第23話 優秀な後輩

 タユは、大人の手のひらくらいに小さくなって、ラウの周りをふわふわと飛んでいた。

「ラウ、他に何か困ったことはありませんか?」

「後輩にまとわりつかれて困っておる」

『そんな意地悪言うんじゃないのっ』

 青い目を据えているラウをリリーが注意した。三佳さんは、頬杖をつきながら少し笑っている。

「本当に魔法使いね。ラウはできないの?」

「できぬ。人形のように小さくはなれぬし、ふよふよと浮くこともできぬ」

 三佳さんの問いに答えるラウは、お菓子を食べ始めた。ハートの形をしたサブレのようだ。リリーはラウのかたわらで溜め息をついた。

『私のあの世の案内係は、ダメ案内係だったのね……』

「そんなことはありません! ラウはとても優秀な案内役です。それに、私はラウのようにいろんな人に変身することはできませんし、他人を見えなくすることもできません。自分を見えなくすることはできますが……」

 リリーとラウは目を合わせ、双方ともすぐに視線を外した。そのとき、ずっと黙っていたリツさんが、タユに聞いた。

「お前は、これからここにいるつもりなのか?」

 タユはリツさんの方へ飛んで行き、リツさんの顔の前に浮かびながら答えた。

「はい。全力でラウのお手伝いをさせていただきます」

『なんかちょっと、あの世へ行くのを催促されてるみたいで嫌でもあるけど……ラウ1人よりも心強いわね』

「ああ。これで、ほとんどのことは解決しそうだ。確信が持てたな」

 リリーとリツさんは顔を見合わせながら、タユのことを認めたようだった。


 ロイさんが帰って来てから、青年姿のラウは改めて、人間サイズのタユをみんなに紹介した。

「こやつが優秀なわしの、タユじゃ。仲良くしてやってくれ」

「ほめているのに、なんだかとげがあるわね」

 三佳さんがラウの言葉の裏側を指摘した。ロイさんはタユに注目している。

「君もこれからここにいるの?」

「はい。よろしくお願い致します」

 ロイさんの問いに、タユは丁寧に答えた。

『タユは優秀なのよ。ラウが消せなかったインターネット上のリツの画像も、すぐに消しちゃったんだから』

「何だ、リツの画像って」

 昼の出来事を、リリーはロイさんに説明した。ロイさんは驚き、かなり安堵あんどしていた。


「怖い時代だな。でも、よかった……」

 そのとき、リエさんがうきうきした様子で話し出した。

「ねえ、じゃあさ、みんなで温泉とかも行けるわけ?」

「大丈夫だと思います!」

 タユは声を張り上げて、鮮やかに答えた。その会話を聞いた裕也は、頭の後ろに両手を組みながら質問する。

「温泉って、何がいいの?」

「いや、例えばの話よ」

 裕也の問いに、リエさんが弁解する。すると三佳さんが、静かに提案した。

「リリーの行きたいところがいいんじゃない? この前の初詣みたいに」

「そうね。リリー、どこか行きたいところってある?」

 リエさんがそう聞くと、リリーは首をかしげた。

『行きたいところねぇ……みんなで何かしているところが見たいわ。そうね……キャンプとか』

「キャンプなら、うちの敷地内でできるよ。山は広いよ。でもおすすめは秋かな。今は寒い」

 ロイさんはそう言いながら、ホットミルクを飲んだ。

『秋かぁ……』

 リリーがそうつぶやいたとき、私はリリーがいつまでいられるのかと考えた。小説の進行具合を、リリーは誰にも全く教えてくれない。ラウにも口止めしているのだ。でも、リリーの小説が出来上がったら、本当にリリーはいなくなってしまうのだろうか。他のみんなも同じようなことを考えたのか、食堂はしばらく静かになった。

『またどこか、行きたいところができたら言うわね』

 リリーがそう言うと、リツさんは黙ってリリーを見つめていた。


 私が部屋に戻るとき、タユがくっついてきた。そしてタユは親指と人差し指でつまめるくらいの小さな石になった。私の就寝中に、部屋に置いてくれと言う。私のお気に入りのオパールのバレッタのように、虹色にきらめく綺麗な石だ。リリーと違ってまだ打ち解けていないタユを部屋に置くのは少しためらわれたが、嫌とは言えなかった。

「すみません、朋世。あなたが優しいのを知っているので、付け込んでしまいました」

 タユは石のまま言葉をかけてくる。

「どういたしまして……」

 私はティッシュペーパーを4つに折りたたんでサイドテーブルに置き、その上にタユの石をのせた。

「タユはラウのことが好きなんだね」

「はい。大好きです」

 タユはあの世に初めて出現したとき、初めて見たものがラウだったのだと言う。鳥の刷り込みのように、タユはラウについて回ったそうだ。しかし、タユがラウを慕う理由はそれだけではない。タユの世話係だったラウは、懇切丁寧に自分の知識を教えたらしい。そのうち他の同族にも教えてもらうようになり、タユはラウのできないこともできるようになった。しかし、ラウの得意技である変身と、他者の透明化だけはできなかったのだそうだ。物覚えのいいタユができないのは、ラウの教え方が悪いのではないかと言う者も出てきたらしい。それでラウは、タユの世話係を降りたのだそうだ。

「ラウは責任を感じているのかもね」

「私は昔のように、ラウと仲良くしたいのです」

「また仲良くなれたらいいね……」

 私はそのまま、眠ってしまった。


 翌日の昼の食堂。私はリエさんの隣に座り、昼食を摂っていた。

「朋世」

 声がした方を見ると、三佳さんが食堂へ入って来た。

「2階の東側のトイレ、トイレットペーパーがなくなりそうだから、よろしくね」

「はい、わかりました。買っておきますね」

 三佳さんは、結婚してからも分担の掃除や自分の洗濯を続けている。ロイさんの洗濯物は梅子さんが洗濯するというのも、前と一緒だ。変わったことといえば、三佳さんが食事を摂るようになったことである。それで、リエさんもお昼は食堂にいることが多くなった。リエさんは食事はしないが、おしゃべりをしにくるようだ。そのとき、食堂に髪を下ろしたリツさんが入って来た。

「リエはいるか?」

 リツさんの声に、リエさんが振り向いた。

「何? 髪?」

「ああ」

 リエさんは席を立ったが、リツさんの方へ行かずに、私を見た。

「朋世も来る?」

「え?」

「見せたいものがあるのよ。そのおにぎり持って、ちょっと来て」

 そう言われた私は戸惑いながら、おにぎりをつかんで席を立ち、リエさんについていった。食堂の外には、リツさんが待っていた。

「何だ、朋世も髪を切ってもらうのか?」

「いえ……」

 私は視線を下に落とす。

「ん、おにぎり?」

「はい……」

 私もよくわからないので、リツさんへ言いようがなかった。

「リツが髪を結んでいるところを、見てもらおうと思ってね」

 私は、思いがけない言葉に驚いてリエさんを見ると、リエさんはにこやかに私を見ている。私はリツさんを見た。

「……いいだろう」

 リツさんは静かな上にも自信のある挑戦者のような表情をして、リエさんの言葉を受け入れた。


 リツさんの散髪の間、リエさんからリツさんの不器用話を聞いた。パソコンを操作すれば、なぜかフリーズする。洗濯機を回せば洗剤を入れ忘れたり、入れ過ぎたり、柔軟剤と間違えたり、洗剤と柔軟剤を一緒に入れたりする。お湯を沸かせば忘れて、やかんのお湯がなくなる。動けないリツさんは、真顔で「よく覚えているな」と言っていた。

 カットが終わると、リツさんはドライヤーを使い、自分で髪を乾かしていた。

「ドライヤーは大丈夫なんですか?」

 私はリエさんにそう尋ねた。

「朋世、聞こえてるぞ。朋世も言うようになったな」

 リツさんは髪を乾かしながらそう言って、笑顔で私を見た。私も笑ってしまった。

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