第09話 帰宅

 館の玄関前にはシルバーの車が停められ、運転席にはグレーのパーカーを着た孝汰郎さんが窓から肘を出している。車の脇に立っている私とリエさんの前に、リサさんと裕也、そして時山さんが立っていた。

「これ、あなたが着ていたものよ」

 そう言って、リサさんが紙袋を差し出した。中を見ると、ベージュのワンピースや焦茶のショートブーツなど、私が人生を取られたあとに身に着けていたものが入っていた。

「私と違って普段も着られる服だから、羨ましいわ」

 そう言われて、私はリサさんが着ていたのが制服だったことを思い出した。

「じゃあ、またね」

「はい、また。また、遊びに来ます」

 私とリエさんは後部座席に乗り込んだ。私は降りやすいようにということで、左側に座った。車が走り出し、私は窓を開けてリサさんたちに手を振った。晴れた空、館が緑の中に浮かび上がる。白い壁に青緑色の屋根が映えて、綺麗だった。


「朋世、お腹空いてない?」

 リエさんに言われて、両手でお腹を触る。かなりお腹がへこんでいる。意識すると、余計にお腹が減ってくるようだ。今は16時05分。食事を摂るには中途半端な時間だ。しかし、自宅までは車で5時間くらいかかるだろうということで、何か食べておくことにした。途中でコンビニエンスストアに寄り、私は鮭おにぎりと梅おにぎり、ミックスサンドイッチを選んだ。そして、棚に並んでいたカフェオレに少し目が行ったが、ルイボスティーを買うことにした。孝汰郎さんはブラックコーヒーを買っていた。

 孝汰郎さんのブラックコーヒーを見て、リエさんが不思議そうに話す。

「ブラックコーヒーのどこが美味しいのかしらねぇ。リツもたまに飲んでるけど。食事の必要がないのに飲むってことは、よっぽど好きなのね」

 私はリツさんについて気になっていることがあったので、リエさんに尋ねることにした。

「あの、リオ……裕也が言っていたんですけど、リツさんって女性が嫌いなんですか?」

 リエさんは一瞬動きを止め、ゆっくりと口角を上げた。

「嫌いというか……あんな感じで昔から目立ってただろうから、女性と言わず人が苦手なのはあるかもしれないわね。口数は少ないし。でも……リオってそんなに可愛いこと言うのね。あ、本当の名前は裕也だったか」

 私は、裕也の発言のどこが可愛いのかわからなかった。私が返事に迷っていると、リエさんは私の肩をぽんぽんと2回叩いた。


 時刻は20時46分。車は私の自宅前に止まった。

「じゃあ、元気でね。また遊びに来てよね」

 リエさんと私は握手をした。

「電車で来るなら、サクラクラゲの駅まで迎えに行くよ」

 そう言って、孝汰郎さんは携帯電話の番号が載っている自分の名刺をくれた。そこには「横美よこみ孝汰郎こうたろう」という名前があった。

「ありがとうございます。また遊びに行きます。気をつけて帰ってくださいね」


 リエさん達の車を見送ると、私は家のインターホンを押した。自分で入るより相手から来てくれた方が、話しやすい気がしたからだ。荷物が多かったので、鍵がかかっていたら面倒だからという理由もあった。

『どちら様でしょうか?』

 昨日も聞いたインターホン越しの母の声が、懐かしく聞こえた。

「私」

『ちょっと待ってて』

 私と気づいてくれる母に、少し安心した。ほどなくして扉が開き、部屋着にカーディガンを羽織はおった母が出てきた。

「あんた、どうしたのよ⁉︎ ホテルに泊まって考えたいことって、何だったの⁉︎」

 私は荷物を置いてくると言って、まずは2階の自分の部屋に入った。父はリビングに座っており、通り過ぎる私に「おお、帰ったのか」と言っていた。私は荷物を置くと鼻からふっと息を出し、父と母がいるリビングに向かった。私はリビングに入るなり、自分の希望を言い放った。

「私、桑名さんと結婚したくない。いや、結婚しない!」

 ソファに座ってテレビを見ていた父はこちらを振り返る。母は、状況を飲み込めないといった感じの怪訝けげんな表情で、私に近づきながらこう言った。

「何言ってるの! あんた、仕事もやめたし、式場も決まってるのよ」

 私は、シオンウツボで見た桑名のことを何とか伝えられないかと考えた。帰ってくる車の中で考えた説明は、人から桑名のことを聞いたというものだった。母に説明すると、母は「そんなこと、聞いたことがない」と言った。私が自分で仲人なこうどに断りの電話をすると言ったら、母は私を疑った。

「あんたがそんな電話、できるの?」

 今まで何でも母任せだった私だから、そう言われるのも仕方がない。ここは、行動で示すしかない。母は、渋々仲人の電話番号を持ってきた。私が電話すると、仲人も慌てふためいた様子だったが、一応先方に伝えると言ってくれた。理由を詳しく聞かれなかったので、安心した。


 21時30分を過ぎた頃、家の電話が鳴った。電話機のディスプレイに桑名の名前が表示されていたので、私は意を決して受話器を取る。

「はい、愛川です」

『あ、もしもし、桑名と申しますが……朋世さんですか?』

 それは、まだ婚約者というのかいわないのかわからない、桑名宏明であった。私は「はい」と返事をした。

『宏明です。話は聞きました。あの……少し、会って話せませんか?』

「えっ? 今からですか?」

『いえ……3日後の日曜日はどうですか?』

 私は、桑名の提案を受けた。


 それからは、そわそわした気分が取れないまま過ごした。

 そして、桑名との待ち合わせの日になった。桑名との待ち合わせ時刻は14時。私は家の近くのファミリーレストランの自動ドアを開かせた。時計を見ると13時45分。店内を見渡すと、1人の男が手を挙げた。桑名だ。白いTシャツにベージュのカーディガンに黒のズボン。髪は分け目がなく無造作だった。私に合図しなかったら、私はこの男に気づけなかったかもしれない。私は桑名の座っている席に来ると、立ったまま挨拶をした。

「こんにちは」

「こんにちは。……どうぞ」

 私に席をすすめた桑名は、し目がちだった。私は桑名の正面に座って、抹茶ラテを注文した。桑名はついていた肘をテーブルの下へ引っ込めた。

「朋世さん、あの……何かあったんですか?」

 女の人を2人連れていたでしょ! と言ってやりたかったが、桑名には女性関係のことは言わないつもりで来た。何より、証明できるものがない。

「すみません……結婚が怖くなったんです。桑名さんのせいじゃありません」

 それを聞くと、桑名は安心したように見えた。そして、桑名は自信を取り戻したように、今までよりも大きな声でこう言った。

「私は、今でもあなたと結婚したいと思っています」

 この言葉を聞いて、私の心臓の辺りが少しつかまれるような気がした。私は確かにときめいた。でも、騙されてはいけない。むしろ、この人は女の人の扱いに慣れているのかもしれない。シオンウツボでの桑名を思い出し、私は酒癖の悪い浮気性の桑名に泣かされる自分の姿を思い浮かべた。

「本当にごめんなさい!」

 そう言って席を立ったとき、桑名が私の手首をつかんだ。

「朋世さん! ちょっと待って……」

 私が振り返ると、桑名に携帯電話の画面を見せている1人の男がいた。

「これ、あんただよね?」

 そう言うと、その男は私の手首をつかんでいる桑名の手を外した。裕也だった。

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