第3章 こいのぼり

 眩しい青空と新緑の美しい季節。僕は通い慣れたスーパーマーケットで、買い物カートを転がす。店内はゴールデンウイークのお昼時ということもあり、店内はお客さんで混雑をしている。

 僕の買い物かごに入っている物は、お酢の瓶に大量の油揚げの袋である。このラインアップもお馴染みである。


「えっと、次はお米だな」


 慣れたようにコーナーを右に曲がり、お米売り場の前でカートを止めた。数十種類の袋詰めされたお米が棚に並べられている。尾崎先生の『稲荷寿司係』に就任してからというもの、お米と油揚げとお酢の消費量が物凄いのだ。

 勿論、掛かる費用は必要経費として全額支払われ、作る工程や買い出しに掛かった時間には給料が発生し支給されている。生活環境や業務内容に不満はない。寧ろ遣り甲斐を感じ、今の生活を謳歌している。

 ただ、先生は大変な健啖家であり、偏食家である。出会ってから三食、稲荷寿司以外を食べないのだ。その為、稲荷寿司の材料の消費率が物凄いのである。食材費が支給されるとはいえ、値段は抑えられることに越したことはない。値段と産地を見比べる。


「十㎏を買いたいけど、お酢もあるしな……五㎏にするかな……」

「あら? 春くん?」


 持ち帰る荷物の量を考えていると、背後から聞きなれた声がかけられた。


「あ、おひさしぶりです! 勇美さん。その節は大変お世話になり、ありがとうございました」

「久しぶりね! 良いのよ、私が勝手にしたことなのだから」


 振り向くと藍色の髪に眼鏡をかけた、クラシカルなメイド服を着こなした鬼瓦さんが立っていた。彼女には児童連続失踪事件後に、尾崎先生の下で『稲荷寿司係』として働くことになった旨は軽く電話で報告をしていた。直接お礼を伝えたかったが、編集長という立場から多忙な彼女とは今日まで顔を合わせる機会がなかったのだ。

 僕は感謝を口にすると、鬼瓦さんは謙遜をした。


「いえ。こうして快適な環境で過ごせているようになったのは、尾崎先生をご紹介していただいた、勇美さんのおかげでもありますから」

「まあ! 春くんはしっかりしているのね。そう言ってもらえると私も嬉しいわ!」


 彼女に尾崎先生を紹介してもらわなかったら、僕はあの事件の真実に辿り着くことは出来なかっただろう。それに桜たちが隠した、子どもたちも発見されなかったかも知れない。会社はクビになったが、結果的には充実した日々を過ごせているのだ。

 尾崎先生へと、導いてくれた鬼瓦さんに出会えて僕は幸運だった。彼女は僕の言葉を聞き、朗らかに笑った。


「そういえば、勇美さんもお買い物ですか?」

「そうなの! やっと仕事がひと段落したの。だからお土産を買って、これから慎のところに行こうと思っていたのよ。早めに春くんと会えて良かったわ」


 ゴールデンウイークだから休みなのだろうか。多忙を極めている彼女が、昼間のスーパーに居ることを不思議に思い理由を訊ねる。すると仕事を終え尾崎先生を訪ねる予定だと、楽しそうに語った。鬼瓦さんは尾崎先生を紹介してくれた人だから、知り合いだということは分かる。実際に尾崎先生も稲荷寿司を持参した僕に対して、鬼瓦さんからの紹介だと断言をしていた。

 二人は編集長と小説家という関係なのかもしれないが、彼女は尾崎先生が妖狐であることを知っているのだろうか。余計な詮索は避けるべきだが、情報漏洩は防がねばならない。尾崎先生から彼の正体に対して、口止めをされているわけではない。

 しかし人間関係が崩壊する時は、些細なことが原因だったりする。僕がついうっかり口を滑らせてしまったが為に、二人の関係が崩れるなどあってはいけない。鬼瓦さんと尾崎先生の二人は、僕の恩人なのだから。


「……? 春くん? 難しい顔をしてどうしたの? 具合が悪いの?」

「……え!? いえ! 大丈夫です。元気ですよ! ……えっと、お米です! お米を五㎏買うか十㎏を買うのか、どちらが良いか悩んでいまして……」


 勇美さんが心配そうに僕の顔を覗き込んで来て、我に返った。しまった。つい二人の関係と、その信頼関係崩壊に僕が加担しないようにと考え込んでしまっていた。初めて彼女と出会ったことを思い出す。

 優しい勇美さんに心配をかけるのは、大変心苦しい。僕は黙り込んでしまった理由を必死に考えた。そこで先ほどまで選んでいたお米へと話題を口にした。どちらの量のお米を購入するかを悩んでいたのは本当のことだ。


「あら? そうなの? 何故悩んでいるのかしら?」

「お酢もこれだけ買う予定なので、持てる範囲を考えていました」


 僕の言葉に納得した彼女は、次に首を傾げた。僕は苦笑しながら買い物かごの中身を見せた。


「あら! こんなに? 一人でお買い物大変じゃない! 京助は何をしているのよ!?」

「えぇ!? 勇美さん?! お酢やお米は重くかさばるので、先生からは宅配便の使用を進められています。その……宅配便代を節約すれば、その分買い物出来ると思いまして……尾崎先生には沢山、ご飯を召し上がって頂きたいので……」


 鬼瓦さんは、眉をひそめると声を荒げた。此処には居ない尾崎先生にその怒りの矛先が向かいそうになった。それを僕は慌てて止めに入る。尾崎先生の正体ではなく、僕の失言で二人の関係にひびが入ることは避けなくてはならない。正直に事情を説明した。

 なんだかこのやり取りは、初めて出会った時のことを思い出される。


「……もう、本当に良い子なのだから。よし! じゃあ私が持ってあげるわ!」

「えっ!? いや、そんなご迷惑をおかけするわけには!」


 僕が宅配便を利用しない理由を口にすると、彼女は荷物持ちを申し出てくれた。その気持ちは大変ありがたいのだが、恩人であり女性である鬼瓦さんに重労働をさせることに気が引けたのだ。


「良いのよ! それに、私は力持ちだから大丈夫よ! それとも……春くんは、私を頼ってくれないのかしら? 私からのお願いよ? 駄目?」

「うっ! いや……その……駄目じゃないです。宜しくお願い致します」


 彼女は悲しそうに眉を下げ、金色の瞳が不安気に揺れた。その反応に罪悪感がこみ上げてくる。荷物がお願いだなんて、なんて優しいお願いなのだろう。これ以上断り続けるのは、失礼になるだろう。

 僕は素直に、その優しさに甘えることにした。


「ふふふ! 任せて頂戴な! 恭介は凄く食べるでしょうから……六袋ぐらい買っておけばいいわよね!」

「あ、ありがとうございます……」


 笑顔になった鬼瓦さんは積まれたお米の袋を六つ手に取ると、肩に担ぎレジへと向かって歩いて行った。その足取りは軽くスキップをしていた。彼女に荷物を持ってもらうことになってしまったが、楽しそうな彼女を見て僕の心が温かくなるのを感じた。


「……えぇ、そうなのよ……私の家は水浸しになっていて……」

「うちは、そんなに濡れてはいなかったのだけれど。子どもが数えると、不思議と影の数が一匹多くて……。まあ、揺れて数え間違いをしただけだと思うのだけどね」


 鬼瓦さんの後を追おうと買い物カートに手を置くと、近くの買い物客の会話が耳に入った。近所の主婦の人達だろう女性が二人、買い物かごを手に持ちながら話をしている。不特定多数の人間が利用するであろう、スーパーでなされている会話である。

 きっと聞かれて困る内容ではないだろう。だが聞こえてきた単語に、踏み出そうとした足を止めた。ここ一週間の天気は晴れだ。それなのに『水浸し』に『濡れていた』ということは、雨ではない。何か水や液体が関係しているということなるだろう。更に『影の数が多い』と『一匹多い』は何かの生き物を示している可能性がある。

 しかし、『匹』で数えられる生き物は大変多い。この少ない情報で絞り込むことは不可能である。いや。尾崎先生ならば、ある程度候補を絞り込めるだろう。残念ながらこの場に先生は居ない。


「春くん! お会計の順番来ちゃうわよ!」

「……あ! はい! 今、行きます!」


 僕を呼ぶ、鬼瓦さんの声で我に返る。レジで手を振る彼女と合流をするべく、今度こそ僕は歩き出した。



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