第13話 リエさんの過去

 昼になり、梅子さんと女性用の使用人控え室で食事を摂る。食事の内容は、梅子さんが作ってくれた昆布のおにぎりと梅干しのおにぎりに、玉子焼き、野菜サラダだ。玉子焼きが甘くて嬉しい。すると、扉をノックする音が聞こえた。「はい」と梅子さんが言うと、リエさんが顔をのぞかせた。

「朋世……ご準備、いかがですか?」

「あ! すみません、リエさん。ゆっくりしてました」

「いいのいいの。13時くらいに出ればいいかな?」

 私は残っていた昆布おにぎりを口に入れ、急いで咀嚼そしゃくして飲み込んだ。

「食器の後片付けは私がやっておくから、早く用意をして行ってらっしゃい」

「すみません。ありがとうございます」

 私は梅子さんにお礼を言うと、急いで自分の部屋を目指す。リエさんは食堂で待っていると言っていた。外出用に用意していた服に着替えて、着ていた服を仮の汚れ物置き場に重ねて置き、部屋を出た。


 目的地は都心のコガネクジラ。館にあるシルバーの車で行くことになった。私はついこの間までペーパードライバーだった。この仕事のためにペーパードライバー講習を10日間受けたのだが、いきなり都心に行くことになるとは、参ってしまう。緊張し過ぎてシートベルトを忘れそうになり、リエさんから指摘された。リエさんは「おしゃべりは控えようか」と言った。


 道路が3車線になり、私の心臓は鼓動がわかるくらいに大きく脈を打ち始めた。ペーパードライバー講習の内容を思い出しながら、私はときどき深い呼吸を加えた。デパートの駐車場の入り口に来ると少し待ったが、無事に駐車場に入り、停めることができた。

 リエさんはシンプルな紺のトップスとパンツのセットアップを着て、小さなバッグを持っていた。アクセサリーは小振りなもので、試着の準備は万端という格好だった。目当ての店でリエさんは、ワンピース、トップス、スカート、パンツとサイズ違いで試着し、私がリエさんに代わってトップスを2着購入した。館に帰るのに2時間30分くらいかかるので、急いで帰ろうと話していたのだが、リエさんが少し黙った。そして、申し訳なさそうに、こう言った。

「朋世、あのね……もう一箇所、行きたいところがあるんだけど……いいかな?」


 リエさんの行きたいところとは、ある住宅街の公園だった。私は入り組んだ道を通り、その公園近くの駐車場に車を停めた。腕時計を見ると、17時を過ぎた頃だった。私たちは公園のベンチに腰を下ろす。公園には誰もおらず、一日が終わっていくのを感じさせる。隣を見ると、リエさんが通りの方をじっと見ている。何か話しかけた方がいいのか迷っていると、リエさんが静かに口を開いた。

「私ね、子どもが2人いたの。今年で17歳の男の子と、15歳の女の子。その子たちが6歳と4歳のときに夫と離婚したんだけどね。私が家事も育児もちゃんとできてないって言われて……」

 リエさんの告白に驚いたが、私は黙って聞いていた。リエさんは時々ちらりとこちらを見て話し続ける。

「それから実家に引きこもってて、1年くらいした頃にこっそり子どもたちを見に行ったの。そしたら元夫に見つかっちゃってね。二度と顔を見せるなって言われたわ。そんな頃に偶然リリーとリツに会って……。もう自分が自分であることが嫌になっていて、リリー達にお願いして人生を取ってもらったのよ。そしたら、私が産んだ子どもたちが、妹の子どもってことになっちゃったの。元々妹は独身だったんだけどね。元夫と妹が結婚してるってことになっちゃって。子どもたちは、顔は違うんだけど、名前が一緒なのよ……」

 リエさんは、話を中断した。そして、通りをまた見つめている。その先には、背の高い制服姿の男子学生が歩いていた。やがて、その学生は公園の横の通りを行き過ぎてしまった。

「あの子、長男の明義あきよし。もう後ろ姿でもわかるようになったわ。今は妹の子どもだけどね……」

「リエさん……」

「ごめんね、こんな話して……人生を取ってもらったこと、最初は後悔したわ。でも、妹とだったら元夫も離婚しないでいるみたいなの。だから……良かったんだって……思うことに、してるの」

 リエさんの声は少し震えた。それから一息置いて、リエさんは私に笑顔を向け、「もう帰ろうか」と言った。車まで行く途中、私はリエさんに尋ねた。

「ここに来ることは多いんですか?」

「……できるだけ、毎日来てる」

 そう言ってリエさんは笑った。リエさんがこの公園に来ていることは、館のみんなは知っているとも言った。私はリエさんに何もできないままだった。帰りの運転中は、リエさんとたくさんおしゃべりをした。


 館に着いたのは20時前だった。リエさんは私の夕食が遅くなったのではないかと気にしている。私はリエさんに「大丈夫ですよ」と言いつつ館の扉を開けると、時山さんが笑顔で迎えてくれ、梅子さんからの伝言を私にくれた。梅子さんが私の夕食を用意してくれていたのだ。キッチンのテーブルには梅子さんの置き手紙もあり、冷蔵庫を開けると梅子さんお手製の煮物や酢の物などがあった。とてもありがたかったと同時に、梅子さんの敏腕振りがうかがえた。お礼を言いたかったが、梅子さんの勤務は18時までなので、梅子さんはもういなかった。

 食堂にはリエさんとリサさん、それにリツさんとリリーがいた。時山さんはちょっと顔を出し、またどこかへ行ってしまった。私は食事をしながら、リエさんと一緒に今日の買い物と運転中の様子を話したりした。それに対して、リサさんとリリーが質問したりもした。リツさんはいつもの通り、黙って話を聞いているようだった。

 お風呂の前にはトイレの掃除をした。今日は疲れた。ベッドの上に広げっぱなしだった洗濯物を半分寝ながら片付けて、24時前には眠りにつくことができた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る