第10話 ファミリーレストラン

「えっと……どちら様ですか? この写真は……」

 桑名はそう言いながら、裕也がかざした携帯電話を見たり裕也や私を見たりして、視線を忙しく動かしている。

「俺が朋世に言ったんだよ、このこと」

 裕也は携帯電話の画面を指差しながら言った。桑名は私を見たあとうつむいて、ぼそぼそと話し出した。

「私はお酒が好きなんですが、酔っ払うと、そのときのことは覚えていないことが多いんです……。家族にも注意されているのですが、どうしてもお酒がやめられなくて。しかも、外の店の料理を食べながら飲むのが好きなんです」

「わかっててやめないなんて、自制心がないだけじゃん」

 裕也がとがった言い方をした。

「君は、やめられないものに出合っていないだけだよ」

 桑名はそう言って力なく席を立つと、伝票を持っていって会計をし、店を出ていった。

「桑名さんに何を見せたの?」

「ああ、これだよ」

 裕也の携帯電話の画面には、両脇に女性を連れている桑名の写真があった。

 裕也は、私がお見合いを断ると思っていた。そして、上手く断れるか心配してくれていたのだ。リリーが私の記憶を見ることができたので、今日の待ち合わせのことも知ることができたらしい。裕也は、この3日の間に自分の家族に会い、携帯電話の契約をし、シオンウツボで桑名を見つけ出して写真を撮ってくれていた。桑名の記憶も見ることができたので、探すのにそこまで苦労はなかったという。知らないところで自分の記憶を共有されていたことは恐怖とも言える。でもそのおかげで、今回は助かった。リリーも必要なこと以外は言わないだろう。


「ありがとう」

「うん」

 裕也はいつも、何ともないような、平気な顔をする。クリームソーダを飲みながら、よそを向いていた目がこちらを見た。

「明日、サクラクラゲの館に行かない? どうせ暇でしょ?」

「……うん! 行こう! 嬉しいなぁ」

 私はそのとき、世界の色調が鮮やかになったような気分だった。館に行きたい気持ちはずっとあったが、いきなり1人で行くのは少し気が引けると思っていたから、ちょうど良かった。


 翌日、私は午前中に都心のコガネクジラで裕也と落ち合い、この前のようにシオンウツボを経由してサクラクラゲの駅で降りた。駅を出ると、孝汰郎さんがシルバーの車を停めて待っていた。窓の風景に自然の緑が増えてくるにつれて、私の心は小踊りしていた。

 門をくぐり、整えられた庭の中を進んで、玄関に着いた。私たちが車から降りていると、扉を開けてリエさんが飛び出してきた。

「おかえりぃ!」

「ふふ。ただいまリエさん」

 リエさんは初めて会ったときと同じ、深い赤のワンピースを着ていた。私はというと、若草色のブラウスに白のカーディガン、それに紺のテーパードパンツと白のスニーカーだった。

「朋世の私服、可愛いわね。ファッションにうといなんて嘘でしょ」

 ほめられて照れくさかったのは心半分くらいだった。持っている服の組み合わせを考えるのは自分だけど、服を選んで買うのは母が多かったからだ。でも、これからは自分で選んで買ってみたいと思った。


 食堂の脇には時山さんがいた。そして、食堂からリサさんが出てきてくれた。

「帰ってから、ちゃんと説明できた?」

「その話は座ってから聞きましょうよ」

 そう言ってリエさんは後ろから私の両肩に手を置いて、私を席まで連れていく。

 食堂にはリツさんがいつもの席に座っており、その前にはリリーの本が開いて置いてあった。

「遠いところ、大変だったね」

 リツさんは私に言葉をかけながら、リリーのイラストのページをこちらに置き直した。リリーのイラストは、涙ぐんでいるようにも見えた。

『朋世ぉ、久しぶりぃ! 元気だった?』

「リリー、元気だよ」


 私は婚約を解消したことや、それを裕也が手伝ってくれたことなどを話した。リエさんとリサさんは、特に興味深そうに聞いていた。それから、それぞれが取るに足らない話を持ち出し、みんなでころころと転がし回していた。


『朋世もこの館に居られればなぁ』

 リリーがそう言ってくれて、私は嬉しかった。

「朋世の家からは遠いから、来るのも1日がかりよね」

 リサさんはそう言いながら片肘をついて頬杖にしている。リサさんは、私が2日目に貸してもらったボウタイブラウスを着ていた。

「引っ越して一人暮らしする予定はないの?」

 リエさんの言葉に、私の甘え心がつつかれる。

「今のところは……」

「そういえば、就職先ってもう探しているの?」

 リサさんが頬杖を解いて私に問いかけた。

「いえ、まだです……」

 すると、リリーとリエさんとリサさんは視線を合わせたあと、声をそろえた。

『ここで働けば!?』

 私には、思ってもみないことだった。その意外な言葉を頭の中でぐるぐる回したあと、3人を見回しながら前のめりでこう言った。

「そんなこと、できるんですか?」

 その言葉を側で聞いていたリツさんが微笑んでいる。

「できるんじゃないかな。俺がロイに聞いてみるよ」

 リツさんの言葉で、私の心には大きな期待と小さな不安が生まれた。その不安は未知なものに対する不安と、自分で責任を負うことに対する不安だ。以前の職場は、母の知り合いの人の紹介だったから。それでも、その不安はごく小さなもので、大きな期待で吹き飛ばせそうなくらいだった。

「裕也はどうだ?」

リツさんに問われて、裕也はにやりと笑った。

「俺も、いいの?」

「ああ。もちろんだ」

 裕也は照れくさそうな顔をすると、頭をいた。

「そういえば、出店でみせはどうしたのよ? ロイに無理言って用意してもらったんでしょ?」

 リエさんが裕也を指差しながら言った。

「片付けてもらった」

「裕也は結構わがままよね」

 裕也の言葉に、リサさんが鋭く突っ込んだ。


 私と裕也は15時まで館にいた。着いたのが13時30分過ぎだったから、1時間30分くらい話をしていた。私がこの館から自宅まで帰るのに5時間くらいかかるので、あまり長居はできなかった。泊まっていけばいいとも言われたが、母が心配すると思って断った。婚約解消したばかりで無職になった娘が遊び回っていては、母もたまらないだろう。


 後日、私と裕也はサクラクラゲの館で働くことが決まった。そして、館に下宿するので、館の1室に住むのだ。一人暮らしではないので、まだ補助輪を付けている気分だ。だけど、ひとり立ちに向けて、私は明るい一歩を踏み出した。

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