第2章
第11話 勤務初日の朝
天井が高い……。そうだ、ここはサクラクラゲの館だった。分厚いカーテンの端から、外の光が漏れている。まだ馴染まない寝具の中で、私は両手両足を広げて伸びをした。ベッド脇のサイドテーブル上の時計を手に取ると、時刻は5時50分。6時のアラームより早く起きた。重々しいカーテンを開けると、窓の外の明るさで目が覚めてくる。
洗面所に行くのに着替えるかどうか迷ったが、パジャマのままで行った。部屋に戻るまで、誰にも会わなかったので安心した。
館の慣例として、7時に食堂へ集まることになっている。パジャマで来てもいいということだったが、未だにある程度の緊張感を持っている私にそれはできない。だから着替えることになるが、私服にするか制服にするかで迷う。制服は、昨晩ロイさんから渡された。この制服は女性用らしいのだが、白いシャツに深緑色のネクタイ、黒のスーツベストと黒のスーツパンツだ。寒い場合は黒のジャケットを着てもいい。
7時の集まりに制服を着ていくのはおかしいかと思ったが、勤務初日であるし仕事の話になるかもしれないので、制服で行くことにした。少し寒かったので、ジャケットも着た。制服を着るとなると、メイクもそれなりにしなければならないだろう。ファンデーションを塗って、パウダーの眉墨をのせる。マスカラをつけ、チークも薄く回しつけ、唇にはピンクベージュの口紅をつけた。そして、肩までの髪を後ろに一つに
時計を見ると、6時40分を過ぎたところ。少し早い気もしたが、遅れるよりいいと思い、部屋を出た。ここは館の3階。下へ降りるには中央の階段を使う。階段のところは吹き抜けになっており、3階から2階へは左右に2つの階段がある。リエさんの部屋のドアを通り過ぎ、左の階段のところに来ると、右の階段の先の部屋からリツさんがリリーの本を片腕に抱えて出てきた。リツさんは髪を下ろしていて、グレーのズボンの上に紺のニットを出して着ていた。
「おはよう、朋世」
「おはようございます」
『おはよぉぉう、朋世!』
「ふふ。おはよう、リリー」
リリーは、閉じた本の中から挨拶をくれた。リツさんは私が制服に着替えているのを見て、張り切っていると思ったらしい。笑顔を見せながら私の格好を指摘した。
「朋世はもう仕事着を着ているのか」
「はい……」
返答に困っていると、リツさん達の部屋の隣の部屋から裕也も出てきた。裕也も白シャツに黒黒いスーツを着ていたが、ネクタイは黒だった。私は裕也にも挨拶をした。
「裕也、おはよう」
「おぉ、おはよう」
裕也の格好を見たリツさんは、裕也もスーツ姿だったので驚いたようだ。
「おはよう、裕也。お前ももう仕事着か」
「うん。おはよう。……何回も着替えるの、めんどくさいから」
そう言うと裕也は、右の階段を降りていく。リツさんは私の方を見て、こう言った。
「朋世も、めんどくさいのか?」
「えっ……」
私が固まっていると、リツさんは「嘘だよ」と言って右の階段を降り始めた。リツさんは笑顔だ。私はリツさんから初めて冗談を言われたと気づいた。そして、自分の顔の体温が上がっている気がした。私はリツさん達に追いつかないように、左の階段をゆっくりと降り始めた。高級感のある赤い絨毯の感触を味わいながら、私は先ほどのリツさんの笑顔を思い出していた。
階段を降りて向き直ると、食堂のドアは開け放たれており、ドアの前に時山さんが立っていた。
「時山さん、おはようございます」
「おはようございます、朋世さん。今日からよろしくお願いしますね」
「はい。よろしくお願いします」
時山さんに挨拶をして食堂に入ると、ロイさんとリサさんも席に着いていた。10人がけのテーブルには、ロイさんが窓側の一番奥の席、リサさんが反対側の手前から2番目の席に座っていた。リツさんは窓側の真ん中の席で、窓側の一番手前の席に裕也がいる。リツさんの前には、いつもの通りにリリーの本のイラストのページが開かれている。リサさんは水色に白のストライプのパジャマで、白のスリッパを履いていた。ロイさんはグレーのスーツ姿で眼鏡をかけており、右手には携帯電話、左手にはマグカップを持っている。ロイさんの前には、空になった食器が並んでいた。私はロイさんとリサさんを見てから、挨拶をした。
「おはようございます」
「おはよう。もう着替えたの?」
そう言ってリサさんは笑っている。私なんてこれよと言わんばかりに、リサさんは自分のパジャマをつまんで動かしてみせた。ロイさんはこちらを見ると、マグカップを離した手で眼鏡を上げ、こう言った。
「おはよう、朋世。よく眠れた?」
「はい」
「今日から、よろしくね。あの……制服はいつも着なくていいんだよ。裕也もな。詳しいことは時山や梅子さんに聞いてね」
「え……はい」
ロイさんの発言を受けて、私は裕也を見た。裕也も戸惑っているようだ。少し恥ずかしい。でも、詳しいことはあとで説明してもらえるようなので、気にしないことにした。
私は席に着こうとしたが、どこの席にしようかと迷った。裕也がスーツ姿で窓際の一番手前の席に座っているから、私も使用人の1人として、その近くにいた方がいいだろうと思った。それで裕也の前の席、つまりリサさんの隣の席に座ろうと椅子の背もたれに手を伸ばす。すると後ろからリエさんが来て私の肩を持ち、私をリツさんの正面の席に連れていきながらこう話した。
「そんな端に座らないで、こっちに来てよぉ」
「リエさん、おはようございます」
「おはよ」
リエさんはベージュのスウェットの上下を着ていた。トップスはかなり余裕のある大きさだ。足元は淡いピンク色のスリッパだった。
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