後の部屋の扉を開き、誰もいないことを確認する。無線機から作戦終了の報告が為された瞬間、この建物は俺たちのものとなった。



十四歳以下の子供のみで構成された俺たちの部隊は、圧倒的に物資が足りない。こうして敵の拠点を制圧し強奪しながら進軍している。軍人とは思えない待遇だ。実際、政府子飼いの暗殺部隊と呼べば聞こえはいいけれど、要は公にできない何でも屋だ。無抵抗な民間人だろうと、武装したレジスタンスだろうと、平等にAKをぶっ放す。それが、俺たちの行う唯一の仕事だった。


「地獄は空っぽとは、よく言ったものだよ」

リドはそう言いながら、足元に転がっていた死体からスティックを抜き取った。

「随分と上物が出回っているみたいだ。これはアレックスに渡してやるといい。脚の痛みも和らぐだろう」

そう言ってスティックを投げてよこす。戦利品において、嗜好品だけは早い者勝ちだ。戦場では真面目なやつから狂っていく。正気を失うためのスティックやハーブはいつだって足りない。

「お前も手馴れてきたな。いい火事場泥棒になれるんじゃねえか」

「そうかな。人殺し以外にできることなんて無いと思っていたけど、進路の一つに考えておくよ」

いつもの憎まれ口をたたきながら、リドは血の付いた髪をかき上げる。こうして血まみれのまま死体を貪る俺たちが、一体どんな未来を描けるというのだか。

「それにしても、こんな仕事ばかりだね」

リドは俺にもたれかかり、靴紐をくるくると結び直す。バランスを取るため俺も重心を寄せた。

「おい、背もたれにすんじゃねえ。しゃがめばいいだろうが」

「君の眼前で頭を下げるのは気に食わないんだ。我慢しなよ」

「んだとこら」

憎まれ口はそこで途切れる。代わりにほんの一瞬の沈黙の後。

———少し、疲れた、と。触れる背中越しに、リドの小さな声が聞こえた。

だから俺は、それ以上文句を言わなかった。リドが両足の靴紐を結び終えるまで、大人しく、ただ真っすぐと支えていた。



大戦後、人は、倫理観という手綱を躊躇いなく手放した。

頼もしかった大国も、隷属していた小国も、躍起になって殺し合った。そのくせ人口は増える一方で、命の価値は水より安くなっていた。


 試験管の中に二年。培養器の中に三年。訓練室の中に四年。そして、戦場の中に五年。合成タンパク質の塊だった俺が、人間に為り得るまでにかかった年月だ。

 続く内戦を屠るために実験動物。作られた三十五匹の中で、人間の身体能力から最もかけ離れていたのが俺だった。

 人間の骨が脆いのではなく、自分の力が強いのだ。弾丸が遅いのではなく、目視できる自分がおかしいのだ。

 そんな自分の歪さを自覚したのは、それなにり知恵がついてからだった。

 人という生き物は『成長』するのだと知ったのも、実はつい最近だ。

だって、物心ついた時にはもうこの背丈だったし、身長は一ミリも伸びていない。それが俺にとっての当たり前だったから、人の形をしたものは等しく、その姿を往年保っているのだと、純粋に信じ込んでいた。

 訓練室のスクリーンに映る映像に初めて赤ん坊の姿を見た時、あんなに小さくか弱いまま産まれたら、すぐに死んでしまうじゃないかと思ったものだ。案の定、画面の赤ん坊は戦車の下敷きになって、あっさり潰れてしまった。すると一人の女がその死体に駆け寄るのだ。音声はOFFになっていたけれど、泣き叫んでいるのだとはっきりわかった。

「彼女は、どうして泣いているの」

 スクリーンの横で腕組みしている老人に問いかけた。老人は微笑を浮かべながら。

「母親だからさ。彼女が、あの赤ん坊を産んだのだよ」

「そんなの嘘だ。この映像には、培養器も訓練室も、試験管すらないじゃないか」

 俺の言葉に、老人は答えなかった。

 母親という女は、画面の外から飛んできた銃弾で倒れた。ぺしゃんこの肉塊に覆いかぶさったまま、ぴくぴく震えて、やがて動かなくなる。

 自分には、彼女のような存在はいない。その事実が、産まれて初めて俺の心を揺らした。



「こら、起きなよ」

ふいに呼ばれ目が覚める。寝ぼけ眼に映るのは、珍しく眉間に皺のないリドの顔だった。見張り中に居眠りとは、我ながら緊張感が足りていないと思う。

真夜中の森は鬱蒼と茂り、生き物の気配を秀逸に隠している。

敵は兵士だけじゃない。野営の際は獣の襲撃にも気を張らなければいけない。血の匂いに群がってくる獣は総じて獰猛かつ凶暴だ。か弱い俺たちが奴らに対抗するには、重火器を容赦なくぶっ放す必要がある。

羽織っていた毛布でよだれを拭い、改めて気を引き締めた。

「こんなところで寝ていると風邪を引くよ」

「そらぁ、ご忠告どうも」

リドは隣に座り込んだ。近くの川で身体を洗った帰りなのだろう。真っ白なシャツに包まれた身体からは仄かに石鹸の香りがする。数週間ぶりの沐浴を存分に堪能したようだ。

「お前が夜更かしとは珍しいな。」

「実はね、コレを見つけたんだ」

にやりと笑ったリドが勿体つけて出した物は酒瓶だった。年代物のウイスキー。普段はこの手の嗜好品には見向きもしないくせに、どういう風の吹き回しなのやら。

「一緒にどうかな」

「こりゃあ明日は雨かねぇ。くそ真面目からお誘いなんざ」

「今日はそういう気分なんだ。付き合ってくれ」

未発達な身体を痛めつけると分かっていながらもこの手の娯楽はやめられない。誰に何と言われようと、俺は喜んでアルコールを摂取する。

お互い一口飲むたびに酒瓶を渡す。中身が半分にもなると、リドの頬はうっすら紅潮していた。

「意外といける口じゃねえか。見直したぜ」

「こんなものじゃないさ。夜はまだ長いんだから…」

言葉とは裏腹にリドの瞼は重そうだ。いける口といっても、強い方ではないらしい。そんな己の有様を省みず、リドはぐいっと酒瓶をあおる。

木々を撫でる夜風が冷たくなってきた。俺は毛布を広げ、リドと自分の身体をまとめて包み込んだ。お互いの肩がぴったりとくっつくとそれだけで温かい。

「大人はこんなものを美味いと感じるんだな」

リドは俯きながら、ぽつりとそう言った。俺は少し考えて、ゆっくり口を開く。

「大人だって好きで呑んでるわけじゃないかもな。俺らと一緒で、正気をぶん投げるために使ってるんじゃねえか」

「なるほど。ならこの戦争の始まりは酒場だったのかもね。まともな人間なら、こんなくだらない争いを何年も続けないさ」

リドはそう言うと、毛布を握っていた俺の手にそっと触れた。手の甲の皮膚からぬくもりが伝わってくる。

「大人の腰ほどの背丈の子供が、AKを持ち、スティックを吸い、ウイスキーを流し込み、セックスに興ずる。それに疑問を抱く人間がどこにもいない」

これが地獄でなくてなんなんだ。そう呟くリドの顔は笑っていた。どうにも堪らない。お手上げだと諦めるようなその笑顔に、俺はつい嘆息する。

つくづく難儀なやつだと思う。理想と現実の食い違いを嘆くなど、よくもまあそんな面倒くさいことができるものだ。殺して、殺して、殺し続けた果てに、得たものはないも無い。俺たちはただ、失わないために闘ってきただけだから。

「お前も俺も、地獄以外じゃ生きらんねえ人殺しだろ。んなごちゃごちゃ考えてっと、引き金に掛けた指が固まっちまうぞ」

「オレは人を殺したいんじゃない。守りたいんだ」

「どっちも同じだろ」

誰かを殺すということは、誰かを殺さないということ。誰かを救うということは、誰かを救わないということ。当たり前すぎて眼を背けたくなる現実。いつだって世界は、バランスの取れた矛盾で成り立っている。

不意に、唇に湿っぽい柔らかさが触れた。

「…君、うるさいぞ」

これ以上問答する気はないらしい。仔犬みたいな舌使いで、乳でも吸うように、リドは俺の唇を食んでいた。

俺はリドの左胸にそっと手を当てた。薄皮の奥で鼓動が鳴っているのを掌に感じる。

唇をゆっくり離すと、唾液の橋が細く繋がり、やがてぷつんと途切れた。

膨らみなんて微塵もない胸の尖りに爪を立て、感じるように軽くひっかいてやった。

「んっ……、こら、いたずらするな…」

「誘っといてよく言うぜ」

背骨をなぞり、そのまま尻の窄まりに指を差し入れる。中をこねくり回してやると、リドは甲高い声で鳴いた。まだ声変わりしてないその声は、まるで少女のようだった。

つい、喉が鳴る。

横に置いておいた酒瓶を取り、とぽとぽと後ろの中に注いでやった。

「駄目だ…それ、トんじゃうから……」

下肢にたっぷりアルコールを練り込むと、リドはいよいよ余裕のない、欲情の顔を見せた。

「トべよ。きもちーぜ」

俺が耳元で囁く同時に、リドの声色も熱を帯びる。男を誘うわざとらしい息遣いと、縋りながら震える手。擦りつけられた腰は、俺の指の動きに合わせて左右に小さく揺れていた。

 細い手首を掴んで引っ張ると、リドは態勢を崩し地面に倒れた。起き上がる気配はなく、ただじっと、淡く色を孕んだ眼で俺を睨みつけている。

「ヤりてえのか」

「……分かっていることをわざわざ聞くのは、君の悪い癖だ」

俺はリドの身体を起こし、毛布で包んで抱き留めた。触れた肌がとても暖かくて、抱きしめる腕に少しだけ力が入る。むき出しの首元に顔を埋めると、ほんの少し石鹸の匂いがした。


 

  ◇


四年前のことだ。作戦ルート上の村から不自然な煙が上がっているという、唐突且つ緊急の報告があった。そこを抑えられては堪らないという、非常に重要な場所だった。当時の俺たちは急いで装備を整え、その頃はまだ車を持っていなかったから、走ってその村に向かった。

村の入り口に近づくにつれてひどいにおいがした。止める上官の声を無視して、いつの間にか俺は村の中心へ駆け出していた。

戦場に放り出されてから一年、それなりに惨状は見てきたつもりだった。けれど、その悲惨を生み出しているのが自分なのだと、俺はその時初めて自覚した。

焼かれた建物の周りには、死体たちが無造作に転がっていた。胸に弾を打ち込まれた死体。腹がぱっくり開いて腸を青空に晒している死体。首から上が無くて身体中穴だらけな死体。薪みたいに折り重なって焼かれた死体。まるで死の見本市だ。なんて野蛮で残酷な光景だろうと、純粋に嫌悪する。

そんな中、消し炭になったとある家の脇に、そいつはぽつんと倒れていた。ぱっと見は死体となんら変わらない姿だったが、ほんの僅かに漏れた吐息を、俺は聞き逃さなかった。俺より一回りは小さな男の子。小麦色の肌を包む服はぼろぼろに剥かれて、股から精液がぽたりと溢れ出ていた。顔はひどく殴られ腫れあがっており、この村を焼いた奴らに慰み者にされたのだと一瞬で理解できた。

この村は、ただ俺たちの作戦ルートを邪魔するためだけに焼かれたのだ。一般人の皮を被った反政府勢力によって。いや、結局、事実は定かではない。ただの蛮族の仕業かもしれないし、俺たちとは別部隊の大人たちが気まぐれに蹂躙したのかもしれない。

思ったことは一つだけ。俺は、この子供に、死んでほしくない。

同情だったし、罪悪感だった。そんな当たり前の感情が、俺に湧くはずがないというのに。この子供の姿を見て、俺は人間らしく、悲しいと思ってしまった。

俺はそいつを背負い、重みによろけながら仲間の元まで走った。何もかも無くしたこいつを、助けたくて仕方なかった。



 拾った子供は死にかけだったが、大事には至らない程度の怪我だった。

泥の付いた髪をタオルで拭いてやると、子供の顔がよく見えた。小さくてとっても幼い顔、だと思う。子供らしい子供。

「なあ。お前はこれからここの一員になるわけだが、まあ、困ったことがあったら言ってくれ。連れてきちまった縁もあるし、面倒くらいはみてやるからよ」

「——……」

子供はぴくりとも動かず、虚ろな瞳で空を眺めているだけだった。

なんとか元気づけたくて、俺はとっておきの菓子を出すことにした。酒との交換用に取っておいた物だったが、まったく惜しくなかった。

包装紙を破き、中のクッキーを一枚取り出す。雛鳥に餌をやるように、そいつの口にクッキーをぐいと押し付けた。

子供は小さな口をほんの少しだけ開いて、菓子をぽりぽりと齧った。その姿に俺は嬉しくなって、とっておきを大盤振る舞いしまくった。

子供の仕草はここにいる連中と違って品があり、まともな教育を受けてきたのだとすぐにわかる。

「なあ、お前の名前ってなんだ」

自分の名を名乗りながら、指で地面に文字を綴る。きっと文字が分かるはずだ。そんな期待を込めて尋ねると、子供は一拍置いて、隣に『lido』と書いた。

——リド。それが子供の名前。

ほんの一瞬だけ、その幼顔が微笑んで見えたのは、きっと気のせいじゃなかったはず。



やがて森を照らしていた陽が落ち、眠りの時間が近づいた。俺はリドという、その傷付いた子供をベースキャンプの隅に寝かせた後、日課である銃の手入れのため、ベースの中央に屯っていた仲間の輪に加わった。

「よお、お前なにを拾ってきたんだよ」

空になったマガジンを振り、白い歯を見せながらサンが話しかけてきた。

「さあね。俺にもよくわからん」

「なんだそりゃ。せめて男か女か教えてくれよ。そんでちょっと貸してくれ、どっちでもいいからさぁ。ヤりたくて堪んねえんだよ」

鼻息を荒くしながら、サンは抜き取ったガンパウダーを吸い上げた。毎度思う事だが、よくそんなのが吸えるもんだと感心する。

「そういうんじゃねえ。手は出すな」

「勿体ぶるなよ。どうせすぐ輪されるんだから、一番をくれってだけじゃねえか」

サンの言葉に乗せられて、そうだそうだと、周りから汚い歓声が上がる

頭が痛くなった。ここにいる連中は軒並み頭が悪すぎる。培養器のプログラムに「品性」って項目はなかったのか。至極シンプルな言葉で言わないと伝わらないなんて、犬だってもうちょっと利口だ。

つまり、おすわり。が必要なのだ。

「手を出したら殺す」

そのたった一言で場は完全に沈黙した。当然だ。ここにいる全員が同時に襲い掛かってきたとしても、俺の方が強い。それを正しく理解しているから、皆大人しく口を閉じたのだ。

さっさと手入れを終え、俺は寝床に戻る。だが、いるはずの子供の姿はそこにはなかった。

寝かせてから三十分も経っていないのに。どうして。

疑問と焦りと警戒が脳内を埋めつくす。だが、たった一つの選択肢が雷のように駆け巡った。

即座に身体が弾けた。目指すはキャンプの最奥。つまり、唯一の大人がいるところだ。


 お飾りの指揮官。監視役。建前上は上官殿。優秀な大学に出て、職業軍人になって、輝かしい未来が待っていたはずのその男は、今じゃ戦場の少年少女を嬲るド変態に成り果てていた。その原因は他でもない俺たちだから、少しだけ悪いとは思っていた。ちょっとした悪戯のつもりだったのに、そんな趣味の才能があるなんて思いもしなかった。

 だからこれも、俺が招いた惨状なのだ。


ライトが照らす影は、テントと一緒に揺れていた。まるでテントそのものが大きな生き物みたいで、内臓で何が起きてるかなんて考えたくなかった。

下品な低い息遣いとテントの軋む音が、夜の森に響いている。

足もとに転がっていた設営用ナイフを握り、テントの脚を切り落とした。薄い布がとさりと落ち、テントの内臓が露わになる。

 泣きたくなるほど予想通り。ほんの数時間前に拾った仔犬は、再び凌辱されていた。

テントが破けたことにも気が付かない上官殿の背中がそこにはあった。まるで発情期の家畜のように、涎をだらだら垂らしながらぶんぶん腰を振っていた。その下には、小さな手足を投げ出した子供が、一緒になって揺れている。涙をぽろぽろ落としているのに、うめき声一つあげない。つい先程巻いたばかりの包帯に血が滲んでいて、口からは食わせた菓子の消化物が零れていた。


かちり、と頭の中で音がした。


後ろから、一歩、二歩、三歩。

俺は獣の喉元にナイフを突き立て、すっと引いた。鮮血がぴしゃりと飛び散り、辺り四方を赤くペインティングする。そのまま前に倒れようとする身体を素早く引き倒し、第二撃を心臓にぶち込む。上官の瞳がかっと開かれ、ぴくりと身体が跳ねた後、それはあっけなく死んだ。

顔を上げると、身体を起こしたリドがこちらを見ていた。半開きの口元が震え、手足をだらりと下げるその姿は、見るに堪えない。俺は着ていた上着を脱いでリドに駆け寄った。壊れてしまっていたらどうしよう、なんて。産まれて初めて焦りながら。

だが、俺が捉えたリドの瞳は、つい数秒前までレイプされていた子供のものではなかった。

確かな、強い怒りを灯した瞳がそこにはあった。

「な、んで…殺したんだ」

「…は?」

「なんで、殺した」

歯を食いしばりこちらを睨みつけるその姿に、俺は戸惑いを隠せなかった。

なんでって、なんだそれ。


リドは這いながら俺の脇をすり抜け、上官の死体に寄り添い、涙を流している。感情の奔流が停止する。脳が理解を拒否している。ただ一つ、ぱっと浮かんだのは一つだけ。


 こいつが、怖い。


 かちり、と頭の中で音がした。


「おいリド、お前は何も見てない。そうだな」

「…どういう意味」

「こいつは今から行方不明ってことで本部に連絡する」

「何を、言っている。人を一人殺しておいて」

限界だった。

血まみれの左手でリドの口を塞ぎ、右手のナイフをそっと喉仏にかざした。

「俺は口封じのやり方を一つしか知らねえんだが、他にあったら教えてくれるか」

 つい数秒前に救った相手に対して、俺は微塵も躊躇なく殺意を向けた。リドは俺を一睨みした後、こくりと小さく頷いた。

「いい子だ。言っておくがな、俺たちにとっちゃこんなのは全部、日常茶飯事だ。そして、今日からこれがお前の日常にもなる」

「…オレも、人殺しになるのか」

「ああ、別に逃げてもいいぜ。他に行く場所があるならな」

「——……っ」

その沈黙で、張り詰めていた空気が緩む。俺は唾を飲み込み、深呼吸をした。

こいつに出会ってまだ十時間も経っていない。このたった十時間で、こいつは二度も大人に犯された。加えてさっきの馬鹿どもの反応。

拾いものがファムファタールってのはぞっとしないね。

この日、俺は初めての感情をいくつも経験した。それが知らなければよかったものだと、いつか自分は後悔するだろう。



リドの村を焼いた奴らは、そう遠くないところに基地を構えていた。だから、その前線基地を落とすのに手間も時間も掛からなかった。

そこにはどこから連れてきたのか、いろんな年代の女が捕虜として慰み者になっていた。本来なら保護すべき人々なのだろうが、そんな余裕も義務も俺たちにはない。守るべき人々を守らず、ただ国という形を為すための戦争なのだ。無辜の民がどうなろうと知ったことではない。

というのが、上の人間の言葉だった。

吐き気がする。だが実際、俺にはどうすることもできなかった。

彼女たちの心の傷を癒すことも、いよいよ辛抱堪らなくなったサン達を止める権利も俺にはない。リドに関しては、完全に俺の我が侭を無理やり通したのだ。

戦場には娯楽が欠しい。スティックは確かに大人気だが、いくら噛んだところで性欲が解消されるわけでもない。たかが十を過ぎた程度のガキ共が、何をませていやがると思うだろうが。

眼を血走らせた仲間たちを見送り、俺はベースキャンプでぽつんと、ぼーっとしていた。

後ろの寝床からリドが顔を出した。拾ってから数日経ったが、諸々のせいで、まだ具合は芳しくないようだ。

「…他の、人達は?」

「女のとこ」

「君は行かないのか」

「趣味じゃねえ」

リドはゆらりと立ち上がり、俺の隣に座った。今朝塗った消毒薬の匂いがツンと鼻を突く。

ふいにお互いの手が重なった。なんとなく指を絡めると、ぎゅっと握り返される。

「なら、君の趣味はなんだ」

ぽつりと呟かれたその言葉と、指から伝わる体温。それが何を意味するか。

「お前、どういうつもりだ」

「ここで一番強いのは君だろう。なら、こうして媚びておくことは無駄じゃない」

 冗談じゃない。あれだけひどい目に会っておいて、どうして身体を売ろうなんて考えができるんだ。俺たちみたいに『そうあれ』と作られた生き物じゃない。普通の村の、普通の子供のはずのこいつが、どうして。

「別に断ってくれても構わない。ここまでされて靡かないのなら、君自身の問題だろうからね」

挑発的な口調のくせに、触れる指は確かに怯えていた。肺の奥から地獄の竜みたいなため息が出る。そんなに怖いのなら、頼むから大人しくしていてくれよ。

「オレが何でもするから、ひどいことしていいから…。だから、誰も殺さないで」

 もう黙って欲しい。正直にそう思えた。なんだこいつは。何なんだ。

「…そんなに人が死ぬのが嫌か」

「嫌だ。だって、皆、何も悪いことなんてしてなかったのに」

 ひどく気味の悪い顔だった。内に抱えた感情の濁流に耐えているような顔だ。我慢して我慢して、もう限界の顔だった。そのひどい顔を見て、俺ももう嫌だと叫びたくなった。

 皆とは誰だ。殺された家族か。焼かれた村人か。まさか、お前を犯した獣たちまで入っているのか。


 握った腕を引いて、胸の中に抱き寄せた。押し殺す声はやがて嗚咽に変わり、シャツが胸元で濡れる感触がした。

 抱きしめる腕に力を込める。ぎゅっと縋りつく掌は、やっぱり小さく震えている。泣き声が小さな叫びみたいで、零れる度に胸が締め付けられる。

 胸の痛みの理由も分からないまま、ただぼんやりと、泣くのが下手なんだなぁと、腕の中を見つめ続けた。そしてふと思い出す。自分は、生きてきてまだ一回も、ただの一回も泣いたことなんてないことを。

 


こうしてリドは俺たちの仲間になった。肩を寄せ合い、敵を殺す、少年兵になったのだ。



  ◇



リドが、自分の背丈ほどありそうなレミントンを背負う。出会ったころは俺より幾分低かった身長が、ここ最近伸びている。来年には抜かされているかもしれない。

現状、唯一の狙撃銃がこのレミントンM700だった。あとは簡素なシングルショットとナイフだけ。加えて、大の大人百五十人の敵部隊を、三十六人ぽっちの子供だけで皆殺しにするというのだ。こんなの、普通なら正気じゃない。だから、俺たちは正しく正気ではなかった。

実行前の確認中、上官殿は大げさに腕を振り回しながら、陳腐なセリフ声高く捲し立てる。

俺が殺した男は変態だったが、仕事はそれなりに熟してくれていたのだと後から知った。何故なら、代わりに来たこの上官が無能の極みだったからだ。

いい加減、こいつの芝居がかった口ぶりにはうんざりする。言ってしまえば子供扱い。実際に俺たちは子供だが、少なくともあんたよりは戦場に立っている。こいつの腰に刺さったまっさらなハッシュパピーの出番はこれからもないだろう。

今さら人殺しの心構えを説かれるほど迷っちゃいない。そんな人間は、この部隊に一人もいない。

作戦はいつも通り、ただ一つ。大暴れするだけだ。



背後から音もなく接近し、喉笛を切り裂き、心臓を抉りだす。たった二秒で人間は殺せる。俺には銃よりもこっちの方が性に合っていた。刃が肉を裂くことは、獣が獲物を相手に牙を立てるのに近いのかもしれない。足元に倒れた血の塊を眺めながら、ふとそんなことを思った。

刃物が一閃した瞬間、この男は何が起こったのかわからなかっただろう。右手に掛かった血の生温かさが、男の生の残痕だった。

建物内は赤、赤、赤。まるでトマトの迷路に入り込んだみたいだ。まあ、塗りたくったのは俺たちなのだけれど。

呼吸を整え、耳を研ぎ澄ます。眼前に敵の姿はない。

さあ、どこだ。

十メートル程先の曲がり角から僅かに音がした。瞬間、地面を蹴り、一瞬で距離を詰める。だが、標的を目視する前に、聞き覚えのある銃声が眼前を横切った。

どさりと物陰から出てきた死体は、眉間に一つ、赤い穴を開けていた。血と一緒にどろりとした脳味噌が零れ出ていて、床の赤をより濃くしていく。

思わず笑みが零れる。相変わらず、惚れ惚れするほどの仕事っぷりだ。何百ヤード離れているのやら。しかも屋内を移動する的の、眉間ど真ん中を仕留めるなんざ。リドにしかできない芸当だ。

 俺の拙い教え方でここまでモノにするのだから、元来の才能に舌を巻くばかりだ。


いつの間にか視界に動くものは一つもなくなっていた。

国に仇成す百三十人の武装勢力が壊滅した。たった三十六人の、人間ですらない子供たちの手によって。

だがまだ終わっていない。まだ数が合わない。どこかに震えて隠れているはずだ。

唐突に花火の音が上がる。それが銃声だと分かった瞬間、俺は床に腹を向けて耳を澄ませた。

僅かな振動と僅かなエンジン音。

これはまずい。

すぐさま無線をリドへ切り替える。

「聞こえるか」

「ああ、これは困ったことになった」

「最後の射線はおそらく見られてるぞ。お前、移動できるか」

「無理だね。ここからでは車の位置がわからない。迂闊に動けば蜂の巣だ」

「了解。なら俺が行く。すぐに終わらせてやるから、顔出すんじゃねーぞ」

それだけ言って無線を切る。

車は全て破壊したはずだった。だが今、俺たち目掛けてアクセルを踏んでいるのは、間違いなく敵のピックアップ・トラックだ。俺たちの車なら音でわかる。

俺は建物の二階に駆け上がり、車の見えそうな窓際から外の様子を覗き込んだ。視界には、さっき殺しまくった奴らと同じ身なりの大人が四人。そして、見慣れた子供が二人。今朝、共に戦場へ向かった仲間の顔がそこにはあった。一瞬目を疑ったが、二人の次の行動で混乱は完全に吹き飛んだ。

ベルとレヴィは左手にスティックを持ちながら、右手でリドの隠れるビルの屋上を指差したのだ。


俺は窓から飛び出した。眼下のトラック目掛けて一直線に落下し、勢いそのまま一人目の大人の首をナイフで刎ねる。鮮血が噴き出すのと同時に、踊る死体のホルスターから銃を取り出し、隣にいた別の大人に向けて発砲した。

弾は太腿に穴をあけ、敵は膝から崩れ落ちる。その身体が地面に触れる前に、揺れる肩口目掛けて勢いよくナイフを振り下ろした。砕くべき脊椎ははっきり見える。ナイフを引き抜けば、また血が噴き出した。

後ろから叫び声が聞こえた。振り向きざまに銃のグリップを硬く握り、前に向かって槍のように突き放つ。叫んでいた敵の溝折に拳固がめり込む。内臓が潰れる感触がした。そうして動きの止まった男を、一切の躊躇なく顎の下から打ち抜いた。

これで三人。

顔を上げると、背を向けて走り去る影が三つ。だが一番大きい影だけは、タッーン、という音と共に止まった。眉間に赤い風穴を開け、男はあっけなく倒れた。

あいつ、顔出すなっつったのに。お節介にも程がある。

二つの小さな影は懸命に走る。だが、この俺から逃れられるはずがなかった。

地面を力いっぱい蹴り飛ばし、瞬きの間に追いついた。追いついたと同時にベルの首を切り裂き、心臓を貫く。ベルの幼い手に握られていたスティックがばらばらと落ちた。

しまった。足の速いレヴィから殺るんだった。

だが驚いたことに、先を走っていたレヴィは足を止め、落ちたスティックを拾いに戻ってきた。

這いつくばり必死にスティックを拾うその姿に、頭の中がすうと冷えていく。

「おい、大分キマっちまってるみてえだな。今の状況、理解できてるか」

「ああ…、あああ‼わかってる、わかってるさ!今からてめえに殺されるんだろ!でも…、でもよぉ、俺が悪いのか?弱い俺が悪いのか?死ぬのを怖いと感じることがそんなに許せないか‼戦争も勝ち負けもどうでもいい…、ただ死にたくない!死にたくない‼それが無理ならせめて……ら、楽に死にたいんだよおお。っそのためにはコレがいるんだよぉ!なあぁ!」

獣の咆哮のように、レヴィは声と唾を撒き散らした。

「仲間より、棒切れの方が役に立つってか」

「ったりめーだあああ‼あは、あああああ、そう、そうかわかった。あいつなんざ、なあ!てめえのチンポ咥えるくれえしか」

パシュ。

俺は引き金を引いた。一瞬おいて、地面にレヴィの死体が転がる。脳味噌がぶちまけられ、泥と血が絵の具みたいに混ぜ合わさる。

呪うように、レヴィの瞳は俺に向けられていた。


「殺したの」

いつの間にか、リドが隣にいた。重そうにレミントンを背負いなおし、眼下の死体二つを真っすぐ見つめていた。

「勝手だね。殺す必要はなかったのに」

「覚えておけ。俺は裏切りが何より嫌いだ。こいつらはそれを知っていた。俺に殺されると分かっていながら、お前の居所を指差した。むしろ殺さない理由がないだろう」

「呆れた。軍規を盾に私刑をしたということじゃないか」

「私刑も処刑も、結局やることは同じだろ。戦場じゃ善悪なんざ簡単にひっくり返るんだ。なら、自分の信条くらいは貫かねえと、最後まで進めなくなる」

頬に付いた血を拭うと、鼻腔に鉄のにおいが漂った。血とナイフと、汗が滲んだにおい。

「こいつらと緒に戦うの、楽しかったんだけどなぁ」

惜しむ言葉は自然と漏れた。開かれたままのレヴィの瞼をそっと閉じてやる。リドがぎょっとした視線を送ってきたから、俺は自虐気味に言った。

「別に嫌いで殺したわけじゃねえさ。何事にも境界がある。こいつらが越えたのは、越えちゃいけねえラインだったんだ」

「……君は、たとえ好む相手であろうと、敵なら殺すと言うんだね」

「ああ」

「…そうか。流石だな」

珍しく素直なその言葉に、つい溜息が出る。これだからこいつは質が悪い。

「あのな、俺がお前のこと、割と気に入ってるって知っててそういうこと言うか」

「ああ、ごめん。意地悪したつもりはなかったんだ。それ、分かりやすくていいと思うよ」

 リドはレミントンを降ろし、足元の死体に祈りを捧げた。神様は信じていないと言っていたくせに、何に祈っているのやら。

 否、神を信じていなくとも、リドは祈らずにはいられなかったのだ。


 

  ◇



 久々の軍服の袖通しは、窮屈の一言に尽きる。会議室までのそこそこ長い廊下の中で、何度そう思っただろうか。無意味に大仰な建物は、出来の悪い迷路みたいだ。

時折すれ違う大人たちの視線が、俺の胸の勲章に吸い寄せられている。一瞬ぎょっとした後に、どいつもこいつも不服そうに道を譲った。

ただ一つ空白のプレートのかけられた部屋を見つける。ノックして扉を開けると、中から男の声がした。

「やあ、待っていたよ」

偉そうに腕を組む老人の後ろで、壁面スクリーンがチカチカと瞬いている。

「大きくなったね。最後に会ったのは二年前だろうか」

「三年前だ、じいさん」

「そうだったそうだった。そういえば、君が私に我が侭を言ったのはあの時が初めてだったね。あの子、まだ生きてるのかい」

「ああ。だから、約束は守れよ」

「それは君次第さ」

老人は苦笑しながら、椅子に座るよう促した。

この眼前の男こそが俺のボス。この国のトップ。そして、俺の産みの親だ。たっぷりの科学と非倫理で、俺や仲間たちを造ってくれた。

「ということは、実験開始から五年というわけか。投薬やら何やら試しはしたが、結局実践が一番ということだね」

「おかげ様で」

「コンバットメディカルは幼少期が重要だからね。脳のリミッターを完全に取り払うなんて、成熟した大人には中々できない処置なんだ。理性とか思考とかも飛んじゃうけど、それは君たちには必要ないよね」

 老人はそう言いながら、愉快そうに手を叩いた。今の話のどこに笑う要素があったんだ。

「さて、本題だがね。三カ月以内に停戦協定が結ばれることになったよ。おめでとう」

「…あ?」

「武装解除と動員解除を命じよう。後ほど部隊にも通信兵を派遣して、今後の動きについても知らせるさ。まあ要するに、実験期間の終了だね」

 停戦協定、武装解除。そんな言葉を聞いたところで、安堵も喜びも湧くはずがなかった。

その先をもう知っている。戦場から戦場へ、場所が変わるだけの話だ。南が終われば北へ、北が終われば東へ、東が終われば西へ。

この国を本当に平和にしたいのなら、きっと住んでる人間全員死ぬのが一番手っ取り早いだろう。

それをやれと言われている。平和のために、地獄を作ってくれないかと。この男は言っているのだ。

 わざわざ呼び出されたにも拘わらず、たったそれだけで話は終わった。部屋を出る俺の背に、老人は言った。

「君が、大人になる日が楽しみだ」

 会議室を後にする。最後の言葉は、俺にとってこれ以上ない呪いだった。



三か月後、停戦だぁと声をあげ、通信兵が走ってやってきた。森を抜けた小さな丘まで、息を切らせて嬉しそうに。

小高い丘からは町が見えた。柔らかな明かりを瞬かせるその姿には、俺には得難い優しさがあった。

同じ国の中で、虐殺と平和が共存している。この丘から見える景色が、それを如実に表していた。遠くの町の温かな光。足元に転がる死体の山。丘のあっちとこっちでは、死の距離がまるで違う。

あの町が燃えるのは惜しいと思う。平和が尊いものであることくらい俺は知っている。でも、そんな尊い平和ってやつが、恐ろしく脆いということも、嫌というほど知っている。

この戦争が終わる。俺は、次はどこへ行くのだろう。この町と同じような平和が、この国にはまだ沢山残っている。その中のいくつを、無残に焼き払わなければいけないのだろう。

「綺麗だね、あの光」

隣にいたリドがぽつりと呟く。おう、と答えると、小さく開かれていた口元が、柔らかく弧を描いた。

リドが笑っていた。子供らしく、心底嬉しそうに、この世の黒を何一つ知らないような無垢な笑顔を浮かべていた。

眉間を寄せず、皮肉も言わず、ただ純粋に綻ぶその笑顔に、俺もつられて笑った。

するとリドはきょとんと首を傾げ、俺の顔を覗き込む。

「君の笑った顔、初めて見た」

「へぁ?」

予想外に間抜けな声が出た。ぺたぺたと頬を触られ、リドの手の冷たさについ目を瞑る。

「君、熱でもあるのか?」

「あ、いや、ちがう」

何故だか言葉が出てこない。叫びだしたいような、逃げ出したいような。

「俺だって笑うぞ。子供なんだから」

「ああ、そうか。そうだったな。でも驚いたよ。四年間も一緒にいて、こんなに優しく笑う君を見るのは初めてだ」

ふふ、とリドがまた笑みを零す。そんなに変な顔をしていたかと、急に恥ずかしくなる。

「…うるせー」

ばつが悪い、とは現状のことを指すのだろう。気まずくて、俺は話を逸らすことにした。

「なあ、お前はこれからどうする。また戦場にいくつもりか」

「そういう君はどうなんだ、どうせ人殺し以外、何もできないだろう」

「まあな。別の戦場に送られて、死ぬまで殺すだけの人生。お前以外の全員がそうだろうよ」

「…オレ以外?」

「お前は軍から戸籍を貰え。そんでどこか平和な国に行って、なんかこう、平凡に生きとけ」

 最初からわかってた、こんなもの俺がこいつを巻き込んでしまっただけの話だ。だから、これ以上付き合わせるわけにはいかない。そのための手は実は三年前から打ってある。格好つけすぎと笑われるかなと思ったけれど、リドは何故か、まっすぐ俺を睨みつけていた。

「君は、生きたいと思わないのか」

「——思わん。そりゃあ分不相応ってもんだ」

「オレは、君に死んでほしくない」

「俺も、お前に死んでほしくない。今日までは運がよかっただけだ。これから先も守り切れるとは限らないだろう」

「オレを守る必要なんてない」

「あるんだよ」

「どうして」

 なんでわかんねえんだよ。これだけ一緒にいて、助けて、守って、抱き合って、笑いかけて、キスをして、なんで『どうして』なんて言葉がでてくるんだよ。

食い下がるリドに向き直り、いい加減にしろと視線で訴えた。それでも睨みつけてくるから、俺はつい口にしてしまった。

「俺が、そうして欲しいからだ。この地獄の四年間なんざさっぱり忘れて、俺の知らないところで、楽しく生きててくれよ。俺はそれだけでいいんだ」

 言ってて恥ずかしくなった。柄じゃない自覚はあるが。当の本人はぽかんと口を開け、やがて呆れ顔で言った。

「ロマンチストなんだね、君。忘れていいなんて、再会を望んでいるみたいじゃないか」

 いつかまっさらになった俺たちみんなで集まって、思いっきり笑いながら握手をするんだ。夢みたいだけど、手の届くところにある夢。絶対に掴みたい。掴んで、幸せになりたい。




その夜、俺は一発の銃声で目を覚ました。すぐさま飛び起き、同時に枕元に置いたはずのAKが無いことに愕然とする。就寝前に点検して確かにそこに置いたのに、火薬の臭いすら残っていない。シーツに置いたはずのナイフも、ついでに隣で寝ているはずのリドの姿も無かった。

音を立てないようテントを出ると、足元にアレックスが倒れていた。首の付け根がぱっくり開いて、月明かりに照らされた血と骨がきらきら光っている。小さな手に握られていたのは細い釘ただ一本。彼なりに武器の代わりだったのだろう。

息を殺して慎重に動いた。何が起きているか、なぜだか俺は分かっていた。



月明かりが差し込む森の真ん中で、ぽつんとリドが立っていた。右手にはレミントンを、左手には血の滴ったナイフを握っている。見慣れたグリップと刃乱れだった。足元には顔が半分吹っ飛んだ上官殿が、ぴくぴくと芋虫みたいに痙攣していて、やがてぴたりと動かなくなった。

「おはよう」

爽やかな朝を迎えるような、ひどく日常的な声だった。右手のレミントンをめんどくさそうに放り投げ、リドは上官の手に握られていた小銃を抜き取り、俺にその銃口を向けた。

「何のつもりだ」

「見ての通り、裏切りさ。ああ、なんで最初に隣で寝ている君を見逃したのか意外かい。君は最後の予定だったんだ。ほら、君って首を刎ねても噛みついてきそうだろ。だから、他の皆を切り裂いてから相打ち覚悟で殺すつもりだったのに、うっかり銃を使っちゃった。この人、脂肪が厚くてなかなか死なないんだもん。イラついて、ついパーンってね」

その声は静けさそのもので、狂気や怒りは微塵もなく、冷たい殺意のみが伝わってくる。

「おや、戦場で呆けるとは君らしくないな。それとも、まだ状況が理解できていないの?」

リドはナイフを逆手に持ち替えながらそう言い捨てた。戦場、とリドは言った。この場は命の取り合いをする場所だと、こいつはしっかりと口にした。

ふと、ナイフを握っている右手の甲に、針で刺したような真新しい傷があるのが見えた。瞬間、アレックスが握っていた釘が脳裏を掠める。つまり、そういうことだ。

「なんで、こんなことしたんだ」

「そうすべきだったからさ。やはり君はオレという人間を理解していなかったようだな」

「ああ知らねえよ!平気な面で仲間を殺せるくそ野郎なんざ、俺の知ってるお前じゃねえ。だから聞いてんだろうが!

それともなんだ、お前にとって、俺たちは仲間でも何でもなかったってのか!」

そんなのってない。だって、俺は、お前を———


「いや、彼らは大切な仲間だったよ。それは殺した今も変わらない。優しく強い人たちだった」

白々しいと思いながら、その言葉が本心だと声の真摯さで察せられた。

それならどうして。喉まで出かかった言葉を吐く前に、リドは静かに話し始めた。

「本当はもっと早くやるべきだったんだ。もう戦争は終わるんだ。ならこんな殺戮部隊、生かしておく道理はないだろう」

淡々と、紙に書かれた文言を読み上げるような言葉だった。

「たった数十人の少年の死によって大勢の命が救われる。天秤にかけるまでもない」

「だから!明日で戦争が終わるのにか。なんで今なんだ」

「この戦争が終われば、また次の戦争が始まる。場所が変わるだけ、また誰かを殺すだけの毎日が始まる。そう言ったのは君じゃないか」

リドはそう言うと、銃と突き付けたまま笑った。

「怖い目をしているね。そんなに裏切りが嫌いか。気に入らないのなら、今すぐオレを殺せばいいだろう」

リドが、遊ばせていたナイフを放り投げる。眼前に迫るそれをキャッチすると、使い慣れた自分のナイフだと実感する。

武器を手にしても、動けるわけがなかった。


リドは、今にも泣き出しそうな、子供らしい笑顔を向けて、ぽつぽつと語り始めた。。


「いつも見る夢がある。業火に飲まれた灰色の中で、オレ一人が生きている夢だ。だがふと気が付いたんだ。あれは夢じゃない。夢で逢って欲しかっただけの、紛れもない現実だと。この光景を止めることができるなら、なんだってできると、強く心に誓ったんだ。

家族ごと村が焼かれていた時、オレは学校の帰り道を歩いていた。村に近づくほど臭いがきつくなって、気が付けば、積まれた死体の前に突っ立っていた。見慣れた顔がいくつもあって、怖くて怖くて、吐き気が止まらなかったよ。ふと、倒れている死体と目が合った。丸焦げなのに、あれが母さんだって、なんでわかったんだろうね。その目がさ、助けて、って訴えているんだよ。ぱりぱりに焦げた顔の隙間から、残っているはずのない瞳が確かに見えた。はっきりと」

風の音が強くなる。生温かい空気が、全身をさわりと撫でていく。

「足音に振り返った途端、顔を思いっきり殴られたよ。悲鳴もあげられず、気が付けばペニスを突き入れられていた。繰り返し繰り返し繰り返し、何度も何度も何度も」

絞り出すような声なのに、リドの口調はどうしようもなく爽やかだった。壊れたラジオの天気予報を聞いているみたいな、耳の奥に低く響く音。

俺は、自分でも気が付かないうちに涙を流していた。

「中を抉られながら、思ったんだ。なんて痛くて苦しいんだろう。怖くて、痛くて、どうしようもなく死にそうなのに誰も助けてくれない。村のみんなは、こんな恐怖の中で死んでいったのだと。

気が付けばオレは君に助けられて、一人だけ生き残った。オレだけが生き残った」

死体に囲まれながら犯される意識の中で、こいつが抱いたものは罪悪感だというのか。

————生きていて、生き残ってごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。


胸に溢れる感情の意味も分からないまま、俺は涙を流し続けた。止め方がわからなかった。

こみ上げる嗚咽に耐えながら、俺は言葉を絞り出す。

「——他人を守るために仲間まで殺して、それでお前は何を得たんだ」

「そういう生き方しかできなかった。それだけだ。君だってそうだろう。守り方なんて、殺す以外に知っているのか?仲間を、オレを、何より君自身を守るために、いったい何人殺してきた」

カチッと、握られている銃から音がした。それがセーフティーを解除する音だと理解した瞬間、俺は反射的にナイフを握りしめた。

「オレは、君が嫌いだ。愛国心も正義感もなく、ただ命令だからと、守るためだと言い訳をして、なんの心もなく人を殺す君が大嫌いだ」

「お前だって同じじゃねえのか。こんな光景を作っておいて、俺とお前で何が違う」

 俺の言葉に、リドは眉間の皺を深めた。

俺は知っている。俺にも、リドにも、あのいけ好かない老人にさえ守りたいものがあった。誰かを守ろうとするとき、人がどれほど残酷になれるか、俺はちゃんと知っている。

「生き方に選択肢なんてなかった。それだけだろう」

「君はオレとは違う」

 そのリドの口調に、一瞬の躊躇いがあった気がした。

「君が持つものは君の中の正しさだけだ。軍規でも法でもなく、君の信条がオレを許さない。裏切りを許さない。だから君は眩しいんだ。だから君は、オレを殺すしかないんだよ」

 運命は止まってくれない。この少年が何を望むのか。それは——

「やめろ、——やめろ」

「罪には罰が下らなければならない。オレを裁くのは君だ。最後に君が見せた甘さが、オレを殺すんだ」

甘さ。その言葉に、いよいよ俺の緊張感は限界に達した。

「初めて会った時から、君はオレを警戒し続けていただろう。本当に勘がいいんだな、君。おかげで四年間も、大人しく人殺しに従事するはめになったよ。なのに、よりよって今日、なんであんな事言ったんだ!」



「オレを守る必要なんてない」

「あるんだよ」

「どうして」

「俺が、そうして欲しいからだ。この四年間なんざさっぱり忘れて、


——俺の知らないところで、楽しく生きてくれよ



「また、オレ一人だけ助かるなんて、そんなの、耐えられるわけがない」


 地獄が唸りをあげている。それは戦場であり、眼前であり、リドの心の中だった。 

「オレは、今度こそ助けるんだ。穏やかに生きる人々を。丘から見える平和な町を」

「…顔も知らない誰かを助けるために、あいつらを殺したのか」

「そうだ。そして、君もオレも、その死体の列に加わるんだ」

 自分の発言の矛盾に気が付くこともなく、リドはそう口にした。

 リドは本物の人間なのに、偽物の俺よりずっとずっと歪だった。


震える手が重なった日を思い出す。あの日から、お前は一人で戦っていたのか。

俺はリドが怖かった。自分を犯した相手。自分を殺そうとした相手。そんな奴らの死を悼むことのできる異常さを、心底恐ろしいと思った。

だから警戒した。だから近くに置いた。だから、一緒にいたかった。

だから、笑ってくれて嬉しかった。


「この光景はオレの罪。でも、引き金は君だ」

責任を取れと、そう言うのか。


 かちりと、頭の中で音がした。


「——ああ、わかった」

次の瞬間、リドの構えた銃口から火薬が弾けた。反射的に俺は眉間にナイフをもっていく。寸分の狂いもなく弾丸はナイフに命中し、激しい金属音をたてて俺の腕を痺れさせた。

ナイフの届かぬぎりぎりの間合いにリドは立っていた。踏み出さなければ、殺される。ならばやるしかない、生き残るために、この男を殺さねばならない。その瞬間、俺は腹を括った。

リドが二発目の引き金を引く前に、即座にナイフを持ち替え、距離を詰める。一秒にも満たない時間で行われる命のやり取り。今まで幾度となく繰り返された殺戮の動作が、お互いを殺すために発揮される。

眼前にせまったハッシュパピーが再び快音をあげる。回転する弾丸は俺の睫毛を掠め、後ろへ飛んで行った。必ず眉間にくると分かっているなら、どんな距離だろうと避けられる。腕の良さが仇となったのだ。

そこから先に迷いはなかった。腰を落とし、欠けたナイフを前へ突き出す。

切っ先が、一切の抵抗なくリドの腹に収まった。まるで対の鞘のように、すっぽりと。


かちりと、頭の中で音がした。


リドの身体から力が抜ける。惰性でつんのめった身体が泥の様にもたれかかった。肩に乗せられた口元から零れる小さな吐息が、もうすぐ命が消えゆくことを示していた。

「——は、っう…」

肺腑に残されたか細い声。最後の言葉。最後の呼吸。最後の最後に、やはりこいつは笑顔を浮かべていた。

泣きたくなるほど、穏やかで、愛しかった。


———君は、死ぬな


最後のぬくもりが失われた。その身体が崩れ落ちていくのを、俺は茫然と見ていた。リドの身体がずるずると俺の身体を撫でながら落ち、つられて俺も膝をつく。倒れた身体を抱き上げると、生温かくて、柔らかくて、重かった。リドだったものは、どこにでもある死体に成り下がったのだ。この手の中で、この手によって。



初めて出会った日のように、俺はリドを背負って歩き出した。もう重みによろけることはない。今度は急ぐ必要もない。

建物を出て森を抜け、白んだ空の下をえっちらおっちら進んでいく。やがて辿り着いたのは小高い丘。平和な街と戦場の境目だ。

昇ろうとする朝日の眩しさが、点在する街の灯りを飲み込んでいく。あの輝きは人の営みだ。あのちっぽけな明かりこそが、平和という優しさの欠片なんだ。

こいつの守りたかったもの。こいつが願ったもの。その一つ一つが白い光に馴染んでいく。

自分よりも、仲間よりも、顔も知らないどこかの誰かが大切だなんて。

あのちっぽけな明かりを守れて満足だと、笑って死んでしまうなんて。

「……馬鹿だなぁ、お前」

彼方の街に呟いた。生ぬるかった風はいつの間にか止み、穏やかな凪が俺たちを包み込む。

ああ。本当に、好きだったなあ。

自分は人間じゃないと思っていたのに、気が付けば人間らしい感情ばかり抱くようになっている。だけど、俺は躊躇いなくナイフを前へ差し出せた。

リドは、最初から俺を殺す気なんてなかった。


――オレは、君に死んでほしくない

 ——君は、死ぬな


 生きて欲しいと、願ってくれた。生きて欲しいと、俺も願った。こんな歪な二人なら、寄り添って生きていく道もあったかもしれないのに、もう何もかもが遅かった。

 

 

この胸の痛みも、死体の重みも、いつか忘れてしまうのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

MK22 Mod0 @rakkonoodeko789

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ