第20話 良美さん
良美さんが入院している病院へは、リツさんとロイさんと青年姿のラウ、それに本のリリーと運転手の私の5人で行くことになった。館のシルバーの車がなかったので、梅子さんのピンクの軽自動車を借りることになった。後部座席のリツさんとラウは、今は普通の人には見えないはずである。リリーの本も見えなくすることができた。リツさんはリリーのイラストのページを開いて、リリーに窓からの景色を見せたりしていたようだ。車内ではリリーがよく話していて、リツさんはリリーの言葉に穏やかに答えていた。1時間くらい運転して病院に着くと、ロイさんがこちらを向いた。
「朋世、君も来てくれ」
ロイさんにそう言われ、私は急いで車を降りた。歩くときは、ロイさんと私の間に、透明人間のリツさんたちを挟んで歩いた。受付の手続きが終わって病室に向かう時にリツさんの顔が見えたが、少し緊張しているようだった。病室に着くと、ロイさんがリツさんの顔を見て、それからドアをノックした。返事はなかったが、ロイさんはドアを開けた。
個室の病室には、ベッドの上から寝たままで窓の外を眺める白髪の女性がいた。私たちの入る音に気づき、ベッドの上の女性はこちらを振り返った。
「良美さん、お加減いかがですか?」
「あら、ロイくん……さっきまでちょっと、具合が良くなかったんだけど……今は気分が良いわ。いつも、ありがとうね」
良美さんはにっこりと笑った。良美さんが起き上がろうとしたので、ロイさんが手伝っていた。
『おばさん……』
リリーのつぶやきは小さかったが、96歳の良美さんは何か気づいたようだった。
「今、誰か、何か……言わなかった?」
「ああ、この方、朋世さんといいます。車を運転してもらって来ましてね」
「あら、女性の運転手さん? ……素敵ね」
「こんにちは」
「こんにちは。……私に、子どもがいたら……朋世さんは、孫くらいの歳かしら……もっと下? ふふふ」
良美さんはゆっくり、でもしっかりと話している。不意に、横にいたラウがリツさんの前に行き、キューブを持って息を吹きかけた。リツさんは慌てた様子だったが、何も言わなかった。ラウがリツさんに両手を差し出すと、リツさんはリリーの本をラウに渡した。
「あら、こちらの方は、どなた?」
ロイさんはあごに手を当てて困った様子だったが、リツさんを良美さんに紹介した。
「友人のリツくんです。すみません、何人も連れてきてしまって」
「にぎやかでいいわ。……リツくん、ちょっと……もっと近くで、お顔を見せてくれないかしら?」
ロイさんがリツさんに椅子をすすめて、リツさんはベッド脇の椅子に座った。
「あなた、いいお顔してるわね……私の……昔好きだった人に、少し……似ているわ」
リツさんはじっと良美さんを見ている。
「あの人と、一緒になれてたら……あなたみたいな子も、できていたのかしら。夢みたいな話ね……でも、そんなこと……ありえないわね……その人、結婚していたからね」
リツさんは視線を落としていた。
すると良美さんがリツさんに右手を差し出した。リツさんはその手を両手で優しく包んだ。
「お母さんを、大切にね。ああ、もちろん、お父さんも」
「はい……お袋、ごめん……」
リツさんは返事をしたあと、下を向いて小さな声で謝った。すると、リツさんの目から涙が流れ、肌から離れて落ちた雫がきらきらと光り、リツさんへ戻っていった。この光は普通の人には見えないらしい。良美さんにはきっと、涙が頬を伝っているリツさんの顔が見えるばかりである。
「あらあら、どうしたの? まあまあ……」
良美さんはティッシュ箱の方を指差し、ロイさんが紙を3回取って良美さんに渡した。良美さんは、震える手でリツさんの顔の涙を優しくふいている。良美さんの手にあるティッシュに移ったリツさんの涙は、やはり輝きながらリツさんへ舞い戻っていた。
その夜、良美さんがこの世を去った。葬儀には、館のみんなで参列した。もちろん、リリーの本も。喪主はロイさんが務めた。リツさんとリエさんと青年姿のラウは、喪服を着て見えない姿になっていた。リリーの本も透明化をしてリツさんが抱えていた。葬儀はごく小さなものだった。移動の車には、透明人間の3人もうまく座ることができた。
葬儀のことは、良美さんがまだ元気なときに、良美さんとロイさんとで決めていたそうだ。良美さんはたくさんの貯金をしており、葬儀費用はそれでまかなえたとロイさんが話していた。
墓は樹木葬だった。リツさんは、良美さんの眠る場所に来たとき、「いい場所だ」と言っていた。
良美さんの葬儀から一夜が明けた。昼を過ぎた頃、仕事が早く終わったロイさんが館に帰ってきていた。それで館には、使用人も含めた館の関係者全員がそろっていた。そこで、結婚祝いの絵を2人に渡した。梅子さんは「私もいるの⁉︎」と驚いている。梅子さんは着物姿にした。裕也は珍しそうにまじまじと見ている。肝心の新婚さん2人もとても喜んでおり、どちらの部屋に飾るかと話していた。それで、絵はしばらく食堂に飾られることになった。食堂にはフォトウェディングの時にみんなで撮った写真もある。飾られた絵を改めて見て、リツさんも「よく描けてるな」とほめてくれた。
私はリリーの本のイラストのページを開いて立っていたのだが、リリーが突然、大きな声を出した。
『あのね! みんな聞いて! 私……小説書く!』
それを聞いたリツさんが、リリーに振り向き、私が持っているリリーの本に手を伸ばした。
「リリー、それ……どういう意味だ」
『小説を書いて、完成させて……あの世へ行くのよ!』
リツさんは、とても悲しそうな顔をした。そして、涙があふれるのを隠すように顔を背けた。ロイさんも、沈んだ顔でリリーに問いかける。
「リリー……どうしていきなり、そんなことを言うんだ」
するとリリーは、うつむき気味で静かに話し出した。
『私、みんなの人生を奪ったのよ。私のせいで、みんなこんなことに……』
「俺は自分で選んだ」
リツさんが強い口調で言う。
『私が普通におとなしく死んでいれば、こんなことにはならなかった……』
「それを言うなら、アッシュリリーを持ってきた僕の責任だよ」
ロイさんも力なくリリーに話しかけた。リリーはしばらく黙っていたが、また話し出した。
『リツが、お母さんと親子として話せなかった……それが、とても悲しかったのよ。それに、このままじゃいつまでも、リツを縛り付けることになるわ』
「俺は何とも思ってない。問題ないよ」
『……私がダメなのよ……だからお願い。応援してちょうだい、リツ』
リツさんはしばらく黙っていたが、静かに席を立つと、食堂を出ていった。リリーはラウを呼び、文章の記録係を頼んだ。そして、小説が出来上がるまでは、他の誰にも内容を知られたくないと言った。
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