第26話 花火鑑賞
リリーが小説のことを何も話さないまま、季節は夏になった。仕事帰りのロイさんはネクタイを緩めて、しばし休憩している。そこへ、液体の入ったグラスを持った三佳さんが食堂に入って来た。麦茶のようだ。三佳さんがロイさんにグラスを出すと、ロイさんは一気に飲み干した。
「もうすぐ花火大会だなぁ。見に行きたくはない?」
「花火大会は人が多いわよ」
ロイさんの問いかけに、三佳さんは乗り気じゃない。しかし、ロイさんは笑っている。
「いい場所があるんだ。リツたちも、みんなでゆっくり見られる場所」
「ええ?」
三佳さんが笑みを浮かべる。私はパジャマ姿のままで、ロイさんの話を興味津々に聞いていた。リツさんは腕を組みながら、ちらりとロイさんを見た。ロイさんはそれに気づき、姿勢を整えてこう言った。
「タウが来た頃、花火大会の開催地近くのホテルをダメ元で探したんだ。ちょうどキャンセルとかもあって……予約を取っておいたんだよ!」
すると、子ども姿のラウが飛び跳ねて喜んでいる。その近くの空中で、小さくなって浮かんでいるタユがラウを見つめていた。タユの視線に気づいたラウは跳ぶのをやめ、タユと反対方向を向いた。そのとき、リツさんがリリーに話しかけた。
「リリー、どうだ? 花火大会」
『いいわね。何年ぶりかしら』
そうして私たちは、今年の花火大会をホテルから鑑賞することになった。
花火大会当日。私たちは花火の見えるホテルにいた。部屋は4部屋取り、長い名前の一番広くて高級な部屋にはロイさんと三佳さんが宿泊することになった。そして、その部屋からみんなで花火を鑑賞することになっている。みんなが集まった部屋には、大皿に盛られた料理がいくつも並べられていた。すると少年姿のラウが、皿の上の食べ物をじっと見ていた。
「甘いものはないんかのう」
「デザートはあとで頼むから」
ロイさんの言葉に、ラウは踊り出した。かと思うとぴたりと動きを止め、空中を見回していた。タユを探しているようだった。
リツさんとリリーとリエさん、それからラウとタユは透明化をしてホテルに入った。料理の配膳が一段落したので、ラウはリツさんたちの前でマーブル模様のキューブを持ち、息を吹きかけて透明化の魔法を解いた。
「おぉすげぇ! 時山さんの言ってた通りだ」
「本当に魔法なのねぇ」
姿を現したリツさんたちを見て、孝汰郎さんと梅子さんが驚いている。するとリツさんが、孝汰郎さんに声をかけた。
「孝汰郎、疲れてないか?」
「いや、大丈夫です。リツさん、透明になるって、どんな感じですか?」
「特に何ともないな」
「俺もなってみたいなぁ」
するとラウが、孝汰郎さんを見上げた。
「わしは必要のない魔法はかけんぞ」
「わかってるって。言ってみただけ!」
そう言うと孝汰郎さんはラウの頭に手をのせた。そして、ポケットに右手を入れて裕也のところへぷらぷらと歩いて行った。
「みんな、食べ物は各自で取ってくれ。遠慮せずに食べるんだぞ」
ロイさんの言葉を合図に、私たちは食事を始めた。リエさんも、今日は少しだけと言って、料理を楽しんでいた。するとリツさんが、私に声をかけた。
「朋世、あの……コーヒーはあるかな?」
「あ、はい! ありますよ。作りますね。えっと……アイスですか?」
「できればアイスで頼む」
「ブラックでよかったですか?」
「いや、あの……今日は砂糖とクリームもお願いしようかな。あればだが……」
私は驚いた。ブラックでいいかと確認しておいて何だが、ブラックコーヒーを好む人はブラックでしか飲まないものだと決めつけていたからだ。珍しいお願いに、私は心が弾んだ。
「わかりました。砂糖はスティックシュガー1本でいいですか?」
「朋世に任せるよ」
「え! ……じゃあ、クリームは……?」
「それも任せる」
もしかして、リツさんが今まで砂糖とクリームを遠慮していたのかと思うと、私はおかしくなってきた。
「何を笑ってるんだ? 朋世」
「え? いえ……あの、コーヒーに砂糖とクリームが必要なときは、また言ってくださいね」
「わかった」
私は、リツさんにあとからコーヒーを持っていくと言った。リツさんはロイさんが持っていたリリーの本を受け取ると、ベランダへ行って椅子に座った。私がコーヒーを作っていると、大きな音が響いた。外を見ると、大きな花火が次々と上がっている。
私はリツさんにコーヒーを持っていった。するとリリーが、そのコーヒーを気にしていた。
『そのコーヒー、よく見えないけどクリーム入ってる?』
「うん、砂糖とクリームが入ってるよ」
『……ふぅん』
そう言うと、リリーは少し笑っていた。
しばらくして、部屋のドアをノックする音がした。ロイさんが返事をして、ホテルの従業員を少し待たせる。その間に、ラウは手を叩いて青年の姿になると、急いでリツさんとリエさんを透明化したあとにリリーの本も透明化した。そしてまた手を叩き、自分も見えない姿になった。とは言え、花の魔法に関わった私たちには彼らの姿が見えている。ラウの慌てた姿を見て、私は不謹慎にも笑ってしまった。
ロイさんが扉を開けると、デザートが運ばれてきた。バニラアイス、スイカのジェラート、レモンのシャーベットだった。ホテルの従業員が去ったあと、ラウはデザートに目を奪われていたが、ロイさんに言われてリツさんたちと自分の透明化を解いた。
「ラウ、素早かったな!」
裕也が珍しくにこにこしている。ラウは裕也の言葉は耳に入っていない様子で、青年姿のまま、スイカのジェラートに手を伸ばした。
「おお、これは美味い!」
「おいラウ、聞いてんのか?」
裕也はラウに絡みながら、なおも笑顔を崩さない。どうやら、酔っ払っているようだった。
花火大会も終わり、みんなは部屋の中でゆっくりしていた。するとリリーが、大きな声で言った。
『みんな聞いて! あのね、私……小説ができたの!』
私は驚いてリリーのイラストに目をやった。リリーは手を重ねてもじもじしている。リリーの本を抱えているリツさんは、驚いた表情でリリーのイラストを見つめ、黙っていた。リリーはまた口を開く。
『でも……私まだ、消えてないわ。ラウも、どう言うことかまだわからないって……』
リリーはそう言いながら、ラウを見た。ラウも、困ったような顔をしていた。
「もしかしたら、誰かに読んでもらわんといかんのかもしれんのう」
すると、リリーは慌ててこう言った。
『私! 読んでもらうのは、まだ待って欲しいの……そうね……今年のクリスマスまで。それまで自分で読み返して、ちゃんとできたものをみんなに読んでもらいたいの!』
「わしは、無理強いはせんよ」
ラウは、いつかの言葉を繰り返した。
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