店長の張間さんに案内をされ、やって来た裏口。その年季の入った引き戸を潜ると、重厚な日本家屋が僕たちを出迎えた。住宅と店舗は日当たりの良い中庭で通じているようだ。爽やかな風が通り抜け、植木の新緑が太陽の光を受けて輝いている。

 目の前の建物からは、尾崎先生の屋敷とはまた違った落ち着きを感じた。先生は何故か奥にある庭の方向をじっと見詰めている。自宅の庭と見比べているのだろうか。彼の家は竹林に囲まれているので、自然や植物を眺めるのが好きなのかもしれない。


「こちらで暫くお待ちください。ご不便をおかけして申し訳ございません」

「いえいえ、こちらこそお邪魔してしまって申し訳ないです」


 勧められた縁側の座布団に腰を降ろす。張間さんは、お店を閉める作業や泥棒が入ったかもしれない確認や、連絡と色々とやることが多いだろう。ご厚意に甘え過ぎたかもしれないと、今頃反省をする。

 僕たちも何か手伝えることがあったら良いのだが、僕らは部外者なので出来ることは限られている。出来ることと言えばせめて、お店が再開した際に売上に貢献することぐらいだろう。尾崎先生に相談をして、お皿を想定よりも一枚多く購入してもいいかもしれない。


「今、お茶をご用意いたしますね……」

「あ、いえ! 本当にお構いなく! お忙しいでしょうから!」


 張間さんが靴を脱ごうとしたところで、僕は彼を止める。待たせてもらっているのに、これ以上お世話になるのは良心が咎めたからだ。


「しかし、お客様をお待たせしているのに……あ! 祐介! 丁度いいところに!」


 僕の言葉に渋る張間さんは、表情を明るくすると庭へと声をかけた。彼の視線を追うと松の木の傍に、小学校高学年と思われる男の子が立っていた。ランドセルを背負っているところを見ると、帰宅直後のようだ。


「紹介します、私の息子の祐介です」

「……どうも」

「こんにちは、早乙女と尾崎です。お邪魔しています」


 紹介された張間さんの息子さんである祐介くんに挨拶をする。自宅に帰宅したら知らない人達が居た為か、彼は僕たちに対して警戒しているように思えた。だからなるべく怪しまれないように、笑顔を向けた。


「鈴の音が聞こえなくて気が付かなくて、すまん。祐介、こちらのお客様方にお茶をお出ししてくれ。私は母さんと、店や父さんのことで席を外すから」

「……うん」


 祐介くんは、張間さんの言葉に小さく返事をし、頷くと玄関口へと入って行った。小学生といえば僕の経験上、帰宅したらランドセルを投げ置いて遊びに行きたいものだ。そんな遊びたい盛りである、彼にお茶を淹れてもらうのは何だか罪悪感である。


「では、何かありましたら祐介に言いつけてください」

「あ、はい。ありがとうございます」


 張間さんは祐介くんが家に入ることを確認すると、僕達に挨拶すると足早にお店の方へと去った。なるべく早く、穏便にことが済みますようにと心の中で祈った。


「泥棒じゃないと良いですよね……保管場所を変えたのを忘れていて、ついうっかり! みたいな感じにならないですかね?」

「残念だが、その可能性は極めて低いだろう。先代の発言や行動は明瞭であり、物忘れの線はまずない。加えて自身の暴挙から、あと一歩で壺を破損させてしまう事態に陥った。その結果に、驚愕と深い後悔の念を感じていた。つまり常に仕事に責任と誇りを持っていることだ。その様な人物が憤りを露にするのだ『ついうっかり』はないだろう」


 手持ち無沙汰になった僕は、先生に事件のことを訊ねる。穏やかな時間が流れるこの場で、盗難事件とは信じられなかったからだ。出来れば保管場所を変えたとか、つい物忘れをした可能性を見出したかった。

 しかし先生は淡々と確信めいた言葉で、僕の淡い希望を否定した。僕は壺を受け止めるので精一杯だったが、彼は色々と観察していたようだ。流石は尾崎先生である。


「では……やはり、泥棒が盗んだということですか?」

「盗人であるかは分からぬが、先代が『姫様』と呼ぶ品を保管場所より持ち出した者がいるのは間違いなかろう。詳しくは関係者に問わねば分かるまい」 


 尾崎先生は何故か泥棒に対しては言及を避けた。そして関係者に話を聞かねば判断が出来ないと告げた。それもそうだ。どのような状況下で盗まれたのか、判断材料が少なすぎる。


「あ……そうだ! 先生、先程はありがとうございました」


 僕は先ほどの出来事を思い出し、彼にお礼を伝える。傍から見ると唐突であり、何のことだか分からないだろう。しかし先生には、これだけで十分通じる筈である。


「……何のことだ」


 予想外にも彼からは知らないという返事があった。だが、返答まで少しの間が生じた。日々、理路整然と簡潔に説明をしてくれる先生には珍しいことである。その間の理由は定かではないが、少なくとも何かを思考する時間を有したのは確かだ。

 先生は無駄にはぐらかすようなことはしない。つまり発生した間と、彼が礼を受け取らないことには理由があるようだ。加えて感覚的な話ではあるが、何となく話しの続きを待たれているような気がする。『何のことだ、続きは?』と促されているようである。

 そのことを踏まえて考えると、僕は確信に触れる必要があるようだ。


「花瓶が落ちた時に、落ちるのを遅くしてくださいましたよね。 多分、妖術ですよね?」

「……ほう、気が付いたか」


 あの時に感じた違和感の正体を先生に言及をした。


 確かに僕は田舎育ちで、野山を駆け回り足腰は強い方だろう。だが不意に落とされた花瓶を受け取れるほどの、機敏さと俊敏さは持ち合わせていない。あの時、花瓶が無事だったのは先生が妖術で花瓶が落下するのを遅くしてくれたからだ。スローモーション映像のように、花瓶の時間だけが遅くなっていたのだ。

 だから僕は花瓶をぎりぎり、受け止めることが出来たのだ。勿論、カウンター越しに行われたので、反対側に居た張間さんと先代さんは目撃をしていないだろう。僕の話を聞くと、先生は菫色の瞳が楽しそうに輝いた。

 その様子に僕の返答が間違っていなかったことが分かる。


「えっと、不思議なことが起きたので……。それに、これからもお使いになると仰っていたので……」

「そうさな、こんなに早く行使するとは思わなかった。春一が動かなければ不自然になっていた。助かったぞ」


 屋敷を出る前にも妖術を見せてもらい、更に今後も行使するので慣れろと言われたばかりであった。その会話がなければ、僕はその場で慌て花瓶を受け止めることは出来なかっただろう。先生にとっても花瓶の一件は予想外の事態だったようだ。


「ありがとうございます。お役に立てたようで何よりです! 先生はやはり、お優しいですね!」

「……私は早く美味い稲荷寿司が食したいだけだ。余計なところで時間を消費したくない」


 人の役に立つことが出来たという事実は大変喜ばしい。加えて尾崎先生は稲荷寿司が食べたいからだと言い張るが、ならば待たせて貰うことに賛同するのはおかしいことになる。急ぐなら、あの場で僕に選ぶことを強制すればよかったのだ。しかし彼はそれをしなかった。

 食器に興味がないが、人や物を大切にする気持ちを持ち合わせていることを再確認することが出来た。

 そのことを含め、本当に彼の下で過ごせるようになって良かった。心の中でそっと、先生との出会いに感謝をした。


「あの……お茶をお持ちしました……」

「あぁ! ありがとう! 頂きます!」


 変声期を迎える前の高い声が、遠慮がちに背後からかけられた。振り向くと、お盆を両手で持つ祐介くんが立っていた。すっかり先生との話に夢中になってしまっていた。慌てて彼からお盆を受け受け取る。


「綺麗なグラスですね」


 お盆に乗せられたグラスを先生の前へと置き、僕はグラスを手に取った。そのグラスには瑠璃色の円が描かれ、その中央には四枚の花弁がある花が印象的である。光りの受け具合により、瑠璃色の濃淡が自由に変わる。眺めていて、目も楽しませてくる一品のようだ。流石は歴史を感じる食器店である。


「……え、江戸切子と言って、東京都の伝統工芸品です。切子加工されたガラス製品のことを指します。その……今、お持ちのグラスの切子模様は七宝四花菱模様です」

「江戸切子……知らなかったな。教えくれてありがとう。凄いね、良く知っているね!」


 手の中のグラスを興味深く眺めていると、祐介くんが説明をしてくれる。張間さんに紹介をされた時の警戒した雰囲気から一変し、食器を語る彼の顔と声は輝いている。そのことから、彼が食器を好きなことが分かる。

 先生も祐介くんの説明を聞きながら、グラスを眺めている。さして食器に関して明るくない僕は、彼に説明をしてくれて助かった。お礼と感想を述べた。


「……いえ。その、家が家なので……」

「家業でも、その知識は君が蓄えたものだろう? 努力をしているってことは素晴らしいことだと僕は思うよ」


 説明をし終えると祐介くんは俯き、謙遜をする言葉を口にした。そして再び彼の瞳には、僕たちを警戒する色が浮かんだ。僕には説明をする彼の姿が、本来の彼だと思えた。何故、そこまで警戒をするのか。普通子どものだったら、褒められると嬉しいものだ。家業故に、厳しく育てられたのだろうか。

 僕たちが部外者であり警戒をすることは理解出来るが、他にも理由があると思えてならなかった。先程の輝きを打ち消すかのような彼の態度に、僕は本来の彼へと言葉を送った。


「……っ……お茶の……お、おかわりを……お持ちしますね!」

「あっ……」


 祐介くんの肩が跳ねた。そして彼は勢いよく立ち上がると、廊下の奥へと駆けて行った。一瞬見えた彼の表情は、眉間に皺が寄り両目は潤んでいた。耳まで赤くなり、如何やら祐介くんを怒らせてしまったようだ。僕が想像をしていた以上に、繊細な問題だったのだろう。

 出会ったばかりの他人が、小学生を相手に踏み込んだことを言ってしまったようだ。


「……僕の勘違いだったのかな……」


 彼を怒らせてしまった。そのことから、彼の生き生きとした声と表情が本当の姿だと、感じたのは僕の勘違いだったのだろうか。家業が嫌で、必要だから身につけた知識なら怒りを買うのも当然である。

 しかし彼の表情からは、とても嫌いだという人間の表情には見えなかった。事情があるのかもしれない。もう少し彼の気持ちを考えるべきだったかと、反省をする。


「いや、お主の見立ては合っている。あれは演技ではない。あの童は何か隠し事をしている」

「……先生? 何かご存知なのですか?」


 一人反省会を開いていると、尾崎先生が口を開いた。彼も祐介くんの溌剌とした表情を演技ではないと考えるようだ。先生と見解が一致し安心をする。

 しかし、次に祐介くんが隠し事をしていると静かに告げた。僕には思い当たる件が無いので、首を傾げた。


「うむ。我々が中庭に入った際に、あの童は我々のことを隠れながら庭から見ていた」

「えっと……それは、帰宅して僕たちを不審に思い隠れたのでは?」


 あの時、先生が奥にある庭を眺めていたのはそういう理由だったのか。だが庭に隠れて僕たちを見ていたなら、内気や人見知りの子どもにはあり得ることだ。隠し事をしているという確証にはならない。


「その時の、童の格好を見て如何感じた?」

「長袖長ズボンに、運動靴で……ランドセルを背負っていました。帰宅したところだと……」


 不意に先生から彼の格好について尋ねられた。質問の意図は分からないが、僕は記憶に新しい彼の格好と感じたことを口にした。


「そうだ。学び舎の帰りだということは、外部からこの敷地に入ったということだ。しかし、此処の敷地へ入る門は、庭とは真逆の位置にある。事実、我々が店主と話しをしている際に通った者はいない。つまり我々が中庭に入る前に帰宅をし、荷物を置かず奥の庭で何かをしていたのは明白だ」

「なるほど!」


 尾崎先生は説明を聞き、左右を確認する。確かに敷地の外に通じる門は、奥の庭とは反対側にある。門の周囲は見晴らしが良く、帰宅すれば直ぐに分かるだろう。あの時は張間さんと会話をしていたから気が付かなかったが、祐介くんが本当に帰宅直後なら庭からではなく門の方向から来るので普通だ。

 僕が理解をしたことを確認すると、先生は立ち上がり僕もそれに続いた。


「加えて門には開閉すると鳴り、出入りを知らせる鈴が取り付けられていたが結び直されていた。結び目の紐が日焼けをした位置とは、ずれた所で結ばれていた。登校する際に外し、帰宅をしてから付け直したのだろう。家族に帰宅をしたことを知られると不都合があるからだ」

「偶々、外れて張間さんご一家の誰かが鈴を付け直したという可能性もあるのでは?」


 彼の目的地は門だった。数寄屋門の引き戸部分に、紐を通した鈴が結び付けられていた。先生の指摘通り全体が色褪せている中、元の鮮やかな青色が表れた状態で縦に蝶結びがされていた。この位置なら、祐介くんの身長でも十分に届き結ぶことが出来る。だが、誰かが付け直した可能性もある。


「それはない。蝶結びが縦になるのは、あの童だけだ。靴紐が縦であった。他の者たちは皆、横に結べている。店主夫妻は前掛け、先代は靴紐から分かる」

「……え……。えぇ!? 先生はそこまで見ていらっしゃったのですか!?」


 さらりと、重要なことが告げられた。祐介くんは挨拶の時にしか靴を履いていなかった。それに店長である張間さんとは一番長く居たが、奥さんと思われる女性は洋食器のコーナーでしか会っていない。更に先代のお爺さんとは、カウンター越しで靴紐は立ち去る時に見えるか如何かだ。僕は驚き声を上げたが、先生は用が済んだとばかりに踵を返した。


「観察をすることは自然なことだ」

「えぇ……凄すぎですよ……」


 元の場所へ戻る為に歩きながら、然も当然のように彼は言い放つ。『観察』ということは妖術を使用していないということだ。自身の持ち合わせた観察眼だけで、鈴を結び直した人物を特定出来るとは凄い。彼の能力の高さを目の当たりに、僕は平凡な感想しか出てこなかった。


「……あの童が用意周到なところを含め、それほどまでに何かを隠し通したいようだな。事実、店主である父親は、そのことに気付いた様子はなかった。上手く行っていたのだろう。ただ唯一、我々の存在は予想外だったようだな。だから童は暫く様子を見てから出てきたようだ」

「……庭ですか……。何をしていたのでしょう……」


 縁側に着くと、再び座布団に腰を下ろした。何故、彼は家族に帰宅を知らせず庭の奥に居たのか。そこで何をしていたのか、探るように奥の庭を観察する。此処から見えるのは、松や紅葉の木と石灯篭だ。何も窺い知ることは出来ない。


「さてな、私は隠し事があると言っただけだ。それに……この事件は面白くない」

「……え……先生?」


 横から聞こえた言葉は抑揚を感じさせない口調による、素っ気ないものだった。視線を先生へと向けると彼は腕を組み、瞼を閉じてしまった。その様子から、この話題に対して完全に興味を失ったことを悟る。

 先生の正体は妖狐だが、この状態は宛ら貝のようである。


「……えっと……二、三時間ほどで、お店を再開出来るかもというお話しでしたが……このまま『姫様』が見つからない場合。もしかしたら……夕方や夜になってしまうかも知れません……。それに僕も事件と祐介くんのことがはっきりとしないと、美味しい稲荷寿司を作ることが出来ない気がするのです……」

「…………」

「尾崎先生には……昼食と夕食分の稲荷寿司を美味しく、新しいお皿でお召し上がり頂きたいのです。如何か事件解決にご協力をお願い出来ないでしょうか……。お願い致します」

「…………」


 大変難しいことは承知の上だが、僕は尾崎先生へ説得を試みることにした。何故ならば、このまま盗難事件として警察に任せて良いものかを考えると素直に頷けなかった。『姫様』が発見されることは朗報ではあるが、それでは本当の事件解決にはならない気がしてならないのだ。

 しかし己の力だけでは、真実に辿り着くことは出来そうにない。だから彼に協力を仰ぐことにした。僕は『稲荷寿司係』として先生に雇用されて、厚遇を受けている。その立場で『気になることがあるので仕事に集中出来ない』というのはプロ失格であり、完全に甘えである。だが事実であり、偽ったところで先生には悟られてしまうだろう。

 それに恩人であり優しい彼に、中途半端な気持ちで作った稲荷寿司を出す気には到底なれない。本音を先生へと紡ぎ、最後に頭を下げた。


「……はぁぁぁぁ……。春一よ。お主はもう少し上手く、駆け引きをすることが出来ないのか?」

「……え? えっと……すみません。そういうことは、よく分からなくて……」


 長い溜息を吐くと尾崎先生は菫色の瞳を開き、緩慢な動作で腕を解いた。彼からの呆れた視線を受け、僕は縮こまり謝罪を口にした。昔から交渉は苦手である。田舎の皆からも再三言われ指導を受けたが、未だにこうである。苦手なものは苦手なのだ。


「……まあ、良い。行くぞ」

「先生? 何方に?」


 先生は急に立ち上がると、静かに告げる。もしかすると、僕の話があまりに不出来だから先生の怒りを買ってしまったのだろうか。このまま事件のこと、祐介くんのことを諦めて帰るわけにはいかない。何とかしなくては、そう決心をすると先生に行き先を尋ねた。


「なに……少し散歩でもしようと思うてな。腹が空いている方が、より稲荷寿司が美味かろう?」

「……っ!! ありがとうございます!! 誠心誠意、心を込めてお作りさせていただきます!」


 彼が振り向くと朗らかに笑った。如何やら僕の心配は杞憂に終わったようだ。立ち上がり感謝を述べた。

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