閑静な住宅地を、鬼瓦さんと並んで歩く。表情豊かな彼女の会話を楽しみながら、尾崎先生の待つ屋敷へと向かう。


「それでね……その時ね、私驚いちゃって! 変な声を上げちゃったのよ! 恥ずかしいわ……」

「大丈夫ですよ。僕も変な声を上げてしまうことはありますから」


 近況報告をしながら、穏やかに微笑む彼女の両肩にはお米の袋がある。対する僕は、お酢と油揚げ入ったエコバックを肩に掛けている。その事を受け、これからは運動量を多くし筋肉を鍛えようと密かに決意をする。


「そういえば、春くんさっき何かを考え込んでいたけど、どうかしたの? 何かあった?」

「……え? えっと? ……あぁ、えっと……それは……」


 不意に鬼瓦さんから、話を振られた。一瞬何のことだか分からなかったが、思い当たったのは呼ばれるまでレジに来なかったことだろう。

 しかし本当のことを伝えて良いものか悩む。人の会話に聞き耳を立てていた行為は、褒められたものではないのだ。伝えたところで鬼瓦さんはそれを理由に、僕への態度を変える人ではないことは理解をしている。だが、少し抵抗がある。


「春くん……ごめんなさい。私に話し難いことなら無理にとは言わないわ。でも何か本当に困ったりしたら恭介には相談してね? 貴方のことを気に入っているのだから」

「…………す、すいません。ご心配をいただいて大変恐縮なのですが、深刻な悩みは抱えておりません」

「本当に? 無理をしていない?」

「ありがとうございます、大丈夫です。悩み事ではないのですが、少し気になることが……」


 話すべきか、如何するべきかと考える。正直なところ、会話に上がった謎の正体が気になる。鬼瓦さんに相談をするのも良いかも知れない。僕は好奇心に負けて口を開いた。


「……そう、不思議な話ね……。お天気続きなのに庭が濡れて、数が多いだなんて……」

「すいません、突然変な話をしてしまって……」


 スーパーで気になった会話の内容を鬼瓦さんに伝えた。すると彼女は首を傾げ、考え込んでしまった。優しい彼女を困らせたくはない。反射的に謝罪をする。


「え?! 良いのよ! 気にしないで! 話してって言ったのは私だから! 一緒に考えましょう!!」

「はい、ありがとうございます」


 彼女は焦った表情の後に、笑顔で一緒に考えてくれると申し出てくれた。やはり鬼瓦さんは優しい人だ。心強い協力者で出来たことに、胸を撫で下ろした。


「わあ! すごい! すごい!!」


 ふと、爽やかな風が僕の頬を撫でた。すると横の家から、子どもたちの歓声が上がった。その声につられてそちらを向くと、空を悠々と泳ぐ色とりどりの鯉たちの姿があった。


「あら! 鯉のぼり! 子どもの日が近いものね。最近は忙しくて、見る暇がなかったけど青空に映えるわね!」

「そうですね……気持ち良さそうに泳いでいますね」

 

 僕の横で同じく鯉のぼりを見上げ、鬼瓦さんは楽しそうに笑った。雲一つない空がまるで、青い海のようである。


「ふふ、本当よね」

「はい、……あれ?」


 昔、似たような景色を見た記憶がある。はっきりとは覚えてはいないが、きっと田舎で過ごして居た子供時代の記憶だろう。そう思いながら目の前の鯉のぼりを見ていると、赤い鯉のぼりの尾鰭に、黒い何かが張り付いていた。


「如何かした?」

「え、その……」


 鯉のぼりを見上げたまま、動かない僕に鬼瓦さんが声を掛けた。庭先ではしゃぐ子どもたちは、それの存在には気が付いていないようだ。彼女も特に気にした様子はない。僕だけにしか見えていない。つまり黒い何かは怪異のようだ。

 この事を伝えて良いものか躊躇をする。


 そこで先日の、尾崎先生との会話を思い出した。


『春一。話がある』

『え? 先生? あ、はい。 如何かしましたか?』


 あれは台所で、昼食用の稲荷寿司を作っている時だった。背後から、尾崎先生に話しかけられた。人の話は顔を見て聞くものだ。僕は油揚げを煮ている鍋の火を止め、先生へと向き直った。


『今後、なるべく怪異を見聞き出来ることを知られるのは控えよ』

『……? 何故ですか?』


 僕にとって怪異を見聞き出来るのは、ごく自然なことである。彼の言葉の意味が分からず首を傾げた。


『はぁ……化け狸での一件を忘れたのか?』

『……化け? あ! 会長のことですね! そうでした!』


 先生からの指摘を受け。怪異という存在を見聞き出来るが故に、無理難題を突き付けられたことを思い出した。勿論、先生にご助力頂いたことは忘れてはいない。

 ただ、鬼瓦さんや尾崎先生と出会う要因となったのは、会長からの横暴な命令が始まりだった。その命令の理由は失踪中のお孫さんを探し出すことが出来ない為に、僕へと白羽の矢を立てたのだ。

 理由が理由な為、責める気にはならなかった。だが、もう少し話し合いの余地や相談をしてくれても良かったのではと感じる。しかし結果的には、怪異である桜や尾崎先生と鬼瓦さんと出会える機会をくれたことには感謝しているのだ。


『おい』

『いや! ちゃんと覚えていますよ! 尾崎先生と鬼瓦さんには感謝をしております!』


 呆れたように先生が僕を見た。決して会長の一件を忘れていた訳ではない。児童連続失踪事件の事件解決と、その後の『稲荷寿司係』として快適な職場を提供して頂いていることに感謝をしている。勿論、尾崎先生を紹介してくれた鬼瓦さんにも感謝をしている。しっかりとその事を伝えた。


『……人間にも知られるな。こちらの方が厄介だ。異質なものを忌み嫌うからな。張間家での一件では、上手く行き過ぎたぐらいだ。童が風邪を引いた一時でも、付喪神の声を聞いたこと。先代店主が仕事に責任と誇りを持ちえたこと。それらが合わさり信用を勝ち得たのだ』

『では、なるべく隠しますね! でも見える人が居たら話しても良いですか? 良い怪異でしたら話しかけても良いですか? 先生と御一緒でしたら大丈夫ですよね!?』


 張間家については先生の言う通りだ。祐介くんのこと、お爺さんのことがあり理解をしてもらえた。その為、僕の怪異を見聞き出来ることに対して何かを言われることはなかった。その後も張間家からは、修復を知らせる手紙を貰えるほど良好な関係だ。だが、僕にとって普通のことでも他の人ではそうではないらしい。

 そのことは張間家の一件で知った。彼が心配をしてくれていることは理解をしている。用心しろというのは、優しい先生からの忠告だ。僕は今迄、田舎で暮らしていたため怪異の存在を知らなかった。東京では都会の規則に従う方が良いだろう。

 しかし、そのことにより折角の出会いを無かったことにはしたくはないのだ。怪異を見聞き出来ることは僕には自然なことである為、確約は出来ないがなるべく注意をすることを口にした。


『はぁ……私は人ではなく、妖狐だ。……まあ、上手くやれ。そして稲荷寿司を作れ』

『はい! お任せ下さい!』


 尾崎先生は短く溜め息を吐くと、暖簾を潜り部屋を後にした。如何やら僕の返事を了承してくれたようだ。お昼ご飯である稲荷寿司は、いつもよりも少しだけ多く作ろうと僕は再び鍋に火をかけた。


「…………」

「春くん?」


 尾崎先生との約束を思い出すと、鬼瓦さんが心配そうに僕の名前を呼んだ。


「な、何でもないです。すいません、勇美さんも荷物重いですよね! 尾崎先生が、お腹を空かせて待っていらっしゃいますので早く行きましょう!」

「? ええ、そうね」


 先程、見た怪異を鬼瓦さんには伝えるべきではないだろう。視覚出来ないものを伝えても彼女を困らせてしまうだけだ。それは良くない。鬼瓦さんに道を急ぐように提案をした。同じ景色を共有出来ないのは少しだけ寂しいが、こればかりは仕方がない。


 去り際にもう一度、鯉のぼりを見上げたが赤い鯉のぼりの尾鰭には何も付いていなかった。

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