住宅地を抜けると、見慣れた門が僕たちを出迎えた。


「ただいま、戻りました。いらっしゃいませ、勇美さん。お上がり下さい」

「あら! ありがとう! お邪魔するわね!」


 屋敷の引き戸を開け、玄関先に荷物を降ろす。そして靴箱の横からスリッパを取り出し、鬼瓦さんの前に並べた。これは僕が東京に上京する際に、来客用のスリッパとして購入していたものだ。一度も使う機会がなかった為、この屋敷まで持ってきてしまった。

 このことについて尾崎先生から、好きにして良いと許可を貰っている。この屋敷の来客用スリッパとして、活躍する日が来てくれて僕は嬉しい。因みに先生は、家の中では足袋か裸足である。僕は居候ということもあり、靴下を履いてスリッパを使用している。


「重かったですよね、ありがとうございました。本当に勇美さんにお会い出来て助かりました!」

「ふふふ! そう!? そう言ってもらえるととても嬉しいわ!」


 再び荷物を持ち廊下を通り、台所へと向かう。笑顔の彼女は肩にお米の袋を担いだままだが、一向に疲れが見えない。今日は鬼瓦さんのおかげで、買い物をスムーズに終える事が出来た。何か彼女にお礼がしたい。


「お昼ご飯まだですよね? お礼になるかは分かりませんが、ご一緒に如何ですか?」

「ええ!? いいのかしら!?」


 丁度、昼食の時間だ。僕が提案をすると、彼女は声を弾ませた。


「はい! あ、僕の技量では一般的な物しか作れませんよ? 自信がある物と言えば、普段作っている稲荷寿司なのですが……」

「いいのよ! 春くんと一緒のお昼ご飯が良いわ! お願いするわね」

「はい!」


 鬼瓦さんが普段どの様な食事を摂っているのかは分からないが、僕が作る料理は一般的な物であることを伝えた。すると彼女は嬉しそうな声で、了承をしてくれた。


「帰ったか」

「はい、只今戻りました」


 台所に続く暖簾を潜ると、尾崎先生が立っていた。彼が台所に居る事は珍しい。普段は大抵、書斎である部屋と居間に居ることが多いのだ。


「鬼瓦も一緒か」

「はい! お米を沢山、運んで頂き助かりました!」

「やっほぅ! 恭介!」


 お米を置いた鬼瓦さんが先生に挨拶をする。すると先生は鬼瓦さんが来ることを事前に知っていたのか、特に表情を崩すことはなかった。だが、少しだけ首を傾げた。


「鬼瓦ならば、米俵で六つは余裕で持てただろう?」

「……え……? 先生?」

「は? ちょっと!?」


 先生はそのまま驚きの発言をした。米俵と言えば、確か一つの重さが六十㎏ぐらいだ。それを六つとは到底人の持てる重さではない。更にいえば女性の鬼瓦さんに持てる筈がないのだ。いくら鬼瓦さんが力持ちだと言ってもそれは不可能だろう。彼女も尾崎先生に対して驚きの声を上げた。


「何を驚く。鬼なのだから当たり前のことだろう」

「……お……おに……? ……」


 真剣な表情で静かに告げられた。思わず僕は聞き返した、それに対して肯定するように先生は頷いた。『鬼』とは昔話で出てくる鬼のことだろうか?

 つまりそれは鬼瓦さんが人外であり、怪異ということになる。


「恭介!!」

「なんだ」


 鬼瓦さんの叫び声が台所に響いた。僕は優しい彼女しか知らない為、少しだけその様子に驚いた。それと同時に、先生が鬼瓦さんの逆鱗に触れたということを悟った。当の本人は、涼しい顔をしている。


「『なんだ』じゃないわよ!! あんた如何いうつもり!? 春くんに私の正体を伝えるなんて!! 折角出来た人間の、お友達なのに!!」

「……ただの『鬼』ではない。『鬼』の中でも最も強い『鬼神』の一人だ」

「この!! 恭介!!!」


 やはり鬼瓦さんは『鬼』のようだ。怒り叫ぶ彼女に、更に先生は油を注いだ。鬼瓦さんが尾崎先生に掴み掛かろうとした。


「ぼ、暴力はいけませんよ!」


 僕は慌てて、二人の間に入った。この様なことが張間家でもあった気がする。先生は気遣いが出来、優しいのだが少しだけ段階を数段飛ばす癖がある。


「っ! 春くん……」

「えっと! お、落ち着いて下さい。その……勇美さんは鬼で怪異ということですか?」


 鬼瓦さんは、先生へと伸ばしていた手を止めた。尾崎先生に確認はしているが、一応本人へ確認をする。糠喜びで終わりたくない。緊張で少し声が上ずりながら、鬼瓦さんの金色の瞳を見た。


「……っ、そうよ……。ごめんなさい、騙すつもりじゃ……」

「本当ですか!? や、やったぁぁぁ!!」


 何故か悲しげに彼女は視線をずらし、謝罪を口にした。鬼瓦さんの行動の理由は分からないが、僕の胸中は嬉しさでいっぱいになる。そしてその喜びは抑えきることが出来ず、思わず叫んでしまった。


「……え? は? ……春くん?」

「その……鬼瓦さんが怪異で嬉しいのです。尾崎先生との約束がありまして……人間で怪異を見聞き出来ないなら、普段見聞きしたことをお話し出来ないので……。寂しいなと。でも、鬼瓦さんが怪異なら話しても大丈夫ですよね!! 良い怪異さんですし!」


 急に大きな声を上げた僕に、困惑する鬼瓦さん。僕は奇声を発した理由を述べる。今の状況は尾崎先生と約束をした『良い怪異』と『尾崎先生と一緒ならば』という条件に該当するのだ。

 つまり怪異を見聞きしたことを隠さなくて良いのだ。それに同じ景色を共有することも可能なのだ。更に言えば心配をしていた、僕のうっかり失言の所為で二人の信頼関係に亀裂を入れずに済んだのだ。こんなに素晴らしいことはない。再び熱が入り叫んでしまった。


「……え……鬼なのよ? 力も強くて、怖くない? い、嫌じゃないかしら?」

「え? 鬼瓦さんは歩道橋から落ちそうになった僕を助けてくださり、更には尾崎先生をご紹介してくださいました。それに先程の買い物も手伝っていただき、力持ちってカッコイイですよね。勇美さんは恩人であり、心配をしてくれる優しい方です。感謝をすることはあっても、嫌悪感を抱くことは決してありません。あと……友達と言ってもらえて嬉しいです」

「……春くん……私……」


 僕の言葉に呆然とした後に、普段の様子と違い何かを恐れるように彼女は眉毛を下げた。そして、恐る恐る質問を重ねられた。優しい恩人を嫌ったり恐れたりする理由も意味もない。  

 それに『お友達』と言ってもらえたのは、かなり嬉しいことだ。田舎育ちの僕は殆ど年の近い子が居なかった。それが仕事の為に、上京した東京で友達が出来るとは思っていなかったのだ。僕はいつも思っていることを告げた。


「こいつはこんな格好をしているが、男だ。つまり女装をしているぞ」

「……き、恭介!!」

「え!? そうなのですか!? 綺麗過ぎて女性かと……」


 鬼瓦さんが何か言おうとしたタイミングで、先生が新たな要素を放り込んだ。まさか鬼瓦さんが男性だとは気が付かなかった。思い返してみると尾崎先生や鬼瓦さん、張間家での付喪神さん達は皆さん整った容姿をしていた。桜の怪異に関しては、人のような顔はなかったが花弁の色艶は良かった。

 もしかすると怪異は皆、容姿端麗なのだろうか?そんな疑問が浮かんだ。


「恭介……貴方ね……」

「事実だろう」


 金色の瞳と、菫色の瞳が睨みあう。これも張間家で見た光景だ。整った容姿の人達が睨み合うのは迫力がある。鬼瓦さんが何に怒っているのか分からない。男性が女性的に見られるのが嫌だったのだろうか?しかしそうすると彼の格好の説明がつかない。

 クラシカルなメイド服に身を包む彼。もしかすると怪異にも伝統的な文化があるのではないだろうか。鬼瓦さんは男性でありながら女装をしなければならないという、しきたりを持つ家系に生まれているのかもしれない。

 人間でも幼少期に災いから身を守る為に、男の子に女の子の格好を昔はさせていたとか聞いたことがある。そう考えると彼の怒りの原因は、僕の先程の発言の所為だろう。無神経なことを言ってしまった。


「勇美さんは、ごめんなさい。男性なのに女性みたく綺麗とか言ってしまって……」

「え!? ち、違うのよ! 春くん! これ趣味だから!!」


 僕が謝罪を口にすると、彼は慌てた様子で服装に関して叫んだ。


「趣味ですか?」

「そう……趣味なのよ! 恥ずかしいのだけれど……」


 鬼瓦さんは趣味であると主張をすると、両手で顔を覆い俯いてしまった。


「えっと……しきたりで、身を守るに無理矢理ではなくて?」

「……っと、どちらかと言えば……人を傷つけない為に始めたの。私の力って本当に強いから……自覚をするのに、女装をしてこの格好を選んだのよ。そしたら、いつの間にか綺麗な服や可愛い物が好きになって……。変よね……」


 鬼瓦さん本人が趣味だと言うならば、本当にそうなのだろう。しかし優しい彼のことだから無理矢理に僕へのフォローをしている可能がある。念のため確認をした。すると彼は顔を上げ、寂しそうにまるで自虐するかのように微笑んだ。


 その表情が先日の祐介くんと被り、胸が傷んだ。


「いえ! どの様な格好をしていても、勇美さんは勇美さんです。好きなものは好きでいいのですよ! その方が輝いていて素敵です。それに勇美さんの格好はとても似合っています。個性的で素敵だと僕は思いますよ!」


 彼の格好が、人を思う彼の優しい行動から趣味へと転じた事実を知った。それを笑う人は居ないだろう。好きなものは好きだと胸を張っていて欲しい。

 僕は会長から横暴な命令を下された時に、彼との出会いと優しさに救われた。僕には尾崎先生のように妖術を使うことも、鬼瓦さんのように力もない。だが、想いを伝えることは出来る。

 思いの丈を言葉に乗せた。


「春くん……ありがとう……」

 金色の瞳を潤ませながら、彼が柔らかく微笑んだ。その笑みを見ることが出来、僕はほっと胸を撫で下ろした。


「いえ、その……友達ですから……。友達には笑っていて欲しいです」

「……っ!? もう! 本当に良い子過ぎるわ! 今日から私達、お友達ね!」

「はい! 宜しくお願い致します!」


 恩人に対して友達だと、発言をするには若干の勇気が必要だった。しかし鬼瓦さんが言ってくれたのが嬉しかった。だから僕も勇気を出した。これからも恩人には変わりない。ただ彼との関係に新しい名前が加わるだけだ。

 彼は僕の発言を聞きくと、僕の両手を取り眩しいばかりの笑顔で返事をしてくれた。僕も笑顔で返した。


「話は纏まったか? 昼食を食べたいのだが」

「……あ! はい! ただいま、ご用意致しますね! すいません、勇美さん。手を離していただけますか?」


 不意に背後からかけられた声により、昼食の準備のために買い出しに行っていたことを思い出した。急ぎ振り向くと、椅子に座って新聞を広げ読む尾崎先生の姿があった。普段は殆ど外の状況や情報に興味がない彼には珍しい行動だ。

 鬼瓦さんとの話で、すっかり先生の存在を忘れかけていた。『稲荷寿司係』だというのに何たる失態だ。鬼瓦さんに断りを入れ、手を外して貰うようにお願いをした。


「嫌よ! もう! 恭介! 丁度、感動の場面でいい所なのに! 邪魔をしないで!」

「知るか。昼食の時間だ。続きは食後にしろ」


 新聞に注がれていた視線が、鋭く鬼瓦さんを射抜く。先生は稲荷寿司のことになると、決して譲ることはない。二人の間に再び火花が散った。


「あ、あの勇美さん。尾崎先生は食後なら好きにして良いと仰ってますし、ご飯を食べて元気いっぱいでお話しをしましょう?」

「そうね! その方がいいわね! そうしましょう! 春くんのご飯楽しみだわ!」

「ありがとうございます。楽しみにお待ちください」


 尾崎先生は僕の雇用者であり、恩人である。だからと言って彼の主張を擁護するつもりはない。ただ、今の状況は先生の主張が正しく、『稲荷寿司係』として仕事をしなければならないのだ。

 そのことを鬼瓦さんに伝えると、彼は笑顔で手を離してくれた。お礼を言いつつ、作業をするためにパーカーの袖口を捲った。


「相変わらず単純だな」

「はぁ? なんですって?!」 


 背後で行われている賑やかな会話を聞きながら、僕は昼食を作るべく冷蔵庫を開けた。



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