・・・紅の月 フロレンス (4)・・・

テリア・ロックネルが朝の支度を終えた時、自宅の玄関の呼び鈴が鳴った。

そこそこ広い邸宅でも、よく響くようにできているので嫌でもわかったが、こんな朝早くに一体誰だろうと思い、テリアは2階の自室を抜け出して玄関の様子を見に行こうとした。

テリアの家に仕える召し使いが、玄関の扉を開けると、黒いコートに黒いハットという、全身黒ずくめの男が2人、佇んでいた。

「朝早くに申し訳ない。ゲルトリア王国諜報部の者です」

「はあ。どのような御用で?」

「御家のご子息、チャルトン殿にお会いしに来ました」

黒尽くめの男の一人が、テリアの兄の名を口にした。

テリアの兄、チャルトン・ロックネルは現在、王国の魔法研究員をしている。

チャルトンはテリアの通っているルノール魔法学校を主席で卒業した秀才だ。卒業後はトップの魔法研究が行われている第一王立魔導研究所の研究員に採用され、さらに1年前にとある国を挙げたプロジェクトの主任研究員に選ばれるという快挙を得た。

下級貴族であるロックネル家から、魔法に秀でた人間が生まれたことは非常に喜ばしいことであったが、ここ最近、兄が寝不足で疲れ果てて帰ってくるところを見るたびに、テリアは兄の体を心配せずにはいられなかった。

そんな兄に、王国の諜報部が何の用だろう?

王国諜報部と言えば、あまりいい噂は聞かない。国内外に対して情報工作活動を行っているが、その手法はかなり手荒だと聞く。玄関に佇む黒ずくめの男たちからも、異様な雰囲気が漂っていた。

「申し訳ありませんが」

そんな諜報部の人間相手に召し使いはいつも通りの対応をした。

「チャルトン様はまだご就寝中でございます。一度お時間を改められてはいかがでしょうか?」

よく言った。とテリアは内心思った。

兄は昨日も帰宅後に自室に籠って仕事をしていたから、疲れて眠っているはずだ。それをこんな朝早くに来て会わせろだなんて非常識にも程がある。

テリアがそう思っていると、黒尽くめの男の一人が急にテリアのいる2階に顔を向け、テリアと目を合わせてニヤリと笑ったのである。

思わずテリアは体を強張らせた。

男の瞳は生気がないかのように、冷たくて真っ黒だった。

そして召し使いに向き直り、冷ややかな笑みを浮かべたまま言った。

「ですが、チャルトン殿とは今朝お会いすることになっておりまして」

「とは言いましても・・・」

「いや、かまわない」

すると召し使いの後ろからチャルトンがさっと出てきた。しっかりと身綺麗にしてはいるが、その表情からは溜まりに溜まった疲労が隠しきれていない。

召し使いはさっと前を避けてチャルトンに一礼した。

「朝方にご足労申し訳ない、シャンクス殿。私の部屋でお話し致しましょう」

チャルトンは黒尽くめの男たちに向き直り、自宅の中に促した。

「ではお言葉に甘えて」

シャンクスと名乗る男ともう一人の黒尽くめは、気味の悪い笑みを浮かべて家に上がり込んだ。

ふと、チャルトンは2階にいたテリアと目が合ったが、それも一瞬ですぐにシャンクスたちを連れて奥へと引っ込んでしまった。

「兄様」

テリアはか細い声で呟く。

昔と違って、研究員になった兄は日に日に弱り果てたようになり、気も短くなった。テリアはそんな兄の姿を痛々しく思っており、最近は面と向かって会う機会も減ってしまった。昔のように一緒に遊んでくれていた優しい兄に戻ってほしいが、兄が忙しいうちはそれも叶わないことだろう。

何せ兄は今、国の重要なプロジェクトに関わっているのだ。邪魔するわけにはいかない。

テリアは項垂れたまま、自室にそそくさと戻っていった。

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