三題噺 心臓 クッキー 毛布

N通-

魔女のクッキー


 

 昔々、今よりほんの少しズレた世界のお話。

 

 とある村から離れた所に、不老不死の青い瞳の魔女が住んでおりました。魔女は、村人たちに時には薬を売り、時には魔物を退治しと、とても活躍していました。

 

 しかし、それは村人たちから“努力”という思考を放棄させてしまっていたのでした。その放棄は、じわじわと広がる毒のように長い長い年月をかけて、村が魔女という存在がいなければ成り立たなくなる程に蝕んでしまっていたのです。

 

 賢い魔女は、その事に気付いてからあの手この手で村人たちの自立心を養おうとしましたが、それらはことごとく失敗に終わってしまいました。甘い甘いクッキーのような猛毒にすっかり侵されてしまっていた村人たちには、もはや手の打ちようがなかったのです。

 

 困り果てた魔女は、とうとう闇の呪法に手を出してしまいます。

 それは、村人たちを強制的に眠らせて、永遠の眠りにつかせ、魔女自身が未来永劫見守るというものでした。

 

 そう、魔女自身も目的と手段を間違えてしまうという、この優しい猛毒の影響を受けていたのです。

 

 長い、時が経ちました。それは噂話としてまことしやかに近隣の村や街へと広がっていったのです。

 

 曰く、邪悪な不老不死の魔女が自分の実験に村一つを巻き込んで、自分の王国を作る足がかりにしようとしているというおとぎ話。しかし、それは実際に起きた事実であり、魔女は実在しているのです。

 

 ある時、そのおとぎ話を聞き育った青年冒険者がやってきました。

 

 既に樹海に飲み込まれていた村は、しかしまだ建物や人々だけは在りし日のままの姿を維持していたのです。青年の冒険者はそのことに酷く驚き、また邪悪な魔女の実在を確信しました。青年は正義に燃える心と共に、単身魔女の館へと乗り込んでいきます。

 

 バンッ! と乱暴に開け放たれた魔女の館の玄関扉。そのエントランスの上、扇状に広がる階段の上から、魔女は久々の来訪者を歓迎しました。

 

「やあやあ、ようこそいらっしゃいましたお客人。今宵は盛大に宴を開こうじゃないか!」


「邪悪なる魔女の言葉に騙されはしない! 今すぐ村の人達を開放しろ!」


 魔女の言葉を一顧だにせずに、青年は剣の切っ先を魔女へと向けました。魔女は、その青年の態度にうっすらと笑いを浮かべます。

 

「ふ、ふふふ、あはははははは! これは傑作だ、冒険者くん。私が彼らにもたらした安寧に対して、これを破棄しろとは冗談も大概にしてほしいものね!」


「な、何を!」


 狂気を孕んだ魔女の言葉に、青年は一瞬怯んでしまいました。しかし、己を鼓舞し、再び魔女と相対します。

 

「狂乱の魔女、“悪魔の心臓”め! その鼓動、今ここで止めてやる!」


「ははっ、いいだろういいだろう、この私を倒せるものなら倒してみるんだね!」


 魔女は、“赤い目”を不気味に光らせて、その二つ名の通り凶悪な魔法を次から次へと放っていきます。しかし、青年も負けてはいません。崇高なる使命の為に、鍛え上げた肉体と精神、そして魔力。青年は全身を魔力で覆い、魔法使いへの特化戦闘状態である“魔鎧者(まがいもの)”を使い、応戦します。

 

 長い年月をかけて狂っていった魔女に対し、清浄な力を磨き続けてきた青年は死力を尽くして戦い続けました。その戦闘は、もしこの場に他者がいたとしても最早双方を人類として認識出来るものではなかったのです。

 

 7日7晩の接戦を制したのは、辛うじて青年でした。お互いに息をつくのもやっとの状態ではあったものの、青年は二本の足で立派に立ち、魔女は大の字に倒れ、その右腕と左足、そして心臓をえぐり取られてしまっていました。

 

「ど、どうだ狂乱の魔女、“悪魔の心臓”はこの手にあるぞ!」


「見事だよ青年。さあ、それを握りつぶすがいい。そして私達を開放せよ」


 青年は一瞬魔女の言葉に違和感を感じていましたが、所詮は戯言と言い聞かせ、魔女の心臓をキレイに断ち切りました。

 

「あ、り……がと……う」


「な、なんだって……?」


 崩れ行く体を見ながらでさえ、魔女の微笑みは最後の最後まで残っていました。

 

 風が吹きすさび、魔女の体のちりですら舞い散って全てが無に戻ったとき。魔女がかけた呪法が解けていきました。

 

「これで、村の人達も助かる。早速様子を見に行こう」


 青年は魔女の館を後にすると、まるでそれを待っていたかのように、魔女の館そのものが光に溶け込んでいくように消えてしまいました。青年は、その光景にしばし見とれてしまった自分を恥じ、村へと向かいます。

 

 村では、魔女の呪法から目覚めた人々がおろおろと周囲の様子のあまりの変化に戸惑っていました。そこへ、青年が笑顔で駆けつけます。

 

「悪の魔女は滅びた! あなた方は自由だ!」


 その宣言を聞いた村人は、初め理解出来ない顔をして、徐々に頭にその言葉の意味が浸透していき、何が起こったのかを、どうなってしまったのかを魂で感じたとき、怒りの余り怒号が飛び交います。

 

「なんてことをしてくれたんだ!」「この人殺し!」「私達の魔女様を返して!」「終わりだ! この村はもう終わりだ!」


 あまりの剣幕に、青年は顔面を蒼白にして立ち尽くしていました。そして、気がついた時には反射的に怒鳴り返していたのです。

 

「あなたたちは狂乱の魔女によって何百年とここに封印されていたんだぞ!? それを俺は救った! なのに、何故糾弾されなくちゃいけないんだ!!」


 しばらく醜い言い争いが続きます。幾ら怒り狂っていたとしても、冒険者と、それも魔女を打ち倒すような精強な戦士と渡り合えるような者はいなかったのです。そのため、何も進展が進まないまま双方ともに声が枯れ始めた頃、1人の少女がおずおずと青年に近寄っていきました。

 

「な、なんだ」


 少女は、とてもとても悲しげに目を伏せて、一冊の書を無言で青年に手渡しました。そして逃げるように走り去っていきます。思わず受け取ってしまった書を見て、青年は怪訝なかおをします。それは、魔女による診療記録、と題された本だったのです。

 

「あんた、それを読めるのか?」


「バカにするな! 文字ぐらい読める!」


「そういう意味じゃねえよ……」


 悲壮に呟いた中年の村人を警戒しながらも、青年はそれを読みました。

 

 

 

 

 ーーーーうわああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!

 

 

 

 

 

 ーーかつて、冒険者だった青年は元村の跡地に、ただただうずくまっていました。何も食べず、何も飲まず、虚空を見つめ、己の罪を悔いていました。

 

 そこへ、かつてその青年に診療記録を渡した少女が、今度は暖かそうな毛布を差し出しました。毛布を見ても、何も反応しなかった青年でしたが、その毛布の端に刺繍された可愛い魔女の絵とサインを見つけてしまい……その毛布を奪い、抱きしめ、泣き崩れました。

 

 彼女は狂乱の魔女などではなかったのです。

 

 アリリアン・ヴィルヘイム。それは村を救い、自らの救いを求めた、1人の魔法使いの名前なのでしたーー。

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