第24話 特訓の成果

 髪が乾き、リツさんは手櫛で髪を整えている。

「じゃあ、よく見てろよ」

 そう言うとリツさんは、頭を少し後ろに反らせた。髪に手櫛を数回通し、両手で髪を一つにまとめていく。そして右手でまとめた髪を持ち、右腕にかけていたヘアゴムを左手で取って、まとめた髪の根元に輪を重ねる。最後に、まとめた髪の表面を触って確かめた。

「どうかな?」

「お見事です」

 私は音の出ない小さな拍手をした。リエさんも「完璧ね」と言っている。

「リツさんは、髪を結ぶのは最初からお得意なんですか?」

「とんでもないわよ! 私が来るまでは、長髪をずっと下ろして生活してたって言うんだから」

「そうなんですか?」

「ああ……まあ、必要があるときは、誰かにくくってもらっていたかもしれない。それか……自分でやって、おかしなままでも良しとしていた」

 私はおもしろくなった。両手で口元を押さえるが、笑いが止まらない。

「笑うなよ……」

「笑っちゃうわよね」

 リツさんの苦笑いに、私もリエさんもますますおもしろくなり、顔を見合わせて笑った。

「なんで今は、そんなに上手に髪をまとめられるんですか?」

「私がリツに特訓したのよ。一日30分。何日でできるようになったっけ……?」

「5日目だ。5日目にようやくコツをつかんだ」

「5日⁉︎」

 私は驚いた。5日もかかったのかという思いと、5日もめげずに続けられるなんてすごいと感心する気持ちがあった。

「リツさんは、その髪型がお好きなんですか?」

「ああ」

「何だったっけ、なんとかレットなんとかっていう……」

「『ジャレッド・アリソン』だ」

「そう、その『ジャレッド・アリソン』っていう小説があってね、リツはそれがすごく好きらしいのよ」

「その主人公が好きなんだ」

 そう言うリツさんは、少年の顔を少しのぞかせた。

「その主人公が長髪なんですか?」

「そうなのよ。私も気になって読んでみたんだけど、その主人公の男は口調が荒くてケンカが強くて、とにかくリツとは正反対なの」

「へえ」

「まあ、顔が良くて背が高いのは似てるのかな」

 リエさんの言い分を聞きながら、リツさんは静かに笑っていた。

「その小説って、いつくらいの小説ですか?」

「20年くらい前に出た小説だよ。インターネットが普及し始めた頃かな」

 その小説を読んだリツさんは、さっそく髪を伸ばすことにしたらしい。手入れが大変そうだということで最初はリリーに反対されたと、リツさんは少し笑いながら話した。

「20年前だと、まだリエさんはこの館にはいませんよね。その頃は散髪はどうしていたんですか?」

「えっとな……9年くらい前まで、梅子さんの知り合いの美容師の人に頼んでいたんだよ」

「え? ……その美容師さんは、記憶の方はどうしていたんですか?」

 質問をした私を見ながら、リツさんは含み笑いをした。

「今日はよく質問するな。えっと……その人の記憶の書き換えはしなかったな」

「気になるのよね、朋世? その人がここに来られなくなったのが、私がここに来て1年くらいした頃よ。それで、インターネットの動画とかを参考に、試しにリツの髪を切ってみたの。リツの髪型だったらできそうだと思ったのよね」

 そうして、リエさんの散髪人生が始まったということだった。


 3月の下旬。ある日の買い出しの帰り。車を運転していると、そろそろ満開を迎えようとしている桜並木が見えた。私はふと、リリーのことを思い浮かべた。リリーは桜は好きだろうか……。

 私は館に帰ると、買い物を片付けて食堂へと向かった。リリーと青年姿のラウはほぼ毎日、日中に食堂で小説作りをしているようだった。私は控えめに2人に声をかけた。

「ねえ、ちょっといいかな?」

「うん? なんじゃ」

『あら、朋世。どうしたの?』

「あのね、リリー……リリーは桜、好き?」

 リリーはきょとんとした顔をしていた。

『まあ、好きね。どうして?』

「あの……よかったら、ちらっとお花見に行かないかなと思って……」

 すると、リリーの顔はみるみるうちに笑顔になった。

『行きたい! 連れて行ってくれるの⁉︎』

「うん。今も結構咲いてるけど、明日くらいが満開だと思う。ちょうど見頃だよ」

『やったぁ! じゃあ明日行きましょ。ラウも行く? みんなも行くかしら』


 その夜、お花見の同行者を募ったところ、リツさんと三佳さんが行くと言った。ラウとタユも来ることになった。するとタユが、こんな提案をした。

「リリーは本のままだと大きいので、ブローチになって出かけてはいかがですか?」

『そんなことできるの?』

 リリーは不思議そうな目でタユを見た。

「はい。試してみますか?」

『そうね』

 リリーが承諾すると、タユは手を叩いた。すると、リリーの本は大きめのブローチに閉じ込められた。

『朋世、ちょっと服に当ててみて』

 私はリリーの言う通りに、自分の首元の左下にリリーのブローチを当てた。

『いいわ、よく見える。タユ、ありがとう!』

 ブローチの中のリリーは小さくて表情がわかりづらいが、笑っているようだった。しかしそのとき、リツさんの顔が曇っていた。

「別に本のままでもいいんじゃないか?」

『どうして? 目立たなくていいじゃない』

「目立って見られたって、そんなことは記憶を書き換えればいいだろう」

 リツさんは譲らない。リリーは少し困惑していた。

『どうしたのよリツ。何が気に食わないの?』

「……」

『リツ……』

 そのときタユが、大きな声を出した。

「申し訳ありません! 私の怠慢たいまんでした……」

「うむ。リリーはいつもの本のままで行けばいいのじゃ」

 ラウがタユに目で合図すると、タユは手を叩いてリリーを元の本に戻した。

「今後、このようなことは致しません! どうぞご容赦ください」

 タユの謝罪にも、リツさんは肘をつき両手を重ねて黙っていた。

何卒なにとぞ!」

 さらなるタユの言葉に、リツさんは小さく許諾した。

「……ああ、わかったよ」


 翌日、私たち6人、つまりリツさんと三佳さんにラウ、タユ、リリーに私は、午前中にお花見に出かけた。リツさんの提案で、私と三佳さん以外は透明化して行くことになった。透明化と言っても、花の魔法に関わった私と三佳さんは、みんなを見ることができた。

 桜並木のある川沿いを運転中の車の窓から見ると、人がたくさんいるように見えた。

『わぁ、綺麗! やっぱり日本は桜よねぇ。でも人が多いわね』

「これ、大丈夫かしら? 透明になっていても、幽霊じゃないんだから、人とはぶつかるんでしょ?」

 リリーと三佳さんの会話を聞いて、ラウが口を開いた。

「そんなもの、さして問題ないじゃろう」

「同感だ」

 そう言って、リツさんはラウに同意した。


 車を川の近くの駐車場に停め、私たちは河川敷に出た。桜の下には、シートを敷いた何組かの人々が食べ物を置いて朝から宴会をしていた。そして、歩きながら桜を眺める人もそれなりにいた。車から見た時ほど、人は多くなかった。私と三佳さんは、透明化したリツさんたちを縦に挟んで歩いた。しゃべると他人から不自然に見えてしまうので、私たちは黙って桜を観賞していた。すると私の後ろにいたリリーが、ぽつりと言った。

『来年も見られるのかなぁ……』


 館に帰って来たのは昼前だった。私はみんなを玄関に降ろし、車を車庫に停めにいった。玄関へ歩いて戻っていくと、リツさんがリリーのイラストのページを開いて私を待っていた。そしてリリーが笑顔でお礼を言ってくれたので、私は安心した。そしてリツさんも、静かな声で私に「今日はありがとう」と言った。

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