⑦
太陽が優しく照らす昼下がり。昼食の片付けが終わり、一息つくためにお茶を淹れようと薬缶を手に取った。すると、突然地面を揺らすような大きな音が響いた。
「……えっ!? 何の音だろう……」
律動的に発せられるその音を聞きながら、薬缶を置いた。
そして、この音の正体を探るべく廊下へと出た。如何やら音の発生源は庭の方からのようだ。一体何が行われているのか見当もつかない。だが、此処は尾崎先生の屋敷であり敷地だ。そのことから、第三者が勝手に何かをしているとは考え難い。
自ずと発生源には、唯一の同居人であり雇用主である先生が居ることが予想出来た。その様なことを考えていると、庭に通じる縁側に到着した。僕は両手で窓を開けた。
「え!? 棒!?」
軽く静かに開いた窓の向こう側には、屋根よりも高いであろう木の棒が地面に立っていた。予想に反して先生の姿はなく。更に周囲には誰も居らず、棒だけが青い空へと真っ直ぐに伸びている。
この棒は一体何なのだろう。僕は首を傾げた。
「あら! こんにちは、春くん!」
「……えっ!? えぇ?? 勇美さん!? 今、上から……それに、それは?」
ぼんやりと棒を眺めていると、不意に人影が庭に落ちてきた。現れたのは、なんと鬼瓦さんだった。何時ものクラシカルなメイド服に、身を包んだ見慣れた姿ではある。
しかし、彼の右手に持つ巨大な金棒は非日常的だ。何故、上から落ちて来たのか、巨大な金棒を持っているのか疑問で頭の中がいっぱいなった。その所為で、上手く言葉を紡ぐことが出来なかった。
「ふふっ! 屋根から、ちゃんと垂直に刺さっているか確認をしていたのよ。驚かせちゃったわね。ごめんなさい? あと、これは柱を立てるのに使ったの!」
「そ、そうなのですか……。こ、こんにちは……勇美さん。いらっしゃいませ」
「ありがとう! お邪魔しているわね!」
肩に金棒を担ぎ、笑顔で僕の質問に答えてくれた鬼瓦さん。如何やらこの棒は柱であり、これを立てたのは彼のようだ。先生同様、彼も怪異であるため色々と出来るのだろう。だが、柱ということは何かを支える支柱ということになる。
何を支えるためのものだろうか。加えて彼は何故、先生の屋敷に柱を立てているのだろう。そう考えていると、挨拶をしていないことに気が付き口にした。
「勇美さん、その柱は何のために立てているのですか?」
「ふふふっ! それは、これからのお楽しみよ!」
単刀直入に彼に柱の存在を訊ねてみたが、答えは得られず。代わりにウインクを返された。今は知る時ではないようだ。
「尾崎先生をご存知ないですか?」
「ん? 嗚呼、そのうちに来るから大丈夫よ!」
彼が家に来ているということは、尾崎先生も知っている筈だが姿が見えない。僕は沓脱石に置いてある下駄を履くと庭へと出た。彼は先生の所在について知っているようだが、柱と同様に僕には知らされないようだ。
「……そうですか。それにしても、勇美さんがお持ちのその金棒、凄いですね。重いですか?」
「あら! この金棒に目をつけるなんて、春くんはやっぱり見どころが良いわね! 全然重くないわ! 羽のように軽いの!」
柱や先生について知ることが出来ないと分かり、僕の関心は鬼瓦さんが持つ金棒へと移った。僕の言葉を訊いた彼は笑顔で、金棒を右腕一本で回転させた。それはまるで、ペン回しをするかのように軽やかである。
そして一通り振り終えると、地面に地響きを立てて金棒が置かれた。人間と怪異の間では、かなりの筋力差があるようだ。
「凄いですね! そういえば、勇美さんは鬼なのですよね? 角とか生えますか?」
「え? えぇ……。本当の姿になると……」
ふと、気になったことを口にした。それは人の姿を保っている怪異であり、且つ僕の知り合いが勇美さんだったからだ。彼は若干、戸惑ったような表情を浮かべた。
「あ、不躾にごめんなさい。ただ、以前に尾崎先生が耳と尾を生やしている姿を見たことがあるもので……。勇美さんも変身することが出来るのか興味が湧いてしまって……」
「いいのよ! 私の方こそ、ごめんなさい。人間のお友達が出来たことなくて、角とか怖がらせちゃうかと思ったから……」
優しい彼を困らせてしまった謝罪をした後に弁解をした。すると彼は控えめな笑みを浮かべると、戸惑った理由を告げた。
「え? いや、角とかカッコいいじゃないですか! 変身出来るなんて凄いですよ! カッコいいですね!」
「そ……そうかしら? ふふ、ありがとう……」
角があることで、僕が鬼瓦さんを怖がる理由になるとは思えない。寧ろ、カッコいいと憧れてしまうのだ。しかし、人を重い気配りが出来る彼だからこその心配なのだろう。優しい人物だと改めて思う。鬼瓦さんは僕の言葉に、金色の瞳を見開いた後に安心したように微笑んだ。
「待て、春一。お主、私が半分変化した姿を仮装と称したな? 何故、鬼瓦を讃える?」
「あら、恭介」
「あ、先生。荷物を持ちますよ」
土を踏みしめる音と同時に、背後から尾崎先生の声が響いた。振り向くと先生が立っていた。彼の両手は大きな包みを抱えて、右腕には小さな紙袋を提げている。荷物を受け取った方が良いだろうと思い、先生へと近付いた。
「応えよ」
「えっと……?」
荷物を受け取ろうと手を差し出したが、先生はその意図を汲むことはなく。菫色の瞳に僕を映し、質問に答えることを求めた。
「あら! あらあら! 恭介ったら! 自分が仮装だと言われたからって、春くんに当たらないでよね! 私のお友達なのよ?」
「私は理由を問いているだけだ。関係性を持ち出すのは意味が分からん」
鬼瓦さんが僕の横に立つと、顔に手を当てながら先生に話しかけた。すると彼は眉をひそめた。二人を取り巻く雰囲気がピリピリする。これは、何方か一人に冷静になってもらう必要がある。先生は僕が仮装だと言ってしまった理由を求めている。
つまり、その理由さえ告げれば彼はいつも通りの冷静な先生に戻ってくれる筈だ。
「あ、あの……勇美さん? ……先生?」
「何かしら?」
「なんだ」
僕がそれぞれの名を呼ぶと、二人の視線が僕に集まった。その反応は当然のことなのだが、通常よりも鋭い視線の圧に負けそうになる。
「えっと……その、先生の変化を仮装と称したのは、あまりにも非日常的だった為です。僕はお二人に出会うまで、怪異に遭遇したことがありませんでした。ですから非日常的なものが存在するとは考え至らなかったのです。……仮装などと失礼なことを言いまして、申し訳ございませんでした」
「……春くん……」
悪気があったわけではないが、先生を不快にさせてしまったことは事実だ。僕は理由と謝罪を口にして、頭を下げる。鬼瓦さんが気遣うように僕の名前を呼んだ。
「……ふむ、では……もっと非日常的な光景を見せてもいいのだが?」
「……え?」
「ちょっと! 此処で本当の姿に戻らないでよ! 貴方の大きさ、どれだけ大きいか分かっているの!?」
楽し気な声色で先生が新しい提案をした。すると鬼瓦さんが、そのことに対して焦ったように大きな声を出した。本当の姿や大きさというのは何のことだろう。僕には話の内容がよくわからず、顔を上げた。
「勿論だ。それに大きさの調節は出来る」
「そういう問題じゃないわ!」
「えっと……先生の本当の姿があるのですか?」
話を続ける二人に僕は疑問に思ったことを口にした。
「うむ。これは人の町で過ごす為の仮の姿だ。本来の姿はこの屋敷よりも大きいぞ」
「おぉ! それは、凄いですね!」
姿について説明をする先生の声は弾み、自信に満ちている。彼が怪異であり、人の姿をとり生活をしていることは知っている。だが僕は桜の怪異の際に見た、耳と尾がある姿が本当の姿だと思い込んでいた。
しかし、真の姿は別にあり。更にはお屋敷よりも大きいという事実に驚いた。
「……凄いか?」
「はい!」
彼は瞳を僅かに見開いた後に、首を傾げた。僕は先生の言葉を肯定するように大きく頷いた。
「……そうか、そうか。では、私の真の姿を見せて……」
「見せなくていいから!!」
感慨深げに数回頷くと、何かを言いかけた。しかし、それは鬼瓦さんの大きな一声で打ち消された。
「邪魔をするな。鬼瓦」
「するわよ! 大きさを考えなさい! それに本当の姿は、巨大な白い毛むくじゃらじゃない! 暑苦しい!」
「毛むくじゃらではない。妖狐だ」
言葉を遮られたことから、先生は眉間に皺を寄せ鬼瓦さんに鋭い視線を送った。だが、鬼瓦さんも先生を睨み、そして本当の姿について声を上げた。
「先生の本当の姿は、巨大な狐ということですか?」
「そうなるが、妖狐だ」
鬼瓦さんの発言をまとめると、先生は大きな白い狐ということになる。彼が妖狐だと頑なに主張するのは、動物である狐と分ける為だろう。一般的に建物よりも大きな狐の存在は確認されていない。先生が元の姿に戻った際に、狐と呼ぶのは種族や生態系に問題が発生するからだろう。
彼は色々なことを考慮し、行動を行っているのだ。
「冬ですと、見ているだけで温かそうですね」
「うむ、では冬になったら見せよう」
「見せなくていいの!」
白い大きな狐と聞き、想像したのはやはりその毛並みだ。現在、彼が人の姿をとっている髪の毛が、毛並みに反映されるとなればきっと艶やかで温かいことだろう。真の姿に戻った際には、先生から許可をもらい少しだけ触らせてもらいたい。僕が思ったことを口にすると、先生から冬になればと提案をされた。
必死に声を上げると鬼瓦さんには悪いが、僕には冬が来ることが楽しみだ。
「そういえば、その大荷物は如何したのですか?」
「嗚呼、これはな。鬼瓦」
「はぁい! もう、恭介の所為で遅くなったじゃない!」
「煽るお主が悪い」
話が一段落したところで、先程から気になっていた荷物について訊ねた。すると尾崎先生は両手で抱えていた風呂敷包みを鬼瓦さんに渡した。不満を露わにしながらも彼は、荷物を受け取った。
そして柱の傍に歩いて行くと、何か作業をし始めた。
「先生、一体何が行われるのですか?」
「まあ、見ていれば分かる」
「さあ! 準備出来たわ! いくわよ!」
これから何が行われるのか、先生に訊ねてみたが答えは得られなかった。だが、彼の言葉を聞く限り直ぐに知ることが出来るようだ。そう考えていると、鬼瓦さんの掛け声が響いた。
「わぁ! 鯉のぼり! ……でも何故?」
声につられて鬼瓦さんの方を見た。すると、青空に黒と赤と青色の鯉が舞った。先程の荷物は如何やら、鯉のぼりだったようだ。
しかし何故、急に鯉のぼりなのだろうか。僕には分からず首を傾げた。
「何を言っている。今日は、子どもの日だろう」
「そうよ! ほら、鯉のぼり上げるって話をしたじゃない?」
「あ……嗚呼。そういえば……そうでしたね……」
僕の言葉に今度は二人が首を傾げた。確かに先日、鯉のぼりを上げるか如何かの話をした覚えがある。だが、まさか断りを入れたというのに実行されるとは思わなかった。
「ほら、柏餅もあるぞ」
「菖蒲もあるわよ!」
先生は紙袋を差し出し、鬼瓦さんはどこからともなく菖蒲の葉を取り出した。
「春一には、健やかにいてもらわないと困るからな」
「私も! 春くんには元気でいてもらわないとね!」
「先生……勇美さん……」
東京に来てから出会った人物たちから、このように気遣ってもらえるとは思っていなかった。出会いは大切だ。二人の言葉に胸が熱くなった。
「ありがとうございます! お茶を淹れますので、柏餅を食べましょう!」
素敵な贈り物を頂いたせめてものお礼として、僕はお茶を淹れることに決めた。
青空を泳ぐ鯉のぼりを見上げながら、食べる柏餅はとても美味しく優しい味がした。
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