②
「美味い!! 流石は春一だ!!」
「急遽作った物ですが、お口に合って良かったです」
座卓に並んだ料理を笑顔で食す尾崎先生。山盛りの稲荷寿司達が次々と彼のお腹に収まる。その様子に既視感を覚えつつ、自然と頬が緩む。
先生の元気な姿を見て、僕は急須を手に取り湯呑み茶碗に緑茶を淹れる。
この春、諸事情により僕は会社をクビになった。迂曲曲折ありながらも、尾崎先生の『稲荷寿司係』として雇用された。路頭に迷う事がなくなり本当に安心をした。
更に衣食住の完備と稲荷寿司を作る以外は、自由という破格の待遇である。好待遇過ぎて夢じゃないかと疑い、何度も頬を抓ったが夢ではなかった。衣食住完備な為、急ぎ借りていたアパートの解約や荷物の整理に2日ほど先生の元を離れていた。
出かける前に一度この屋敷に寄り、大量の稲荷寿司を作った。冷蔵庫の中と台所の作業台、居間の座卓の上が大量の稲荷寿司で溢れかえった。その光景は、一生分の稲荷寿司ではないだろうかと思われる程の量であった。初めての仕事だからと流石に作り過ぎかと焦ったが、尾崎先生は大変喜んでくれた。その様子に安心をして屋敷を後にしたのだった。
そして2日後の今日、訪れると先生は空腹で倒れていたのだ。充分足りる量だと考えていたが、先生は見た目に反して健啖家のようだ。スーパーで買い物をして来て本当に良かった。
「よもや、空腹で倒れるとは思わなかった。帰宅早々に驚かせて済まなかったな。春一が作る稲荷寿司は格別だ。美味くて一日で食してしまった……」
「いえ! そんな……。先生がご無事で良かったです。それに一日で食べてしまう程、気に入ってもらえて嬉しいです!」
箸を置き申し訳なさそうに謝罪をする尾崎先生。
その反応に僕は声を上げた。確かに先生が空腹で倒れていた事には驚いた。
しかしそれを責める事は出来ない。尾崎先生が、僕の料理を好いてくれているのは嬉しい事なのだ。田舎にいた頃は、皆な笑顔で食べてくれていた。誰かに喜んで貰えるのは大変誇らしい事だ。
次から留守にする際には、もっと多くのお作り置きをして置こう。
「……それで手続きは無事に済んだのか?」
「はい。大家さんも良い方でしたし、次の入居者さんも決まり喜んでいらっしゃいました! 大きな荷物は宅配便で届きます」
湯呑み茶碗を手に取る先生。アパートの契約は驚くほど順調に済んだ。事情を話すと大家さんは、家賃を日割計算して返してくれた。更に入居先を探していた学生さんからも感謝をされ。大家さんと学生さんに見送られて、僕は今日このお屋敷へとやって来たのだ。
「それは何よりだ。これを渡しておこう」
「鍵ですか?」
先生が鴇色の小さな巾着袋を差し出した。両手で受け取り、それを開けると中には一本の銀色の鍵が入っていた。
「私は殆ど家に居るが一応な。此処は春一の家だ。その証として持っておれ」
「ありがとうございます! 大切にしますね!」
彼の気遣いに感謝を述べる。先生には本当に色々とお世話になっている。
「それから、何か必要な物があれは申せ」
「えっと……では、お……お皿が欲しいです……」
続けて彼は必要な物の有無を訊ねる。折角の申し出なので要望を伝える。
「皿?」
「はぃ……稲荷寿司を盛るお皿が無いのですが」
尾崎先生は首を傾げた。そうこの家には殆んどお皿が無い。だから稲荷寿司の作り置きは僕の持っているお重と、屋敷のお盆にラップを張った上に乗せていた。あの時はお皿が無い事を知らず、急遽他で代用をした。しかし今後の事を考えると、ちゃんとした食器は必要だ。
「うむ、それは由々しき事態だ。春一、買いに行くぞ」
「えっ!? 今からですか!?」
頷くと素早く立ち上がる彼に、僕は驚きの声を上げた。
「如何した?」
「荷物を受け取らないといけないのですが……」
既に廊下へと出ている先生が、不思議そうに振り向いた。今日はアパートから送った荷物が届く予定なのだ。留守にする事は出来ない。食器が必要だと自分から言い出した手前、声が小さくなる。
「それなら問題ない」
中指と親指を弾き、指を鳴らした。すると音と共に白い煙が何処からか上がり、人影が現れた。
「……え? 先生が二人?」
その姿は銀髪に菫色の瞳を持ち着流し姿であり、尾崎先生と瓜二つであった。
「うむ。私の分身みたいな物だ」
「す……凄いです!! 魔法みたいです!!」
僕は分身体と先生を見比べるが、違いがまるで分からない。非現実的な事が目の前で起きた事態に、僕の思考は完全に停止した。思った事をそのままに、幼稚な言葉を口にした。
「私は妖狐だから妖術だな。この様な術を行使するなど造作も無い。お主も何度か体験しているであろう?」
「え? ……あ! 風呂敷包みと襖ですか?」
何も分からない僕に、魔法では無いと説明をしてくる所も先生は優しい。彼に問われ、心当たりを探す。思い当たるのは初めて彼と出会った際に、風呂敷包みを知らない間に先生の手に渡っていたこと。襖が誰も開けていないのに、ひとりでに開いたことだ。あれも全て彼の妖術によるものなのだろうか。
「うむ。人から見れば奇怪なことでも、我々には自然なことだ。今後も術を行使する。慣れることだな」
「はい! 楽しみにしております! やはり先生は凄い方ですね!」
肯定するように頷く先生。今後も妖術を見ることが出来ることを知り、僕は大喜びをした。不思議な出来事でも妖術であると知っているなら安心だ。それにどんなことが起こるのか楽しみである。
「……荷物は分身が受け取る。皿を買いに参るぞ」
「はい! えっと、では荷物をお願いします!」
妖術に対して子どもの様にはしゃぐ僕から先生は視線を外した。そして早く食器を買いに行きたい様子で先生は、背を向けて廊下を歩き始めた。荷物を受け取る心配が無くなり、ほっと息を吐いた。そして分身に挨拶をすると、先生の背中を追いかけた。
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