第07話 11時の食堂

 時計の針が10時45分を回っている。私たち4人は、リサさんの部屋を出て食堂へ向かった。リエさんは近頃ワンピースを着るのがマイブームだということで、今日もワンピースだった。色は少しくすんだ青の薄い色。落ち着いた色だ。リサさんはというと、黒い線が入った白いトレーナーと黒のテーパードパンツ。昨日とは打って変わって、男性的だ。


 リツさんもリオも、もう食堂で席に着いていた。リオは机に突っ伏している。リツさんは黒のスタンドカラーシャツに着替えており、髪は結んでいた。リオは朝と同じ格好だ。リエさんがリリーの本を持っていくと、リツさんは椅子から立ち上がって、その本を受け取った。

「ロイはもうすぐ帰ってくるそうだ。さっき電話があった」

 リツさんはそう言うと、リリーのイラストのページを開いた。そのとき、玄関の方から扉の開く音がした。時山さんが玄関へ向かっていく。そして、誰かと話している声がした。すると、とても大柄な男性が食堂に入ってきた。リツさんよりも背が高いのではないだろうか。老人と言うにはまだ若いといった印象だが、髪も口髭も顎髭も白髪まじりだ。男性はジャケットとネクタイを時山さんに渡しながら、ワイシャツの第一ボタンを外している。リツさんは席から立ち上がりながら、その男性に言った。

「ロイ、リノだ」

 私も席から立ち上がり、ロイさんにお辞儀をした。

「君がリノか」

ロイさんはそう言いながら、私の席まで歩いてきた。ロイさんが右手を差し出すので、私も右手を差し出して握手をした。

「僕は永鈴ロイといいます。君を元に戻せるかわからないけど、僕もできるだけ協力するからね」

そう言うとロイさんは窓際の方へ歩いていき、リツさんの右隣の席に座った。


「僕は、アッシュフラワーの成分で、人生を取り戻せるんじゃないかと考えている」

 そう、ロイさんが言った。アッシュフラワーとは、匂いを嗅いだら人生が取られるという、あの花のことだ。あの小箱に入っていた灰色の花。図鑑には載っていないので、仮にそう呼んでいるらしい。

「今のリノの体は、同じままを維持するようになっているはずだ。だから、体に悪いものが入っても、きっと死にはしないだろう」

「危険だな。それはただの推測だろ? リリーみたいになったらどうする。それに、アッシュフラワーは体に悪いものどころじゃない」

 ロイさんの仮説に、リツさんが反論する。ロイさんは少し顔を曇らせた。そのとき、リツさんは目の前にある小箱に手を添えた。そして小箱を開けると、中にあるしなびたアッシュフラワーの花を見つめながら言った。

「これを使うのは、最終手段だ」

 ロイさんは首を振りながら両肩を上げてみせた。それから鞄に手を伸ばすと、植物の入っている袋をいくつも取り出してテーブルの上に置いた。

「一応、解毒作用のある植物をいくつか用意してきたんだ。アッシュフラワーの作用を毒と考えてね。じゃあ、そっちから試してみよう」


 さまざまな植物を1種類ずつティーポットに入れ、それにお湯を注いだものを、私は何杯も飲んだ。飲んでは5分待ち、また飲んでは5分待った。体の水分が多くなったからか、皮膚からのきらきらが減っている。それを、最初は元に戻る前兆かと思い、1人静かに喜んで、失望した。

 みんなは、私を気づかって声をかけてくれた。「大丈夫?」とか「無理しないで」とか。私はみんなをわずらわせて申し訳ないという気持ちになっていた。私の様子を見て心配してくれたのか、リリーが30分の休憩を提案した。


 私は、ちょっと動きたいからと言って、ティーポットとカップをキッチンまで持っていった。そのとき、リツさんがキッチンであちこちを見回して、ものを取ったり置いたりしていた。

「どうしたんですか?」

 私は心臓の鼓動がいつもより大きく動くのを感じながら、なるべく平静を装って聞いてみた。

「コーヒーを飲もうと思ったんだが、コーヒーが見つからなくてな……」

 リツさん、コーヒーが好きなんだ。そう思いながら私もコーヒー豆やインスタントコーヒーなど、何かコーヒーを作るための材料がないかと探した。

「あ、これですね。インスタントコーヒーの瓶」

「……リノ、君はお湯を沸かせるのかな?」

 そのとき、リツさんは変なことを聞くと思った。でも、また平静を装って答えた。

「沸かせます。多分、あのやかんで沸かせばいいんですよね?」

「ああ……すまないが、コーヒーをブラックで作ってもらえないかな?」

 リツさんはうつむきながらそう言うと、最後に私を見た。

「は、はい。ホットでいいですか?」

「ああ……カップはこれで」

 そのとき、リオがいることに気がついた。

「俺も久しぶりにブラックコーヒー飲もうかなぁ。リノ、俺のも作ってよ」

 そう言って、リオも棚にあったマグカップを取ってテーブルに置いた。

「うん。わかった」

 リオもブラックコーヒーが飲めるんだな。そう思いながら、私は返事をした。


 ブラックコーヒーが入った2つのマグカップを持って食堂に戻ると、窓が開けられていた。リツさんとロイさんは、リオが座っている席の後ろでなにやら言い合っていた。ロイさんの手には、アッシュフラワーがあった。

「アッシュフラワーはまだだ。他に方法を考えよう」

「大丈夫だよ。君たちの体には、おそらく浄化作用があるんだから」

「だから、推測を頼りにするなんて危険すぎるだろう」

 近くまで来た私に気づき、リツさんは言い合いを中断した。

「あぁ、すまない。ありがとう」

 すると、ロイさんが不思議そうな顔をして私を見ている。

「俺が頼んだんだよ」

 リツさんはロイさんにそう言いながら、カップに口をつけた。

「リオ、はいこれ」

「おぉ、サンキュー。そこに置いといて」

 私がリオの近くにカップを置くと、リオは自分の右奥にカップを置き直した。

「ちょっとちょっとぉ、リノに何を頼んでるのよ。まぁ、リツは仕方がないけど、リオは自分でしなさいよ」

「リツは超超超不器用だからな」

 リエさんとリオの会話を聞いているとき、窓からの強い風で何かが飛んだ気がした。「ちょっと寒くなってきましたね」と言って、時山さんが窓を閉め始めた。それを見て、私も他の窓を閉めることにした。

「あれ⁉︎ リノ、これクリーム入ってる? まあいいか」

「え? 私、ブラックコーヒーで持ってきたはずだけど……」

 私がリオに答えたとき、もうリオはその液体を飲み始めていた。

「ん、なんだこれ? ラップ?」

 そう言いながらリオは、カップの中から透明の膜のようなものをつまみ上げた。かと思ったら、たちまちに意識を失い、机の上に倒れ込んでしまった。

「えっ、リオ⁉︎」

 私はリオに駆け寄った。みんなもリオの元に集まってくる。

『どうしたの⁉︎ 何かあったの⁉︎』

 本の中のリリーも異変に気づいて心配している。そのとき、ロイさんがリオの持っていた透明の膜を拾い上げて凝視した。

「これはもしかして、アッシュフラワーの花びらじゃないか?」

 そう言うと、ロイさんは自分の持っていたアッシュフラワーの花を見た。

「やっぱり、1枚足りない。アッシュフラワーの花びらは5枚なんだけど、今4枚しかないよ」

「さっきの風で花びらがカップに入ったのかしら……えっ」

 そう言ったリサさんの視線の先に目をやると、リオの服装がいつの間にか変わっていた。リエさんがリオの左の手のひらを開いてみせると、そこから「LIO」の文字が消えていた。

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