第14話 パジャマで登場

 勤務2日目の朝、私は時計のアラームで目が覚めた。6時……起きられて良かった。そうだ、トイレのふき掃除をしなければならない。私は1階の東側担当だ。今からパジャマで掃除しに行こうかとも思った。しかし、7時の集まりにパジャマで出て、そのあとでトイレ掃除に行った方が効率がいい気がしたので、そうすることにした。

 部屋の隅の汚れた洗濯物の山を見て、洗濯かごを買わなければいけないことを思い出した。私はノートパソコンを開くと、洗濯かごを物色し、購入手続きをした。

 時計を見ると6時30分を過ぎていた。化粧をしないで行くのは抵抗があったが、パジャマ姿で化粧はしたくなかった。リサさんもリエさんも昨日は素顔だったし、パジャマだったし、ということで思い切って起きたままの姿で行くことにした。


 部屋を出ると、パジャマ姿の裕也が階段を降りるところだった。

「おう、おはよ」

「おはよう、裕也」

 裕也は挨拶をすると、軽やかに階段を駆け降りていく。裕也もパジャマ姿だったので、私は安心した。


 食堂の前では、昨日と同じくスーツ姿の時山さんが立っていたので、少し気まずい感じがした。そんな私を気づかってか、時山さんは笑顔で優しく声をかけてくれた。

「おはようございます、朋世さん。今日も、よろしくお願いしますね」

 私は時山さんに返事をして、食堂に入った。今日は、私が最後の登場者だった。私は昨日と同じく、リサさんとリエさんの間にそろりと座った。ロイさんが、「今日はみんな早いなぁ」と言って笑っている。ロイさんと時山さん以外は、みんな寝る時の格好のようだった。私がパジャマ姿で来たことが少し話題になり、歓迎されるような雰囲気になったので、安心した。

 今日は午後から裕也と買い出しに行く予定だ。リサさんのインターネットでの買い物は、帰ってきて時間があったらやろうということになった。リサさんは昨日の私たちの買い物の話を聞いて、自分の買い物が待ち遠しいようである。私は、買い出しをなるべく早く済ませて帰ろうと思った。


 午前中に掃除と洗濯を済ませて、今日も梅子さんと昼食を摂った。そして、昼の食器を片付けてから着替えをし、車で裕也と買い出しに出かけた。行きの運転は裕也がすることになった。裕也はここで働く前に、合宿に行って車の運転免許を取っていた。私は、裕也が案外努力家であることに感心した。

 目的地はまた都心のコガネクジラ。裕也は私と違って、都心の道路を楽しんでいるようだ。私は前々から気になっていることを、裕也に聞いてみた。

「裕也、徳宮さんのことは、どうなったの?」

 裕也は小さく「うん?」と言ったあと、少し黙っていた。それから信号待ちになったときに、前を向いたままでこう言った。

「もういいんだよ」

「……もういいって?」

 私はしつこく尋ねた。裕也はなお前を向いたままで答えた。

「もう、どうでもよくなった」

 私は次の言葉に迷った。私が何か悪影響したのかもしれないとも思った。

「私のせい?」

 私は小さな声で聞いた。裕也は軽く笑ったあとに、こう言った。

「朋世のおかげかな。いい意味で、どうでもよくなった」

 私はこの話題について、もう聞くのはやめることにした。


 コガネクジラに着くと、私たちはデパートを回って、ロイさんとリツさんの洋服や、雑貨、食品などを買った。食品はいつもは館から近いスーパーで買うことが多いらしいが、今日は時間短縮のためにデパートで買うことにした。服や雑貨は車のトランクに詰めて、食品は後部座席に載せた。

 帰りは私が運転する番だ。緊張している私に、裕也は不安そうな顔を向ける。都心を運転中の車内で、私は裕也から何回か「おい、落ち着けよ」と言われた。都心を抜けると、私は落ち着きを取り戻して運転した。


 館の玄関に車を横付けにし、私はトランクへ向かった。すると、後部座席のドアを開けた裕也が何か騒いでいる。

「お前、なんだよ! いつからいたの? って言うか、誰?」

「どうしたの、裕也?」

 私も後部座席をのぞいてみると、1人の男の子が座っている。

「えっ⁉︎ これって誘拐⁉︎ いやいや……えっと、どうなってるの?」

 私は動揺してしまった。裕也と男の子の顔を交互に見ていると、玄関の方から時山さんの声がした。

「2人とも、お帰りなさい。……どうしました?」

『時山さん……』

 私と裕也は声がそろった。

 時山さんはとりあえず男の子を館に連れていった。私と裕也で買ってきた荷物を運んだあと、私は車を車庫に入れた。辺りはもう夕暮れも過ぎ、館の庭は照明に照らされていた。


 食堂にはロイさんとリエさん以外の館の住人が集まった。少年は椅子に行儀よく座り、りんごジュースを飲んでいる。その少年は白いシャツに燕脂色えんじいろのネクタイに紺のブレザー、グレーの半ズボンに白い靴下と黒いローファーという格好だ。入学式にでも行ってきたかのような坊っちゃんスタイルである。目がくりくりと丸くて大きく、黒髪は色素が薄い。大人の中に子ども1人だが、おくすることはないようだ。

 時山さんはデパートへ電話をかけたが、迷子の連絡はなかったそうだ。そこで時山さんはロイさんに確認したあとで警察にも聞いてみたが、この少年の特徴に似た迷子の相談はないらしかった。そのあと、警察から迷子がいるのかと聞かれたらしく、時山さんはごまかしているようだった。


 19時を過ぎた頃、リエさんが食堂に入ってきた。少年について話を聞いたリエさんが、優しく問いかける。

「ボク、お名前は?」

「……」

 少年はリエさんの方をちらりと見るも、何も言わない。

「お年はいくつかな?」

「……」

 私は、リリーがこの子の記憶を見ることができるのではないかと思った。

「リリー、この子のこと、何かわからない?」

『うぅぅん、それがねぇ……見ようとしてるんだけど、なんにも見えないし、文字も出てこないのよ』

 そのとき、男の子がリリーの本に近づき本の紙をめくろうとした。それをリツさんが反射的に手で払ってしまったので、男の子は泣き出してしまった。

「ああ、すまない……」

 リツさんが少しうろたえている。しかしリツさんは、泣いている子どもに注目はしているが、手をかざすだけで触れようとはしない。

「本が読みたいの?」

 少年の背中に手を添えて私が聞くと、少年は首を横に振った。

「じゃあ、紙が欲しいのかな?」

 すると、少年はうなずいた。さらに問い続けると、どうやら絵が描きたいらしい。それで、時山さんがノートとペンをいくつか、それにシャープペンシルと消しゴムも持ってきた。少年はしばらく絵を描くと、右下に「LAU」と書いた。

「ラウ?」

 リサさんがその文字を読んでみせた。

「あなた、ラウ君っていうの?」

 リエさんが問いかけると、少年はうなずいた。


 夕食の時間になった。食堂にみんながいる中で、私と裕也と時山さん、そしてラウは食事を摂り、私が食器の後片付けをしている間に、裕也はラウをお風呂に入れた。ラウは裕也のパジャマの上だけを着て楽しそうに声を上げながら走り回り、裕也はそれを追いかけている。ラウは声が出ないわけではなさそうだ。私たちの話す言葉もわかっている。なぜ話さないのだろうかという疑問はあったが、元気そうなのでひとまず安心していた。館のみんなは、まだ食堂にいる。


 22時を過ぎた頃に、玄関の扉が開く音がした。ラウは玄関の方へ駆けていき、ロイさんに抱えられて食堂に戻ってきた。

「よう、ラウっていうんだろ? 君、どうしたんだよ?」

 ラウは黙ったままである。ロイさんはラウを床に下ろすと頭をなでた。

「今日はもう遅いから、早く寝なさい」

 ロイさんの言葉にラウはうなずき、裕也のところへ行った。裕也は「じゃ、寝るか」と言うと、ラウの手を引いて食堂を出ていった。

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