第06話 朝の慣例

 時刻は朝の6時。ベッドの脇の目覚まし時計が音を立てた。この館の慣例として、7時には住人みんなが顔を合わせることになっているらしい。私は靴を履き、他の3人と一緒に食堂へ向かった。


 食堂の入り口あたりには時山さんが立っており、軽く挨拶をかわした。食堂に入ると、リツさんとリオはもう席に着いていた。カーテンが開けられた大きな窓を通って、柔らかな朝の光が部屋を照らしている。

 リツさんは昨夜と同じく、窓側の真ん中の席に座っており、肘をついて両手を重ねていた。今日は髪を束ねておらず、その黒髪は肩まであった。白いニットに紺の薄手のカーディガンで、昨日よりラフな印象だ。リオはリツさんの左側の席のさらに左の席に、つまり端っこの入り口に近い席に座っていた。クリーム色のニットと白地に茶色のチェック柄のボトムス。何か本を読んでいる。

 リツさんは私たちを見つけると、席を立ってこちらへ歩いてきた。リエさんからリリーの本を受け取ると、両手で抱えながら元の席へ戻り、リリーのイラストのページを開いた。

 リエさんにうながされ、私はリツさんの正面の席に座った。リツさんの隣の席も緊張したけれど、正面の席はさらに緊張するものだと知った。私の左隣の席にはリエさんが、右隣の席にはリサさんが座った。

「リリー、なんだか嬉しそうだな」

 リツさんが穏やかにリリーに話しかける。

『ふふっ、そう? だって、とっても楽しかったのよぉ! そうそう、リツが漫画やアニメも好きだって話しちゃったわ!』

「そうか」

 リリーの話を聞いて、リツさんは嬉しそうにしている。2人は見る限りとても仲が良さそうだ。リオはリツさんが女性嫌いだと言っていたが、リツさんにとってリリーは特別なのだろう。私は2人の関係に思いを巡らせていた。

「リノ、昨晩は楽しく過ごせたかな?」

 突然リツさんがこちらを向き、私に話しかけてきた。

「は、はい」

 リツさんの美しさやその穏やかな雰囲気に慣れていない私は、顔が熱くなってくるのがわかった。緊張で汗が出ているのか、体のまわりがいつも以上にキラキラと光っている気がする。リツさんは私に一瞬微笑んで、またリリーと話し出した。

「ふふっ」

 私の緊張した様子を見て笑っていたリエさんに、私は愛想笑いを返した。何もしようがなくて右の方を見ると、リサさんは頬杖をついて窓の外を眺めている。私たちから少し離れたところにいるリオは、時山さんと何やら楽しげに話していた。


「みんな、おはよう」

リツさんが、改めてみんなに朝の挨拶をした。

「今日は少し早いが、みんな集まっているので今日1日の予定を話しておこうと思う。ロイが帰ってくるのが午前中だ。10時を過ぎると思うから、11時にまた食堂に集合することにする。それから、今日はみんな、外出しないで敷地内にいるようにしてくれ」

 みんなそれぞれに返事をした。そして、リオはすっと立って食堂を出ていった。

「私たちも着替えましょうよ」

 リエさんが楽しげに言った。

「私とリサの洋服から、リノの洋服を選びましょ」

 それを聞いたリリーが、『私も選ぶぅ』と言っている。リツさんはリリーの本をこちらへ向け直すと、「じゃあ、よろしく」と言って食堂から出ていった。


 リエさんから服の好みを聞かれ、私はファッションにうとくてよくわからないと答えた。じゃあ普段の格好はと聞かれ、部屋着はTシャツにズボンだと言った。

「じゃあ、それとは別の格好にしてみましょうよ。スカートに決定! リサはスカートはあんまり持ってないでしょ? スカートは私が持っていくわ」

 リエさんはのりのりで自分の部屋に行った。私はリリーとリサさんと一緒に、またリサさんの部屋に向かった。


「リエの持ってくるスカート次第ね。でも、スカートだから、上は可愛いのがいいでしょうね」

 そう言ってリサさんは、さらっとした生地の花柄のボウタイブラウスを取り出した。灰色がかった水色に、黒っぽいピンクの花の模様が細かくほどこしてある。腕の部分は少し透けていて、袖口にはフリルが付いている。

「素敵ですね。洋服はどこで買われているんですか?」

「それなのよ」

 そう言うとリサさんは、洋服の入手方法を教えてくれた。この館には長山ながやま梅子うめこさんという女性の使用人がいるそうだが、その人が服を買ってきてくれたり、くれたりするのだという。

「ネットで注文すると、ロイが買ったことになっちゃうでしょ。一人暮らしのおじさんが大量に女性服を買ってるなんて、あやしまれちゃうからね」

 なるほどと感心していると、リエさんがハンガーにかかったスカートを両手に持って部屋に入ってきた。

「春物は5着しかなくてぇ。膝丈が多いんだけど――」

「ねえ、これ見て。リノに良さそうじゃない?」

 リサさんは先ほどのブラウスを広げてみせた。

「あぁ、いいわね! それだったら、これなんてぴったりよ」

 そう言うと、リエさんは丈の長いアイボリーのプリーツスカートを取り出した。

「リノが着たらロングになっちゃうと思うけど、まぁいいでしょ」

 リエさんは背が高い。平均的身長の私がスカートをあててみると、確かにロング丈になった。


 着替えてみると、なかなか良さそうだった。私とリエさんとリサさんとの3人で話していると、ベッドの上のリリーの本から声がした。私はリエさんとリサさんと、3人で顔を見合わせた。リリーのことを、すっかり忘れていたのである。

『全然見えない! 誰か本立ててぇ』

 それを聞くと、「ごめん、ごめん」と言ってリエさんがリリーの本を立てた。リリーの本は、イラストが描いてあるページが開かれている。

『あら、素敵ね! 靴はどうするの?』

「靴は一緒でいいんじゃない?」

 リサさんの発言を聞いて、リリーはしょんぼりしてしまった。

『私も何か提案したかったわ……』

「じゃあ、ご意見だけでもうかがおうかしら」

 とリエさんがにこやかな顔で言った。

『この服装なら、白のサンダルがいいと思うわ!』

「サンダルはまだ早いわよ」

 リリーの提案に、リサさんが突っ込んだ。さらに、負けじとリリーが言う。

『じゃあじゃあ、ピンクベージュのハイヒール。あ、ローヒールでも可』

「ふふ、それは良さそうね」

 リサさんは笑って同意した。

 3人ともファッションに意見を持っているので、私は劣等感を抱いていた。私はこれまで、自分で服を選んで買うことがほとんどなかった。自分の給料で服を買うときは大抵、仕事着に使った。その服も母親と選ぶことばかりだったのだ。私は、自分で決めることを放棄していた。

「私たちで決めちゃったわね。リノ、他の服も見てみる?」

 リサさんにそう聞かれて、私は少し緊張した。

「いえ、この服、素敵です。嬉しいです」

 私は嘘は言っていない。選んでもらった服は気に入っている。自分が今まで着たことがないようなデザインで新鮮でもあり、気分も良かった。しかし、他の服を見ないのは、自分の感覚を否定されるのが怖かったからだ。3人とも当たり前のように自分の意見を言うので、自分のセンスに自信がないとも言い出せなかった。

『リノ。ファッションに興味ないってことはないのよね? だって、あなたが着ていたベージュのワンピースと焦茶のショートブーツ、素敵だったもの』

 リリーに聞かれても、私は自分がわからなかった。何も言い出せずにいると、リリーがまた口を開いた。

『リノはきっと、ファッションが好きなはずよ』

 リリーは、私の人生を多分知っている。リリーは今、きっと私を励ましてくれているのだと思った。

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