第28話 エコー写真

 館の窓から見える山の木々が色づき始めた頃、三佳さんとロイさんは妊娠14週目の検診から帰って来た。

「朋世、おにぎりある? ちょっと食べておこうかな」

「おかえりなさい。今、用意しますね」

 三佳さんの食べつわりは大分落ち着いてきたが、おにぎりやスープはいつでも食べられるようにまだストックしていた。私は小さな梅おにぎりを皿にのせると、麦茶のグラス2つも一緒に食堂へ持っていった。


 食堂では、ラウに小説を何度も読んでもらいながら、リリーが修正を指示していた。しかし、2人とも小声でやり取りしていたので、小説の内容はわからなかった。そしてリリーとラウの周りを、小さな姿のタユが空中で見守っている。

 私はロイさんに麦茶を渡して、三佳さんにおにぎりと麦茶を出した。三佳さんは何か言いたそうに私を見ている。

「ありがとう。ねえ朋世、今日もらったエコー写真、見てくれる?」

「え、見たいです!」

 すると、三佳さんはお腹の中の赤ちゃんのエコー写真を、鞄から取り出した。ロイさんはにこにこと笑っている。

「ほら、ここが手で、これが足だって。なんか、すごいよねぇ……」

「へえ……赤ちゃんの大きさって、今どれくらいですか?」

「えっとねぇ……片手にのるくらいの大きさだったかな? 身長は10センチくらいで体重は60グラムくらいって言われたわ」

「わぁ! 大きくなってきましたねぇ」

 私たちが話していると、リリーがこちらに声をかけた。

『ねえねえ、朋世! 何の話をしてるの?』

「三佳さんの赤ちゃんの話だよ。エコー写真を見せてもらってるの!」

「リリーにも見てもらいましょうかね」

 三佳さんが立ち上がろうとすると、青年姿のラウがリリーの本を持ってきて、三佳さんの前に立てて置いた。

「どれどれ。わしも見せてもらおうかのう」

 三佳さんは自分の前にエコー写真を持って、リリーとラウに見せた。リリーもラウも写真に写る胎児の形状を判断しかねるようで、まじまじと見つめている。

「これは、どうなっとるんじゃ」

「ここが手。ここが足よ」

「ほう」

『わあ! 感動しちゃうわねぇ!』

 そこへ、リツさんがやってきた。

「朋世はいるか……何だか騒がしいな」

『え! リツなの? リツも赤ちゃんの写真、見せてもらったらいいわよ!』

「……今日は検診の日か……」

 リリーの提案に従ってリツさんが三佳さんに近づくと、三佳さんはリツさんに向かってエコー写真を見せた。リツさんは、腰をかがめて写真をのぞき込む。すると三佳さんは、人差し指を写真に当てながら、同じ説明を繰り返した。

「えっと……ここが手で、ここが足」

「……ふぅん」

「ぶっ!」

 リツさんの反応に、ロイさんが吹き出した。

「リツ、特に感想はなしか?」

「……頭がでかいな」

「くっ、ははは……」

 ロイさんはとても嬉しそうだった。



 夜になって、リエさんが帰ってきた。今日はロイさんが三佳さんと一緒にいたので、リエさんは久しぶりに例の公園へ行ってきたようだった。三佳さんは、帰ってきたばかりのリエさんにもエコー写真を見せている。私は、昼に届いた宅配便をリエさんに渡した。

「リエさん、頼んでおいたオイルが届いてましたよ」

「ああ、ありがとう……これ、三佳にどうかと思ったんだけど」

「えっ、私に?」

 リエさんがオイルの瓶を三佳さんに渡すと、三佳さんはリエさんの顔を見た。するとリエさんはそのオイルの説明を始めた。

「今のうちからこれでお腹のマッサージをしておくと、妊娠線の予防になるのよ。香りは大丈夫?」

 それを聞いて三佳さんが容器のフタを取り、プッシュ式の口から1滴のオイルを手の甲に出した。そのオイルの匂いを嗅いだ三佳さんは、少し口角が上がった。

「うん、大丈夫。いい香りよ」

 三佳さんはオイルを手に塗り込みながら、裕也の視線に気づいた。三佳さんに気づかれたことに気づいたのか、裕也は視線をそらした。すると、ロイさんも裕也に気づいたようで、ロイさんは裕也に声をかけた。

「裕也、君も赤ちゃんを見てやってくれよ」

「え、うん……」

 リエさんは三佳さんからエコー写真を受け取ると、座ったままで裕也の目の前に写真を置いた。そして、リエさんが写真の説明をした。

「ここが頭でしょ。で、これが手で、これが足……わかる?」

「うん……うん? よくわかんないかも……」

 裕也の反応を見ていたリツさんも、裕也に声をかけた。

「頭がでかいのはわかるだろ?」

「ふっ……それはわかる」

 リツさんの言葉に、裕也は笑みをこぼした。そのとき、リリーがまたエコー写真を見たがったので、裕也が座ったまま腕を伸ばしてエコー写真をリツさんに手渡した。リツさんは一旦写真をテーブルに置き、リリーの本をテーブルに立ててリリーのイラストと向かい合う。そしてまた写真を手に取り、自分の胸の辺りに写真を持ち、リリーに見せた。

「見えるか?」

『ええ、よく見えるわ……ねえロイ、次の検診はいつなの?』

「次は……いつだっけ?」

 ロイさんが三佳さんを見ると、三佳さんが答えた。

「次は4週間後よ」

『……じゃあまだ、クリスマス前ね……』

 クリスマス。リリーがみんなに小説を読んでほしいとお願いしている日が、今年のクリスマスだ。

『次のエコー写真も楽しみだわ!』

「……リリー、小説の方はどうなっているのか聞いてもいいかな?」

 ロイさんの言葉に、リリーはすぐに答えなかった。やがて少しためらうような様子で、静かに話し始めた。

『小説は、ラウに読み返してもらう度に修正してるわ。ラウには悪いけど、まだまだ考えるつもりよ。せめて、今年のクリスマスまではね……』

「わしは、リリーが納得するまで付き合うぞい」

『ありがとう、ラウ』

 ラウに初めて会った頃のリリーからは考えられないほど、リリーはラウを信頼しているようだった。その態度は、リリーが自分の死を受け入れているようでもあった。リツさんも伏し目がちにリリーの話を聞いており、リリーとの別れを覚悟しているように見えなくもない。

 私はまだ、リリーの小説が完成しても、みんなでリリーの小説を読み終えても、今まで通りにリリーと暮らせるような気がしていた。しかし、心の中には蜘蛛の巣のような薄い不安もあった。もしかしたら、もうすぐリリーがいなくなってしまうかもしれない。だが、その不安はあまり現実味がなく、深刻ではない自分がいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る