第37話 リリーの小説7

『サクラクラゲの西洋館』第4章・第37話 リリーの小説7

 夏の真っ只中、父がバーベキューをしようと言い出した。リツが賛成すると、後日、父が道具を買ってきた。週に一度ほど家に来ているリノにも声をかけ、僕たちは家の庭でバーベキューをすることになった。

 遠くで花火大会の花火の音が小さく響く中、家の庭にバーベキューコンロとテーブルを用意し、夜から食事が始まった。リツは焼けた肉や野菜を2皿持ってくると、僕に質問した。

「肉、このままじゃ大きいかな?」

「うん。もうちょっと小さくして」

「よしっ」

 そう言うと、リツは母にナイフとフォークをもらい、肉を細かく切ってくれた。それで、肉をフォークに刺して、僕の口に運んだ。僕は、「やっぱり炭火焼きは旨いねぇ」と言った。そのとき、うつむきながら黙って食事をしているリノに気づいた僕は、リノに話しかけた。

「リノ、美味しい?」

「はい。やっぱり違いますね」

 リノは、すぐさま笑顔になった。でも、どこか遠慮しているようだった。

 リツは僕に、「次、何食べる?」と聞いてきた。僕は玉ねぎを食べさせてもらいながら、リツが毎日来るようになってから、どのくらいの期間が過ぎたか考えていた。病院に毎日来るようになったのが昨年の4月だ。だとすると、1年と4ヶ月くらいになる。リツの生活は大丈夫なのだろうか。

「リツ。リツは今、仕事はしてないよね?」

「ん? おう」

「生活は大丈夫なの?」

 僕の言葉を聞いたリツは、僕の父を見た。父はリツを見て、僕を見た。リツが口をとがらせたあとに話し出した。

「最初はさ、貯金を切り崩してたんだけどよ。リオの親父さんに株を買ったらいいって言われてさ。それで、言われた通りにしたら、何とかなってるよ」

 僕が父に「そうなの?」と聞くと、父は笑った。リツは株のことはよくわかっていないようだが、父がいればひとまず安心だと思った。

 花火大会が終わる頃、リツは笑顔で「また明日な」と言って帰っていった。


 肌寒くなってきた10月の終わり。僕は、リツと2人で話がしたくなった。散歩くらいの短い時間じゃなくて、もっと長く……。それで、僕はリツに夜景が見たいと言った。そしたら、地元の穴場スポットとやらに連れていってくれた。着いた頃はまだ夕焼けだったが、日は沈んでいた。

「綺麗だな」

「そうだね」

「あと何分で夜景になるかな?」

「さあ」

 僕たちは夕焼けが消えるまで、しばらく取りとめのない会話をした。次第に辺りは暗くなり、寒さが一層増してきた。僕は暗闇に浮かび上がる光の模様を見ながら、リツにぽつりと聞いた。

「リツ……僕がいなくなったら、何をする?」

「うん? なんだ? どうしたいきなり」

「僕がいなかったら、何してた?」

「そんなこと考えても、意味ないだろ……」

 リツは僕の車椅子の左に立って、上着のポケットに手を突っ込んだ。そして、僕に聞き返した。

「じゃあお前、俺がいなくなったらどうする?」

 僕は考えてもいなかった言葉を聞いて、胸が締めつけられたように苦しくなった。僕はリツがいることが当たり前になっていた。リツの自由を望みながら、リツのいない生活を想像していなかった。それとも僕は、本当にリツの自由を望んでいたのだろうか……。僕はしばらく、黙ってしまった。

「ほらお前、そんなこと聞かれたって困るだろ? 一緒にいられるんだから、それでいいじゃねぇか」

 夜景を見つめるリツの横顔を見ていると、リツがこっちを見た。

「それとも、俺がうざったいか?」

 僕は首を横に振った。僕だって、いつもリツと一緒にいたい。だけど、リツの言葉に甘えていつまでもリツを僕に縛りつけておくのは……そうしてリツの可能性に知らないふりをするのは、僕のわがままのような気がした。

「リツ……リツは何でもできるよ。リツは真面目だから」

「何だよ。やっぱり俺を追い出したいのか?」

「違うよ。でも……リツなら大丈夫だよ」

 リツは僕の顔を見つめると、少し視線を下げて「なんだか悲しいな……」と言った。


 寒さが本格的になり、冬がやって来た。リビングの低いテーブルはこたつになり、リツが突っ伏して眠っている。テレビはつけっぱなしだ。そしてエアコンが温風を出す音が、部屋の空気を無機質に振動させていた。僕はリツの後頭部を見ながら、リツが早く起きてくれることを願った。でも、リツも疲れているのかもしれないと思い、声はかけられなかった。そのとき、玄関の扉が開く音が聞こえ、母が「ただいまぁ」と言った。

「あら、リツくん寝てるのね。じゃあ、静かにしないと」

 母は小声でそう言うと、静かに僕のところへ歩いてきた。そして、僕にインスタントコーヒーの瓶を見せた。

「あなた、インスタントコーヒーはもういらないって言っていたけど、あったかいコーヒーを飲ませてあげたくてね。リツくんも、いつも冷たい缶コーヒーでしょ?」

 僕は気まずくなった。僕は小さな声で「いいんじゃない」と言った。すると、僕たちの話し声でリツが目を覚ました。リツはあくびをしながら両腕を上げて伸びをすると、僕たちに振り返った。

「おばさん、おかえり。いつ帰ったの?」

「ついさっきよ。あ、リツくん、インスタントコーヒーの粉を買ってきたの。あったかいコーヒー、飲むでしょ?」

 母の言葉を受けて、リツは視線を外して少し考えていた。それで、母の提案を拒否した。

「俺はいいや。缶コーヒーちょうだい」

「あら、どうして?」

「だって、部屋の中暑いし」

 そう言うと、リツは僕を見た。

「リオ、お前は?」

「僕も缶コーヒーにする」

「あらぁ、せっかく買って来たのにねぇ」

 そう言って母は台所の方へ歩いていった。

 リツはきっと、いつかの僕の言葉を覚えている。僕がもうリツにコーヒーを作ってあげられないと嘆いたこと……。僕が昔、リツにコーヒーを作っていたときは、暖かい冬の部屋の中でも飲んでいた。僕はまた、リツの自由を奪ってしまったのだろうか……。

 リツは、ストローをさした缶コーヒーを持って、僕のベッドの脇に来た。

「缶コーヒーも、旨いもんだよな」

 リツの言葉に僕は何も答えられず、涙が出そうになるのをこらえながら深くうなずいた。


 リツの将来を考えて、眠れない日々が続いていた。そんなある夜、暗いオレンジ色のじょうとうの中で、天井をひたすら眺めていた。すると、急に辺りが真っ暗になった。驚いていると、見覚えのある男が人差し指の先に炎を浮かべながら、僕のベッド脇に現れた。男は相変わらず、黒いシャツ、黒いスーツに赤いネクタイを締めていた。

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