・・・紅の月 フロレンス (5)・・・

「ずいぶん大きくなりましたな」

チャルトンの部屋に着いて開口一番、シャンクスは藪から棒にそう言った。

「何のことだ?」

チャルトンは紅茶の準備をしながら聞いた。

シャンクスは未だに気味の悪い笑みを崩さない。

「妹君です。テリア様ももう17でしたか?」

「ああ、私とは違って良くできた妹だ」

「ご謙遜を」

シャンクスはソファに座り、御付きの男はずっと立ったままだ。チャルトンは3人分の紅茶を入れるが、「結構です」とシャンクスは断った。

淹れる前に言えよ、とチャルトンは思いながらも顔には出さなかった。さすがは天下の王国諜報部だ。人を不快にさせることに長けている。

「で、大方私の研究成果について聞きに来たのだろう」

チャルトンはソファに腰掛け、自分の紅茶に角砂糖を2つ入れ、嫌みっぽく言った。

「わざわざご足労頂いて申し訳ないが、成果は以前に報告した通りだ。そちらが焦る気持ちはわかるが、魔導研究とは一朝一夕で成し得るものではない。特に亜空間移動に関する研究は歴史上初の試みなんだ。人も時間も金も掛かることは君たちにもわかるはずだ」

チャルトンの研究は国を挙げての一大プロジェクトである。

それは一人の魔導研究者の提唱した一つの仮説に基づいたものだった。

彼らのいるこの世界とは別に、異なる世界が他にも存在するという仮説であったが、それは古代より誰かしらが唱えていた絵空事だった。

しかし、この研究者はその仮説を実証すべく、魔法による一種の信号を空間を越えて交換させる理論を考え、ある装置を作り出した。

その実験は成功に終わり、国はこの研究を亜空間移動魔法と名付け、今世紀最大の魔法として実用化に乗り出したのである。

国としての考えはこうだ。

もし本当に異世界があるとして、こちらの世界から信号が送れるのであれば、物体も別の世界に送ることも可能ではないかと。

実際、別の研究者が物体をこの世界の別の場所に瞬間移動させる技術を発明、開発させており、チャルトンの勤める研究施設を始め、軍事施設などの国の一部の主要機関では実用化がなされている。

この技術をベースに、異世界に人や物を自由に行き来させる技術が開発されれば、異世界の資源の確保が可能性になると、国は考えたのである。

来る他国との戦争に備え、ゲルトリアでは資源確保は最優先事項だ。チャルトンの研究に政府や国民の期待が集まっている。それこそ、チャルトンが押し潰されそうな程に。

「我々も好きであなたにプレッシャーを与えているわけではありません」

シャンクスは冷静にそう返した。

「では何しにここへ?まさか世間話をしに来たわけでもあるまい」

チャルトンは紅茶を啜った後、未完成の空間魔法の構築理論が書かれた巨大な黒板に近づき、チョークを取って続きを書き始めた。

「悪いが私は忙しいんだ。アートレイ大臣には来月までに理論の発表ができると伝えておいてくれ」

「そのアートレイ大臣からですが、貴殿の研究費用の削減をしたいとの伝言を承っています」

「何?」

チャルトンは手を止めて、シャンクスを睨み付けた。

シャンクスは笑みを称えたまま、すくっと立ち上がる。

「実は先日、エリスン殿の瞬間移動魔法に進展がありまして。そちらに予算を大幅に割きたいとのことです」

エリスンの名を聞いて、チャルトンはますます表情を険しくした。

「どんな研究だ?」

「小生は魔法理論には疎いので、詳しくは何とも。ただ聞いた限りでは、「門(ゲート)」を使わずともあらゆる場所に物体を送ることができるとか」

「馬鹿な!そんなことができるわけない!」

チャルトンは怒鳴った。

かつての同僚である研究者のエリスンが数年前に発明した瞬間移動魔法は、「門(ゲート)」と呼ばれる魔道具同士を介して瞬時に物体の移動を可能にした画期的な魔法である。

詰まるところ、「門(ゲート)」があれば、世界の反対側でさえもあっという間に行き来が可能というわけである。

しかしながら、これは距離に相対して莫大な魔力を必要になり、さらには「門(ゲート)」が無い場所では無意味であった。

他にも、これまでの一般的な移動手段である馬車や魔法車などを運用する会社などから、激しい反発を招いたため、ごく一部の国家機関でしか実用化されていなかった。

チャルトンの職場にも「門(ゲート)」があり、フロレンスの第三王立魔導研究所から王都ノルトラスにある第一王立魔導研究所へとこれを使って行き来することができる。

その瞬間移動魔法が「門(ゲート)」を介さずに行えるのであれば、仮に軍隊をあっという間に敵の中枢に配置することも可能になる、というわけだ。

確かに、それは戦争を間近に控えるゲルトリアにとって、期待を寄せる魔法であろう。

「理論はともかくとしまして」

シャンクスは人差し指を立てて言った。

「これは決定事項になります。明日の新聞各社も、この研究成果について掲載する予定ですから」

チャルトンは苛立ったようにチョークを床に叩きつけた。粉々になったチョークの成れの果てが、黒い滑らかなフローリングに散乱する。

「今日はそれだけを伝えに参りました」

シャンクスはもう一人の男に目配せして部屋を出ようとした。

「この研究は私の全てだ!」

チャルトンはシャンクスに怒鳴り付けた。

「これまでどれだけ、私がこの研究に金と時間と労力を費やしたと思っている!この研究は国の、いや世界の未来さえも変えるかもしれない画期的な研究なんだ!国もそう言って我々を持ち上げていたくせに、いざとなれば手の平を返すのか?」

「お言葉ですが」

シャンクスは立ち止まり、呆れた様子でチャルトンを見た。

「その費やされた金は国の税から賄われたものです。中には各有力者からの支援もありましょうが、いずれにしても、あなたは国民と支援者の期待を裏切ったことに代わりはありません」

「何だと?」

シャンクスは冷笑を浮かべて続ける。

「これまで国はあなたに金だけでなく時間も差し上げました。しかしながら、あなたは中々に成果を出すことができずにいる。これは単にあなたの力不足。いたずらに時間と金を溝に捨てたと同じ・・・我が国はそう捉えた、というわけです」

「くそっ!」

チャルトンは視線を反らし、それ以上何も言えなかった。しかし、その様子を見たシャンクスが、またしても冷ややかな笑みを浮かべてチャルトンに近づいて言った。

「もし、あなたがよければですが、我々に一つ提案があります」

その言葉にチャルトンはシャンクスを見た。シャンクスの意図は読めなかったが、今は話を聞くしかないと、チャルトンは何故か思い始めた。

「これは、我々が独自に入手した情報なのですが・・・」

そしてシャンクスはゆっくりと語り始める。それはチャルトンにとっては、非常に辛い決断の始まりだった。

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