第16話 散髪

 ラウの正体がわかった日の翌日の7時。食堂は、重苦しい空気に包まれていた。ラウは、ずっと子どもの姿をしている。その方が幾分、風当たりが強くないと感じたのだろう。ロイさんは仕事に行くときに、ラウの頭に軽く手をのせた。ラウは、ロイさんの後ろ姿をじっと見ていた。


 午後になり、食堂で私はリエさんと雑談をしていた。テーブルを挟んだ向こう側では、絵を描いているラウの様子を裕也が見ていた。すると、リサさんがやって来た。

「ちょっと、リエぇ。髪切ってもらいたいんだけど」

「あ、いいわよ。じゃあ、私の部屋で用意しましょうか」

 それを聞いて、私は驚いた。しかし外へ出られない以上、自分たちで散髪するのは必然である。それにしても、誰が誰の髪を切るなど、担当が決まっているのだろうか。興味が湧いたので、質問してみた。

「髪は、切り合いっこですか?」

「いや、違うわ。リエが全員分、そして自分のも切るのよ」

 リサさんの言葉に私が感心して「へぇぇ」と言うと、リエさんは笑っていた。私は、リエさんが髪を切る様子が見たくなった。

「私も見に行っていいですか?」

「いいわよ。おいでませぇ」

 リエさんがおどけて言った。


 リエさんの部屋はかなり広い。3階で、私の隣の部屋だ。白いラグマットにやグレーのカーテン、焦茶の机や椅子といった家具がある、シックな部屋である。そして、花と柑橘系の香りが合わさったような良い匂いがする。

 リサさんは部屋の空いているところに丸椅子を置いて座った。リエさんは、リサさんに髪を切るときのカバーみたいなものを着けると、リサさんの髪に霧吹きをかけた。そして、上の方の髪をクリップで留め、下の方の髪から切り始めた。

「切り方は、インターネットの動画とかを観て、あとは自己流ね。昔、子どもの髪も切ってたし……」

 切られた髪のほとんどが、光になってリサさんの周りに集まっていた。

「リサの場合はゴミがほとんど出ないから、掃除はかなり楽ね。水は残るけど」

 そう言いながら、リエさんは軽快に手を動かす。なるほど、水だけが点々と残っている。リエさんはみんなの髪を切ると聞いたが、具体的には誰なのかはっきりしなかったので、聞いてみた。

「みんなの髪を切っているって、えっと……」

「リツに裕也、で、リサでしょ? 時山さんにロイまで切ってるんだから」

「お上手なんですね」

「そうよ、お上手よん。なんちゃって」


 散髪と後片付けは1時間ほどで終わった。私たちは3人連れ立って食堂へ行った。すると食堂には、裕也やラウの他にリツさんとリリーもいた。

「リリー……」

『朋世。私、大丈夫よ! あの世へは行かないんだから!』

 それを聞いて、ラウが口を開く。

「いつかは誰もが行くところじゃ」

『うるさい! にせ子ども!』

「リリー、落ち着け」

 ヒートアップしているリリーを、リツさんがなだめた。

「ラウ、お前って、魔法で何でも出せるの?」

 雰囲気を変えようとしたのか、裕也がラウに話を振った。

「大概は出せるじゃろう。魔法で作り出した分だけ、この世界のどこかの資源が減るがのう。それから、出してはいけないものもある。例えばかねじゃ。この世界の通貨を作ることは禁止されておる」

「え? でもお前、札束持ってなかった?」

「あれは、地道に増やしたのじゃ」

 ラウによれば、今回、この世界に来た最初はデパートのトイレに出現したのだという。直接この館に来るより、せっかくだからこの世を楽しんで来いという意向だったそうだ。誰の意向かというと、全ての世界を管理する者、通称「全て」の意向だったとラウは言っていた。

「それで? 最初は無一文?」

「そうじゃ」

 裕也の問いに、ラウが答える。そして子ども姿のラウは、幼い声で長々と語り始めた。

「わしは、最初は青年の姿で現れた。ここらあたりの人間たちの美意識で最高のものを集めた姿としてな。それぞれの理想像の平均顔といったところじゃ。お陰で、じろじろ見られたわい。人の多い通りを歩いておると、「大食い達成で賞金5千円」とあった。中華料理店じゃった。わしは挑戦したんじゃが、食べきれんかった。金がないと言うと、食器洗いやら、掃除やらさせられたわい」

「ダメじゃん」

 裕也がラウの話に突っ込む。

「まあ、聞け。その中華料理店で褒美ほうびに出された杏仁豆腐が美味くてのう。甘いのならいけると思ったんじゃ。そこでその店の店主に、どこかで甘いものの大食い挑戦はないかと聞いたんじゃ。もちろん、賞金がもらえるやつをな。すると店主が、今度は甘いものの大食いメニューを作って、わしに出してくれたんじゃ。それで、見事にわしは5千円をゲットしたんじゃ」

「ゲットしたのね」

 リサさんはちょっとおもしろがっている。

「その5千円を元手に、馬券を買ったんじゃ。そしたら予想が運良く当たってのう」

「絶対、魔法でズルしてるでしょ、それ。全然地道じゃないじゃない」

 リサさんが素早く突っ込んだ。そして、リエさんも問いかけに参加する。

「お金を受け取るのに、本人確認とかなかったの?」

「馬券は何回かに分けて買って、現金も何回かに分けて機械で受け取ったぞい」

「何回も当たるところがおかしいじゃない。完全に魔法だわ」

 リサさんの突っ込みは、今日も調子がいい。リリーは、話を聞きながら冷ややかな目をしている。ラウはリサさんの発言を聞き流し、話を続けた。

「それで大金を手にしたわしは、デパートに向かったんじゃ。デパートには上等な菓子がたくさんあるのを知っておったからのう。あとで子どもに変身するつもりじゃったから、子ども用のリュックサックを買って、入るだけ菓子を買ったんじゃ。幸せじゃったのう。それでトイレに行って、今の子どもの姿に変身したんじゃ。それからデパートの中をぷらぷら歩いておったら、裕也と朋世を見つけてのう。またトイレに行って、見えない姿になって出てきて、2人のあとをつけたんじゃ。そして車に乗り込み、あとは知っての通りじゃ」

「見えない姿って?」

 裕也がラウに質問すると、ラウが「あれじゃ、あれじゃ」と言って言葉を思い出している。

「透明人間!」

『透明人間⁉︎』

 リツさん以外が声をそろえた。そして、ここにいる人間全員がラウを見ていた。裕也がやってみせろと言うと、子ども姿のラウは席を離れて窓の方へ立ち、パンッと1回、手を叩いた。しかし、ラウはそのままそこにいる。すると、いつの間にかそこにいた時山さんが、「いやぁ、お見事!」と言っている。

「時山さん、どこがお見事だよ。ラウ、全然消えてねぇじゃん」

 そう言うと、裕也が椅子にふんぞり返っている。

「おぉ、そうじゃ。あの世の魔法に関わった人間にはこれじゃ効かないんじゃった。じゃあ、これでどうじゃ」

 そう言ってまた、ラウが手を叩いてみせた。今度は、ラウがすっかり消えて見えなくなった。

「これで信じてもらえたかのう?」

 ラウの声だけが聞こえてくる。「もうわかったよ」と裕也が言うと、またパンッという音が聞こえ、ラウが一瞬で姿を現した。そしてラウは、リツさんと裕也の間の席に座って絵を描き始めた。裕也が机に突っ伏して言う。

「お前、子どもなのか何なのか、よくわかんねぇな」

「わしは本能じゃ」

『ただの偽子ども!』

 リリーはまだまだ、敵意き出しである。


 15時を過ぎるとリエさんが出かけると言い出したので、裕也がシルバーの車で駅まで送っていった。リサさんはリツさんとリリーに、聞いてほしいことがあると切り出した。

「私、普通の人間に戻れるんなら、戻ろうかと思うんだけど……」

 それを聞いたリツさんは表情を変えなかった。

「そうか……ロイには言ったのか?」

「いえ、まだ」

 リリーは目をきょろきょろとして何か言いたそうにしていたが、何も言えないようだった。

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