第33話 リリーの小説3
リツたちのバンドは、深夜のバラエティー番組のエンディングに曲が採用されて、注目されるようになった。ライブを開催する会場も大きくなり、僕が行ったときは昔の熱狂的なファンが薄まるほどに客数が増えていた。しかし、リツは満足していなかった。
「これじゃまだダメだ。これじゃ……」
僕は、リツがくれた炭酸飲料の瓶に口を付けた。思い悩むリツを見つめながら、口の中で炭酸の泡が弾けるのを感じていた。
「今日は、リエは?」
「仕事だよ」
リエは今もリツの生活を支えているようだった。リツは
「リエが仕事しなくて済むくらいには売れないとな。お袋だって……」
そう言うと、リツは炭酸飲料を飲み干した。空になった瓶をテーブルに置くと、僕を見た。
「お前は最近どうなんだよ?」
「どうって何が?」
「仕事だよ」
「僕の仕事に興味なんてあるの?」
「ああ」
僕は仕事がもうすぐ忙しくなりそうだということを話した。それから、リノと結婚したいけど、当分先になりそうなことも。
「もう結婚かよ。早いな。お前今年で24だろ?」
「だから、当分できそうにないんだってば」
「当分って?」
「5年くらいは」
「え? 逆に遅くなったな……」
そのときリツは辺りを見回し、何かを探し出した。
「あっと、そうだった……」
「何、タバコ?」
「いや、うんまあ。でも、いいんだ」
リツは最近、タバコをやめたようだった。その代わりに、炭酸飲料を飲む量が増えた。
「リツ、最近ちょっと太ったんじゃない?」
「え⁉︎ 嘘だろ……」
「ジュースの飲み過ぎじゃないの?」
「うん……」
「タバコ、やめたの?」
「おう……」
僕はリツの言葉を聞いて嬉しくなった。リツには長生きして欲しいから。
「その方が健康にいいよ。喉にもいいだろうし。ジュースの代わりに水を飲むようにしたら?」
「水ねぇ……水は太らねぇのかよ?」
「ジュースよりはいいんじゃない?」
「適当かよ」
これがきっかけだったのか、リツはよく水を飲むようになった。歌声をほめられるようになったと言っていたので、僕の提案は良かったのかもしれない。心なしか肌艶も良く見えるようになった。
しばらくして、僕は仕事が忙しくなった。僕の親が始めたスーパーマーケットは全国に支店を増やし、コンビニエンスストア事業にも参入した。そして、僕はコンビニエンスストアのマーケティング部門の担当になった。
「もしもし、リノ?」
『はい。リオさんですか? こんばんは』
電話先のリノは、元気そうだ。
「そっちはどう? 変わったことはない?」
『はい。リオさんのお父様もお母様も、お元気です』
「リノは?」
『はい。元気ですよ』
「リツのお母さんは?」
『とってもお元気です』
リノは、高校を卒業してからずっと、僕の親が始めたスーパーマーケットで働いている。父は事業を全体から見ることが多くなったが、僕の母とリツの母、それからリノは、同じスーパーで働いている。
僕は1週間に1回はリノと電話で話した。短い時間でもいいから、声が聞きたかった。電話は、仕事が終わって明日が休みだという土曜日の夜が多かった。朗らかなリノと話していると、僕の心がほどけていくのがわかった。
「リノ、ごめん。当分、そっちには行けそうにないんだ。今年はお盆も仕事のことを考えたいから……」
『はい……お仕事、頑張ってください』
「……リノがこっちに来る?」
『えっ』
「お盆は、リノの家族の里帰りもあるか……」
『いえ、私の両親の実家は近くなので……ちょっと、親と話してみます』
「本当⁉︎」
『はい』
その年のお盆、リノは帰省ラッシュに逆行して、A都の僕の元にやってきた。リノが料理や洗濯をやってくれたので、仕事の整理も順調だった。1日休めそうだったので、リツとリエを誘って4人で食事に行った。
「リノは本当におしとやかだな。リオとお似合いだよ」
リツは少し酔いが回ってきたようだ。リツの言葉に、リノは苦笑いをしている。
「リノちゃん、あんまり食べてないんじゃない? 遠慮しないで、食べて食べて」
「なんだリエ、姑みたいだな」
「せめて小姑にしてよ」
リツとリエのやり取りを見て、リノは笑っていた。自分で焼く焼肉店に、遠慮がちなリノを連れて来たのは失敗かと思った。でも、世話を焼いてくれるリエのおかげで、話すきっかけができて逆に良かったのかもしれない。そう思っていると、リツがビールジョッキを置いてこちらを見た。
「リオ。お前飲まねぇのかよ?」
「うん。明日も仕事のことがあってさ」
「つまんねぇの」
「リツは大丈夫なの?」
「今日は気分がいいんだ」
僕はリツに3月以来会っていなかった。久しぶりにリツに会えて、僕も気分は良かった。またしばらく会えなくなると思って寂しく感じつつ、この空間に浸っていた。
翌年、リツのバンドが爆発的に人気になった。テレビコマーシャルに提供した曲がきっかけで過去の複数の曲がまとめて話題になり、リツは瞬く間に時の人になったのだ。リツのバンドは音楽番組だけではなく、いくつものバラエティ番組やトーク番組などにも出ていたらしい。仕事で忙しかった僕の耳に入るくらいだから、余程人気があったのだろう。リツは僕よりも忙しい人になってしまったようで、時々かかってきていたリツからの電話も、全くなくなってしまった。
ある夜、テレビをつけると、深夜のトーク番組にリツが出ているのに遭遇した。色気のある熟年の女性司会者が、リツに質問している。
『お休みは何をなさってるの?』
『今は休みはありませんねぇ』
『じゃあ、今より前には?』
『思い出したくもありません』
リツは完全にふざけていた。観客は大きな笑い声を上げている。僕は缶ビールを飲みながら、気づけば一人、にやついていた。
「バカだなぁ」
僕はすぐ、リツに会いたくなった。でも今はきっと無理だ。焼肉店に行ったとき、リツが「つまんねぇな」と言っていたのを思い出した。
リツのバンドの人気は順調に定着していった。僕の職場にもファンが現れ、リツのバンドの状況を間接的に知ることになった。その社員によると、ライブのチケットは即完売。リツは週刊誌にも何度も取り上げられていたらしい。しかし、女性関係の記事ではない。何を買っていたとか、どこで遊んでいたとか、リツの日常を追ったものだったそうだ。その社員は、リツの載った週刊誌は全て買って、大切に保管していると言っていた。
そんなある日、職場で急ぎの昼食を摂っていた僕に、嫌な噂が流れてきた。
「そうなのよ! 遂にリツに熱愛だってぇ」
「相手は誰よ」
「ほら、リツのファンだって言い回ってたあの女優よ」
「ああ! あの若い子ね。したたかねぇ」
「リツはあんなの、相手にしないと思ってたのにさぁ……」
僕は帰りがけにコンビニエンスストアで、リツの熱愛を報じる週刊誌を買って帰った。記事は、飲食店からリツが若手女優と一緒に出てきているところだった。リツは特に変装もしていない。女優はリツのあとから歩いてきているところだった。
そのあと、社内のリツのファンによると、リツはノーコメントを貫いたが、女優の方は意味ありげな感じではぐらかしていたという。僕は絶対に誤解だと思っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます