第32話 リリーの小説2
リツは高校卒業を機に、首都であるA都での生活を始めた。
1年後に高校を卒業したリエは、リツの元へは行かず、地元の会社で働き始めた。僕はA都の大学に進学し、またリツとも時々会うようになった。
僕が大学生になって1ヶ月が過ぎた頃のある日、僕はリツの暮らすアパートへ行った。ふと見上げると、2階のリツの部屋の玄関から会社員風の格好をした若い女性が出てくるのが見えた。外の階段をすれ違うとき、その女性からリツの香水の匂いがした。
「よおリオ。早かったな」
リツは床に座りながらタバコを吸い、窓の外を眺めたりしていた。
「リツ。さっき、女の人が出て行くのを見かけたけど……」
「はぁ……あいつ、帰るのが
僕はさっきから感じている胸騒ぎを、抑えきれないでいた。
「リツの香水の匂いがした」
「あぁ……俺の香水付けていったんだよ」
「……嘘だ」
「嘘じゃねぇよ」
嘘だ……こんなのリツじゃない。僕の知っているリツは、優しくて努力家で賢くて誠実で……強い男だ。僕は目の中ににじみ出てくる涙を止めようとして、大きな声が出た。
「リエはどうなる!」
リツは同じ体勢のままで、灰皿にタバコの灰を落とした。そしてリツは、僕の彼女の名前を口にした。
「リノは元気か? ……いっこ下なら、まだ高校か」
「なんでリノのことを聞くんだよ」
「……大事にしてるんだろうな」
そう言うとリツはタバコの火を消して立ち上がり、玄関で立っている僕の方に歩いてきた。そして台所のシンクに置いていた瓶をつかむと、その瓶に入っている半分くらいの量の黒い液体を一気に飲み干した。リツは下を向いて、こう言った。
「軽蔑した?」
僕は、また景色がにじんだ。
「見損なったよ」
僕は、リツの顔を見ることができないまま外へ出た。リツとはもう、会えなくなる。そう思いながら、自分のアパートへと歩いていった。
僕はリツと知らない女性のことを、誰にも話さなかった。リエのことは時々リサから聞いていた。リエは、1年間働いて貯金をし、リツの元へ行くつもりだと言っていたそうだ。それを聞いたとき、僕は息が詰まるようだった。でも、リエがリツのところへ行ってそれでうまくいくのなら、それでいい気もした。うまくいかなくても……所詮僕が口を出せることじゃない。
1年後、僕は大学には慣れたが、サークル活動はしなかった。リツの変わりようを見て、はしゃぐのが怖かった。僕を陰気なやつだと思った人もいたかもしれないけれど、それなりに友人はいた。その中に、軽音楽サークルに入っている男がいたのだが、そいつはリツのバンドに注目しているらしかった。
「あれは売れるよ。ボーカルは背が低いけど顔がいいし、声に特徴があって歌い方も独特なんだ」
「へえ」
僕は知らない風をよそおった。もちろん、幼馴染だなんて言うはずもなかった。
「ライブのチケット買ったんだけど、約束してたやつが行けなくなってさ。リオ、一緒に行かないか?」
「えっ」
A都へ来て1ヶ月でリツと疎遠になった僕は、リツのライブに行ったことがなかった。高校時代も、ライブハウスというのが得体が知れないと敬遠していたので、一度も行ったことはない。それでも、僕はリツを確かめたくて、その男の誘いに乗った。
会場は、スタンディングで1000人ほどを収容できるという、ライブハウスの中ではなかなか大きいところらしかった。僕達は開演時間ぎりぎりに入ったので、中は人でいっぱいだった。僕は背が高いので、遠慮して一人で後ろの隅にいた。
急に歓声が上がると、ステージ上にリツの姿があった。
「待たせたなぁぁ! ……会いたかったぜ」
ここで女の甲高い声と男の低い叫び声が入り乱れた。カウントが入り、演奏が始まる。リツの歌声をちゃんと聴くのは初めてだった。僕は内から何かが湧き上がってきて、鳥肌が立った。しかし、ほとんどの人が腕を上げたりリズムを取ったりして盛り上がっている中、僕は腕を組んでじっとしていた。
翌日、大学から帰って自分のアパートに着くと、僕の部屋のドアの前で地べたに座っているリツがいた。相変わらず、タバコを吸っている。
「よお」
リツは僕にそう言うと、座っているコンクリートにタバコを押し付けて火を消し、立ち上がった。
「昨日はありがとな」
「何が」
僕はしらばっくれた。
「お前でかいし、全然動かねぇからかなり目立ってたよ」
「……タバコ拾って」
「はいはい」
リツは、さっき自分が地面に捨てたタバコを拾い上げた。
僕はリツを部屋に上げた。リツは「綺麗にしてるな」と言って部屋をほめた。僕は、インスタントコーヒーの粉をお湯で溶かし、スティックシュガーとポーション容器に入ったクリームを添えてリツに出した。
「おぉ、コーヒーか……」
リツは渋い顔をした。
「ごめん、嫌いだった?」
「いや、飲むのはいいんだけどな……」
そう言ってリツはスティックシュガーの袋の先を破った。そしてコーヒーに入れようとするが、なぜかカップからはみ出てしまい、砂糖が少しこぼれてしまった。
「あぁ、やっぱり……」
次に個包装のカップに入ったクリームのふたを開けるときに少し顔に中身が飛んだ。そして、コーヒーに入れるときに、砂糖と同様で少しこぼれた。
「ほらな。こうなるんだよ」
「どうしてそうなるの」
僕たちは、顔を見合わせて笑った。リツはコーヒーを飲みながら、静かに話し出した。
「俺今、リエと住んでるんだよ」
僕の顔はこわばった。リツは僕の顔をちらりと見たが、すぐに視線を外した。
「あいつ、真面目でさ。貯金してこっちに来たんだよ。タバコもやめろって言うし」
僕は何も言えないでいた。リツのコーヒーを飲む姿を見ながら、昔のリツとリエの様子を思い出したり、昨日のステージ上のリツと今のリツを比べたりしていた。
「昨日のライブ、どうだった? お前、初めてだよな?」
「うん……」
「……つまんなかった?」
「いや、その……すごかった」
リツはにやりとした。それからすぐに立ち上がり、玄関の方へ歩き出した。
「コーヒー旨かったよ。ありがとう。……また来いよ。今度はチケット渡すから」
こうして、僕らは交流を再開した。リツが僕の家に来たときはいつも、コーヒーを出すようになった。そのコーヒーは、いつも僕が砂糖とクリームを入れてから出していた。
この年、リツたちのバンドは大手レコード会社からメジャーデビューを果たした。
大学を卒業した僕は、実家のスーパーに就職した。うちのスーパーは全国にいくつか支店を持つまでになっていた。僕はA都にあるA支店に配属を希望した。そこを希望した理由には、リツが近くにいるからということもあった。そして、僕は無事にA支店の新入社員になった。
その頃リツは、苦しんでいた。経済的にも、精神的にも。メジャーデビューをしたリツのバンドであったが、曲の売り上げは思うように増えなかった。ライバルバンドのファンとリツたちのバンドのファンとのいざこざがあって、悪い意味で話題になったりもした。
「俺が悪いのかなぁ……」
「そんな弱気にならないのっ」
リツの肩をリエがはたいた。リツたちの部屋は、リエのおかげでいつも綺麗だ。僕がよそ見をしていると、リエが僕にも怒ってきた。
「リオも何とか言ってよ。最近ずっと、こんな感じなのよ」
「うぅぅん……僕は音楽のことはよくわからないからなぁ」
「音楽がわからなくっても、言えることがあるでしょ? やってることに自信を持てとか」
僕は苦笑いしてリツを見る。リツは僕と目が合うと、目だけ上を向いたりしてふざけていた。
「何やってるのよ! ……元気あるじゃない」
そう言って、リエは微笑んだ。
「あっ、私そろそろ仕事だわ。じゃあリオ、ゆっくりしていってね」
そう言うと、リエは急いで部屋を出ていった。リツの生活を支えているのは、リエだった。
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