第3話

 その日は別の避難所でも同様に、複数の人型が十数人もの人を食うという事件が発生したため、『人が集まっている方が危険ではないのか』という噂があっという間に広まり、大勢の避難者が勝手に自宅に帰ってしまった。そして、事件が全く起きていない他府県へと避難することを選択する家族も当然ながら出て来た。

 レンの一家は、他府県に頼れる親戚知人もいないため、仕方なく自宅で生活を続けることに決めたのだが、一方ヒロの家族はというと、飛行機の距離に住む親戚を頼ることにしたのだった。

 翌朝、挨拶に訪れたヒロ一家に向かって、レンの両親は聞くに堪えない罵声を浴びせていた。お互いの親の後ろで、レンとヒロは何とも言えない表情のままで、見つめ合うことしかできない。

 その日は朝から雲一つないカンカン照りであった。日が高くなるにつれ蝉の鳴き声もどんどん大きくなる。じんわりと汗がにじむ暑さの中、さっさと挨拶を終わらせて立ち去ろうとするヒロ一家を、逃がすものかと難癖をつけて引き留めるレンの両親。

 昔からお前らは要領ばかりいいとか、ずっと私たちを見下していたんでしょうとか。今まで仲良さそうに見えていた親同士の関係は、実は酷く薄い、表面的なものであったことを知って、子供たちはただただ悲しかった。

 そこへ自転車を飛ばしてやってきたのがリリナである。今どういう状況なのか全く意に介さず、通路から素っ頓狂な声を上げる。

「ヒロくん!良かった会えた!私今から引っ越すから最後に言いたいことがあって…。」

 引っ越し、という言葉に反応したのはレンの母親である。

「なんなのよ!あんたも自慢に来たの!どうせ私たちなんて食われて死ねばいいと思ってるんでしょ!」

 攻撃の矛先がリリナに向いたのをこれ幸いと、そそくさと逃げようとするヒロ一家。それに気づいてまだ話は終わっていないと、あやうく掴みかかりそうになるレンの父親。

 と、その時。今まで夜にしか発生しなかった『地獄の窯』が、よりによってレンの家の中から発生したのである。赤い人型は廊下の幅よりもはるかに大きく、ミシミシと音を立てて壁を削り、割り壊しながら現れた。

 一番近くにいたのはレンであった。声も出せず呆然と立ち尽くしていたレンにゆっくり手を伸ばす人型。それを救ったのは、先ほどまで玄関先で揉めていたレンの父親だった。走り寄ってレンの首根っこをひっつかみ、ぐるりと逆方向に放り投げた。レンを救った代わりに人型に捕まり、あっという間に吸収されていく父親。

 阿鼻叫喚であった。泣き叫びながら玄関先に置いていたゴルフクラブや傘を人型に投げつけていた母親も、あっさり捕まって吸収されて行く。

 レンは死を覚悟した。この位置だともう逃げられない。それに両親がいなくなって、いずれにせよ生きて行けない。先程までパニックだった心の中が、すうっと落ち着くのを感じた。

 最後に親友のヒロや、淡い恋心を抱いていたリリナに何か、せめて別れの言葉を…と振り返ったが、そこにはもう誰もいなかった。みんなあっさり逃げてしまったのである。

 仕方がないことだとわかってはいるが、あんまりだと思った。そして先程怒り狂っていた両親の気持ちが痛いほどわかった。文句を言っても仕方がないことだとわかってはいても、この暗く重い感情を、ほんの少しでいいから、嘘でもいいから、分かち合って欲しかったのだ。

 もちろんそんな義理はないというのもわかった上で。

 それでも憎い。ずっと親友だと思っていたヒロに、こんなに腹が立つなんて…。しくしくと泣き出したレンを、赤い人型の腕が包む。

 モフッ。

 随分心地よかった。柔らかくて、ふわふわで。夏場なのに暑苦しくもなく。そのまま人型の腹部…と言っていいのか。身体の中心に飲み込まれていくが、もっふもふのふっわふわで、凄い安心感と幸福感だった。

 突然襲って来たのは睡魔だったのかなんだったのか。そこで意識は途切れてしまった。

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