定期的な音を立て体が揺れる。


「…………」


 予定していた電車にぎりぎり乗ることが出来た。そのことに安堵しながら、流れる景色をぼんやりと眺める。

 電車の窓からは、建ち並ぶビルが見える。新しいビルもあれば、年季の入ったビルもある。時々、看板から文字が消えている物もある。それが風化によるものか、人為的なものかは分からない。

 そんなことをぼんやりと考えながらも、先程の男性と黒い猫のことが頭から離れない。去り際では顔色も大分よくなってはいたが、気掛かりであることは変わらない。僕が心配したところで何かが変わるわけではないが、彼の体調が回復をすることを祈るぐらいは出来る。


「……はぁぁ……ふぅぅ……」


 そして僕は深呼吸をする。時間帯の所為か、この車両に乗るのは僕一人だけだ。己の呼吸音と電車の刻む音だけが響く。何度か深呼吸を繰り返すと、気持ちを切り替えることにした。今の自分は、バイト中である。

 尾崎先生と鬼瓦さんの信頼と、信用を裏切る真似はしたくない。ならば、現在の職務に集中するべきである。

 そう自分に言い聞かせると、アナウンスが目的の駅名を告げた。ホームへと降り、人の流れに沿うようにしてオフィス街を歩き出した。


 高層ビルに囲まれた一角に、バロック建築の建物が姿を現した。周囲を近代的な雰囲気に囲まれつつも、その建物は独自の威厳と存在感を放っている。此処が目的ではあるが、予想していた建物と雰囲気が多く違っていたのだ。


 その為、スマホに送られてきた地図を再度確認する。


「し、失礼します……」


 目的地がこの場所で合っていることを確認し終えると、僕は入口である回転扉に手を掛けた。余分な力を使うことなく、回転扉はするりと回り僕を建物内へと招き入れた。


「わぁぁぁ……」


 入り口の絨毯の厚みに思わず、姿勢を崩しそうになりながらも周囲を見回す。此処は建物の顔であり、受付を兼ねているホールのようだ。

 壁や柱は滑らかな円形を描いている。磨き上げられた大理石の床に始まり、壁や天井には豪華絢爛な装飾が施されている。他にも来客をもてなすかのように、絵画や壺、彫刻など美術品の数々が飾られている。

 そして吹き抜けとなっている天窓から、内装が優しく照らされている。その光景は、まるで外国の美術館を訪れたかのような錯覚を感じた。


「春くん! いらっしゃい!」

「……あ、勇美さん! こんにちは、お邪魔します」


 異国を訪れた観光客のように、建物の内装や美術品を眺めていると僕を呼ぶ声に顔を上げた。声の主は、吹き抜けとなっている二階から大きく手を振りながら石造りの階段を降りて来た。

 艶やかな紺色の髪に、金色の瞳を縁取る眼鏡。そして彼の全身を包むクラシカルな米ドル服。そう、僕が今日会いに訪れた鬼瓦さんその人である。僕も彼に駆け寄ると、挨拶を告げた。


「嬉しいわ! 春くん! 貴方だったら、いつでも大歓迎よ! ようこそ、我が編集社へ!!」

「ありがとうございます。僕もこのような素敵な編集社を訪れることが出来て嬉しいです。こちら、先生から預かって参りました原稿になります」


 笑顔で両手を大きく広げると、彼の声がホール全体に響いた。彼の服装も相俟って、此処が西洋の館や劇場のように思えてくる。僕は彼に招いてくれたお礼を告げた。それから僕は、本日の目的である菫色の風呂敷包みを鬼瓦さんに手渡した。


「ふふふっ! ありがとう! 疲れたでしょう? さあ、二階に行きましょう!」

「え!? あの……勇美さん? 原稿は今、お渡ししましたよね?」


 鬼瓦さんは原稿を受け取ると声を弾ませた。そして微笑み、階段の上を指差した。そのことに対して、僕は首を傾げた。僕が今日此処を訪れた理由は、尾崎先生の原稿を届けるアルバイトだからだ。鬼瓦さんは編集長として忙しく働く身である。長居するのも悪い。


 だから、僕は原稿を渡したら直ぐに帰るつもりなのだ。


「……え……。アルバイトをお願いした、本当の理由忘れちゃったの?」

「え!? ……あ! そうでした……すいません。しかし……お仕事や、お時間は大丈夫なのですか?」


 彼は先程の笑みを消すと、真顔で僕に問いかけた。整った容姿を持つ人の真顔は、威圧感が凄い。加えて彼が怒っているように思えた。

 そこでアルバイトをする事になった時の事を思い出した。そうだ、彼が僕に会いたいと言ってくれたからだ。だが、本当に仕事中にお邪魔をしていいもの分からない。忙しい時に来てしまったかもしれないからだ。優しい彼のことだから、約束を守ろうとして無理はして欲しくない。だから確認をする言葉を口にした。


「勿論、大丈夫よ! 恭介から連絡があったから、仕事は全部終わらせてあるし! ケーキや菓子も沢山用意してあるのよ! 一緒に食べましょう! 春くんに会うための口実で、恭介の原稿はオマケなのよ!」

「……ははは……。では、遠慮なくお邪魔させていただきますね!」 

「ええ! 一名様ご案内!」


 ウインクをすると、僕を安心させるように微笑んだ。先生の原稿をオマケと称する鬼瓦さんではあるが、原稿を抱える手付きは優しい。彼が原稿を大切に思っているのが伝わってくる。仕事が終わっているのならば、彼の邪魔にはならないだろう。それに僕も彼とゆっくり話をしたかった。此処は鬼瓦さんの好意に甘えよう。


 僕は頷き、彼に続き階段を上った。


「ほわぁぁ……二階も凄いですね。映画の中みたいです……綺麗ですね……」

「ふふふ! そう? そんなに喜んでもらえると、招待した甲斐があるわ!」

「建物自体が芸術作品ですよね……」


 緩やかな弧を描く白亜の階段を上り、二階に着くと僕は感嘆の言葉を口にした。一階部分も然る事乍ら、二階部分も同様に豪華絢爛な内装となっている。

 途中の階段や吹き抜けの手摺に使われるマホガニー材は輝いている。汚れ一つなく、僕の顔が映る。まるで鏡のように、映す手摺には触れることを躊躇するぐらいである。


「ふっふっふっ! それどころか、この建物自体が怪異なのよ!」

「……え……。えっ!? と、ということは。僕たちは怪異のお腹の中に居るということですか!?」


 鬼瓦さんが笑い声を上げると、衝撃的な言葉を告げた。勝手に怪異は、生き物だけだと思い込んでいた。

 しかし今思い返せば、張間家で出会った付喪神さん達が宿る食器は生き物ではなかった。そのことを考えると、建物全体が怪異というのも納得がいく。怪異にも様々な種類や形で存在するのだろうと理解する。

 それとは別に、僕の現在置かれている状況を鑑みると落ち着いていられない。怪異の体内という場所に、僕が存在して良いのか疑問だからだ。


「そうね……。玄関が口だとしたら、この辺りは食道かしら?」

「え、えっと……。僕がお邪魔していて、本当に大丈夫ですか? 土足で入ってしまいましたよ? 靴を脱いだ方がいいですよね? 汚してしまって申し訳ないのです、掃除をした方がいいですよね? 用具入れは何処にありますか?」


 頬に手を当て、考える仕草をする鬼瓦さん。彼の答えを聞き、益々この場に僕が居て良いのか分からなくなる。鬼瓦さんは鬼という怪異であり、この編集社に所属する編集長だ。許可や認められているだろう。

 しかし僕は只の一般人であり、体内に土足で入ってしまった。それはこの素晴らしく、豪華絢爛な建物の怪異に失礼だ。僕は今更ながら、靴を脱いだ方がいいだろう。それから掃除もしなくてはいけないと考える。


「平気、平気! 落ち着いて、春くん! そもそも、気に食わない存在は入れないから。回転扉で拒まれたり、吹っ飛ばされたりするのよ! 通行証を持っていても気に入らなかったら、階段を溶かして流したり色んな方法で追い出したりするから大丈夫よ! 春くんは、ちゃんと認められているわ!」

「……そ、そうですか?」


 彼は慌てた様子で僕の言葉を止めた。そして、僕が此処に居ても大丈夫だと力説してくれた。鬼瓦さんのその言葉は有り難いのだが、今一つ自覚がないため僕は首を傾げた。


「そうよ! 入る時の、回転扉は重たくなかったでしょう?」

「……あ、はい。するっと……自動ドアみたいで……。まるで招き入れてくれたようでした」


 彼の質問の内容を思い出す。そうだ。回転扉は少しも重たくなかった。


「ふふ。それが答えよ。人を見て判断をしているの!」

「凄いですね……でも、僕は何もしていのですが……」


 自信満々に微笑む鬼瓦さんではあるが、僕は特段認めてもらえることなんて何一つしていない。それに心当たりもないのだ。


「何もしてなくないわよ! 私からの許可証を持ち、更に何処かの無愛想朴念仁の大切な原稿を持っているのだから! 入れて当然なの! しかも、その人物が春くんみたいな良い子なら気に入って当たり前よ!」


「……そう言って頂けると嬉しいです。でも、その……なんだか、少し恥ずかしいです……」


 彼の熱く語る言葉に、信用されていることを感じる。それと同時に、素直な賞賛の言葉に気恥ずかしくなった。


「あらあら! もう! 本当に可愛いのだから! この子たちも怪異なのだけど、皆人間に作られたから春くんが来てくれて嬉しいのよ? 皆、そわそわしている割に、澄ましちゃって! 私のお友達で、お客様なのに!」

「そうなのですか? 来ただけで喜んでもらえるなんて、嬉しいです」


 建物自体が怪異だということに驚いたばかりだが、如何やらその体内にある美術品や調度品も怪異のようだ。訪れただけで喜んでもらえるとは、驚くと同時に不思議な気持ちになる。


「そうよ! さあさあ、こっちよ!」

「はい」


 鬼瓦さんが美しい装飾が施された一つの扉の前で立ち止まり、その取手を掴んだ。そして開けた。


「あら、嫌だ。私ったら部屋を間違えちゃったみたい! こっちだったわ!」

「は、はい」


 彼は入る為に開けたはずの扉を凄い勢いで閉じてしまった。僕へと笑顔で振り向くと、隣の扉を指さした。話をしながら歩いていたから、部屋を間違えてしまったようだ。僕は頷いた。

 そして、隣の扉を開けた。


「あらら? おかしいわね? やっぱり、あっちだったわ!」

「勇美さん?」


 扉を開けると再び、凄い勢いで扉を閉めた。彼は明らかに動揺し、焦っている。如何したのだろう?何かあったとしたら。部屋に問題があったとしか考えられない。僕は彼の名を呼んだ。


「今度こそ!! …………」

「大丈夫ですか?」

「…………」

「わぁぁぁ……凄い段ボール箱の量ですね……」


 そして三枚目の扉を開けると、扉を開けたまま彼の動きが止まった。急に固まってしまった鬼瓦さんに声をかけるが、返事がない。それほどの驚きと衝撃を受けているようだ。何が問題なのか知るために、鬼瓦さんの後ろから部屋の中を覗いた。

 しかし部屋の中を全て見ることは叶わなかった。何故ならば、積み上げられた段ボールの山が入り口を塞いでいたからだ。天井まで積まれているであろう、段ボールの箱たちに部屋を占拠されている状態だ。


「うぅ……なんで……。折角、春くんが来てくれてから掃除をしておいたのに……。確かに処分待ちの紙はあったけど……こんなに溜まるなんて……。こんな状態じゃあ、応接室も会議室も使えないじゃない……」

「大丈夫ですか、勇美さん!? あの……僕は大丈夫ですよ。立っていても勇美さんと、お話が出来れば場所は何処でも構いませんよ?」


 よろめくと壁に寄りかかる鬼瓦さん。部屋がダンボール箱に占領されていることにショックが隠せないようだ。顔色が悪く、眉間には皺が寄っている。彼は僕と会うのを楽しみにしてくれていて、掃除までしてくれた。

 そこまで、楽しみにしてくれていたことに、僕も嬉しくなる。しかし結果的に努力を無かったように、ダンボール箱の山に埋め尽くされてしまった。それを目の当たりにすれば、ショックを受けて当然だ。如何して部屋がこのような状態に陥っているのかは分からないが、このまま此処に居るのも良くない。僕は鬼瓦さんに場所に拘る必要性がないことを告げた。


「……うっ! 春くんは本当に良い子ね! そうね、私の部屋へ行きましょう! あそこなら、少しは大丈夫だと思うから!」

「はい!」


 金色の瞳を潤ませると、彼は新しい場所へ向かうことを提案した。鬼瓦さんの部屋ということは、編集長室ということになる。楽しみだと思いながら返事をした。



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