叩きつけるような激しい雨の中、土蔵から更に奥へと歩く。そこは先程までの手入れの行き届いた道とは違い、道幅は狭く地面には雑草が生えている。

 加えて、この辺りの木々は背が高く枝を広げている。まるで侵入者を拒むかのようである。しかし先を行く尾崎先生は迷いなく進む。


「先生! 二人が何処に居るか分かるのですか!?」

「嗚呼、おおよその見当はついている。代々続く家業と先代店主の性格を考えれば、裏手の静かな所にあるものだ」


 激しい雨が傘を強く打つ。僕は雨音に負けないよう声を張り上げ、先生の背中に質問を投げかけた。すると彼には思い当たる場所があり、そこに向かっていると告げられた。叩きつけるような雨が降る中だが、先生の声は不思議と聞き取りやすかった。


「祐介! 帰るぞ!!」

「無理だよ! だって……ぼ、僕が……」


 雨音にも負けずと大きな声が前方から響いた。先生が立ち止まり、僕はその背中から顔を出し状況を確認する。祐介くんと先代店主のお爺さんが居たのは、円形の開けた土地だった。二人が立っている円の中心部分には木が一本生えている。

 その木が強い雨から二人を守っているようだ。それらを囲うように周囲の木々は悠々と、その体を曇天の空へと伸ばしている。不思議なことに地面には飛び石が置かれ、その間に砂利が敷かれている。

 この円形部分だけが、切り取られたかのように整備されているのだ。


「話しならば、屋内でしろ。店主夫妻が気を揉んでおるぞ」

「……なっ!?」

「……っ!? どうして此処が分かった!? 誰から訊いた!?」


 先生が二人に近付き話しかけると、彼らは僕たちの登場に驚き声を上げた。話は室内でという先生の提案には僕も同意見だ。天候が悪い中での話し合いは不向きだ。それに張間さんご夫妻も二人のことを心配している。早く無事だと伝えたい。


「誰からも訊いてはおらん。 強いて言えば、家業とお主の性格を考慮したまでのこと。土蔵まで調べていたのだ、自ずと残りの土地が答えになる」

「……い、いいから!! さっさと出ていけ!!」


 学生の質問に答える学校の先生の様に、尾崎先生はお爺さんの言葉に回答した。しかしその態度は、先代店主の怒りを買ってしまった。雷鳴の様な怒鳴り声が轟き、空気が震えた。


「……っ!!」


 お爺さんの怒声に祐介くんの肩が大きく揺れた。彼の表情は暗く、顔色も悪い。


「私もそうしたいが、こちらも事情がある。それにこのままでは、童は帰らんぞ? お主に説得出来るのか? 時間の浪費はお互いに利益にならんと思わんのか?」

「……っ! 何も知らん若造が!!」


 先生は挑発する様に指摘をする。その指摘を受けて激昂したお爺さんは、拳を握ると先生の方へと歩き出した。すると雨音が弱くなり、霧雨へと変わった。


「あ! あの! 尾崎先生は事件の事が分かったから、此処にやって来たのです! 答え合わせに!」

「……い、いらん! 退け!!」


 暴力はいけない。僕は慌てて、前へと出た。先生とお爺さんの間に立つと、願いを口にした。それに対して、お爺さんは足を止めると渋い顔をしながら否定をされた。

 しかし、その反応には若干の戸惑いがあった。


「お手間は取らせませんので、少しだけお話しを聞いてください! お願いします!!」


 尾崎先生は無駄な事はしない。その行動には思い遣りと意味がある。きっとこの悪天候の中に居る二人を心配し、その場を動かにない為に早く解決をしようとしているのだ。先生も僕は彼の事を信じ、頭を下げた。


「うっ……しかし……」


 渋り続けるお爺さん。僕は頭を下げた状態だから、彼がどんな表情をしているのか正確には分からない。だが、苦しそうなのはその声から推測出来た。一体、彼らは何に縛られ苦しんでいるのだろう。


「そんなに、蔵から『姫様』を持ち出したのが、その童だと知られる事が不都合なのか?」

「なっ!?」

「……っ!」

「せ、先生!?」


 お爺さんの煮え切らない態度に業を煮やした先生は、直接的な発言をした。祐介くんとお爺さんが驚く声を聞きながら、僕は思わず顔を上げた。


「何故、驚く。あれだけ童が持ち出した痕跡があったのだ。童以外に当てはまる者は居らぬ」

「いや……そうなのですが……。余りにも直接的というか……」

「……? 隠したところで何か変わる訳でもあるまい。時は有限だ。私は早く稲荷寿司を食したい」

「……先生」


 淡々と語る彼の言っている事は正しい。思えば庭で何かをしていたという情報と、付喪神さんたちからの情報を合わせて該当する人物は祐介くんしか居ないのだ。そのことは分かっていたが、敢えて口にはしなかった。

 如何切り出して良いものか考えあぐねていた。


「ふざけおって! 分かったと言うならば、言ってみろ!!」

「先ず、外と中を繋ぐ門の鈴が結び直されていた事だ。店主が『鈴の音に気が付かなかった』と言っていたが、気付かなかったのではない。童の帰宅時は外されていたから鳴らなかったのだ。帰宅を知られると困るからだろう? 故に、外出時に外し帰宅後に秘密裏に鈴を結び直した。結び位置が日焼けした部分からずれていた。更に、この家の者で蝶結びが縦になるのは童だけだ」

「そ……それだけで! 断定出来ないだろう!!」

「加えて、先代店主が一度目は『姫様』が盗まれたと主張したのに、二度目は盗まれていないと矛盾する主張をした。気が付いたのであろう? 『姫様』を持ち出したのが己の孫だと。だから主張を変えた。違いは『姫様』を納めていた箱だ。あの土蔵に納められている品々は、箱にはどれも紐が結ばれ留められていた。『姫様』も例外ではあるまい。一度目に土蔵を訪れた際には箱は無く、二度目の金庫に『姫様』の箱が戻っていた。縦に結ばれた蝶結びの空箱が」

「……っ、だっ……」


 尾崎先生は淡々と、今迄得た情報を繋ぎ合わせ静かに語る。淀みなく流れる川のように、滑らかなに答え合わせが進む。言葉が紡がれる度に、お爺さんは眉間に皺を深く刻んで行く。


「騒ぎ立ててしまった手前、収拾がつかなくなったのだろう。だから鍵を持つお主は、縦に結ばれた空箱を金庫に隠した。中身を見せることを難くなに拒否するのは、それが理由だ。」違うか?」

「……っ……」

「私の話が信じられないのならば、今直ぐに土蔵に行き金庫を開けるか?」

「このっ……!!」


 先生は最後に最も確実なことを口にした。そうだ。土蔵の金庫を開ければ先生が言う、蝶結びの空箱の有無が明らかになる。だが、その方法は些か乱暴であり。本当の解決にはならない気がしてならない。何故、尾崎先生がこのような強硬手段に出たのか疑問である。


「爺ちゃん……もう、良いよ……」

「祐介!?」


 雨音に掻き消されてしまいそうな、掠れた声がお爺さんを呼んだ。


「……そうです。僕が土蔵から『姫様』を盗み出しました。全て、尾崎さんのお話しの通りです。両親が店に居て、爺ちゃんが自宅に居る時間を狙いました。蔵の鍵は自宅から持ち出し、金庫の鍵は予備を爺ちゃんから貰っていたので……それで開けました。」

「……祐介……。何故こんなことを……」


 ずっと黙り込んでいた祐介くんが口を開いた。彼の言葉は全てを認めるものであった。


「だって!! 僕の所為で『殿様』が割れたのだろう!?」

「……くっ! 違う! 儂が手を滑らせて……」

「……っ! 『殿様が祐介を守ってくれた』そう、この日記に書かれていた!! 細かいことは分からないけど、僕が関係して『殿様』が割れた! 家宝なのに……」

「……っ、祐介。それは……」


 祐介くんの悲鳴に似た叫び声が響いた。彼は震える両手で、握った分厚い日記を突き出した。付喪神のお爺さんが語った『真実を知ってしまうのも時間も問題』というのはこの事だったのだ。


「その割れた理由については、庭の木々が謎を解く」

「……木?」

「……っ……」


 尾崎先生の言葉に祐介くんは首を傾げ、お爺さんは顔を逸らした。


「そうだ。表の庭は、異様なまでに短く切り揃えられていた。そうなったのは五年前からだ。『殿様』が割れたのも五年前だ。つまり、童が木から落ちたのを『殿様』が助け割れたのだろう」

「……え……。如何いうこと……」

「それは先代店主に問え」


 祐介くんの手から分厚い日記が、音を立て地面の上に落ちた。啞然とする彼の傍にお爺さんが駆け寄る。


「……そうだ。あの日、五年前のあの日。『姫様』と『殿様』をお飾りしていたあの日……。庭で遊んでいた祐介が……目を離した隙に木に登り……落ちた。儂はその瞬間に、如何か孫を助けてくれと心の中で願ってしまった……。祐介は無事だったが、『殿様』は儂の願いを叶えて割れてしまった……。だから二度とお前を危険な目に遭わせないよう、木を切ったのだ……」

「じ、爺ちゃん……」


 お爺さんの絞りだすかのような苦しい声が、当時の出来事を語る。


「すまない、祐介。全て儂が悪いのだ。お前から目を離し危険に晒した上に、身勝手な願いをしてしまった……。儂が『殿様』を割り、お前を苦しめた……」

「ち、違うよ! 爺ちゃん! 僕こそ、勝手にごめんなさい!」


 全てを話し終えると、お爺さんが祐介くんの事を抱きしめた。その光景に二人のわだかまりが解けたようで胸を撫で下ろす。本当ならば付喪神のお爺さんからの言伝を伝える所だが、彼らが落ち着くのを待つ。土蔵での会話によると、祐介くんとお爺さんには付喪神の存在を見聞き出来ていない。ただでさえ真実を知り混乱している所に、新たな混乱を投じる気分にはなれなかった。


 それにしても、あの背が低い不自然な庭の木々は『殿様』が割れてしまった教訓を生かしての事だった。その後の祐介くんが、木を登らない為の対策なのだ。しかし、そう考えるとこの場所が不自然に思えてくる事がある。


「あの……先生? でも、此処は高い木々に囲まれ道も雑草ばかりでした。表の庭と矛盾しているように思うのですが?」

「ほう、気が付いたか。なに、此処は『墓場』だから遠ざけたかったのだろう」

「……え?! 『墓場』ですか?」


 そっと先生に疑問を伝えると、楽しげに唇が弧を描いた。しかしその後に続けられた言葉に、僕は戸惑いを隠せなかった。何故そのような場所が家の敷地内にあるのか、法的に大丈夫なのか。そもそも先生は、その事を如何して知っているのかと様々な疑問が浮かんだ。


「そうだ。童の後ろに、塚があるだろう。それが『殿様』の墓だ」

「先生! 指差すのは宜しくないかと……っ!?」


 彼は僕の動揺を気にした様子も無く。頷くと、祐介くんとお爺さんの居る後ろを指差した。『墓場』と称したというのに、その対象を指差すのは如何なものかと思い、抗議をしようとした。すると視界の端で、ゆらりと半透明な銀朱の着物が揺れた。僕は声にならない悲鳴を上げた。


「春一?」

「お、お化け! 出ましたよ!? え? 如何するのですか? 先生が指差したのがいけませんでしたか?! ごめんなさい! 稲荷寿司を食べたいとか言いますけど、実は気遣いが出来るとても優しい方なのですよ! それとも勝手にお墓に入った事をお怒りでしょうか!? 大変申し訳ございません!!」


 先生が怪訝そうな声で呼ぶのを無視し、僕は勢いよくお化けへと頭を下げた。自分でも大変混乱をしている自覚がある。何故ならば生まれてこのかた、お化けを見たことも出会ったこともない。でも確かに銀朱の着物が宙を漂うのを見た。見てしまったのだ。慌てない方が可笑しいだろう。


「何が見えたと言うのだ」

「……っ……その……」

「見えた者の特徴はなんだ」

「……えっと……」


 僕の主張を聞いた先生が僕に問いかける。尾崎先生の正体は妖狐であり、怪異を見聞きすることが出来る。

 しかし彼は今、僕に『何が見えた』と問いたのだ。それはつまり、先生には僕が見たお化けが見えていない事になる。大変な状況になってしまった。一般人代表な僕には先生の問いに答える余裕がなく、再度促されるが口籠った。


「春一」

「はい! あ、鮮やかな刺繡が施された……銀朱の着物を身に纏っていて……女性で、黒い艶やか日本髪に、色とりどりな簪を挿しています……うっ!」


 普段よりも少し低い声で名を呼ばれ、僕は口を開いた。着物以外はよく見えなかった為、顔を少し上げて彼女の特徴を伝えた。すると、その黒い瞳と目が合った。


『あら? 貴方、私が見えておいでなのかしら?』

「……は、はい……。こ、こんにちは……」

 

 彼女はゆっくりと瞬きをすると、僕の前で首を傾げた。その仕草は優雅で気品を感じさせるものだった。格好が着物で日本髪を結っているという事は、この張間家のご先祖様かもしれない。失礼があってはいけない。僕は頷きながら、なんとか挨拶を返した。


「なんで、お兄さん……『姫様』の事を知っているの?」

「……え? 『姫様』? ……ん? いや知らないよ?」


 不意に祐介くんが僕に問いかけた。彼が言う『姫様』を知っているとは、何の事だろう?僕は『姫様』を見たことがない。第一に僕たちが張間食器店を訪れた際に、既に土蔵から『姫様』は持ち出されていたのだ。

 僕が『姫様』を知っている筈がない。祐介くんに返事をしながら、首を傾げた。


「だって……。ほら……」

「……え……」


 真剣な面持ちで、彼は足元に置かれていた紫色の風呂敷包みを広げた。そこには鮮やかな刺繡が施された銀朱の着物を纏う、女性の姿が描かれた大皿があった。日本髪を結い、その髪には色とりどりの簪が女性を飾り、優雅な仕草で微笑んでいる。僕は不可解さと、驚きで言葉を失った。


「春一、安心をしろ。この者は『姫様』に宿る付喪神だ」

「……? つくも……がみ?」

「そうだ。土蔵で遭遇したのだろう?」

「……あ! そうでした! 声だけの子達もいましたが、お爺さんは小人のようでした!」


 先生からのヒントを得て、漸く僕は不可解さから解放された。そして遅れて、付喪神のお爺さんから『姫様』にも付喪神が宿っていると言われた事を思い出した。


『まあ! 皆や爺にも会ったのですか?』

「はい。『姫様』のことは勿論、張間家の皆さんの事を心配していらっしゃいました」


 土蔵で出会った付喪神の事を伝えると、彼女は嬉しそうに目を輝かせた。『姫様』の正体が分かった僕は安心をして、彼女の質問に答える事が出来た。


『そうなのですね……。今回の事は、私が泣いてばかり居るから起きてしまったのです……』

「……? 泣いていたからですか?」

『ええ、そうです。私が殿を失い来る日も来る日も、泣いておりました。すると、あの子が久しぶりに蔵を訪れ、『泣かないで』と言い。私を殿に会わせる為に此処まで連れて来て下さったのです』

「つまり、祐介くんが『姫様』を持ち出したのは『殿様』に会わせる為……という事ですか?」

『はい、そうですわ』


 先程の笑顔を曇らせ、彼女は事の起こりを話し始めた。付喪神のお爺さんも『殿様』が割れてから、『姫様』は悲しみ暮れていると話していた。その悲しみを癒す為に、祐介くんは土蔵から『姫様』を持ち出した。


「……? あれ? でもそうなると、おかしくありませんか? 祐介くんが『殿様』が割れてしまった原因を知ったのは、金庫にある日記を読んでからですよ?」

「嗚呼」

「自分が原因だと思い込むその前に、門の鈴を外したり土蔵の鍵を持ち出したりする理由がありません。彼は計画的に行動をしているから尚更です。それに如何して急に『姫様』と『殿様』を会わせようとしたのか不思議なのですが……」

「そうだな。……ほれ、童。何故だ?」


『姫様』の証言により、祐介くんが『姫様』を持ち出した理由は分かった。だが、そこでふと疑問が浮かんだ。では何故、祐介くんは『姫様』と『殿様』を会わせようと思ったのだろう。『殿様』が割れたのは五年前の出来事だ、更に言えば本人は『殿様』が割れた事を覚えていなかった。

 それが急に計画を練り行動に移したのだろう。僕は不思議で仕方がない。尾崎先生は僕の言葉に頷くと、祐介くんに話しを振った。


「……っ、だって。一週間ぐらい前に……風邪で寝込んで。その時に蔵の方から女の人の泣く声と、『殿様』を呼ぶ声がしたから……。だから『姫様』に会いたいのだと思って……。その時だけで、もう声は聞こえないけど……」

「祐介……」


 お爺さんと先生と僕の視線を受けて、祐介くんは戸惑いながらも口を開いてくれた。風呂敷の上に置かれた『姫様』を気遣うように、お爺さんが潜めた声で彼を呼んだ。


「僕だって、こんなことを言って信じて貰えるとは思っていないよ! でも! 泣きながら『殿様』を呼んでいた! ……悲しそうで苦しそうで……。あの日から、爺ちゃんは父さんに店主を譲って僕に教えてくれなくなった。だから……何か変わるかと声を信じた……本当だよ……声が……」

「……っ……。許しておくれ、祐介」


 お爺さんに名を呼ばれたことが、咎められると勘違いをした彼は叫んだ。驚いたことに祐介くんは、『姫様』の声を聞いたと言う。それが全ての始まりだったようだ。これなら僕も言伝を伝えることが出来る。


「僕は、信じるよ」

「……え?」


 僕は一歩前へと足を踏み出すと、彼の前でしゃがんだ。祐介くんは不思議そうに僕を見た。


「ほら! 僕が『姫様』の特徴を言い当てられたのは、『姫様』に宿る付喪神が此処に居てその姿を見たからだよ!」

「み、見えない……けど、居るの?」

「うん! 此処にね、祐介くんの事を心配しているよ。土蔵の付喪神たちも君の事や、この張間家を心配している。土蔵でお爺さんとよく陶器について学んでいたのだろう? 皆も楽しかったって。……君から笑顔が消えた事を嘆き、僕は頼まれた。如何かあの子に、『自身の所為ではないと』伝えてくれって」


『姫様』が居る宙へと手をかざす。僕が付喪神を見聞き出来ることは、傍から見れば不自然であり理解し難いことだろう。しかし祐介くんは、『姫様』の声を聞いている。それを基に今回の行動を起こしている。『姫様』の証言と彼自身の発言から、祐介くんが『姫様』の声を聞いたのは紛れもなく事実だ。だから僕はこのタイミングで、付喪神のお爺さんの言伝を口にしたのだ。彼なら伝言を分かってくれると信じて。


「……っ! でも……『殿様』は割れちゃって、帰ってこないよ……」

「そうだね。だけど、『殿様』はそれでも、君を守りたかった。だから守った」


 話しを聞いた祐介くんは、泣き出しそうに顔を歪めた。一瞬、伝えるべきではなかったかと後悔をしそうになった。

 しかし、これは只の慰めの言葉ではない。普段、伝えたいことを伝える術を持たない付喪神からの願いなのだ。託されたのだから、最後までやり遂げなければ失礼だ。

『殿様』の事を語った際の、付喪神のお爺さんが寂しげに笑う顔が脳裏に浮かびながら言葉を紡いだ。


『ほほほ。そう言ってもらえると嬉しい限りじゃのぅ』

「……は……え……? えっと……その……すいません。何方様ですか?」


 不意に知らない男性の声が頭上から響いた。見上げると烏帽子を被り、黒い羽織袴姿の半透明な男性が浮いていた。顔には幾重にも亀裂が走り、痛々しい。目を細め楽しげに笑う彼に、思わず訊ねた。


『これは失礼をした。私は『殿様』に宿る付喪神じゃ。おや? 君は私の事が見えておるのか? 声も聞こえておるようじゃのう?』

「こ、こんにちは……あれ? 『殿様』は割れた筈では?」


『殿様』に宿る付喪神だと彼は名乗った。そして僕が見聞き出来ることに気が付き、僕の周囲をくるくると周り始めた。僕は疑問を口にした。


『ん? そうなのだ。砕けた身ではあるが、こうして存在しておる。姫にも認識をされぬ程に希薄な存在ではあるが、見守るぐらいは出来ておる』

「そうなのですが……」


 彼は困ったように笑いながら答えた。『殿様』が割れたが付喪神として存在をしていられるのならば朗報だ。しかし同じ付喪神である『姫様』が『殿様』を認識出来ないという事実に驚いた。


『……人の子よ。殿がいらっしゃるのですか?』

「……あ、はい。その……物凄く存在が希薄になってはいらっしゃいますが……」

『そうですか……』


 僕の言葉を聞き、『姫様』が『殿様』の事を訊ねた。取り敢えず彼が存在することを伝える。すると彼女は悲しそうに顔を伏せた。すぐ目の前に居るのに、二人の視線は混じらない。『殿様』は相手を認識することが出来るが、それを伝える術がない。

『姫様』は相手を認識することが出来ない。なんとも寂しいことだ。


「付喪神の特性だな」

「……え、特性ですか?」


 先生が僕の横に立ち今の状況について一言、見解を告げた。


「そうだ。付喪神は長く大切にされた品に魂が宿った物だ。稀な例だが破損したからと言って、完全に付喪神としての存在が消滅するわけではない。その存在を求める想いにより、存在を維持されることがある」

「……えっと代々大切にされてきたことにより品に魂が宿り、それが人を守り、想いの力が『殿様』を守ったということですか?」


 張間家の代々の人達から大切にされ、魂が宿った付喪神たち。祐介くんを守り割れたが、彼とお爺さんが『殿様』を想う気持ちが存在の維持に繋がった。その事実を知れて嬉しい。人間と付喪神という別の存在だが、お互いを想い支え合うことが出来たのだ。素敵なことだと思えた。


「嗚呼、存在が希薄になるだけで済んだのは不幸中の幸いだ。本体である『殿様』を修復し、再び重宝されれば存在は安定するだろう」

「それでは! 『姫様』は『殿様』を認識出来るようになるのですか?!」


 更に先生は『殿様』を修復し、以前のように扱われれば存在がはっきりとすると言う。つまりそれは、『姫様』が『殿様』を認識出来るようになることだ。そんなに喜ばしいことはない。


「無論だ。但し、それをするには墓を掘り返す必要がある。加えて、この家の者の許可も必要だな」

「……あ! そうでした!」


 勝手に盛り上がっていたが、『殿様』を所有しているのは張間家だ。修復をするか如何かは彼らの判断と許可が必要になる。『殿様』の為にお墓を用意し、心を砕いているが許可が下りるとは限らない。塚を開ければ、割れた『殿様』の姿を見ることになるのだ。彼らがそれを望むかは分からない。宙に漂う『姫様』と『殿様』は、そっと先代店主のお爺さんを見た。


「えっと……ですね……その……」


 張間家の全決定権を持つのは、先代店主のお爺さんだ。彼は祐介くんのように、『姫様』の声を聞いたような話しは出ていない。彼は確実に付喪神の存在を見聞き出来ていないのだ。そんな相手に『付喪神が生きているので、墓から出して修復して飾って下さい』と、願い出たところで聞き届けて貰えるかどうか怪しい。

 僕は部外者であり、只の客なのだ。如何にか角が立たずに、上手く願いを聞き入れて貰えないか思案する。しかし、良い案が思い浮かず口籠った。


「はは、何も言わなくて大丈夫ですよ。儂はずっと逃げて、この様な場まで作り隠して来ました。ですが、それも今日で終わりにします」

「そ、それでは!」

「はい、『殿様』を修復し再びお飾りさせて頂きます」


 先代店主のお爺さんは、憑き物が落ちたかのように穏やかに微笑んだ。そして『殿様』の修復を約束してくれた。表情どころか口調も穏やかで温かみのあるものへと変わり、まるで別の人物と入れ替わったかのようである。その変化に驚くが、きっとこれが彼本来の姿なのだろう。


「良かった……」

「お二人には色々とご迷惑と散々失礼な態度もとりまして、申し訳ございませんでした……」

「いえいえ、大丈夫ですよ! 複雑な事情がおありの様でしたから。それに僕たちも色々と踏み込んだことを申しましたので、お気になさらないでください」

「ありがとうございます」


『殿様』の修復を約束され一息を吐くと、お爺さんが頭を下げ謝罪を述べた。僕は慌てて立ち上がり、顔を上げてもらう。


「童、好きなことは何だ?」

「……え?」


 尾崎先生が不意に祐介くんに声をかけた。質問をされた彼は、戸惑いの声を上げた。


「ないのか?」

「……っ、あるけど……。でも、僕……蔵から盗んで……」


 祐介くんは、土蔵から『姫様』を連れ出したことを気にしているようだ。先生の言葉に応えてはいえるが、俯き視線が交わらない。


「『盗んだ』? 可笑しなことを言う。お主は『姫様』と『殿様』を会わせるためにしたのだろう? それに此処はお主の家だ。金庫の鍵の予備を預かっている者が、持ち出したところで何も問題にはならないだろう。盗人など初めから居なかったのだ。違うか?」

「……っ! ……それは……」


 尾崎先生の言葉を聞き、祐介くんは驚き顔を上げた。そうだ。彼の言う通りだ。先生はこの事件が起きてから一度も、『姫様』を持ち出した人間を『盗人』とは呼んでいない。もしかしたら先生には始めから、理由がある住人が持ち出したと確信をしていたのかもしれない。


「好きなことは、胸を張って言え。私は稲荷寿司が好きだ。今一度問おう、お主は如何だ?」

「……ぼ、僕は……爺ちゃんと両親と、食器たちが大好きです!!」

「宜しい。大切にするのだぞ」

「はい!! ありがとうございます!!」


 祐介くんは、晴れやかな笑顔で答えた。その瞳は希望と輝きの色を湛えている。その様子を見ると、お爺さんと『殿様』、『姫様』が嬉しそうに微笑んだ。


 いつの間にか霧雨も止み雲が晴れ、太陽の眩い光りが僕たちを照らした。


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