レースのカーテンから入る、淡い光が部屋の中を優しく照らす。アンティーク調の調度品が並び、大きなデスクと重厚感のあるソファーが並ぶ。床に敷かれた絨毯は、踏むことを躊躇してしまうほどに鮮やかである。

 目の前にある猫足のローテーブルの上には、ティーセットとお菓子やケーキが並んでいる。異国を訪れたかのような部屋で、紅茶の香りに包まれながら僕はソファーに座っている。宝石のように輝くケーキを掬うと、口に運んだ。すると、さっぱりとした口に広がった。


「ごめんなさいね。こんな所で……」

「いえいえ! 大丈夫ですよ! 素敵なお部屋だということは、十分に伝わって来ます。それに、なんだが秘密基地のようで楽しいですよ! ケーキや紅茶も美味しいです!」


 ケーキに舌鼓を打っていると、向かい側のソファーに座る鬼瓦さんが悲しそうに告げた。彼の目線の先には、積まれたダンボールの箱がある。鬼瓦さんの提案で、彼の仕事部屋であるこの編集長室を訪れた。

 すると他の部屋よりは少ないが、それでもかなりの量のダンボールの箱が山積みにされていたのだ。その惨状を見た際の鬼瓦さんは表情を失っていた。今はその山を切り崩し、何とかお茶をする空間を確保した状態である。意気消沈している彼には悪いが、僕はこの状況を楽しんでいる。

 豪華絢爛な内装は素晴らしいが、何方方と言うと僕は日常的に見知っている物に囲まれている方が安心をする。加えて、即席のような空間が子どもの頃に作った秘密基地を彷彿とさせる。


「……春くんは優しいのね、ありがとう」

「いえいえ、そんな……。ですが、如何してこの様なことになっているのですか? 機密事項に関わるのでしたら、お答えいただかなくて大丈夫ですが……」


 鬼瓦さんは金色の瞳を見開いた後に、優しく微笑んだ。僕が優しいというのは些か疑問ではあるが、僕は気になっていた事を尋ねた。勿論、編集社の秘密ならば知ることは難しいだろう。しかし、知ることが出来る可能性がならば知りたい。


「大丈夫よ。ほら、此処って編集社でしょう? 日々、沢山の紙が使われて廃棄されるの。それを処理している役割を担っていた怪異が寿退社して、人員不足になってしまったのよ」

「そうなのですか……」


 僕の質問に快諾をしてくれると、彼は理由を口にした。鬼瓦さん以外にも怪異がこの場所に勤めているという事実に驚く。だが編集長である彼が怪異であるなら、従業員の中に怪異が居ても不思議でもないのかもしれない。


「それで、処理待ちで貯まりに貯まってしまって……。さっき、この建物自体が怪異だって話したじゃない?」

「はい」


 処理を待つ紙が大量にあること、それが発生してしまった理由は分かった。すると次に、この建物の話になる。彼の言葉に僕は頷いた。


「処理待ちの紙を保管場所に置いていたのだけど、その場所だけでは収まらなくなってしまったのよ。そしたら『早く処理しろ!』って言うように、会議室や応接室に箱を移動させたのよ! 私たちも新しい処理係を必死で探しているのよ!? 酷くない!?」

「わぁぁ……大変ですね……。その処理というのは難しい作業なのですか?」


 後半は声を荒げるところを見ると、相当そのことで疲弊しているようだ。そこで僕は紙の処理について質問をした。


「そうね……難しいと言えば難しいわね……。あれは、怪異でも専門分野の域なのよ」

「そうですか……。もしかして、特殊な紙とインクが使われているからですか?」


 処理が難しく怪異でも専門家しか出来ないという言葉を受け、パズルのピースが合うかの様に思いついた内容を口にした。


「……え? あら! 大正解よ! え? 何処で知ったのかしら?」

「嗚呼、えっと……。今日、此処を訪れる前に尾崎先生から説明を受けました」


 僕の思いついた事を伝えると、鬼瓦さんは金色の瞳を見開いた。彼にとって、僕が特殊な紙とインクが使われていることを知っているのは予想外だったようだ。先生から教えてもらったことを伝える。


「あ、あの無愛想朴念仁が!? 大丈夫だった?! 恭介は、ちゃんと説明をしたかしら?」

「大丈夫です。それに『無紙眼鏡』という貴重な物を貸して頂いて、文字を見せていただきました!」


 彼はソファーから立ち上げると声を荒げた。何故、鬼瓦さんが驚き慌てるのかは分からない。先生は気遣いが出来、説明も分かりやすいのだ。ちゃんと説明をしてもらえたこと、貴重な体験もさせてもらえたことを話す。


「そう……それは良かったわ! でも、貸したわけではないと思うわよ?」

「……え? ええ!? 何で此処に?!」


 鬼瓦さんが再びソファーに座ると両手を合わせて叩いた。そして、笑顔で僕の肩を指さした。その指先を追う様に僕は右肩を見た。するとそこには、黒い箱が乗っていた。これは先生に借りた『無紙眼鏡』のケースだ。何故、此処にあるのだろう?

 しかも肩に乗っているのだろう?此処に来るまでの道中はリュックサックを背負っていたし、先程まで肩には何も乗っていなかった筈である。僕は突然現れた『無紙眼鏡』の存在に動揺して飛び上がった。


「それは勿論。貴方のことを使い手であり、持ち主だって認めたからよ?」

「え!? いや……その一時、借りただけなのですが?」


 鬼瓦さんは当然とばかりに、僕が『無紙眼鏡』の持ち主だと言う。しかし僕は先生が書いた伝言を読む為に、一時借りたに過ぎない。それに確か、先生の書斎に置いてきた筈だ。何故、それが僕の肩に乗っているのだろう。

 如何したら良いのか分からず、肩の『無紙眼鏡』をそのままに話を続ける。


「そうは言っても、『無紙眼鏡』は一点物なのよ。掛けること認めるのは唯一人だけ」

「なんと言うか……武士のようですね……」

「そうね。一途で忠誠心に厚い怪異よ! 良かったよね、春くん!」

「えぇ!? いやいや、勇美さん。これは先生の所有物ですし……返さないといけませんよ……」


 更に彼は『無紙眼鏡』の特性と性格について教えてくれた。眼鏡も怪異であることには驚かない。事前に尾崎先生から、使用者の認識度により見方が変わることを聞き体験をしていたからだ。

 そういう不思議な眼鏡ならば、怪異の可能性もあり得る。その性格がとても義理堅いようだ。慕われることは嬉しいがが、その貴重性を考えると先生に返すべきである。


「あら! いいじゃない! アイツが何も言わなかったのだから、貰っちゃいなさいな! それに恭介だって『無紙眼鏡』の習性は知っているから大丈夫よ! あ! きっと春くんにあげるつもりだったのよ! 本当に言葉が足らないのだから!」

「そ……そうなのでしょうか?」


 確かに、先生は『無紙眼鏡』についてよく知っている様子だった。鬼瓦さんは貰うべきだと主張する。だが僕は、先生が返却を求める言葉を忘れているのだろうと考える。あの時の先生は疲弊し、眠そうだった。その様な状態では、まともな判断は出来ないだろう。


「ええ! それに……唯一認めた主人に要らないと言われたら、その子悲しんでしまうわよ?」

「……そうは言っても……うっ!」


 彼の視線の先は、僕の右肩に注がれている。思わず肩を見ると、黒い箱がかたりと動いた。まるで、『要らないのか?』と語りかけるようだ。


「ふふふ。答えは決まったかしら?」

「えっと……その、一応……尾崎先生に確認をして許可を頂けたら……ということで如何ですか?」


 この場で直ぐに答えを出すことは出来ない。やはり先生に確認をしたい。そう思い黒い箱にそのことを伝えた。すると箱は了承するように、小さな音を立てると肩から飛び降りた。そしてソファーに置かれている僕のリュックサックへと入って行った。

 如何いう原理で動いているのかは分からないが、怪異ならば何でも出来るのだろう。そう結論付けると、黒い箱に納得してもらえた事にほっと一息を吐いた。


「ほら! ケーキもお菓子も沢山あるから、どんどん食べて!」

「ありがとうございます」


 鬼瓦さんに促され、僕は再びフォークをケーキへと伸ばした。


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