「先生、着きました」


 電車とバスに揺られ数十分。僕たちはスマホの画面に表示された、建築物の前に立った。真新しいコンクリート造りの白い建物と、歴史を感じる木と瓦屋根の建物が仲良く隣り合わせに建っている。看板には字体が違うものの、『はりま食器店』と同じ店名が記載されている。如何やら姉妹店のようだ。


「此処か……」


 先ほど意気揚々と先陣を切ろうとした尾崎先生であったが、食器店の場所を知らなかった。そのため僕がスマホで近くのお店を探し、結果此処に辿り着いたのだ。先生は期待を込めた表情で建物を見上げた。


 白いコンクリート造りの店内へと入ると、平日の午前中ということもあり来店しているのは僕たちだけだった。エプロンをつけた中年の女性が、来店の挨拶をしてくれる。僕はそれに会釈で応えた。


「うわぁ……沢山ありますね……」

「……うむ、そうだな……」


 何よりも驚いたのが、その食器の多さと豊富さであり圧倒される。先生も驚いているようで、その声には若干の戸惑いを感じる。きっと殆ど食器を持たない彼にとって、この量の食器は信じられないのだろう。大きな窓から入る日差しが、グラスやカトラリーを照らし輝いている。

 こちらの建物は洋食器を扱っているお店のようだ。


「お皿ですが和食器のほうが良いですよね? 好みの色や形はありますか?」

「稲荷寿司が乗るのであれば何でも良い」


 先生に要望を訊ねると、素っ気ない返事をされた。流石はお皿を一枚も持っていない彼の回答だ。僕は思わず苦笑した。


「制限や決まりはありませんが、料理と器は合わせた方がより美味しく感じられると思いますが?」


 出来る事なら美味しく食べてもらいたい。その気持ちを込めて、先生を見上げた。きっと彼だって美味しい稲荷寿司を食べたい筈だ。


「……費用は私が出す。選定は春一に任せる」

「はい! 稲荷寿司がより美味しく感じられる物を選びますね!」


 一瞬の葛藤が垣間見えたが、尾崎先生は頷くと僕に一任をしてくれた。


「洋食器や汎用性の高い食器もあっても良いと思いますが、先に基本的な和食器を見ましょう」

「嗚呼、頼むぞ」


 稲荷寿司といえばやはり和食器だろう。シンプルで料理を選ばないお皿も多く、使い勝手が良いのであっても良い。しかし先生は稲荷寿司が大好きで、その為のお皿を必要としている。だからまず初めに和食器を購入することにした。僕は先生にその事を伝え、天井から吊るされている案内図に従い足を動かした。


「わぁ……」


 案内図を辿り暖簾を潜ると障子の淡い光が照らす、和食器売り場が僕たちを出迎えた。田舎の家や尾崎先生の屋敷も和風な為、この雰囲気に安らぎと落ち着きを感じる。ゆっくりと足を動かし、棚や机に置かれている食器を眺める。

 どれも優しい色合いと使いやすい形をしている。大皿を3,4枚と取り皿が必要だ。それから食器ではないが保存用にタッパーも購入する必要がありそうだ。店内を歩きながら、頭の中で買う品物をリストアップしていく。


「ど! 泥棒じゃ!!」

「えっ!?」


 静かな店内に、突然男性の叫び声が響いた。驚き振り向くとレジにて、高齢な男性がエプロンを着けた男性を問い詰めていた。


「父さん! 落ち着いてくれ、そんなことを大きな声で言わないでくれ。お客様が居るのだから……」

「何を悠長なことを言っている場合か!! 家宝の『姫様』が盗まれたのだぞ!?」


 言い争っている二人は如何やら親子のようだ。レジにいる息子だと思われる男性は声の大きさを落とし、父親に落ち着くように言葉をかけるが彼は更に声を張り上げた。そして彼は憤りを発散させるように、レジの台を強く拳で叩いた。

 その衝撃で台の上に置かれていた素焼きの花瓶が揺れ、こちら側に傾いた。


「えっ……ちょっ!」


 花瓶が落ちて割れてしまうことは容易に想像をすることが出来た。床に散らばる破片が脳内に浮かんだ。僕は咄嗟に床を蹴り、両手で掬うように花瓶を滑り込んで受け止めた。花瓶が無事であることに安心をしたが、ある違和感を覚えた。


「だ! 大丈夫ですか!?」

「大丈夫ですよ! ほら! 花瓶は無事です!」


 男性がレジから身を乗り出し、花瓶の状態の確認をしてきた。立ち上がり花瓶が無事であること告げ、台の上に置いた。


「いえ。そうではなくて、お客様にお怪我はありませんか?」

「え? ……嗚呼、大丈夫ですよ! 昔から体は丈夫ですから!」


 困惑した様子の彼は更に言葉を重ねた。如何やら僕のことを心配してくれたようだ。昔から田舎の山や道を駆け回っていたので、体力もあるし体は丈夫だ。安心させるように力拳を握ってみせた。


「そうですか。花瓶をありがとうございます! お客様! ほら、父さんもお礼を言って!」

「……申し訳ございません……」


 僕の返事を聞くと、エプロンを着けた男性は安堵の表情を浮かべた。そして、お礼を述べると隣にいる父親に促す。すると彼は先ほどまでの勢いは無くなり、掠れた声で謝罪を口にした。それから意気消沈した様子で、店舗の奥へと歩いて行ってしまった。


「父がお騒がせをしてしまい、申し訳ございませんでした。花瓶も割れずに助かりました」

「いや、それほどでも……えっと、先ほどの方は先代の店主さんですか?」

「……はい、父から譲り受け当代は私が店長を努めております。張間と申します。お恥ずかしい所をお見せしてしまい申し訳ございません。それから……大変申し上げにくいのですが、お客様のお品物がお決まりでしたら受けたまりたいのですが……」


 店長だと名乗る張間さんが再び頭を下げた。やはり彼らは親子であり、看板の店名と同じく張間さんというらしい。それから、困り顔で会計する商品の有無を問いた。きっと、先ほど先代が口にしていた盗まれたことへの対応をする為に、お店を閉める必要があるからだろう。


「如何なのだ? 春一」

「えっ?! いや、すいません。まだ全然決まっていません……どれも素敵で……」 


 いつの間にか僕の隣に立っていた先生に驚き声を上げた。此処にある品物は素人の僕が見てもどれも素敵な物だ。それ故に色々と目移りをしてしまい、決めかねているのだ。


「……ありがとうございます。しかしそうなると、本日は販売をすることが出来ないかもしれません」

「……えっ……それは……困るというか……」


 彼は泥棒が入ったかもしれないことで、お店を閉める作業や色々とやることが多いだろう。大変な事態だということは理解をしている。しかし屋敷からは一時間程の場所ではあるが、なるべく早く食器を用意したい。出来る事なら本日の夕飯は、その新しいお皿で先生に稲荷寿司を食べてもらいたいのだ。僕は歯切れの悪い返事をした。


「申し訳ございません……そうですよね。わざわざお越しいただいたのに……。そうだ! もしよろしければ事態の把握と連絡をするまで、隣にある自宅の方でお待ちください。早ければ二、三時間ほどで店を再開出来ると思いますので、如何ですか?」

「宜しいのですか!? あ、えっと……先生、お時間は大丈夫でしょうか? お仕事の締め切りはありませんか?」


 張間さんは少し思案すると、妥協案を提示してくれた。直ぐに了承しようかと思ったが、今は尾崎先生と行動を共にしている。彼に確認をするべきだろう、小説家の仕事で原稿の締め切りが近いかもしれない。だから、先生にお伺いを立てることにした。


「構わぬ。春一の好きにするが良い」

「ありがとうございます! では是非お願いします!」


 尾崎先生は頷き、了承してくれた。僕は張間さんからの有り難い申し出に甘えることにした。

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