十二章 利根川
新年を迎えた日、年賀状の束のなかに陽子は懐かしい丸文字を見つけた。
古川恵だった。
そのままの名字なことを確かめて、陽子は裏をめくった。あのころの恵によく似た、けれどもっとずっと明るくて可愛らしい女の子の顔が描かれた木版画だった。
ヨーコちゃん、お便りどうもありがとう!
ごめんね、なんだか恥ずかしくてすぐに連絡できなかったよ。
絵を描いてるんだね。あたしもいまだにこんなことしてます。あれからいろいろありすぎて、話したらきっとびっくりするよ。
また二人展したいね!
芥子粒みたいなちいさな文字でメアドと電話番号も添えてあった。
陽子は財布とスマートフォン、それから保温瓶を持って家の外にでた。夫は例年通り元朝参りにいって実家へと寄ったきり戻って来ていない。このあたりでは元日の朝にお参りにいく。陽子はそれを見越していた。
空は青く、明るく澄んで、広々としてのどかだった。気温は低くとも、風があまりないために寒さをさほど感じない。それでも陽子はダウンコートを着込んだ。今から行く場所は風があるからだ。
一時間ちかく歩いただろうか。道路は元旦らしく、車の交通量も少ない。いや、それでもあの年中無休のスーパー付近だけはまるでラッシュ時のように混雑していた。
陽子はそれを横目にひたすら川の真ん中を目指して歩いた。二車線ある橋の、ごく細い遊歩道をずんずん進んだ。日本一広大な流域面積を誇るこの川の太い、豊かな川幅を身体で堪能したかった。
土手は乾き、夏にはあれほど旺盛な緑の色を失っていながらも冬枯れのわびしさはない。川面に空の色をうつした紺碧がある。
陽子は橋のちょうど真ん中で立ち止まった。車がすぐ横を凄いスピードで通りすぎる。
どこにも、まったく、なにも遮るもののない平野らしく、視界すべてが三百六十度完璧に見渡せる。頭をあげる。これほど枠に嵌められていない大空を見るのはひさしぶりだった。
陽子は保温瓶の蓋をあけて紅茶をひとくち啜った。舌を火傷しそうだった。
大きく、深く、息をつく。
それからスマートフォンを取りだした。川風に飛ばされないようしっかりと年賀葉書をもつ。呼び出し音を聞く。
なんて話し出そうと考える。
まず名乗ろう。そして、じぶんも旧姓に戻るかもしれないと言おう。いや、それよりも、二人展の話しをするべきか。馬を描くと言おうか。
呼び出し音は鳴りつづける。
川風が、轟々と吹いている。
了
坂東夫人 磯崎愛 @karakusaginga
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