第4話
何かが聞こえる…それが自分を呼ぶ声で、両親の声だと気付いた時、ヒロは飛び起きた。
「ああ、ヒロ、良かった…このまま目覚めなかったらどうしようかと…。」
「大丈夫か、どこも痛くないか?」
自分に縋りつく母と、その後ろで泣き笑いの父。ヒロは最初、何が起きたのかわからなかった。周囲を見回すと、どうやら病院のようなのだが、自分が知っている景色と明らかに違った。
壁が妙に綺麗というか…つるんと無機質と言おうか。両親が着ている服も、妙につやつやしていて、シワもなくボタンもついてなくて、変な格好に思えた。
ふと自分が人型に食われたことを思い出し、ああ、これは死ぬ間際に見る幻覚なのかとぼんやり考えていた。
プシュンと空気音が鳴り、ただの壁だと思っていたところが楕円形に開いた。自動ドアだった。そして見知らぬ細身の中年男が入ってきた。
「ヒロくん、気付いたんだね。きみはまだ子供で心身が不安定だから、転移の影響が強く出てしまったね。この次元で安定するまで少し時間がかかったんだ。」
・・・転移?次元…?
何を言っているのかわからず、両親に救いの視線を送るヒロ。父は複雑な表情を浮かべながらヒロの頭を撫でる。
「ちゃんと説明するから。…いや、必要ないでしょうか?」
父の問いかけに、男は優しく微笑んだ。
「そうですね、とりあえず心身の状態をもう一度詳しく検査して、異常がなければこちらでも処置しますが…その前にご説明されても大丈夫ですよ。無理させない範囲でね。」
そして軽く会釈し、くるりと背を向けたかと思うと、またプシュンと壁が開いて、男は出て行った。
――父親がヒロに説明したのはこうだ。とても信じられないだろうが、後で処置を受ければ完全に理解できるはずだと、まずはそう前置きして。
元々ヒロたちがいた世界は、既に存在しないのだと言う。自分たちが知っている天変地異とはまた違う、自然の摂理に近い『現象』で、消滅してしまったのだ。
世界の消滅というのはありふれた出来事で、この別世界でそれを予測できたとしても、あるいは救助できる技術があっても、今までは手を出したりはしなかった。自分たちの世界にどんな影響があるかわからないからだ。しかし、人道的な見地から見捨てて良いのか、また、いつ自分たちの世界もそのような『現象』に巻き込まれるかわからないのだから、研究も兼ね、『現象』によって消滅する運命の世界から、救えるだけ救うべきであるという結論に至ったのである。
「じゃあ、最初からそう言えば良かったんじゃ…。」
ヒロはあの時の事を思い出して身震いした。地面から突然現れた、赤く揺らめく大きな人型は、まさに『地獄の窯が開いてやってきた赤鬼』にしか見えなかった。
次元を超えるというのは非常に難しく、しかもそれが消滅の近い世界ともなると、諸々おかしなことが起きてしまうのだという。実は救助に使われた機械は、赤くもなければ人型でもないらしいが、あの世界で存在させようとすれば、あのような形になってしまうのだという。
もちろん、何の影響もなく次元を超えることができたとしても、突然現れた見知らぬ人々に、『これからあなたたちの世界は滅びます。助けに来ました。この機械に乗ってください。』と言われても誰も信じないだろう。政府を通す時間もないし、政府にコンタクトを取っても攻撃的な対応をされるだけであろう。
まるでアニメか何かで聞いたような話で、にわかには信じられないヒロであったが、それも『処置』を受けるまでのことだった。1cm角ぐらいのシールをぺたっと眉間に貼られただけだったが、じわじわと、説明されたことが実感を伴い、『わかって』きたのである。
ヒロの一家を始め、元の世界からやってきた人たちはその後も色んな検査や処置を受けながら、手厚く保護され、徐々に順応していった。ヒロは元の世界を懐かしく思う事もあったし、結果として助かったのは自分だったけど、自分を見捨てるような形で逃げて行ったレンや、自分に全く興味を持ってくれなかったリリナのことを思い出しては嫌な気分になることもあったし、黒い優越感に浸ることもあれば、猛烈な罪悪感に苛まれることもあった。
だが検査や諸々の『処置』を受ける度に、徐々にそういう感情の揺れもなくなっていく。
新しく与えられた住居の隣には、あの日テレビで見た、ローカルタレントが住むこととなった。ユーモアのある彼はとても明るく、ヒロ一家ともすぐに打ち解けた。彼は時折、
「あの処置ってちょっと怖くないですか?だって精神を直接操作するんですよ。」
「そもそもこんな神対応っておかしいですよ、なんか裏があるかもですよ。」
「だいたい世界が違うんだから、我々と価値観が根本的に違うかも知れませんよ。」
と、オカルト系のタレントらしく、冗談めかしてそんなことを言うこともあった。…だが、ある日を境にぴったりと言わなくなった。
ヒロも、最初のうちは考えた。本当に、元の世界はなくなったんだろうか。本当に自分たちは助かったんだろうかと。実はもっと恐ろしい理由…人体実験か何かに利用するために、捕獲されただけではないのか…等々。家族でもそんなことを話すことがあった。
しかし『処置』を受ける度、疑心や恐怖心が嘘のように消えていくのだ。
心の中から暖かいものが湧き出でるような、何という安心感。なんと幸せなのだろう。何も疑うものはない。ありがたくすべてを享受すればよいのだ。ああ、楽しい、ああ、なんて、なんて幸せなのだろう…。
ある日、ローカルタレントは検査のために施設に行き、翌日になっても、その次の日になっても、帰ってこなかった。だが、ヒロも、ヒロの家族も、近隣に住む保護された人々は誰も何の疑念も持たなかった。与えられ続ける幸せを、ただ口を開けて享受するだけであった。
地獄の窯 よしお冬子 @fuyukofyk
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