第17話 3人目のコーヒー
22時を過ぎた頃、ロイさんが帰って来た。食堂に入るなり、元気な声を上げた。
「今日もみんなそろってるのか。ラウなら偽子どもだから、世話してやらなくても大丈夫だぞ」
そう言うロイさんのところへ、子ども姿のラウが近づいていく。ロイさんはラウを抱き上げた。
「君は仕方がないやつだ」
「わしには親というものがないのじゃ。あるのは案内役仲間と「全て」なのじゃ」
「だから何だって?」
ロイさんに聞かれると、ラウは視線を下げて少し黙ってから、ロイさんを見た。
「だからわしには父親がいないのじゃ」
そう言うとラウは、ロイさんに抱きついた。ロイさんは「わかった、わかった」と言ってラウに軽く手を当て、それからラウを下ろした。
「ロイ、話がある」
「なんだ、リツ」
リツさんはリサさんを見た。するとリサさんは、姿勢を正して話し出した。
「あ、あのね、ロイ……私、普通の人間に戻ろうかと思うんだけど……」
するとロイさんは明らかに驚いており、声がしばらく出なかった。裕也やリエさんも黙っていたが、驚いているのが見て取れた。
「リサ……僕は忘れていたよ。そうか、君も戻れるんだった。リサ……」
ロイさんの声は少し震えていた。ロイさんはリサさんのところへ行き、リサさんを優しく抱き寄せた。
私はキッチンでブラックコーヒーを作って、食堂へ持っていった。リサさんはテーブルの一番手前の席に座っており、横にロイさんが立っていた。私がリサさんの前にブラックコーヒーの入ったカップを差し出すと、ロイさんがリサさんに尋ねた。
「リサ、用意はいい?」
「ええ」
ロイさんはカップにアッシュフラワーの花びらを1枚入れた。黒いコーヒーに花びらの灰色の色素が溶け出し、コーヒーは白濁した。
「花びらを取るのよね」
そう言ってリサさんは、透明になった花びらをカップのふちに取った。
「じゃあ、いただきます」
コーヒーを飲んだリサさんは、10秒もしないうちに意識を失った。倒れかかるリサさんをロイさんがすかさず支えた。そして、裕也にしたように、リサさんをロイさんの部屋に連れていった。リサさんは、服装は変わっていたが、34歳の体のままのようだった。
ロイさんがリサさんに付き添うと言うので、他の者は食堂へ戻った。それぞれ席に着くと、少年姿のラウがアッシュフラワーについて話し出した。
「お主らが「アッシュフラワー」と呼んでおるあの花な、あれはあの世のものじゃ」
「まあ、そうだろうな」
隣の席の裕也が、頬杖をつきながら言った。
「誰かが忘れたか、落としたか、置いていったか、植えたか、はたまた……」
「ラウがやったの?」
リエさんがラウに疑いの目を向けている。
「いやあ、どうじゃったかのう。わしがこちらの世界に来たのは、いつが始めじゃったか……」
ラウはとぼけた様子で、首をかしげている。そして、ラウは話題を変えた。
「リエやリツは、普通の人間に戻る気はないんかのう」
「……私は、怖くってとてもじゃないけど……今は勇気がないわ」
リエさんの答えを聞いて、ラウが今度はリツさんを見た。
「……俺も、戻る気はない」
リリーは黙ってうつむいている。みんな黙ってしまい、食堂は静かになった。
日付が変わる頃、リサさんとロイさんが食堂に入ってきた。ロイさんはリサさんの背中に手を添えていた。
「ねえ見て、肩パッドよ! 懐かしいわぁ」
そう言ってリサさんは、自分の両肩に手を当てた。リサさんは肩幅が広い黒のニットにグレーのズボンを履いて黒のベルトをしている。髪型になんとなく合っている。
「へえ……ええっと、いつくらいの服でしょうか?」
私はリサさんに聞いた。
「35年くらい前よ。朋世は逆に新鮮なんじゃない?」
「テレビで見たことがあるような気もします」
「私だって……いや、微妙な年代ね。懐かしい気もするわ」
リエさんも会話に加わる。そしてリリーも、リサさんに声をかけた。
『リサ……いや、
「いいのよ。楽しんでもいたんだから」
リサさんの本当の名前は、
「三佳、残りの人生を、僕と一緒にいてくれないか?」
「ロイ、今更何言ってるの?」
するとロイさんは三佳さんの左手を右手で取り、左手を三佳さんの肩に添えた。
「三佳、僕と結婚して欲しい」
三佳さんは、口を結んだ。目には光が揺らめき出す。
「ロイ……こんな古くさい格好のときに、もう……いいわよ、結婚してあげる」
三佳さんはロイさんに抱きついた。2人とも笑いつつ、泣いていた。私とリエさんは祝福の言葉をかける。ラウも嬉しそうに跳び回っていた。時山さんはやっぱり、泣いている。裕也は時山さんに構っていた。リツさんは静かにリリーと話をしているようだった。
後日、三佳さんはロイさんと一緒に出かけた。とりあえず、三佳さんの戸籍を作りにいったのだ。手続きには何日もかかったが、三佳さんは苗字を少し変えて、「
その後、ロイさんは三佳さんを連れて三佳さんのお兄さんに会いにいった。お兄さんはロイさんと同い年で、高校生と中学生の孫がいるそうだ。お兄さんは三佳さんを見て、「行方不明になった妹にそっくりだ」と言って、泣いていたらしい。そのとき、お兄さんに結婚の報告もしたそうである。
「結婚式? そんなの無理よ。冗談じゃないわ。70のおじいさんと記憶喪失の花嫁の結婚式だなんて、とんだ見世物になっちゃうわよ」
ある日の夜、三佳さんは顔をしかめて、小刻みに手を横に振った。するとリエさんが、新たな提案をする。
「じゃあ、フォトウェディングならいいんじゃない?」
「え?」
三佳さんの目が少し大きくなった。そして三佳さんは、仕事帰りのロイさんに目をやった。
「いいねぇ、フォトウェディング。どうせならみんなで撮りたいなぁ」
「みんなって、リツとリエも? 写真に写るのかよ。しかも、カメラマンに会う訳?」
ロイさんは乗り気だ。しかし、裕也が心配している。
「スタッフが帰ったあとに、自分たちで撮るんだよ」
「うわぁ、楽しそう!」
ロイさんの言葉に、リエさんがはしゃぐ。私もわくわくしてきた。
「じゃあ、生で三佳さんのウェディングドレス姿が見られますね」
私がそう言うと、三佳さんは顔を赤くしていた。ラウが「わしも写真に入れてくれるかのう」とロイさんに聞いている。楽しげな雰囲気だが、リツさんとリリーはこの場にいなかった。
三佳さんとロイさんは後日、フォトウェディングの相談窓口に行った。リエさんは何日も、ヘアアレンジやメイクの動画を漁っている。身支度は、三佳さんはスタッフにやってもらえるが、リエさんや私は自分でするしかないからである。もしかしたら私はついでにしてもらえるかもしれないが、リエさんにその可能性はない。そういう理由で、リエさんは自分で研究を重ねている。そんなリエさんは、私のヘアメイクもすると言ってくれた。
季節は移り変わり、寒くなってきた11月のある日。外は穏やかな晴天、小春日和だ。この日は朝早くからフォトスタジオのスタッフが5人来ていた。2階の三佳さんの部屋の隣の部屋が空いているので、そこで三佳さんはスタッフと準備をしている。私は制服に着替え、梅子さんに指示されながら雑用をしていた。
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